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 それから、白石の末姫と、飯田さん──────────────


「あ」

 つい、声が出てしまった。

『どうしました?』

 チャーリーが足を止めて聞く。俺は苦笑して、ひらりと手を振った。

『・・・いや、ちょっと思い出したことがあるだけだ。何でもない』

 食事の用意が出来てますので、という言葉にうんと頷く。

 そういえば、そうだ、飯田さん・・・。さっきの伝言は明日滝本氏に伝わるのだろうか。俺はそれを考えて、つい口元が緩んでしまった。

 視線を感じる。きっとチャーリーだろう。まったく面倒くさい男だ。男に見詰められたって嬉しくないぞ。

『先にシャワーを浴びたい。少し時間をくれ』

 そう言うと、黙って頷き浴室まで着いてきた。・・・これ、まじでこれからずっと続くのか?しっしと手で追い払いたい気持ちを我慢して、浴室に入る。無駄に広い空間に、心底うんざりした。浴室がバカデカイことの、メリットを誰か俺に教えてくれ・・・。

 調査会社の滝本サンを知ったのは、ヒョンなことからだったのだ。飲み屋で隣同士になった。そしてその後、運命の出会い・・・いや、簡単に言えば、彼が何かの調査中にたまたま通りかかった俺が、巻き込まれたってのが正しい。

 彼も俺を浮浪者と思ったらしかった。もしくは身なりを気にしない引きこもり。だけど、見下しも嘲笑もせずにまともな態度で質問をした。俺はまずそこに好感を持った。同じことが俺は出来るかと聞かれたら、多分できないだろうから。俺の外見がいかに怪しいかは自分で判っている。しかも、その、たまたま巻き込まれた事件が決着をみたとき、彼はなんとそれを教えに俺に会いにきたのだ。最初に出会った店で、俺を待っていた。

 この前はありがとうございました。結果が聞きたいだろうと思ったので─────────

 そう言って、柔らかい態度と笑みで近づいてきたのだ。丁寧な男だな、そう思って俺は驚いた。

 で、その時に名刺を貰った。彼が俺の職業を聞くから、まあいいだろうと思ってシェア・ハウスの経営をしていると言ったのだ。すると、しばらく経ってから飯田氏を紹介されたのだった。すみませんが、宜しくと。彼の思惑は判らなかったけど、こちらは利用価値があると考えた。調査会社の社長なんて、知り合いにしといて悪いことはないだろう、そう考えて頷いたのだ。だけど・・・まさか、こっちがきっちり調べられていたとはね。

 どうやって張グループに行き着いたのだろうか。俺は戸籍としては母親の私生児扱いのはずだし、当時は既にビザも期限切れだったはずだ。彼には何か太いパイプがあるのだろう。それで、俺が張グループの血統だと知り、シンディーが妹にいることを知った。

 シンディーと元々知り合いだったとは驚いたけど、あの滝本という男は何せ奥の見えない男だから、それくらいのことはあっても不思議はない。

 だからこっちも彼のことを調べたのだ。アメリカに戻ってから時間を作り、親父の金とツテをガンガン使って。勿論シンディーからも話を聞いた。それで色々なことが判って面白かったのだ。

 彼も複雑な子供時代を過ごしたってこと。

 調査会社の評判がいいこと。

 滝本からの伝言で、シンディーも俺も呆気に取られた。落ち着いてからは、是非この驚きの仕返しがしたい、と話も弾んだ。ではどんな仕返しがいい?二人で10日ほど悩んで、出した答えがこれだった。彼の、大切なものの話、それも他の人には知られて無いようなレアなものをふっかけてみれば?とシンディーが笑いながら言ったのだ。

 それで更に突っ込んで調べたわけだ。彼の大事にしている、人やものはあるのかを。家族と呼べる人はいない。知人は多いが距離をとっているのがわかる付き合いばかり。だけど一つだけ見つけることが出来た。それが、野口薫という女性。

