2、ノアの過去



 シンディーが、何故だか知らないがアメリカの家を出てここ日本にいて、俺を発見し消そうとしたワンの行動に気がついて、止めた、というのが真実らしい。

 今はきっと24,5になっているはずのシンディーを想像した。幼少時から輝くばかりに美しい娘だった。今ではかなりのシャン(美人)になっているだろう。

 母親似の綺麗な二重の瞳は大きく、人懐っこい茶色に輝いていた。色白で、実は力強いが華奢に見える細い体。賢くて好奇心に溢れ、勝気で負けず嫌い。父親に強制されて習っていた護身術の武道も、負けると地団駄を踏んで悔しがっていた。俺がわざと負けると、本気で怒ったものだった。

 ノアのバカ!そう言って噛み付いてきた。

 だけど・・・・あの子は確かに、殺生を好まなかったな、昔から。残酷な母親が格下の者に対して言うことやすることを、唇をかみ締めてみていた。時には出来る限りの反抗をして母親を非難しさえした。

 成長した今、その性格は更に激しくなっていることだって考えられる。

 祖父は、稽古に励むシンディーを見詰めながらよく言ったものだった。

 この子は、張グループにいると、いつか気が狂うかもしれん、と。どうも、うちの家系にしては心根が優しすぎると。一体誰に似たのか──────────

 そしてそのシンディーは、俺によく懐いていた。


 だから、ワンがこそこそと何かをしようとしていると気付いて、こっそり探ったのか。もしくは手下が漏らしたか。それの方が有り得るな。

 で、俺を殺してはならない、と言ったのだろう。きっとシンディーはワンに噛み付きまくったはずだ。

 俺は思わず胸の前で両手をあわせそうになった。


 シンディー様様だ。


 俺は肩を入口に預けてダラダラと笑った。

『・・・そーれは、残念だったなあ〜、ワン。だけど裏切りにはならねーのか?おばさんが黙っていねーだろ?』

 現首の正妻をおばさんと呼ぶ、お前は所詮家の、正妻の飼い犬にすぎないだろうという俺の嫌味にも、ヤツは表情も変えずに淡々と答える。

『私の主人はお嬢です。今日本にいては、一族の命令よりも、お嬢の言葉を優先するように言われております』

 へー・・・。こりゃ本気でシンディー様様だな。母親の作戦が、この歳になってこんな効力を発揮するとは・・・。俺はぽりぽりと額を爪で引っかいた。

『じゃあ・・・どうして会いにきたんだ。威嚇すれば俺はまた逃げるだけだぞ?』

 不思議だ。シンディーに黙って本家へ連絡し、あとは他に任せることだって出来るはずなのに。

 俺みたいな後ろ盾のいない長男など、消すのに躊躇なぞしないはずの張グループだ。生まれのせいで、俺には敵が5万といるというのに。

 レイチェルは、一瞬で殺したっていうのに・・・。

『お嬢の命令です。あなたに、一緒に本家へ行って欲しいと願っているのです。私はそれを伝えに来ました』

『は?』

 瞬きをした。何だって?今、何て言った?大体言葉がおかしいだろ、命令ならお願いじゃないでしょうが。

 口をぽかーんと開けた間抜け面の俺を無表情に見つめながら、ワンが言った。

『跡継ぎの問題を、今こそ解決したいのだと』

『・・・はああ?』

 何だ?という風にワンが首を傾げる。おお、いきなりそんな、生きてる人間みたいなことするなってーの。お前に赤い血が流れているのなんて俺は認めねーぞ。緑だろう、緑。いやいや、どす黒い灰色かも。

 混乱して思考があっちに行っちゃうのを、俺は無理やり制圧して口を開く。

『跡継ぎに何の問題が?それって今更じゃないか?第一、俺はわざわざ殺されにいくのなんかごめんだぞ』

 だって俺は関係ないはずだろう!心の中で叫んでいたら、ワンの冷たい声が聞こえた。

『行く方がいいですよ。でないと・・・』

『でないと?』

 ヤツが薄く笑った。

『────────やっぱり私があなたを殺すことになりますから』

 巨大な殺気を背中に背負って、男が目の前で笑っていた。


 ・・・・・・・くそ、結局やっぱりそうなのかよ。シンディー、どうして一緒に来てくれなかったんだよ、ここに。


 ため息をついて、頭をぐるりと回してみせた。

『あのさ、確認するけどさ、俺はグループを継がないって話で終わってたよな?というか、継がないでなくて継げないはずだな?俺の母親が日本人だから。それは皆判ってるはずだろ。シンディーに婿をつけて継がせる本来の計画はどこへ行ったんだ?』

