・ブックストアの恋・1

 初めて彼を見たのは、駅前の本屋だった。



 私が家族と住むこの町の駅前には、昔から続く老舗の本屋さんがあったのだ。そこは一時は漫画専門のコーナーも作ったりするなどで頑張っていたけれど、先代の社長が亡くなってしまうと社運がいきなり傾きだしたらしく、結局はあれよあれよという間に潰れてしまった。

 その後に来たのが、都会でチェーンを展開している大手の本屋さん。店内でカフェ仕様にした一角もあり、コーヒーを飲みながら本を物色できたりするのだ。椅子が置いてある時点で私は驚いた。こんなことしたら皆立ち読みで帰らないんじゃないの?と思って。

 だけど、そこの経営者は時代を読むのがうまいらしく、未だに少しずつ規模を拡大しながら本屋は続いている。

 前の本屋がダメだったんだから、また万引きの被害が大きくてすぐにつぶれちゃうよ、そう町の人たちは言っていたけど、5年以上は続いているはずだ。

 私は会社帰りにそこの本屋に立ち寄るのが日課になっている。

 まずは女性誌の新刊コーナーをチェックして、それから昔から好きな科学雑誌などをチラ見して、ついでに隣の週刊誌のところで最新のゴシップを読んで、文庫本の方へ行く。

 お気に入りの作家さんの新作が出ていないかどうかを確認して、それから休日前だったりなんかすると、日曜の朝にベッドの中でごろごろしながら読む本を求めてうろうろと彷徨う。

 時には半身浴にお供させる趣味実益本のところを熱心に見るし、たまには料理でもって主婦の雑誌コーナーのところで時間を食うこともある。

 とにかく、私の毎日にその本屋さんはしっかり組み込まれていて、何も考えなくても電車を降りると足がそちらへ向くのだった。


 そんな風に、その日も入っていった。

 そしていつものように各種の棚をチェックしながら店の中を巡り、海外ノベルものの所まで来た時に、店員のおすすめの本コーナーに平積みされている新刊に目が留まったのだ。

 ただし、とまったのは目だけ。私の足はまだ動いていた。

 他所を見ながら進んでいたわけで、当然と言えば当然だけど、私は他のお客さんにぶつかった。

 小説を立ち読みしている人みたいだった。

 どん、とぶつかった瞬間に、反射的に私は謝っていた。

「ごめんなさい!」

 するとちょっと驚いたらしい相手の女性は、間をあけて私を見てから微笑んだ。

「大丈夫ですから。こちらこそすみません」

 その私より年上だろう女性は、立ち読みしてるのが悪いのよね、と笑う。いえいえ!余所見して歩いた私が悪いんです!私は両手をバタバタと振ってそう言った。

 すると、別の場所からくすりと笑い声が聞こえたのだ。

 私達は同時にそちらの方を見た。

 そこにはえらくラフな格好の、赤毛の男性が立っていた。うわあ、目立つ人!それが第一印象だ。その男性は私達の問答のどの辺りが面白かったのか、二人に見られてもくすくすと笑っていた。

 私がぶつかった女性はちょっと眉を顰めてその男性を見て、それから私に会釈をして出口に向かった。私は急いでもう一度謝って、どうしようかと考えた。

 この、まだ笑ってる人をどうしようかってことだ。

 無視する、もしくはあの女性と同じように不快ですよと表現するに留めて立ち去る・・・・・うーん、でも私、まだ今晩読む本、選んでないしな。このところハマっていた時代小説を読み終わってしまって、そろそろ現代物の新しい作家を発掘したい頃だった。

 ちょっとの間そうやって悩んで、とりあえず私は彼を無視することにした。

 さっき目に付いた平積みの新刊をもう一度見る。新しい推理小説?脱出ものみたいな・・・ふーん、後ろ書きを読みながら買うかどうかで悩んでいると、急に肩のところで声が聞こえた。

「それはつまんなかったよ。それに、後味が悪かった」

「うひゃっ!」

 驚いた私はつい声を上げてしまってパッと振り返る。

 そこにはさっきから私を見てくすくす笑いをしていた男性がいた。所謂赤毛、その金髪には鈍い光があり、細い眉に瞳はグレー。白い肌。高い背。・・・ハーフの人?それともそれっぽい日本人?

 とにかく、やたらと目立つ外見をした男性だった。

 ざっと姿を見てそんなことを考えて、私は後ろに下がる。

 この人、さっきなんて言った?

「私──────に、用ですか?」

「それ」

 どれ?私が首を傾げると、彼はすいっと私が持っている本を指差す。

「それのことだよ。買うのはお勧めしないっていってんの。面白くないから。読みたいなら図書館にはいるの待てば?」

 ムカッときた。

 私は不快な表情を押し込めて、出来るだけ愛想よく接しようと頑張った。だって、まあ知らない人だし。それに邪険に扱って、仕返しでもされたらたまんない。変な人かもしれないし。

「あの───────そうですか。でもそれはあなたの感想ですよね?面白いと思う人間がいたから本になってるのでしょうし」

 彼は口元を緩やかに上げて微笑のようなものをした。

「・・・まあ、言いたいことは判るけど。でも主人公が侮辱的な殺され方をして、そのまま後の説明は特になしでエンドになる本が、君は好きなの?」

 ・・・それは嫌だな。正直にそう思って、私は手にしていた本を元に戻す。夜に読む本は、自分の心が温かくなるようなハッピーエンドや日常生活を描いたものにしようと決めている。