 滝本の事務所に出入りしている彼女の名前は名簿にはなかったから調査員なのかどうかは判らなかったけれど、とにかく彼女が、彼のアキレス腱らしいってことも。

 野口薫の右太ももには5cmの縫いあとがある。それは、本人か、恋人、または家族しかしらないはずの箇所なのだ。彼のアキレス腱であると調べたその野口薫という女性の、雲隠れしている父親までをわざわざ地球上の隅々まで探して聞いた情報だった。

 辿り着くまでが大変だったけれど、電話をかけることに成功した。金の力ってやつは凄い。

「あいつの右太ももには縫いあとがある」

 そう言って電話が繋がった彼女の父親は低い声で笑ったのだった。小さな頃にお腹が空いて自分で料理をしようとして、誤って包丁を落として刺さってしまった場所だと。結構な出血で、娘は号泣した。他人が知らなくて娘の男が知ってそうなことはそれくらいしか思いつかないと。

 恋人であるなら、滝本サンは知っているはずだ。それを接点のないはずの俺から聞いたとなれば───────
さて、飯田氏から聞いて、滝本サンはどう出るかな・・・・。

 反応が今から楽しみだった。

 あの感情の見えない瞳を、見開いたりするのだろうか。

 俺は宮内ノアの時とは違って、近づきにくい身分になってしまった。だけど、きっと彼は何とかして接触しようとしてくれると思う。それを期待して、胸が弾む。

「くくっ・・・」

 熱いシャワーに打たれながら、つい、笑い声が漏れてしまった。

 サイボーグのような男だと噂に聞いた、滝本という男。彼が嫉妬深い男であればなお良しだな。どうか、そうで
ありますように。そうして、俺に近づいてくれますように─────────────

 そうなればきっと、面白くなる。


 そう祈って、シャワーを止めた。



 俺の毎日はそんなわけですっかり変わってしまったのだった。

 ノア・ハウスの屋上に廃材で立てた小さな小屋の中でTシャツ姿でぐだぐだと寝転んだり、川原で誰にも邪魔されずに夕焼けを見たり、好きなだけ町をふらふらしたり、そんなこととは無縁になってしまった。

 だけど未決の書類に埋もれながら、それからチャーリーに見張られながら見る夢は、子供の時も、日本に逃げてきたときも、そして今でも変わってない。

 昼も夜も夢に見る。

 強烈な憧れを持って、いつでもそれに必死に両手をのばしている。


 いつか───────いつか、俺はこの手でちゃんと自力の金を作って、ここから抜け出してみせるって。そして、いつか・・・温かい、自分の家族を作りたい。

 ノア・ハウスはその原型だった。命を狙われていて存在を隠し、結婚も出来ない、戸籍がないに等しい俺に出来るせめてもの夢の形。

 本当に欲しいのは、渇望しているのは、いつだって「家」なのだ。子供が殺されたり、利用されたり、邪魔だったり思われない、一人の母親と一人の父親で構成される、一つの家に、帰りたい。

 疲れた足を引き摺って外から帰ってきて、ドアを開けた時、自然に笑顔になれるような家に。

 行ってきますに行ってらっしゃい、ただいまにお帰りという言葉、家族の居場所を皆が知っていて、気にしているような、そんな場を。

 殺されるかもという可能性がかなり少なくなった今は、それがもっとハッキリとした形の夢として目の前にぶら下がっているのだ。

 恋をして、一人の人間を愛し、家族を作る。

 キラキラと光って、眩しくてじっと見詰めることが出来ない夢。

 すぐ前にあっても、手をのばせなかった夢。

 レイチェルのハンカチはその時まで机に仕舞っておく。

 いつか、必ず、あのハンカチを自分から捨てることが出来ると思いたい。あの暗い過去を処理して納得し、もう縛られないですむ日を待っているのだ。

 必ず、いつかは。




 俺は───────────自分の家を、作ってみせるんだ。







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