・誤解か真実か・1
1月の最後、私は実家へと戻っていた。
父方の祖父が亡くなって、その3回忌があったからだ。
無口な人であまり喋った記憶のない祖父だけれど、家の庭が見える場所にいつでも座って新聞を読んでいた後姿は覚えている。最後は肺に出来たガンを治療せずに長くつきあって、静かに息を引き取ったのだった。寒い冬の終わりに。
一人暮らしの部屋に喪服などないし、と思って、私は仕事の休みを貰ったその日、朝早くから実家へ来ていた。喪服の必要ないわよ、黒っぽければそれで、と母親に言われたので実家に置きっぱなしだった箪笥から黒いタートルネックと黒いスカートを出してはく。台所を手伝って次々来る親戚の相手をしていたら、時間はあっという間に過ぎてしまった。
「お疲れさん。あとは会食して終わりだからね」
「うん。お弁当の配達頼んだの?」
私がそう聞くと、湯のみを洗いながら母は首を振った。
準備が大変だから、と父親が外で食べる手配をしたらしい。親戚が皆先にいってしまった後で、私は久しぶりに会った従姉妹たちや自分の兄とタクシーに乗って料理屋へ向かう。
「何か千明ちゃん綺麗になったよね〜」
一つ下の従姉妹がそう言って私を覗き込むのに、隣で兄が口を出した。堅苦しいことの苦手な兄は既にネクタイをゆるめていて、だらしない格好になっている。
「こいつ彼氏が出来たらしいんだよ。まあもう25歳だし、そろそろいないと不味いだろ」
負け惜しみだと知っていた。だって兄には彼女はいないはずだ。だから私はふん、と口を尖らせて言ってやる。
「お兄は彼女いないもんねえ?寂しい一人身だもんねえ〜?」
って。俺は今いないだけだよ!前はいたっつーの!ってむきになってつっかかる兄を抑えて、従姉妹が顔を突き出してくる。
「そうなんだ!?それでそこはかとない色気が!?」
「い、色気?」
私が驚いてそう聞くと、従姉妹はにやりと笑う。
「うん。綺麗になってるし、目を伏せたときなんか、触れなば落ちんの風情だよ。で、で、どんな人なの?どこで出会った?」
そういえば従姉妹も今はフリーだとおばさんが台所で言っていたな。私は思い出して苦笑する。世間の人の恋話に食いつくスピードったら!
「職場だよ」
「へえ〜!年上?」
自分と同じ年だったら嫌だと思ったのか、兄もこっちへと顔をむけている。私は簡単に首を振った。
「同じ年。元同級生なのよ。高校で一緒だったけど、大学は別で、職場で会ったからびっくりした」
ふうん、従姉妹はすっかり体を真横にむけて真剣な顔だ。
「だったら人柄も知ってるし、恋に落ちるのはあるかもねえ〜」
・・・いや、そこには省きたい経緯がたくさんあるのよ。私は心の中でそういうだけにして、表面ではへらっと笑っておいた。
「そういえば千明の高校、この先だったよな。店に行く前に通るぞ」
兄がそういって、私は改めてタクシーの窓から外を見る。・・・ああ、本当だ。この道は見覚えがある!私の家は大学時代に引越しをしていたので、ここら辺は久しぶりだった。
懐かしいでしょう、そう言って笑う従姉妹が、私に言った。
「帰りに寄ってみたら?千明ちゃん。卒業した学校って、何かふといきたくなるよねえ」
私は窓から外を見ながら、頷く。
・・・そうしてみようかな、時間はあるだろうし。
美味しいけれど退屈な会食が終わり、そこで皆解散となる。私は家族と連れ立って、帰っていく親戚に頭を下げながら見送った。そして帰るぞー、と車に向かう父親に向かって言った。
「お父さん、私高校に寄りたいから、歩いて帰る」
「え?」
父が振り返って、ちょっと首を傾げた。
「歩けば家まで結構あるだろう。なら学校の前でおろしてやろうか?」
「いいー。ちょっと食べ過ぎたから、運動がてら、ね。疲れたら電車に乗るよ」
「ふうん、判った」
父の隣で母が聞く。
「晩ご飯はうちで食べて帰るでしょ?」
「うんそのつもりー」
じゃあね、と手を振ってコートの前をしめ、私は一人で国道を歩き出した。
まだ所々に田んぼが残るここら辺は、春夏秋冬風がよく吹き通る。手袋がなかったのでコートのポケットに手を突っ込んだままで、私は懐かしい高校まで歩いて行った。
あの角を曲がれば、灰色の建物が見えてくるはず。それにクラブ活動の声も―――――・・・
記憶を頼りに歩いていくと、思っていた通りの風景が広がった。懐かしいお店も変わっていない。よくここで平野が登校してくるのを待ってたっけ、そんなことも思い出す。
声をかける勇気はなかったけど、たまたま電車が君のバスと同じ時間になったんだよ、そんな風を装って待ち伏せしていたものだった。後ろ姿を見ながら学校までいくのが好きで。勝手に歩調を同じにして歩いたりもしたんだった。
休日でもクラブ活動はある。校庭で活動する野球部やサッカー部の声が聞こえる中、私は校門前に立っていた。
「・・・変わってないなー」
何も、変わってなかった。学校の中では細かい配置変えや先生方は新しい人がきているのだろうけれど、校門から見た学校は私の記憶と完全に一致した。
