・再び103号室


 突然、ノアが戻ってきた。

 と、思ったら仰天する外見をしていて、仰天することばかり言うから疲れてしまった。

 もう〜・・・アタシそろそろいい年なんだからさ、勘弁してよ、だわ。呆気にとられるやらなんやらで疲れてしまった体を長テーブルに預けて、ついため息をついた。

 数人で食堂でいる時に、急にドアが開いて、全身が光るようなスーツを着ている男が現れたのだ。

 何、この金持ちそうなお兄ちゃん・・・そう思ってたら、それがノアでビックリして、実は実家が金持ちで仕事を一部継ぐことになっちゃって〜などというものだから頭が混乱した。

 いや、そもそもノアって男は見た目は浮浪者そのものだったけどこのビルのオーナーなのだし、もっと若い頃にベンチャー企業かなんかで成功した人なのか、家が金持ちなんだろう、それで縁を切られたぼっちゃんなのかな、と思っていたことはあったけど、本当だとはびびったね。

 そんな小説みたいな話有り?って思ったけど、占い師をしているアタシがいう台詞じゃないのは承知している。世の中にはとんでもない話がごーろごろと転がっているもんだものね。

 でもまあ、とりあえず。アタシは長テーブルの上で頬杖をついて長い息を吐き出す。ここにはまだ住めるみたいだし・・・ああ、良かった。だって、アタシにはそれが一番大切なことなんだもの。

 ノアは今、お嬢さんにここの経営を任せる、と発言をして、お嬢さんが頷いたところだった。つまりこの子は雇わ
れ経営者になるわけだよね。それもノアが説明している。俺が毎月経営の手当てを振り込みます云々。よくは知らないけど、お嬢さんにもやっぱり複雑な何かの事情があって実家には戻れないみたいだし。

 緊張しているようだけど、どこか「助かった」と書いてあるような彼女の顔を見て思った。

 体の横で、あんなに手の平をきつく握り締めている。手の皺が、また、生まれるのね。こうやって人は人生を変えていくんだね。

 手相を良くしようと自分で刃物で皺を刻み込む人だっている。薬指の付け根に縦皺とか、小指の下の手の横側に横線とかね。カッターとかで線を刻み込んで、運をよくしようって人達。だけど、本当は、ああやって自分で運命を変えていくのだろう。ぐぐっと握り締めた手のひらで、自分の宇宙を変化させていくのだろう。

 管理人は脚本家の兄。弟は結婚とかで出ていくそうだし、兄はだらけているからそうそうここの中身は変わらないだろう。それは安心材料だった。アタシは、ここで、のんびーりと年を重ねていきたいのよ。

 さっきまでは厳しい顔をしていたバーテンダーさんも表情が明るくなっている。

 それを見ていたら、つい、アタシは口を出してしまった。

「ねえ、バーテンさん。あなた達は別にここじゃあなくてもカップルで住めたらそれでいいのではないの?閉鎖危機かもと思って、えらく不満そうな顔をしてたわね〜」

 余計なお世話だってわかってるけど。アタシがそういうと、丁度空白期間が生まれていた食堂の全員が、バーテンダーさんを見た。彼はその視線を受けてちょっと苦笑する。

「すみません、もしかして僕ら、皆さんの邪魔になってますか?」

「いえいえ、そういうわけじゃないんだけどさ。でもほら、アタシなんかはここを放り出されたら、本当に困っちゃうのよ。行くところなんてないし、社会的信用だってゼロ。今更一人で住むなんて出来ないと思うしねえ。戻る家も、迎えてくれる男もいないし」

 アタシがそう言うと、隣で麻生さんが激しく頭を上下に動かしている。・・・同意してるのね、これ多分。でもあなたはまだ若いじゃないの。彼女がいうところの「世紀の大恋愛」は冷え切って終わってしまったらしいけど、それでもまだ燃え尽きるのには若すぎる年なはずよね。・・・すっごい頷いてるけど。