 慎重に言葉を選びながら言う。

 一族でアメリカにうつると同時に色々な策略で土地を買い込み、それを元出にして経済界に進出した張グループの、アメリカでの第3代目今の総帥、それが俺の父親だ。

 父が、アメリカで日本人の母に出会って愛人にしていた。最初は母のことを同郷の娘だと思ったらしい。確かに母は日本人顔ではなく、大陸の系統の顔をしていたし、本人はその時既にアメリカ国籍を取得していた。だから気にしてなかったらしい。だけど血を気にする華僑にとって、出身は大事なことだった。それが実は日本だったって話だ。

 全てを話してなかったのはお互い様で、父の方はただの金融マンではなく、実は張グループの御曹司で、妻になる予定の女性もいたし、他にも付き合っている女性がいたってわけだ。母はそれを知ってから父と距離を置いたらしい。だけど、付き合いを終わらせることまでは出来なかった。

『それだけ魅力的な人だったの』

 一度俺にそういったことがある。母は父のことを好きだったのだと、その時に思った。

 だけど母は俺を孕むと、彼の前から姿を消した。

 何故なら、拷問が日常にある華僑の世界において、ダンナの子を孕んだ愛人は抹殺される運命にあったからだ。シンディーの母親は、その頃中国の上海からやってきて父と婚約し、正式に妻になると公表したばかりだった。

 妻にはなれないと判っていた上に、身寄りのない母は家もない日本に戻ることは諦め、ロスの郊外に引っ越して、そこで俺を育てた。そこはスラムも近く、有色人種としての差別は受けながらも、俺はスラムの子供達と一緒に育ったようなものだった。

 母は、他にも同じ境遇の女がいることを知っていた。こっそりと彼女達と連絡をとり、それぞれの子供の命を守ってきたのだ。

 その頃はまだ父の父、つまり張一族を引き連れて台湾からアメリカにやって来たドンの息子である、祖父も元気だったし、当時采配を振るっているのは祖父だった。だから本妻になったとは言ってもシンディーの母親には何の権力もなく、父が愛人達に産ませた子供達はそれぞれの母親の元でそれなりに平和に暮らしていたのだ。

 異母兄弟姉妹が沢山いるという、自分も同じような育ちをしたために、父は勿論自分の子供達のことを知っていた。だから、母が姿を消した時点で彼は調査をさせたらしい。もしかしたら、自分の子を宿しているのかも、と。

 それは当たっていて、母は男の子を出産していた。

 父は母を巻き込む前に、更に突っ込んだ調査した。その結果、この赤ん坊は自分の子供であるという確信を得た。そこで放っておいてくれたら母も俺も安心だったはずなのだが、そうはいかなかったのだ。息子の愛人の一人が実は妊娠していて消えたことを、祖父の腹心が祖父に知らせてしまった。

 なんせ、生めよ増やせよで一族の繁栄を願ったのは祖父とその父親だ。愛人やその子供を憎んで殺そうと頑張るのはいつでも妻で、夫は色んなところで種をまきまくる、そんな迷惑な一族なのだ。

 ある日母がノックに応えてドアを開けたら、礼服を来た男達が大量に立っていたらしい。そして、祖父の家に連れて行かれたと。まだ2歳の赤ん坊の俺の引渡しを喧嘩腰で拒否した母を、祖父は気に入ったと聞いた。

 ────────いつでもここに来なさい。その子は間違いなく張グループの血を引いているのだから。

 一人で育てられるから放っておいてくれ、そう母は懇願したらしいが、祖父は承諾しなかった。最終的には、手元に俺を置いてくれるだけでもありがたいと思えるような脅しを受けたのだろうと思う。

 そこからは経済的援助が密かにあり母親はお金に苦労はしなかったと言っていたし、時たま父は親として会いにも来た。俺はとくに最初の男の子だったからだろう、父にも祖父にも可愛がられていたとの自覚がある。ただし、日本人である母親は正妻にはどうしたってなれないのだ。下らない一族の掟によって。自分の正妻に子供が生まれるまでは、愛人の子供達がグループを引き継ぐかもしれない、そう思っての養育だったのだろうし、各子供にそれなりの英才教育を施したのは、いつかグループの力になるかも、という思惑があったはずだ。

