・再び102号室



 物凄く、驚いた。

 私は手にしていた本日の晩ご飯が入ったコンビニの袋を床に落としたことにも気付かずに、ドアの所に立つ男性をじーっと見詰めていた。

 いや、私だけではないんですよ、それがね!その場にいた全員、脚本家さんも占い師さんも、それから談話室から出てきたお嬢さんも。そして後で集まってきた、ダンサーさんも飯田さんもバーテンさんも。みーんな驚いていた。

 だって、この、目の前に立つ洗練されたいでたちの男性が、管理人のノアさんだって言うものだから。

「本当〜に、ノア、か?」

 そう脚本家さんが確認したのだって、仕方ないって頷ける。だってまだ信じられないよ!このやたらと端整なスーツ姿の男性が・・・・まさか。ここの管理人さんノアさんといえば、外見にはまったく注意を払いません!と全身で表現しているような格好だったのに・・・スーツ!?

 え?ええ?本当、何がどうなってるの?私は目をパチパチとして、それからようやく我にかえって、驚きのあまり落としてしまっていたコンビニの袋を拾い上げた。・・・ああ、今晩の晩ご飯のマーボー丼・・・ひっくり返ってる・・・。

 とりあえず皆さん入りませんか、とやたらと丁寧な口調で言ったその声は、確かに半年以上聞いてなかったノアさんの声だった。

 だけど、前はこんな喋り方じゃなかったはずだ。

 皆わけが判らないって顔に書いた状態で、長テーブルに着席した。

 ここ半年、アメリカに用だとかで姿をくらましていたここの管理人、宮内ノアさんは、実は結構なグッドルッキングだったってことが判った。あの若白髪がいっぱいですだれのように顔を隠していた前髪はどこかへいき、今ではツヤツヤと輝く黒髪を短くして後ろへ梳き上げ、真っ直ぐな眉の下の垂れがちな瞳は柔らかく微笑んでいる。外見年齢マイナス5歳だわ。いやいや、7歳でもいい!

「長く留守にしててすみません。えーっと、とりあえず・・・端的に言うと」

 ノアさんが話しだして、ここの住人はそれを注視する。

「一部ではあるけど家の仕事を引き継ぐことになったんで、ここの管理人は辞めますね」

 何だって?

 私がまた口をバカみたいにあけっぱなしにすると同時に、占い師と脚本家とダンサー兄弟が叫んだ。

「えええええええーっ!!!!」

 お嬢さんは口に手をあてて、あら、と小さく呟いた。私はたまたま隣にいたからそれが聞こえたのだけれど。

 バーテンダーさんは難しい顔をして腕を組む。飯田さんだけは無表情のままで相変わらずじっとノアさんを見ていた。

 脚本家が唾を撒き散らしながら言う。

「ちょ、ちょちょちょちょ・・・ちょっと待て!家!?家ってなんだよ!?」

 ノアさんがゆっくりと彼に顔をむけて言う。

「実家です。うちの父親は、アメリカでは名の知れた実業家なので」

「はーっ!??」

 完全に裏返った声でもう一度叫んでから、脚本家が言った。

「実業家!?実業家〜っ!??いやいや、そこじゃない!今は・・・大事なのは・・・ってことは、ってことは、ここは閉鎖になるのか?」

 部屋にいる住人全員が、ノアさんをガン見した。

「え、出て行かなきゃいけないってこと?」

 とダンサー。

「・・・おめでたいことなんだろうけど、素直におめでとうって言えないな」

 とバーテンダー。

 占い師のマリアさんは深くて大きなため息をついて、テーブルに片肘をついた。

「・・・せっかくいい住処だったのに。アタシに一体どこにいけってーの?」

 お嬢さんは口をぐっと引き結んでいる。私はそれぞれの反応を見ながら、困ったなあと思っていた。だって、ここを出て行ったら私だって行くところがない。またあの安宿に戻って、それから手ごろなアパートでも探す?だけども、ここの、気楽〜で適度に他の人達ともコミュニケーションが出来る場所に慣れてしまった今、普通の一人暮らしなんて寂しくて出来ないのではないだろうか。

 適度な会話やたまの酒盛りも。お風呂上りの気楽な格好で出来るのは、ここがシェア・ハウスだからなのに!それにここがこんな雰囲気なのは、ノアさんが所有者で管理人だからなのに!

