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 皆の驚いた顔が楽しかった。

 前と同じ格好で戻ることだって勿論出来たんだ。だけど、ボサボサのままで伸ばしていた髪の毛は切ってしまっているし、強制的に磨かれてしまった体はピカピカで匂いもない。もうこれは仮装の勢いで今の環境を見せてしまうのがいいだろうって思ったから、正装してノア・ハウスに戻った。

 夕日の最後の光の中、蔦の絡まる古いビルを見上げて、俺はしばらくじっと佇む。

 アメリカから戻るときに秘書だと言って親父が俺につけた男、チャーリーが車の横でたちながらそれをじっと見ているのを背中で感じていた。

 秘書。・・・まあ、それも間違いではないのだろうけどよ。俺はぶすっとしたままでヤツを振り返って見る。

 でもどっちかと言うと、見張りだよな。監視役。シンディーについているワンほどの忠誠心など、彼にはないに違いない。仕事のサポートと、私生活の整頓が仕事らしい。つまりは俺が張グループから逃亡を企まないようにしようってことだ。チャーリーは元々親父の付き人だったのだから。

『ノア様』

「・・・うっせー」

『何て仰いました?』

「いいから消えてくれ」

『失礼ですが?』

『チャーリー、判ってるって言ったんだ』

 しれっと言葉を返してやった。本当はあっかんベーもつけたいくらいだぜ。

 早くしろって言いたいんだろーな。だけどこれくらいは許してくれ。命が助かったって、折角築いたこの楽園で俺が過ごすことはもう出来ないのだから。今はまだ日本語の判らないチャーリーへの文句は日本語だったら好き放題で言えるけど、それもすぐに終わってしまうだろう。ヤツは優秀だ。すぐに日本語もマスターするに違いない。だから今の内に言いたいだけ言ってやる。・・・やっぱりあっかんべーもしてみるか?

 一階玄関のオートロックキーを解除して中に入る。

 コンクリート打ちっぱなしに見える灰色の廊下は半年前と同じく電球が壊れたままで、遠く階段のところだけチカチカ光っている状態だった。それに思わず笑ってしまう。これも、そのままで置いておいたのかと思って。

 俺がいない半年間に、もしかしたら住人達でビルのあちこちを直していて、色んな機材も見付かり、暗がりのボロい箇所が実は絵であるとバレているかと思っていたけど、それもなさそうだな。

 彼らは、このままにしておいてくれた。

 ポケットに両手を突っ込んでぶらりと階段を上がっていく。着ている上等なスーツを今すぐぬいで、ここに居る時に着ていた腐りかけているボロ服に着替えたいくらいだ。・・・これじゃ、何だか気恥ずかしい。二階の食堂のドアが少しだけ開いていて、暗い廊下に明りが零れていた。そして話し声。

 ああ、この声は羽さんだ。それから・・・麻生さん。晩ご飯前なんだな。またコンビニの袋を持っているんだろう。だってそのカサカサ音が。

 皆、相変わらずだと判って、つい笑顔になる。

 実家に戻った時だってこんな感情は抱かなかった。

 何てことだよ、俺は。自分で笑ってしまう。ここが、もうすっかり家になってたんだな───────────

 俺は深呼吸を一つして、ゆっくりとドアを開けながら、言った。


「おや、久しぶりだね、皆さん」




『終わりましたか?』

 チャーリーが車のドアを開けながらそう聞く。俺は簡単にうんと頷いて、車に乗り込んだ。

『ではご自宅にお連れします』

 革のシートに納まって、目を閉じた。自宅、それは張グループが用意した東京での屋敷のことだ。俺が自分で買って準備した家などではない。

 アメリカの張家で久しぶりに会った親父は、俺に選択権を与えた。

 東京でのグループの仕事を引き継ぐか、私の跡継ぎの教育を受けるか、選びなさい、と。

 黒服たちに囲まれて突っ立ったままで、俺はしばらく実の父親を凝視していた。

 実際のところ、どっちも勘弁して〜だった。今更金持ちのぼっちゃんに戻れって?こっちにいる時はスラム育ち
でバスケと音楽と縄張り争いにまみれていた俺が。日本に逃げてからは一杯240円のワンカップ酒が一日の楽しみで、川原で夕暮れをぼーっと眺めて寝転んでいた俺が。