 しかし、俺が13歳の時、正妻に娘が生まれた。

 男であろうが女であろうが、正妻の子供が立場上は一番強い。それにこれから、男の子も生まれるかもしれない。知らせを受け取って、父の愛人たちは恐怖を感じたことだろう。

 それ以来、父の愛人とその子供達はいつか殺されるかもしれないと思って生きて来たのだ。残念なことに、父の妻は嫉妬深い女で有名だったから。

 それは現実になった。

 祖父が死んでしまって父がトップの座に就いた頃から、娘はシンディー一人で十分と、正妻による、娘殺しが始まった。父が仕事で海外へ行き居ない間を狙って、それは確実に、しかも淡々と行われたらしい。

 最初の犠牲者は、俺が小さい頃から親しかった異母妹のレイチェル。

 レイチェルの母親はブラジル人で、綺麗な緑色の瞳を持った女の子だった。8年前に、職場で勤務中に22歳で殺害。他の会ったこともない2人の妹達も殺されたと母親から聞いた。レイチェルのハンカチを持ってきたのは彼女の母親だ。

 あなたはきっとノアを守って、そう言って、泣いていた。男の子だからといって安心しないで、きっと守りぬいてちょうだいと。

 レイチェルの母親は、危険を省みずに父に会いに行ったらしい。レイチェルのハンカチを証拠として見せ、娘を殺したのは何故だと。もう大人で、自立していた。放っておいてくれれば、こちらからは邪魔なんてしないのにと。

 父はシンディーの母を問いただした。だけど、それで終わりだ。もういないものは仕方ない、と片付けられたらしい。父が仕事に戻ってから、本妻はレイチェルの母親も殺した。夫の数いる愛人への見せしめとして。

 あの子がいない世界など、生きていても仕方がない、と父の前で泣き叫んだレイチェルの母親に、「望みを叶えてあげましょう」と笑って言ったらしい。

 恐ろしい世界だ、愕然とした。

 だから母が勧める通りに日本へ逃げてきたのだ。

 長男である俺は立場が微妙だ。母親は、幼少時から武道を教え込み、人前ではバカを演じることを義務つけた。わざわざ殺されないように、目立たない男になれと。だから俺はそうしたし、わざと言葉を間違えたり吃音癖があるように見せかけたりもした。学校はさぼり、スラムで子供達とつるみ、家では勉強をして母親から日本語を学んだ。そして、最も強力な保険として、母は俺をシンディーに近づけたのだ。

 正妻の娘である彼女に気に入られることで、自分の息子の命を助けよう、それが目的だったのだろう。それは実際に今この場で効力を発揮して、俺は生存した状態で立っている。

 誰にも内緒で俺とシンディーを近づけるため、母は命を懸けて祖父に会いに行ったのだ。その行動と勇気を、祖父は高く買った。そんなわけで、俺を可愛がってくれていた祖父の家で、こっそりとシンディーと遊ぶことになったのだった。兄だということは最初は隠して。その内、武道を始めたシンディーの相手をするように。そして日本へ逃げる時、知らせたのだ。

 俺は、お前の腹違いの兄だ。レイチェルが殺されたから、俺も逃げなければならない。

 シンディーは、自分の母親から華僑の残酷な排他教育を受けていた。自分が生まれたせいで他の異母兄弟姉妹が死んでしまう羽目になったのを、ちゃんと知っていた。

 だからその時、彼女は泣いた。

 あたしのせいで、ノアも殺されるの?

