3、シンディー・張と滝本さん






「話が、あるんで。いいかな」

 談話室にいた白石のお嬢さんと、食堂でだらけてくっちゃべっていたいた羽兄弟、それから橋の下から拾ってきた占い師の後北さんを階段で見つけ、片手でおいでおいでをして集める。

「あら、ノアさんが、珍しいわね〜。相変わらず薄汚い格好で」

「あんたがここにいるの、本当に久しぶりに見るんだけど!」

「あ、管理人〜!久しぶりです、いつもうちのバカ兄がお世話になってます。家賃滞納とかしてないですか?」

「ノアさん、お茶を淹れましょうか?」

 4人が口々にそういう。口調には面白そうな響きがあった。俺は羽兄弟の弟に頷いてみせて、お嬢さんにお茶は必要ないと告げる。それから何年ぶりかで食堂へと足を踏み入れる。ここは建築家が連れてきたインテリアアドバイザーが好きに作った、白くて広くてきっちりとした綺麗な場所で、自分の汚い小屋に慣れきった俺にはまぶしすぎて居心地が悪いのだ。

 俺が誕生席に座った食堂のテーブルに、他の4人も思い思いの姿勢でついた。

「話って、何?家賃あげるとか勘弁してね、知ってると思うけど、俺ってば貧乏だからさ」

 まずは羽兄弟の兄がそう言って笑った。

 俺は手を顔の前でヒラヒラと振る。

「違うんだ、残念ながら。うーんと・・・明日から、ちょっくら留守にしますんで・・・皆さんで・・・えー、仲良くやって下さいね」

 え?と4人が顔を見合わせた。

 お互いが探り合うような視線を交わした後、占い師が代表で口を出す。

「そーんなに遠くにお出かけなの〜?宣言までするなんて初めてよね。いつもノアは大体いないんだから、わざわざ言わなくてもいいと思うんだけど?」

 まあ、そういわれたらそうか。だけどまさか、もう2度と会えないかもしれないから言っとこうと思ってなどとは言えないではないか。

 俺はちょっとばかり苦笑した。

「・・・うーん・・・・ええと・・・短くて、半年ほど帰れないかもしれないんで」

「は?」

「お?」

「え?」

「あら」

 全員が違う声を上げた。でも目を見開いているのは同じだな。

「一体どこへ?」

 今度代表して口を開いたのは脚本家の羽さんだ。ぽかんと口を開けっ放しのままでいる。かなりマヌケな顔だ。

「・・・海外へ、行ってきます。家の問題を片付けに」

 まあここまではいいかな、そう思って言うと、脚本家と占い師が仰け反った。

「ええーっ!?あんた日本人じゃなかったのか!?ノアってのは通り名で、実名は次郎とか正宗とか渋い名前がついてるに違いないって思ってたんだけど!!」

 羽さんが叫ぶ。・・・うるさい。それに、次郎とか正宗ってのはどこから出てきた名前なんだ?俺はちょっと呆れて答えた。

「実名だよ。母親は日本人だけど、国籍はアメリカなんだ」

 ええーっ!!!とこれまた凄い絶叫が上がる(主に脚本家と占い師から)。

「ってことは父親は日本人じゃないんですか?でもノアさんかなりアジア系の外見だと思うけど・・・」

 ダンサーがそう言って、俺をまじまじと見る。俺はニコリともしないで父や中国系で、と答えた。

 白石のお嬢が、おずおずと口を開いた。

「・・・あの、何か、複雑なことになっているのですか?」

「うーん・・・。複雑、ではない。家族問題で話し合いが行われるから戻れって言われただけ」

 つっかえながらもそう言うと、お嬢さんは顔をくもらせた。金持ちの家族問題といえば話がでかく厳しくなるのは、彼女は身をもって知っている。ついそれを想像したのだろう。だけど、実際に俺の話を聞いたら流石に驚くはずだ。

「半年後には帰っていらっしゃるのですね?」

 俺はぽりぽりと頬を爪で掻き、とりあえず頷いておいた。

 ・・・まあ、殺されなければ、ね。

 それは心の中での呟きだけれど。



 翌朝。

 またドアの外の気配で目が覚めた。もうわざわざ鍵は閉めずに寝ててやったのに、入ってこないらしい。マジで殺さないつもりなんだな、とりあえず、今は。

 そう思いながら俺は欠伸をする。時計を確認すると、まだ朝の4時すぎだった。・・・くそ。

 仕方なく、ヨレヨレのジーンズにTシャツ、その上から薄汚れた黄色いパーカーを着た。フードまで被って、誰が見てもそこら辺のホームレスそのものになって小屋を出る。

 そこにはいつものきっちりとした黒い礼服で、ワンが立っていた。その後ろには黒服が3名。

『行きましょうか』

 奴らは外壁に梯子をとりつけていやがった。それで降りていく奴らに、俺は呆れた顔をしてみせて、堂々とちゃんとした玄関から出て行くことを主張した。

『ここで落ちて死んだら悔しくて死に切れない』

 そう言うと、ワンは無表情で答えた。

『お好きにどうぞ』

 ・・・ありがとよ。

 ヤツらが音もなく梯子を降りて行ってそれを片付けるのを屋上から見た。それから俺は階段で下へ降りる。早朝ゆえ音を立てずに降りていくと、一階の階段わきから、飯田氏が姿を現して、無言で俺を見上げた。