 アタシは隣の麻生さんから何とか視線をはがして、バーテンダーに向けなおす。

「でもあなた達は共稼ぎだし、まあカップルだし。結婚しちゃえばどうせここを出るんだろうからノアがいなくなるのって実はいい機会なんじゃないの〜って思ったわけ。ほら、もっと部屋数があるところとかさ」

 アタシがそう言うと、バーテンダーは首を少し傾げてふむと呟いた。

「・・・まあ、そういわれればそうなんですけどね。カップルでシェアハウスにいるのは確かに一般的ではないで
しょうしね・・・。でも、何というか・・・ここはそういうのじゃないというか。うまく言えないな・・・」

 考え込んでしまったらしい。アタシは片手を急いで振った。

「ああ、いいのよ別に。考えこまないでちょうだい。迷惑なんて蒙ってないし、アタシ平さんが好きだから出て行って欲しいわけでもないんだし」

「そうですよ、ここの壁は厚いので、全然大丈夫です!」

 麻生さんが隣でよく判らないことを言って頷いている。・・・壁が厚い?ああ、隣室の音が漏れないってこと?そう気付いてアタシは苦笑する。

 しばらくアタシ達のやり取りをぼーっとみているようだったノアが、それでね、とまた口を開いた。

「すみませんが、ちょっと中工事入りますから、2日ほど職人が出入りして煩いでしょうけど宜しく〜」

「え!?」

「はい?」

「え、工事?」

 また皆から声が上がる。ちょっと!また結構な情報を出してくる男だわね!一気にいいなさいよ一気に!もう驚くのは勘弁だってーのよ!

 アタシは唸り声を上げそうになった。前の席から落ち着いたいつもの声で、飯田さんが言う。

「工事・・・しなければいけないってのは、水漏れとか、ヒビとか、そんなのですか?やっと直してくださるのですね」

 ああ、水漏れか、そう隣で麻生さんが呟く。アタシはそれを聞いてちょっとがっかりする。ってことは、ほら、たて
つけの悪い階段なんかも修理しちゃうってことでしょ?そしたら朝からあそこにアタシが寝そべる理由がなくなってしまうじゃない、そう思ったんだった。

 あそこだって、立派なアタシの居場所だったのに。

 だけどノアは、あははは〜と軽やかに笑った。

「ああ、俺がいない半年でも誰も気付かなかったんですね。これは、ちょっと面白いな」

 飯田さんが首を傾げた。バーテンダーさんが眉間に皺を寄せて聞く。

「・・・何がおかしいんですか」

 ノアはにやりと笑った。短く整えられた頭髪のせいで、そんな表情もよく判った。目元が見えると結構整った外見だったんだなあということも判った。・・・ほんとうにこれが、あのノア?いつも前髪の下に隠していた厳しい視線が、ちっとも見えないわ。

「このビルは、実は壊れているところはないんですよ。水漏れもしてないし、ヒビも入ってない。あれは全部わざとしてある芸術作品なんだ」

 一瞬、食堂が静まった。そして、その後に絶叫。ええええ〜っ!!!?って。叫んだのは主に、アタシ、麻生さん、それとバーテンダー。

 一拍おいて、食堂のドアがバタンと開いた。

「何、何?まだ驚くことあった!?」

 あまりの絶叫に羽兄弟がバタバタと食堂に戻ってきたらしい。

「羽さん知ってました!?ここの中の壁や天井や床のヒビや水漏れって嘘なんですって!」

 興奮した麻生さんがそう叫んで、脚本家がぽかんとした顔をする。

「え・・・、嘘?って、どこまでが?というか、何が?」

「いやだからヒビとかが嘘なんだろ?」

 兄の呟きに弟が冷静にそう突っ込む。

「やだ、そんなこと信じられない!」

 そう言って確かめるべく麻生さんが廊下へ走り出すと、飯田さんとバーテンさんも続いて見に行った。そして懐中電灯で明りをつけてじっくりみたらしく、廊下から麻生さんの叫び声が響いてきた。