 総帥なんてものになれば自由は完全になくなる。プレッシャーも凄いし、一族郎党数百人の面倒を見る羽目になる。それに、周囲からはわんさか女を押し付けられ、張家が大好きな産めよ増やせよを強要されるのは目に見えてる。

 この生まれのせいで、俺は誰かを好きになったことなどない。恋心なんてものが生まれそうになったらすぐさま距離を置いたし、そんな心は殺してきた。それが自分の為だと知っていたから。スラムでは縄張り意識でひっついてくる女などいくらでもいる。そこに、恋心は必要なかった。

 だから御免だ。子供製造マシーン扱いされる女性を、そばに置くなんて。

 俺は卑屈な笑みを浮かべて、前髪の間から10数年ぶりに会う実の父親を見た。

『俺がここの仕事を継ぐには母が日本人だから無理だって、生まれる前から決まっていたんじゃなかったっけ?いつから混血でもオッケーってことになったんだ?』

 表情の変わらない父は、その窪んだ黒目で俺を観察しているようだった。静かに一言零す。

『何より大切なのは、一族が続いていくことだ』

 俺は鼻で笑ってやった。

『シンディーがいるだろう。そのために、あんたの奥さんは他の妹達を虐殺したんだろ?娘につがせろよ、あの子
だけ特別扱いなのは変わらないってことか?』

 俺の嫌味にも眉一つ動かさずに、上等なスーツに身を包んだ親父は平坦な声で返す。

『やる気のないものが継いでもグループの為にはならん』

『俺の為に言ってくれてんの、それ?ありがとよ、生き残った兄弟の中で、やる気のなさではきっと俺が一番だぜ』

 今度は声に出して笑い、そう言うと、親父は少しだけ首を傾げて見せた。

『お前がやる気がない?────────それは違うだろう、お前は、ただ、いじけてひねくれているだけだ』


 それから先は、実はよく覚えてないのだ。俺は文字通りに血管がブチ切れる勢いで激怒して、頭の中が真っ白になったからだった。

 いやあ・・・とっさに暴れようとして、つまり、親父に掴みかかろうとして、黒服のバカ野郎どもに潰された、という痛い事実は墓場まで持って行きたい。あの時にシンディーが同じ場所にいなくて本当に良かった。そんな無様な格好は、可愛がっていた妹に見られるのはごめんだった。

 異母兄弟はまだあと二人生きていた。全滅させられた異母妹たちとは別に、事故死したものや夭折したものを除けば、俺とあと二人の異母弟だけだったらしい。その内の一人、キーと呼ばれる弟が出世欲満々の男だった。親父はそいつを最初に後継者から外した。自力でのし上がれるなら、そうしろと。この子はグループに入れると引っ掻き回すだろうと。それで、キーは退場。別に殺されることもなく、今彼が生きているらしいイギリスへ帰って行った。

 次はG.Dだ。俺と6歳離れているこの弟は、母も中国南の出らしく、姿形が祖父によく似ていた。年もまだ若くて
現在はスウェーデンに留学中ということだった。結果的に、跡継ぎに親父が選んだのはこの弟だ。沈着冷静で、年が一番シンディーに近かった分、張グループの中で揉まれながら育った。シンディーの母親はこのG.Dを一番敵対視していたために、逆に彼を弱肉強食の家の中で強靭な男に育てることになってしまっていたのだった。それに気付いて遅まきながら海外追放にしたのに、結局出戻りで彼が総帥の後をつぐことになったってわけだ。

 G.Dはやたらとメンタルの強い男に育っていた。

『私はこの家が嫌いです』

 親父の前でそうハッキリと言ったG.Dは、それでも跡継ぎの話に頷いてみせた。いいのか、とこっそり聞いた俺に、弟は薄く笑って言った。

 見ていてください、ノア兄さん。私の子孫で張グループは生まれ変わります。あの女の血は入れさせませんし、あの女はいつか駆逐してみせます。それが、私が出来る最大の復讐です、と。

 俺は思わず拍手しそうになった。・・・祖父にそっくりだって。こいつはまた、産めよ増やせよを地でやるわけね。
で、また新たな恨みの種を生み出すってわけね、そう思ったのだった。