 ・・・・えらく早起きで。俺は首を傾げる。

「おや、おはよーです」

 俺の挨拶に頷いてみせて、彼は白い封筒を俺に差し出した。

「滝本所長より預かりました」

 俺はフードと前髪に散々邪魔されながらその封筒を見下ろす。

「・・・滝本サンが、俺に?」

「はい」

 飯田さんは封筒を持った手をこちらに突き出して立っている。何なんだ、一体。調査会社の謎めいた社長がこのタイミングで一体俺に何の用だ?

 だけど正直、今は時間がないんだった、と思い出した。外でワンがやきもきしながら待っているだろう。あと10秒遅れたら突入しようとか考えていたら危険だ。もう既に十分なくらい、住民たちを巻き込んでしまったのだから。

「ありがとう」

 それだけを呟いて、俺はその封筒を取ってそのままぐしゃりと潰し、パーカーのポケットに突っ込んだ。

「半年ほど帰らないと聞きました。・・・戻ってくるのをお待ちしてます」

 いつでも結構な無表情でいる飯田氏がそう言って、俺は少し驚く。だけど片手をひらっと上げて、通り過ぎた。

 ドアを開けると早朝の太陽がまっすぐに俺の目を指す。屋上に立っていた時と同じアングルで黒服たちを従えてワンが待っていた。

『逃げたのかと思いました。あと少しで踏み込むところでしたよ』

 ・・・・やっぱり?苦笑した。道の向こう側、黒くて長いハイヤーが停まっている。彼らに先導されて、俺はそれに乗り込んだ。

 さて・・・地獄へのツアーの始まりだ。

 窓の外に見えるぼろいビルをちらりと見た。

 ──────────また、ここに帰ってこれますように。楽しい住民と作る、気楽な気楽な・・・俺の楽園に。



 空港には張グループのプライベートジェットが準備されていて、そのステップの下に細い女性の姿を認める。

「・・・おや、まあ」

 えらく派手な装いだったけど(好意的に言えば、だ。実際は、何だこのイカレタ格好は?と思った)、あれは間違いなくシンディーだ。

 張グループの正妻、その一人娘のシンディー・チョウは、皮かビニールかよく判らないテラテラ光るジャケットに同じようなスラックス、やたらとヒールの高いシューズ、それに顔の半分ほどを隠す大きなサングラスでそこに立っていた。全身で「金持ちですっ!!」と主張している。

 近づく俺をじっとみていた。

 あと1メートルほどの距離になった時に、彼女はさっとサングラスを外した。現れた大きな茶色の瞳はまさしくシンディーだ。

 ・・・えらくいい女になちゃって!

『ノア!』

 綺麗な歯並びを見せて、にっこりと微笑む。それからぱっと表情を変えて、睨みつけるような顔をした。

『ノアだよね?どうしたの、その薄汚いオッサンルックは?クレイジーになっちゃったの?それともそれ、変身のつもり?』

 じろじろと俺の腐りかけたジーンズやスニーカー、汚れたパーカーと白髪交じりでぼさぼさの髪を観察している。

 美女と野獣ってやつだね、自嘲気味にそう思った。

『日本でビルのオーナーなんでしょ?どうしたの、その格好?それに臭い!ちゃんとお風呂に入ってる?』

 ふに落ちないらしく、ステップをあがりながらまだ聞いてくる。俺は日本語で答えた。

「これが楽なんだ」

「折角格好良かったのに〜!勿体無いよ、ノア!」

 驚いたことに、シンディーは普通に流暢な日本語で返してきた。若干目を見張る。彼女は日本語を会得しているらしい。・・・さすが、シンディーだ。ちょっとした日本観光にきただけなのかと思っていたが、違うのかも。

 特に身体検査は受けなかった。まだ一応、長男の扱いをしてくれているらしい。まあ、この期に及んで凶器などを持ってはこないだろうと考えるのは至ってまともな発想だけどもね。それに嫌がらせの意味も込めて、昨日はサウナには行かなかったのだ。俺は結構匂うはず。

