1、101号室



 101号室:住人、羽 学・修(ハネ・マナブ、シュウ)兄弟。兄は売れない脚本家、弟は売れっ子のミュージカルダンサー。住歴7年目のノア・ハウスでは古参に入る。


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 ノア・ハウスの101号室。ここが、俺の住所だ。

 勿論その前にも県名から始まる住所はあるのだけれど、とにかく最後はそう締めくくられる。

 ノア・ハウス、101号室。

 ここに住む俺は羽・学という。はねがく、じゃなくて、はね、まなぶだ。本名ですかって聞かれることが多いのは俺の職業のせいでもあるけれど、れっきとした本名だ。

 契約をして金を支払ったときには弟の修も一緒にいたんだけれど、二つ年の離れたあいつはダンサーなんて職業なので、公演といっちゃあ全国のアチコチをまわっているから、ほとんどこの部屋にはいない。

 だから俺一人で使っていて、大変好都合。間取りで言えば1ルームのこの部屋に、成人した男二人では若干狭いのだ。ここに来た当初は住む場所を選べるような立場ではなかったから、何でもいいって思ったのだけれど。

 8畳ほどの部屋、作りつけの机、それとトイレが部屋の中にある。そこに2段ベッドを置いて、弟と使っている。プライバシーはほぼゼロだけど、あいつはほとんど帰ってこないから、基本的には俺一人でのびのびとしているのだ。

 机の上にはシンプルな卓上ランプ。それと、紙とペン。それだけで俺の仕事は完結する。あとは、この頭さえちゃんと働いてくれたら、それで。

 ただし、この頭は滅多にインスピレーションの泉を湧かせない。そんなわけで、職業的には脚本家ではあるが、現在はどこの劇団とも契約をしておらず、行きつけの小劇場もない。というわけで俺は、星の数ほどいる脚本家の中では底辺の端の端をウロウロしている状態なわけだ。人前で職業名を口にするのが恥かしいくらいに。

 ・・・くそ。

 辛いわ〜、現実世界!

 そんなわけで、まあ大概暇な俺は今日もノア・ハウスの共同スペースである2階を彷徨っている。

 ここはノア・ハウス、その名の通り、ノアと言う男が経営しているシェア・ハウス。そんな横文字からは遠く離れた外見のせいで、個人的には昭和時代の「なんとか荘」と同じくくりだと思っている。

 外見、ぼろい。中身も、相当ぼろい。居心地、満点で、なぜか設備は金がかけられ整っている。個人の部屋と、他の住人と共同で使う、台所、食堂、談話室、それと風呂場。俺はここが大変気に入っている。

 一体どういう不思議だろうか。たまに、というか大いにヒビが入っている鉄筋の建物は蔦がびっしりとつき、廊下は迷路みたいに入り組んでやがるし、変なところにドアがあったりする。しかもたまに苔むしている。階段の手すりは壊れてぶら下がってるだけだし、共有部分の照明は3つに1つが切れたままなのでいつでも薄暗い。

 ノア曰く、それはエコらしい。

 住みだして環境に慣れた頃、文句というか、疑問系で聞いたのだ。不思議だったから。

『ここ、修理なんかはしないんですか?』

 って。当時はまだノアにも丁寧な口調だった懐かしい俺。まあともかく、その時にノアが寄越した返事はこれだった。

『これが地球に優しい状態なんだよ。わかんない?』

 ・・・わからん。

 正直そう思ったけれど、まあ個室やその他の部屋はとにかく綺麗で清潔なのだから、文句をいうべきではないよな、と判断したってわけ。ここを追い出されたら行くところもないわけだし。

 オーナーで管理人のノアをはじめ、大体ここの住人は変なやつらが多い。だけどその為に、無駄に居心地のよい空間が出来上がったのだと思う。ガチガチの常識人がいることの息苦しさとは無縁なのだから。