「まじでーっ!!!??本当にこれ、絵ですよ絵!!わざと凹凸までつけられてるううう〜!!!」

 わざわざ廊下まで確認しにいった組が戻って来て、食堂で待っていた組に興奮してまくし立てる。飯田さんがノアに向かって言った。

「水漏れはどうやってるんですか?」

 ノアはちょっと肩をすくめて答える。

「壁の中で循環させてます。管が入っていて、壁に垂らしては床の穴から天井まで戻す。だって流しっぱなしじゃ水が勿体ないでしょ」

 皆が楽しそうに一人で笑うノアを見た。全員のリアクションを十分に楽しんだらしいノアが、テーブルに両肘をのっけてその上に顔をのせ、だらだら〜っとタネアカシを始める。

「見事でしょ?絵じゃなくて、ちゃんとボロボロに見えたよね〜。ここを建てた建築家が、知り合いのアーティストを紹介してくれてね。彼は今、結構有名になってるみたいだよ〜。それで、ええっと・・・なんてーか、俺はちょっくら実家では邪魔ものだったんだよね。映画みたいな話ですけど、複雑な血縁関係のせいで命も危なかったんです〜」

 はっ!?と脚本家が叫んだ。

「命が!?それってマジな話かノア!?」

 ノアは脚本家を見て、簡単に頷いた。

「で、アメリカから日本に逃げてきた。それで、身を隠すためにここを買って、そのついでに色々施しをしたんだよね。盗聴防止装置や監視カメラ、その他色々。それらの器具を隠すのに、ぼろいビルを装ってたってことで。でももう俺がここにいないなら皆さんに危険はないので、それらは外させて貰います。だから外見も内面も普通のビルになるよ」

 これまた絶句。皆思い思いに驚きを表現している。一緒だったのは、口が開けっ放しだったってことかな。勿論アタシも例に漏れず、バカみたいな顔をしていたはずよ。涎が出なくて良かったわ、ほんと。

 だって盗聴防止?監視カメラ?そんなものがこのビルの中にあったって?しかもそれを隠すためにぼろいビルを装ってた!?何なのよ、それ!でしょ〜っ!!

「えっ・・・えっ!?」

「個人の部屋も監視してたんですか?ノアさん全部見てたんですか?」

「じゃあ水漏れのところに近寄らずにいたのは・・・ははあ、成る程。それでこのビルの中は電波受信が困難だったんですね」

 驚くどころか納得したように頷くのは飯田さん。この人も、この落ち着き加減が謎よ。電波受信が困難って、どういうことよ?あんた一体何してたのよ?

 でも皆の中で一番挙動不審だったのは脚本家だ。アタシは驚くのをちょっとやめて笑ってしまった。だって、あの人きっと腹黒いことを色々してたんだろうなあと思ったから。

 ノアがああ、と声を出す。

「監視カメラは出入り口と屋上だけですよ。ってか羽さん凄い顔してたよ〜。あははは、何か悪いことでもしてたの?」

 脚本家が両手をブンブン振り回した。

「いやいやいやいやいやいやいや!!!」

 怪しい・・・と隣で麻生さんが呟く。彼の弟も、まるで変態を見るかのような視線で兄を眺めてるし。あははは!

 皆がついあわわわと呟く脚本家を凝視していると、またノアがたら〜っと言う。

「それに、半年前に俺がいなくなる前に、その殆どは壊されちゃってるんで、実際のところ何もしてないのと同じだったんですよ。だからね、撤去するねー。もう必要ないし。というわけで、明日から昼間職人さんが出入りするけど、個人の部屋は触らないから、それで宜しくー」

 個人の部屋は触らないんだ、それを聞いて、皆何とか落ち着きを取り戻した。・・・主に脚本家が。

 ノアが立ち上がってドアにむかいながら言う。

「一階の管理人室に俺の連絡先はっておくから、何かあったらそこに電話してください。応答できるかはわからないけど、今まで通りやってくれたら使うことなんてないと思うし。じゃあ皆さん、元気でね〜。羽さんと白石さん、あと宜しく」

「お、おう」

「はい、畏まりました」

 二人がそう言うと、ドアのところでノアが笑った。

「ノアさん、ちょっと待ってください」

 その時静かな声がして、皆が一瞬固まる。

 声の主は、立ち上がった飯田さんだった。




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