 ジェットに乗って真ん中辺りでぼーっと突っ立ってたら、早く座りなよ、とシンディーに促される。とりあえず座ったら、周りを黒服が囲む形で埋められた。

「・・・やな感じ」

 俺の呟きにシンディーが楽しそうに笑う。あははは!とあっけらかんと。それが余りに明るい笑い方なので、つられて俺も笑ってしまった。

 細くて、筋肉がほどよくつき、ピンピンに弾けそうな彼女の肌を見た。生命力に溢れている。

「久しぶりだね、シンディー。本当に綺麗になって」

 そう言うと、瞳を煌かせて笑う。

「そうでしょ?あたし、美人なんだよ!ノアが日本にいるなんて知らなかった。あたしは友達に会いにこっちにきて、そのまま仕事していたら居心地よくてさ〜」

 聞いてもいないのにベラベラと喋りだす。男友達がどーの、モデルがどーの、その家族がどーの、延々と続きそうなシンディーの話の前でワンが顔を顰めているのが見えた。

 空調はきいていたけど何となく息苦しくて、パーカーを脱ぐためにシートベルトを外す。その時かさっと音がして、あれ?と思った。

「あ、そうか・・・」

 出かけに飯田氏に貰った封筒だ。パーカーを脱いで座りなおし、ポケットから封筒を出す。隣で衛星画像のチャンネルを次々に変えながら、シンディーが興味なさそうに言った。

「それ、なあ〜に?」

「うーん。何だろうな・・・。出かけに店子に貰ったんだけど。手紙、かな」

「店子ってなあ〜に?」

「店子ってのは・・・あー、部屋を貸している相手のことで・・・」

 封筒を開く俺を全員が注視しているのがわかった。封筒から武器でも出そうものならすぐに殺してやる、みたいな目で、ワンが俺を睨んでいる。

 白い封筒の中には紙が一枚。そこには几帳面な細い文字。

『シンディーは、ハルを気に入っている』


 ────────────は?


「・・・何だそりゃ?」

 俺が驚いた、というか、怪訝な顔をしたのは皆判ったらしい。何人かは危険なものではないのだろうと判断したらしく意識をそらしたが、ワンとシンディーはしっかりこっちを見ていた。

「何何、何て書いてあるの?」

 彼女はワクワクしているらしい。つまり、退屈しているんだよな、きっと。でも書いてあるのは彼女の名前だし、と思って、俺はそれを声を出して読んでやった。

「シンディーは、ハルを気に入っている、だってよ」

 ぶっとシンディーが飲みかけていたシャンパンを噴出した。・・・汚い。世話係が飛んできて彼女に襲い掛かっているうちに、俺はのんびりと聞いた。

「ハルって誰?」

「ってかその紙誰に貰ったの、ノア!」

 二人でわけが判らない顔をしていた。それぞれ、ワンには聞かせたくなかったのだ、色んな日本での知り合いの名前を。だけどこのままでは気持ち悪いし、ワンはあまり日本語が得意でないと言っていたから、喋ることにした。

「俺の店子に飯田さんて男がいる。彼が今朝、俺に渡してきた。シンディー、知り合い?」

 彼女は眉間に皺を寄せて首を振る。

「イイダさん?知らない。・・・ハルっていうのは・・・あたしが好きな人のことで・・・ほら、さっき言ってた友達のピンクの家族だよ。カミ・・・カミヤ、何だったっけな、ピンクの名前。ええーと・・・あ、そうだ、神谷広輝って男、ノア知ってる?」

「知らない」

 何だ、そのカラーな名前は??やっぱり俺も首を振る。ピンク?神谷?しらねーなあ・・・。飲み屋や銭湯で知り合ったとか?いやいや、でもそれだったら飯田氏関係ないし・・・。そこまで考えて、あ!と口に出した。

「違うな、飯田さんは渡してくれただけだ。滝本サンって知ってるか、シンディー?その紙は、飯田の上司である彼が書いたものらしい」

「滝本?」

 また眉間に皺を寄せて考え込んでいる。タキモト、タキモト・・・とブツブツ言う彼女の前で、ぶっすーとしたワンが、急に口を挟んだ。

『お嬢、彼だ。監禁事件の時に、こちらに協力してくれた眼鏡の日本人だ』

 二人でぽかんとしてワンを見た。・・・お前が知ってるの、滝本さんを!???つーか、監禁事件って何。シンディーはまさか日本で誘拐事件にあったのか??