 あの女、と指されたのはシンディーの母親で、シンディーが跡継ぎを拒否した時からほぼ狂人になってしまっていたらしい。まともな外見で内側だけが静かに狂っていく。その話をシンディーは唇をかみ締めて聞いていたけれど、やがて首を振ってから涙目で言ったのだ。

『仕方ないよ、ノア。あの人は、それだけのことをしてきたんだから・・・』

 これも全て、この狂った一族のせいだ。俺は胸クソ悪くてつい壁を蹴り飛ばした。自分の中にその血が半分も流れているかと思うと本気でぞっとする。俺は日本にいる間に、随分と生ぬるくなってしまったと苦笑した。以前はそんなことに嫌気などささなかったものだけど。

 G.Dは自分が跡取りの教育に入るに当たって条件をつけたのだ。それは俺を仕事の一部として組み込むこと。自力で生き抜きたいと出て行ったキー兄さんは別として、他に生きている異母兄弟がいないのだから、私はノア兄さんと協力してやっていきたいと。

 親父は3日間考えて、結局頷いた。

 俺の反対など誰も聞いちゃくれなかった。えー、それは嫌なんだけどー、ってちゃんと言ったんだけどね・・・。

 それに、その訳も本当は判っていたのだ。G.Dはバカみたいな愛情や責任感ではなく、シンディーへの抑制装置として俺を手元において置きたいのだろうと。いざ、シンディーが跡継ぎを取り返したくなったとしても俺を盾に出来るように。その為に長兄を生かしておくのだろうと。だって今まで存在すら知らなかった弟と、絆などあるわけがない。だけど、俺とシンディーが仲がよいことは、もうバレてしまっている。

 そして、すぐにハッとした。祖父にそっくりのこいつは・・・きっと、やるって。保険として、俺の母親を人質にするのだろうと。

 母親は、生きていた。

 俺を日本に逃がした後に身分を詐称し、ワシントンへ移住して、ひっそりと暮らしていたらしい。だけど、俺をアメリカへ呼び戻すにあたって張グループの勢力をあげての調査が始まり、結局見付かってしまったのだった。

 シンディーと共にアメリカの空港へ降り立った時、そこには黒服に囲まれた母親の姿があった。

 母は俺をじっと見て、その後で微笑した。

「私達、掴まってしまったわね」

 そう言って。

 何の保障もなかったけれど、俺は母の手を握ってこういった。大丈夫だ、って。だってもういい年の男だ。今度は俺が母を守る番なはず。もう二度と会えないだろうって思っていたから、生きててくれて嬉しかった。

 そして、俺の予感は的中し、その後G.Dと二人きりになった時、ヤツは俺にバカ高い酒のグラスを寄越しながら、穏やかな言葉使いでこういったのだ。

『お母様に、ようやくのびのびとした人生を生きていただけますね、ノア兄さん』

 祖父そっくりの笑顔で、俺の前に立って。

 ・・・くそったれ。

 そう思ったけど、大きな反抗や抵抗はせずに一枚噛むことにした。一つには、勿論母の安泰を手にしたかったからだ。苦労続きの母を、今更危険に晒したくはない。そしてもう一つは。

 長年押し殺してきた、激情を始末するためだった。

 俺は、こんなところでは終わらないって、スラムで裸で走り回っていた時から思っていた。誰かに遠慮して生きるのなんてごめんだと。日本に逃げて寝転がっていた時も、川原で夕焼けを見ながら数万のシミュレーションをしていた。

 俺なら、あれだけの数字、あれだけの組織があれば、こうするって─────────────


 だけど、それを知られないように、仕方なく母親の為に噛むって態度を貫いた。気付かれてはならない。実際のところ、ワクワクしているなどと。沸き立つようなこの野心だけは、是が非でも隠し通さねば。

 それから「嫌々」教育期間の半年を過ごし、懐かしい母親としばらく一緒に暮らし、シンディーと武道の稽古をした。俺がサボっている内にシンディーはマーシャルアーツの達人になってしまっていたらしい。簡単にぶちのめされて、散々だった。

 ま、仕方ないよな。中身も外見もほぼ浮浪者だった俺なんだから。




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