 そう言って、泣いていた。

 それは判らない、だけど、死にたくないから逃げるよ。俺は、必死で張の家から逃げてみる─────────

 シンディーは泣き止んでからしばらく考えて、ワンを連れてきた。

 ここでシンディーが他の異母兄弟と会っていたと知った時、ワンの驚愕は見ものだった。だけどどうしようもない。祖父は、その時、俺達の中で一番力を持っていた人物だったのだから。

 これは、ワン。シンディーが言った。あたしの付き人よ。

 ノアを殺さないで、ワン。

 シンディーが話している間、ヤツは俺をじっと見ていた。それから首を振って、シンディーに言う。

『お嬢、それは約束できない。私には一族の命令には背けない決まりがある』

 シンディーは怒っていた。まだ高校生で、幼さをのこしていた。

 俺はあの子に笑いかけた。

『大丈夫、頑張って逃げるよ』

 ワンはじっと俺を見ていた。殺さないとは約束できないが、今日のことは報告しない、そうシンディーに誓わされていたのだった。

 そして俺は日本へ。

 ずっと貯金していた母親がその全額をおろし、俺に渡したのだ。偽造パスポートと一緒に。

『いつかのために積み立てておいたの。役立てて頂戴』

 そう言って。

 優しい、いつもの笑顔をしていた。俺は一緒に逃げようと母に言ったけれど、母はがんとして首を縦には振らなかったのだ。私はここに残って、やつらを止めてみせるから、って。どんな残酷な運命だって、私はこれを自分で選んだのよ。ノアは日本で、平凡でも幸せな人生を作っていきなさい。

『だって母さん―――――』

『私はもう死んでるの。いいわね、ノア。そう思うのよ。私は、お前と別れたら、もう死人なのよ。2度と会えないわ。これが最後よ。さあ、振り返らずに行きなさい』

 一歩も譲らないという目をしていた。

 だから俺は従った。これが、もしかしたら最後の親孝行になるかもしれないって思ったから。

 俺は生きろって、言ったのだろうと判ったから。

 一人で飛行機にのって日本に来た。そして、母親の宮内という姓を名乗って、このビルを買ったのだ。

 
 目の前にはあの時よりも大人になったワンが立っている。あの時はまだ少年だったのに、今では立派な男になって。恐らく、殺人の能力も格段にアップしているのだろう。

『お嬢は張グループを継ぐ気はないと総帥と奥様に正式に言ったのです。それで、奥様がお怒りに。総帥はまだ生きているほかのご子息を探されております』

『はー!?』

 何と、まあ!俺は再び驚きで目を見開いた。シンディーが、跡継ぎ放棄を口にした、だと?そんなのをあのおばさんが簡単に許すはずはないだろうが。だけど・・・だけど、父は違う道も探し始めたってことなんだな。

 娘がダメでも自分には血を分けた他の子供がいると。

 頭の中で情報を咀嚼しながら、俺は口を開いた。

『・・・他にもまだ生きてる兄弟がいるのか?』

 俺の質問に、ワンは簡単に頷いた。

『3番目のキー様、その下のG.D様が生きてらっしゃいます。ヨーロッパにいらっしゃるとか』

『妹達は?』

『お嬢様は、シンディー様のみです』

 ワンの口元に微笑が浮かんだ。俺はぞっとして一歩下がる。自分の守るシンディーだけが張家の娘、それに誇りを感じているようだった。

『・・・断るわけにはいかないんだろ?』

 深いため息をついてそう言うと、一度だけ、ワンが頷いた。

『明朝お迎えに上がります』

『あ、俺今パスポート切れてんだけど』

 大体元々偽造パスポートだし、もう既に不法滞在者になってるはず、そう思って言うと、ワンは真っ直ぐ立ちながら言った。

『問題ありません。ジェットまでお連れいたします』

 俺がぽかーんとしていると、ヤツはくるりと背中を向けて屋上を歩いていく。普通にドアをあけて、下へと降りていった。

 ・・・・・あれまあ。やだねー、金持ちは、これだから。

 伸ばしている前髪に、白髪を見つけて息をかけ揺らす。

 さてさて、どうしたものか。

 ま、判っていること、ハッキリしていることは、これだ。

 俺は明日にはアメリカへ戻る羽目になったらしい。そして生きて帰れるかは判らないが、とりあえずここは暫く留守にしないといけないらしい。だって拒否権なんてなかったもんな・・・。否なら死ねっていわれちゃったし。

 ダラダラと小屋を出た。

 もうすぐ夕焼けがくる。この屋上からは、その遠いビル群に沈んでいく夕日がハッキリと見えるのだ。

 いつもはそれを見てから、町へ出ていた。

 だけどもう今夜はそういうわけにはいかねーのかも、な。

 ゆっくりと首を回して腕を上へと伸ばす。鈍った体が音を立てて伸びる。

 ・・・仕方ねえなあ〜・・・。



 ゆっくりと歩いて、下へ通じるドアを開けた。




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