 今日も共有部分の2階へ上がる階段では、103号室の占い師が寝転がっていて、階段に丁寧にタロットカードを並べている。そしてこれはいつもの朝の光景なのだ。

 何と、朝の7時半だぜ。何で自分の部屋でやらないの、この人。

「おはよーです」

 俺はそう声をかける。

 すると占い師が本職らしい(本人がそう言っていた。だけど、その割りにはいつでもここにいるんだけどな)彼女、後北さんが軽く頷いたあと、一言投げてくるのだ。

 本日の一言を。

「手すりに気をつけて」とか「信号、4つ赤が続くよ」とか「飲む牛乳の賞味期限は見たほうがいいよ」とか、そういう言葉を。

 俺は、あー、はいはい、と返す。会うと、必ずこんな会話になる。他のことは話したことがない。占い師はいつでも一方的に未来を話してくるし、俺はまともにそれを聞かない。

 階段で無駄な時間を楽しむ占い師の次は、303号室の女といつも、談話室であう。

 ノア・ハウスの談話室は、見るたびに驚くほど綺麗なので、この女がいつでもいるのだ。卵色の壁、白くてフカフカの大きなソファー、壁に取り付けられた大画面の薄いテレビと、映画も上映できる音響設備。そこの白いソファーの真ん中に、いつでも一人の女が座っている。

 303号室の住人である白石というその女の子は、正真正銘のお嬢様らしい(ノア談)。元を辿れば貴族まで行き着くらしい人が、どうしてこんな場末のシェア・ハウスにいるのかは知らないが、とにかく、その女はいつでも仕立てのよいワンピースを着て、談話室のソファーに座っている。

 背筋をピーンと伸ばして、足をきっちりと揃えて。・・・リラックスしろよ、そう言いたくなるほどに姿勢がいいのだ。

 仕事はしていないらしい。一体どうやってここの家賃を支払っているのだろう、と思うけれど、それを聞くには会話が必要になる。それはちょーっと難しい・・・。

 彼女は俺を見るとにっこりと微笑んで、丁寧に頭を下げる。

「羽さん、お早う御座います」

 漢字で変換されるような言い方をして、ニコニコと笑っているのだ。俺は軽く頷いて、適当に返事をする。うー、とか、あーとか。にこやかに挨拶はされるけれど、その後の会話が続かないのだ。きっちりきっちり正しい日本語で返されてしまうと、何も言えなくなる。そういうのは苦手だ。退散するに限る。

 で、ようやく食堂に辿り着くと、ここにはまだ、このシェア・ハウスではまともな住人の内に入る二人がいる。

「おはようございます」

「おはようございまーす」

 男は、302号室の住人で飯田という。職業は占い師曰く、探偵とかそんなことをしているらしい。

 それだけは興味を持って、俺は本人に一度聞いたことがあるのだ。するとその飯田という男は、淡々とした無表情で、振り返って俺に言ったのだ。

『私はあなたの職業が何であろうと気にしません。なので、あなたも私の職業のことは気にしないで下さい』

 って。・・・気になるだろう、そんなこと言われたら。

 だから俺はノアに聞いた。「飯田さんって何してんの?」って。すると、ここの経営者で管理人のノアは、えーっと、何だったかな・・・と頬を爪でかいていた。

「・・・たーしか、興信所・・・?」

「え、興信所!?」

 それは面白いぞ!そう興奮すると、いや、違ったかな?とか曖昧で。

「どうなんだよ、ハッキリと頼む!」

 俺が大声でそう言うと、ノアはたら〜っと答えた。

「飯田氏は、一年分の家賃を一括で払ってくれる、ここでは珍しいちゃんとした店子だ。こっちに大事なのはそれだけなんでね〜」

 長い前髪でほとんど隠れている目で、俺をちろりと見下ろして。

 ・・・くそ。毎月の家賃が必ず期限より遅れる俺には耳の痛い話だ。でもここで諦めていたら欲しい情報は手に入らない!