 あーっ!!と急にシンディーが叫んだからビックリした。彼女は世話係を押しのけて、バタバタと両手を振る。

「あ、あ、判った!あの美形さんかあ!ハルの知り合いなんだよ、あの人!」

「あの人って滝本さん?」

「そうそう!探偵か何か?そんな会社経営してる人だよね?」

 ・・・へえ〜・・・。呆然と話を聞いていたけど、つまり、こういうことらしい。シンディーの友達の家族である男性の知り合いが、滝本サン。彼の部下が、俺の店子。・・・いやはや。

 何やらシンディーとその男友達が日本で巻き込まれた監禁事件の時に、家族の友人ということで解決に手を貸してくれた日本人の男というのが調査会社の滝本サンだったとか。まあ、あの人はいろんなケースを抱えているだろうしそういうことがあっても不思議はないけれども。

「ってか誘拐?シンディーが?ワンは何をしてたんだ?」

 純粋な疑問だったのだ。だってそういうことが起こらない為にボディーガードしてるんだろ?だけど、この質問はえらくやばいものだったらしい。殺気立って眉間に皺を寄せたワンを見て、シンディーが慌ててべらべらと弁解する。

「日本では結構自由にやらせてもらってたんだよ!友達のピンクは貧乏人だし、ピンクはあたしの家族のことなんかには全然興味もないし!ただ偶然に犯罪に巻き込まれたってだけで―――――」

「偶然誘拐されるってどういうこと?滅多にないでしょ」

「ああもう!そこは話せば長くなるんだってば!とにかく酷い目にはあったけれど、最終的には大丈夫だったのよ」

「ふーん・・・。それで犯人は?一人?惨殺したのか、やっぱり?」

 俺が嫌味も込めてそういうと、シンディーはとたんに膨れっ面になった。

「それが違うのよ!犯人の男は絶対こっちで引き取って拷問したかったんだけどさあ〜、ワンがその滝本って人と日本の法律で裁くって取引してたらしくて、出来なかったんだよね」

 シンディーが悔しそうにそう言った。間違いなく張家の血を継いでいると思わせるような、残忍な目をしていた。

 俺は母親違いの妹から目を逸らして椅子に沈み込んだ。ってか、ワンと取引とか・・・実は怖い人だったんだな、滝本サンて。俺は少しばかり彼を見直して──────

 そこで、やっとハッとした。・・・滝本サン、俺のことを調べたんだな、と判ったのだ。宮内ノアが張グループと関係があると判ったから、シンディーの名前を出したのだろう。これは、何だ?彼特有の冗談か?それとも宣戦布告?

 ひょんなことで知り合いになった調査会社の社長を、俺は改めて見直す気持ちになった。

 最初は飲み屋で知り合ったのだった。ふらりと入った居酒屋で、カウンターで隣同士になった。その時店がつけていたテレビで大物政治家の不倫騒動が報道されていて、そこに映った顔が隣に座る男だと気がついたから、ついまじまじと見てしまったのだった。

『あなた、腕がいいんですね』

 黙々と食事をする相手にそう言うと、彼はメガネの奥からちらりと視線をよこし、いえいえと首を振った。

『うちの調査員の腕がいいんです。色々大変でしたけど、無事に終わってよかったですよ』

 高めの声で、静かな言い方だった。口元には笑みが浮かんでいるが、俺はハッキリと壁を感じた。だからそれからは話しかけることはなく、お互いが黙って食事をしたのだ。そしてある時偶然、街で仕事をしていた彼に会ったのだ。というか、正しく言えば、彼が調査していた事件に通りすがりの俺は巻き込まれてしまった。

 この男を知っている、というような目で俺を見ていた滝本さんは、俺が店の名前を出すと、納得したように頷いた。そしてそれ以来その店で、俺は彼に度々会うことになる。ある日の会話で、自分は管理しているビルで部屋を貸し出ししている、と伝えたら、彼が名刺を寄越したのだ。

『ご存知でしょうが、私は滝本といいます。うちの従業員の住むところを探してるのですが、部屋は一つ空いてますか?』

 しばらく悩んだ。だけどそれまでの何度かの会話で、この男は裏表はあっても最終的には善人で、信用に足る、と思ったのだ。だから俺は頷いた。いつか、利用できる日がくるかもしれない、と思って。恩を売っておくに越したことはないなと考えたのだ。

 宮内ノアとは名乗ったが、ノア・ユージーン・チョウとは勿論名乗ってない。

 滝本という男は油断ならない、敵には回したくない人間だとは思っていた。だから世話をしても秘密主義を通したけど、しっかりと調べられていたらしい。・・・まったく。彼の部下を店子にしておけばもしもの時に役立つかも、と思ったけど、それは間違いだったかもな〜・・・。逆に俺が見張られていた感が、今では否めない。


 まだ興奮しっぱなしのシンディーと、仏頂面のワン。その他大勢の世話係やボディーガードと共に、俺は地球を横断している。

 ヤレヤレ・・・・本当に、何てこったい。まあ今更、逃げも隠れも出来ないし。


 諦めも早い俺は、そのままシンディーのお喋りをBGMにして、結局アメリカまでずっと眠ってしまったのだった。




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