 ・・・う、考えただけでかなり寂しい〜!

 実はまだ新しい恋の相手も見付かってない私なのに。そんな・・・そんなあ〜!どうしたらいいの!?

 外見がやたらとまともになってしまったノアさんが、あはははと小さく笑った。皆の反応を見て、本気で面白かったようだ。

「想像した通りの反応だったな〜。ここは、相変わらずでなにより」

 そう言ってからにやりと笑う。

「俺、ここを閉鎖する気はないですよ」

「え、そうなの?」

 と脚本家。

「あ、何だ〜」

「・・・驚かせないでよ」

 ダンサーと占い師が次々と呟いた。

 何となく、皆がほ〜っと肩の力を抜いて座りなおした。

「ええとね」

 ノアさんの話し方が半年前までと同じになった。そのせいもあって、余計に場が和む。思わず握り締めてくしゃくしゃにしてしまっていたコンビニの袋から、私はようやく手を離した。

「生物学的な俺の親父がね、さっき言った通りに成功した実業家で、金持ちなんですよ。世界を股にかけるビジネスマンてやつでねー。それで、まあ・・・後継者問題がごちゃごちゃあって、その小さい一部を俺が引き継ぐことで決まっちゃったんでね。前みたいな格好でだらだら〜っと好きなことが出来ないんです」

 たら〜っと彼特有の喋り方での説明だったけど、何だか表情はガッカリしているようだった。仕方ないけど残念、そう心の底から思っているような。

 とりあえず、皆は頷いた。うん、まあ金持ちですって格好をしているから、そうなんだろうな。私はそう思った。
いいスーツを着ている。それは、見たらすぐ判るような代物だった。うちの会社の社長でもそんな生地のは着てないんじゃないかな、と思うくらい。だけど生物学的って・・・一緒に住んでなかったのかな、そのお父さんと。家族のことを話している感じじゃない。やっぱり結構複雑な人なんだろうか、ノアさんは。

 占い師のマリアさんが、肘の上に顎をのっけながら聞いた。

「じゃあノアはまたアメリカへ戻るわけ?」

「いや、日本にいる。だけどあっちもこっちもは無理だと思うんだよね」

 ノアさんがそう答えると、珍しく、飯田さんが口を挟む。

「────するとここの管理は誰がするんですか?管理人が不在のままだと困った時はどうすれば?」

 飯田さんをちらりと見て、その後で、ノアさんが微かに笑う。そして、力を込めずに指を羽さんへむけた。

「羽さんにお願いしようかなーって」

「え!?」

「あら」

「おおー」

 様々な声が上がる中、ノアさんから指名を受けた脚本家さんは口をあんぐりと開けて彼を見詰めていた。それから、ずり下がった眼鏡を無意識に直して、言う。

「へ、俺?」

「そうそう。まあ、俺のしてたこと見てたでしょ、あなた暇人だからね。それをやってくれればいいなと思ってるん
だけど」

 軽くそういうノアさんに、暇人だと、失礼な!と文句を言った後で、脚本家がにやりと笑った。

「それやればさ、ノア、家賃、少しまけてくれる?」

 うん?とノアさんが首を傾げた。でもしばらくじっと脚本家を見てから、同じようににやりと笑って言う。

「引き受けるなら、半額でいいよ」

 パン!と両手を叩いて、喜びに溢れた脚本家が立ち上がった。

「オッケー!任せてくれ、ノア!後を引き受けるよ。ノアは管理人らしいことって何もしていなかった、つまり俺も何もしなくていいってことだよな!ただ居ればそれで」

「・・・実はそれなりに色々してたんだけどね。家賃、考え直そうかな・・・」

 目を細めながら呟いたノアさんに向かって両手をブンブンふって、脚本家は慌てて叫んだ。

「いやいや!違うんだよ、俺は褒めてたんだ!ノアが非常〜によく出来た管理人だったってことはよ〜く知ってる!よし──────」

 くるりと弟の方を振り返って、羽さんが言う。

「修、いいぞ、出ていっても。つか、なんなら今夜から彼女の元へ行きなさい」

「はっ!?ちょ──────」

「ホラホラ、いいから今晩からお前出ていけよ。是非是非彼女と素敵な家庭を築いてくれ。式が決まったら一応俺にも知らせてね。結婚祝いはまともに出せるかはわかんねーけど」