「店子の素性は大事じゃないのか?」

 俺が食い下がりつつそういうと、ノアはさらにだるそうな立ち方になって、ぼんやりと頭を掻きながら言った。

「・・・素性が大事なら、あんたはここには住めてないでしょ」

 うぐぐ!悔しい!

 だけど、とにかく飯田氏は金には困ってない人ではあるんだろうし、いつもネクタイのスーツ姿だから安定したサラリーマンなのだろう。そして、探偵とか興信所とか、そんな感じの仕事なのだろう。

 そして彼の隣で朝ご飯をかっ込んでいる女は、中小企業のOLらしい。

 ここでは一番の新入りで、入ってきた時の自己紹介で、麻生マナミです、大恋愛を終らせて彼と共同で借りてた部屋を出てきて、住む所がなくて知り合いのツテを頼ってここに流れ着きましたー、と言っていた。

 世紀の恋愛って何だ?モノ書きの端くれである俺は興味を持って近づいたけど、麻生さんはにやりと笑っただけだった。

 まだ、自分でも消化できてないんで、そう言って。でもあれは誰が何と言おうと大恋愛でした、ぜーったいに、大恋愛でした!って。

 俺はそこ、別に突っ込んじゃいないんだが。


 朝のノア・ハウスの食堂には、たいていこの二人がいる。彼らは就業時間までに出発しなければならないので、朝の7時半にはちゃんとここで朝食を食べていて、黙ってテレビを観、新聞を読んで別々に出て行く。

 俺はたまにぼーっとその後姿を眺める人間なのだった。

 ノア・ハウスでは台所は共同だけど、食べ物は自分で調達だ。だから俺には俺専用の棚があるけど、その中身が空なのは俺が一番よく知っている。

 だからとりあえず、共有とされているコーヒーサーバーで、コーヒーだけは飲もう、そんな感じでここにいるのだった。

「あら、羽さんまた朝食抜きですか?体壊しますよ」

 麻生さんが俺にそういう。そして、食べます?と自分が食べている菓子パンの袋を振ってみせる。今日の朝食は6個入りのレーズンロールらしい。

「ありがとう、貰います」

 俺は素直にそう言って袋を受け取る。やった、ラッキー。

 このノア・ハウスでは珍しく、人懐っこい女だ、この人は。そう思って、前に言ってみたのだ。愛嬌ありますねえ、会社でも可愛がられるでしょうって。すると彼女は首を振ってこういった。

「会社では事務でそんな話しませんし、同棲していた彼氏とは全然喋らなくなってたんです、最後の方。だから、会社以外の人との会話に飢えてるのかも、私」

「全然喋らない・・・ああ、ちょっと判るかも。それってちゃんと別れ話になりました?」

 俺がそう聞くと、あっさりと首を振った。

「私の存在そのものに気付いてないみたいでしたよ。黙って自分の荷物引き上げて出てきたけど、下手したら未だに私が居なくなったことに気付いてないかもしれないです」

 だってよ。それはないだろ、さすがに。そう思ったけど、麻生さんの顔は真剣そのものだった。

 俺は彼女から受け取ったレーズンロールの袋の中に手を突っ込みながら何気なく部屋を見回して、白くて巨大な長テーブルの端っこに置いてあるハンカチに気がついた。

「あれ、麻生さんの?」

 え?と102号室のOLは振り返る。それからああと呟いて首を振った。

「昨日の夜からあったんですよ。私のではないですけど」

「ふうん?」

 俺がレーズンロールを口で咥えながら行儀悪く言うと、コーヒーカップを置いた飯田さんが無表情で口を挟んだ。

「そう、昨日の夜からありました。・・・血、みたいなものがついてるんですよ。平さんのかな、と思ったんですが」

 血?俺はそこだけが耳に引っかかって、立ち上がり、件のハンカチを引き寄せてみる。ベージュの綿のハンカチには赤い文字でRの刺繍、それから確かに、端の方には血痕かと思われるものがついていた。