 寝起きや夢見がえらく違うと判ってからは、そうするようにしていた。

 でも、ちょっとこの人は邪魔、というか、うるさいよね。頑張っていたけど、さすがに声にムスっとした感じが出てしまった。

「それはどうも」

「いえいえ。・・・うーん、ダメ出ししただけだと印象が最悪だろうから、僕のお勧めを言ってから消えるよ」

「え?いや、結構で────────」

「これ」

 目の前に一冊の文庫本が差し出された。

 持ってたんだろうかってちょっと驚いて、私はその本を見下ろす。

 それはアメリカの田舎に住んでいる年配の女性の手記のようだった。表紙は一面カラー写真で、たくさんの緑の中に埋もれるようにして立っている女性が、紅葉の枝を持って振り向きかけている姿だった。

 優しい感じが、その表紙からはした。

 私はそれを受け取る。黙ってじっと見てしまった。・・・ノンフィクションだよね・・・。フィクションの小説を探してたんだけど、たまにはこういうのもいいかも・・・そう思いながら。

 私が受け取ったのをみると彼はふんわりと頷いて言った。

「興味なかったらあっちの棚のナ行だから、戻しておいてくれる?じゃあ、今日は楽しいものを見せてくれてありがとう」

「は?」

 本から視線を外して顔を上げた私に、彼は両手を体の前でパッと開いてまた笑った。

「パントマイム見てるみたいだったんだよ、さっき、人にぶつかってた時。まっすぐ歩いてきてドン!両手をバタバタ。面白かった。──────さよなら」

 話しかけたときと同じくらいに唐突に、彼はその場を立ち去った。

 私は手渡された文庫本を持ったままでその場に立ち尽くす。

 ─────────────えーっとお・・・・。一体あの人何だったんだろう・・・。失礼なのか失礼じゃないのかイマイチわからない人だった。

 手の中に残された本を見る。

 優しい表情をして緑を見詰める女性。色あせた金髪を後頭部でゆるくまとめていて、後れ毛が儚げな印象を見せている。

 私はその本を持ってレジへ向かった。


 その本は結局、その夜寝落ちするまでも読んだし、日曜日の午前中のまったりタイムにも読んだし、半身浴のお供にもしたし、仕事に行くときに鞄にも忍ばせておいたりする、大切な本になった。

 一人のアメリカ人女性の、波乱に満ちた半生の記録。その膨大な文字数にかかわらず何ともゆったりとした雰囲気が流れる彼女の笑顔や家、植物や小物の写真の数々。

 笑い、泣いて、唸る。そして癒されて、温かい気持ちにさせてくれる。

 こんなことが起こるんだなあ!ここでこの人が泣かなかったのは凄いなあ!私ならどうするだろう。そんな自問自答を何度もしながら読み直す。

 そんな本に出会えて良かった。

 私は何度目かの読了で潤んでしまった瞳を拳でぬぐって思う。

 あの時、本屋で、彼に出会えて良かったって。


 丁度日曜日も月曜日も私は連休で町へ出ず、しかもその後は本屋の都合で臨時休業になってしまって、1週間も駅前の本屋さんには通えなかったのだ。

 私はまたあの男性に会えるかなあと思って、閉まってシャッターが下りている本屋の前まで必ず平日は毎日行ってみたりもした。

 お礼が言いたかったのだ。

 素敵な本をおすすめしてくれて、ありがとうって。

 あなたのお陰で私は、温かくて心震えるようなたくさんの大切な時間を過ごすことが出来ましたって、そう言いたかったのだ。

 感謝の気持ちが溢れるなんて、この年になればそうそうはない。何事にも鈍感になってしまって、もうどうしようもないってほどこみ上げる気持ちみたいなものには、出会えないものだ。

 だけど、彼のお陰で私はこの本に出会ってしまった。

 ああ、今日は会えるかな──────────



 久しぶりに開店している本屋さんへ、電車から降りた私は早足で向かう。

 開いてるんだ、今日は。だって昨日シャッターに張り紙がしてあったもの。これから年末までは、お休みしませんって。

 ドキドキと煩い鼓動を宥めながら、店内に足を踏み入れた。

 この数日ずっと思い描いていた、あの赤毛とグレーに光る瞳、背高のっぽの彼は、いるだろうか。

 思い出すたびに表情などの細かい部分は忘れてしまって、私の中には彼の印象だけが残っている。だけど、会えばまた判ると思っていた。

 彼の本屋にくる時間帯がまた同じであることを願っていた。

 どこのどんな人なのか、何も知らないのだ。そんな人とまた偶然に出会うには、一度出会った場所をうろつくしかない、そう思って、店が閉まっていても毎日通ったのだから。

 新刊コーナー、雑誌、趣味の棚、それから科学雑誌の場所、文庫本を回って、ぐるぐると店内を早足で歩きながら、私は彼の姿を探す。

 見回したけど、覚えているような外見の人はいない。

 どれも黒い頭や茶色い頭ばかりだ。

 ああ、いないのかな。時間帯が悪かったのかな。ここで1時間くらいはぶらぶらしてみようか。そうしたら会えるのかな・・・・。

 挙動不審で警察に電話されないくらいには行動を抑えて、私は彼を探した。

 だけど、判らなかった。

 会えなかったのだ。

 あの本は今日も私の鞄の中にちゃんといるのに。早く早く、この感動を伝えたいのに。そんな、やっとお店も開いたのに・・・。

 いつもなら輝いて見える本たちが、急に色を失くした様に思えた。棚から背表紙を見せてキラキラと光をまいていた雑誌たちも表面についた埃が目立つような感じがして目をそらす。

 何てこと・・・。私の大事な場所が。あの男性に会えないって思っただけで、色を失ってしまうなんて。


 愕然として、私は本屋の片隅につったっていた。



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