「いやいや・・・」

 兄弟の問答を黙って聞いていた皆は、ますます脱力を始めた。

「あら、弟さんご結婚されるのですか?」

 さっきその話をしていた時には食堂にいなかったお嬢さんがそう聞いて、羽さんが、そうらしいんですよ〜!と大きな声で返し、周りからパラパラとお祝いの言葉が出る。

「兄貴ーっ!!」

 弟に攻撃を受けないようにと笑いながら脚本家が食堂を走り出て、ダンサーの弟がその後を追いかける。それを私はぼーっと見ていた。

 ・・・・ええと。えーっと、つまり・・・。

「じゃあ、今まで通りってことでいいのね?」

 マリアさんがそう言うと、ノアさんが頷く。お嬢さんが隣で息を吐くのが聞こえた。その、安心した〜って感じの
ため息に、私の思考はついそっちへと飛んでいく。・・・この人、帰るところないのかしら。うーん?いや、でもよく家から贈り物届いてよね。ってことは、実家はあるんだろうし・・・。

 ノアさんもそれを見ていたらしく、声に笑いを含んだままで更に言った。

「で、そうそう、白石さん。──────────あなたに、ここの経営をお任せしたいんだよね」

「え」

「あら」

「おー!」

 バーテンダーさんと私とマリアさんが声をあげた。当の本人のお嬢さんは、目を微かに見開いて驚きを表現している。

「・・・ええと、ノアさん。すみません、おっしゃる意味が判りません」

 小さな声で白石のお嬢さんが言って、出て行った羽兄弟以外の全員が彼女を凝視した。この人がここまであからさまに注目されるのは珍しい。彼女もそれに気付いたようで、パッと顔を赤くした。

 ノアさんはやたらと艶を光らせた黒髪を片手ですいて、にっこりと笑う。

「この5年間で、あなたは俺の経営の仕方を学んだでしょ?談話室の本棚においてある帳簿や各種連絡先、毎月の支払いと収入、税金その他、いつでもしっかりと見ていたのを知ってるよ。君に勉強してほしくて、わざわざ文字化してたんだ」

 へえええ〜!!私は驚きで声を上げないように、口元を押さえた。・・・マジで?談話室にそんなのあったんだ!?知らなかったぞ!確かに、たしか〜にお嬢さんはいつでもあそこにいたけど!へええ・・・そんなことしてたのか!

 自分がやっていたことを知られていたと判ったのが恥かしかったらしい。お嬢さんが顔を更に真っ赤にしてハンカチで目元を隠した。

「し・・・知ってらっしゃったんですか・・・」

「うん。君は親父さんから10年与えられたでしょ。何が出来るかを自分でも悩んだはずだね。それで、色んなことを観察し始めた。俺は、それをずっと見ていた」

「す、すみません・・・あの、勝手に色々と・・・」

「いや、君のメモ通りにしたら効率が上がったことは認めなきゃ。っこにあるものは勝手にみていいよって、最初にちゃんと言ったでしょ?」

「あ・・・あの、本当にすみません・・・」

 今にも消え入りそうな声でお嬢さんが謝る。ノアさんは、楽しそうに口元を吊り上げた。あら、この人、こんなやんちゃなキャラだったのね〜、私はまた驚いてノアさんをじっくりと眺める。わけの判らない男が、突然生きた人間に変身したようだった。

 何と言うか・・・世界って広かったんだ、そんな感じ。自分が案外何も見てないのだなあと気付かされる夜だ。

「だから」

 彼が言った。

「ここは君に任せるよ。君には経営者としての待遇を約束する。それで家には戻らないって親父さんに言えばいい。経営者を君、管理人は羽さんに任せる。俺は地主って立場になって、たまーに遊びにくることにするよ」

 お嬢さんがハンカチを顔から退けた。そして暫くテーブルの一点を見詰めたあと、キッとノアさんを見上げる。そして、しっかりと頷いた。

「わかりました。お任せ下さい」






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