 ハンカチは皺皺で薄汚れている。汚れたままで結構長い間放置されたもののように思えた。

「平さんはそんな趣味じゃないと思いますけど」

 麻生さんが言った。平さんて言うのは3階にバーテンの彼氏と同棲しているラウンジの歌手だ。

 スレンダーでクセのある狐顔美人である平さんが好むとは、確かに思えないハンカチではあった。あの人なら控えめでも柄ものだろう。こんな、綿の真っ白なハンカチではなくて。

 うーん・・・と俺は眺める。白石さんのお嬢さんとも違うよな、雰囲気が。こんなヨレヨレは持たないだろうと思うし、彼女のものならばすでに洗濯されているだろう。

 想像するに・・・、俺は暇に任せて空想の世界に浸る。

 こんなハンカチを持っているのはちゃんとした家庭に育った女子高校生だ。お母さんがアイロンをあてたハンカチを制服のポケットにいれていて、校庭で何かあって擦りむいた膝にあてて染み付いた血痕。そんな感じ。

 俺がぼーっとそんなことを考えながら口をもぐもぐさせていると、麻生さんがジャケットを羽織りながら立ちあがった。

「それ残りは全部どうぞ。私もう出なきゃ」

「いってらっしゃーい」

「はい、行ってきます」

 彼女が出て行くと、飯田氏も、私もそろそろと言いながら出て行った。野郎にはいってらっしゃいは言わない。だって返事くれても嬉しくねーもん。大体あの人笑わないし。今日は珍しく喋ったけれど。

 麻生さんがくれた菓子パンを全部食べてコーヒーのお代わりをしてから、俺はうーんと伸びをした。

 ハンカチはあった場所に、あったように戻しておく。ここにあったんだから、住人の誰かのなんだろうし。まあ、所詮俺には関係ないし、そう思って。

 今晩、弟の修が帰ってくるとメールがあった。地方公演を終えて、久しぶりのオフがあるらしい。だから夜はアイツがいるってことだ。久しぶりに部屋が狭くなる。

 それまでに、来月の家賃を稼がなければ。

 俺は立ち上がって台所を片付け、またぼろい廊下へ出てぼろい階段を音を立てながら降りる。

 占い師はまだ階段で寝そべっていて、タロットを弄くりまわしていた。

 俺はふと気が向いて、彼女の横に座る。

「なあ、今俺が書いてる原稿、売れるかな?」

 彼女はチラリと俺を見上げて、タロットを俺の方へと差し出す。一枚引けってことなんだろうな、と理解してそのようにする。占い師はだるそ〜うにその一枚のタロットをひっくり返した。そこには何やらつるし上げになっている男の絵。

「売れない」

 ・・・夢も希望もないご信託だな。

「ありがとね」

 そう呟いて、階段を降りる。そして101号室を開けた。

 真っ直ぐに部屋を横切って、一番奥の窓を全開にする。少しは風をいれとけよ、布団が臭くなってるじゃないかって、いつも戻ってきた弟に最初に言われるのだ。

 あいつは俺と違って、真面目でしかも明るく、努力家だ。だから成功している。

 おかしいな〜、兄弟なのにな〜。出発は地方の小さな劇団ってところは同じなのに、今の環境は全然違うものになってしまっている。

 椅子にどっかりと座った。

 仕方ない。やるしかない。売れない脚本家の俺は、気合を入れて副業を始める。副業といっても今の俺の生活を支えているのは完全にこっちの方で、なんならこっちが本業といわなきゃならないのかもだけど。

 だけど、朝の8時からエロ小説を書くのが商売です、とはやはり言いたくないのだった。

 週刊誌に載せている、別名義の官能小説。それの世界に浸るために、ラークを一本口にくわえる。

 さて、では今日は。ヒロインを、あーしてこーして・・・・。

 俺は既に妄想に浸り始める。

 頭の中は、もう十分にAVの世界へトリップしていた。





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