冷たい風が吹いて、一瞬過去へと記憶が遡る。合格発表報告の日、ここから見える、あの校舎の影で平野を待っていた。一人で来てるかな、友達と一緒だったらどうしよう、そう思いながら、告白しようと身構えて。
散々な結果だっかけど、それが今ではどうよ。一緒にいるじゃあないの。
私はつい口元が綻ぶのがわかった。
あの日は無駄じゃなかった、って思いたい。あれがあったから私は臆病にもなったけれど、そのお陰で他の世界へと目をむけて、大学生活を楽しんだのだって。
「・・・ううー、しかし寒いな〜・・・」
吐く息がそのままで凍っていきそうだった。
ここで風邪を引いてしまうと、高峰リーダーは頭を抱えて唸るに違いない。また風邪か!?って耳元で怒鳴られる気がするし、それは何とか回避したい。そろそろ帰ろうか、そう思って、最後にもう一度と校舎や校庭、体育館の影なんかを見回していると、あのー、と声が聞こえた。
「え?」
私は振り返る。
すぐ近くにジャージにベンチコートを着た男性が立っていて、私の顔を見るとパッと笑顔になった。
「あ、やっぱり!藤さんだろ?俺、吉田健介。覚えてるかなー、高3で同じクラスだったんだけど」
「え、あ・・・あーっ!吉田君」
ビックリしてつい大声を出してしまった。
目の前に立っているのは紛れもなく、最後に同じクラスだった、吉田君だ。体育祭などの応援合戦では主将を務めて皆を束ねていたりしたから、よく覚えている。明るくて数学に強い男の子だったっけ、私はそんなことを思い出しながらマジマジと彼を見た。
「わー、ビックリした、懐かしい!吉田君ここで何してるの!?」
その格好は?そう思って早口で聞くと、彼はにかっと笑う。
「俺ここでたまにサッカーのコーチしてるんだよね。顧問に呼ばれて、休みの日にね、後輩の相手をしに」
「おお、サッカー部だったっけ?へえ〜。それは凄いね」
「で、トイレの帰り、校門のところにずっと立ってる人がいるなあ、って思って見に来たんだよ。学校に用があるのかと思って。そしたら見覚えのある人だったから」
私は納得して頷いた。たしかに、ちょっと不審者だったかも。
「今日法事で、この先の店で会食だったの。懐かしかったから寄って見ただけだよ」
「ああー、それでそんな真っ黒な格好なのか」
吉田君は相変わらず明るくてくるくるとよく変わる表情で、人懐っこい笑顔をみせていた。
「ここから見る学校は変わらないんだね。一瞬また明日から登校しなきゃいけない気分になった」
私がそう言うと、わかる、と頷く。
「先生方はかなり換わってるけどな。そういえば藤って、一度も同窓会来てないよな?何回かやったんだけど。もしかして案内いってなかった?」
あ、きてたけど。私はそう呟いて、肩をすくめる。
「ごめんね、いつもタイミングがあわなくて。でも今度はいけるようにするよ」
だってもう平野を避ける必要はなくなったんだから、そう思って返事をすると、うーん、と暫く悩んでから、吉田君は言った。
「最近はやらないんだよなー。遠くへ就職したヤツも多くてさ。皆そっちで彼氏彼女を作ってあまり帰ってこないし。いつも同じメンバーになるから・・・そうだ、藤って今晩暇?」
「え、今晩?」
急なことに私は目を丸くする。吉田君はニコニコと笑いながら言った。
「そう。集まれるやつだけ集まらないか?俺声かけてみるからさ」
「今晩は―――――」
親が、楽しみにしてるけど・・・。ちょっと心の中でそう思ったけれど、高校の時の人達と飲めるチャンスはそうそうやってこない、そう思いなおして、私は頷いた。
「うん、いいね」
って。
吉田君は、おおー!と歓声をあげ、ならアドレスと番号教えてと自分のスマホをポケットから出した。
「色々声かけてみるよ。藤さんも、連絡先知ってるやつがいたら声かけてみて」
じゃあ夜にまた、連絡する!そう言って、吉田君は校庭へと走って行ってしまう。私は嬉しい展開に笑顔のままで高校をあとにした。
やっぱり寒いし、電車で帰ろう。そして親に謝って・・・化粧もしなおさなきゃ!
吉田君にも「誰かいたら」って言われていたし、同じクラスでなきゃダメってことはないらしいし、ということで、私は電車から降りてから、時間を確かめてスマホで平野へ電話をする。
今は15分の休憩時間があるあたりだ。運がよければ出てくれるかも―――――――・・・
『はい?』
平野が出て、私はよし、と拳をかためた。うまく捕まえられた〜!
「藤です。今休憩?」
つい他人行儀になってしまうのは、仕方がないことだ。だってこの間まで、出来るだけ会いたくなかった他人だったのだから。平野は向こう側でうんと言う。
『法事もう終わったのか?晩ご飯は実家で食べるんだろ?』
多分そうなるよーといっていたのを覚えていたらしい。私は歩きながら薄いスマホを握りなおして、それがねと話し出す。
「食事場所が高校の近くでさ、懐かしいから帰りに寄って見たの。そしたら何と同級生に会ってさー!平野覚えてる?うちのクラスの吉田君」
『―――――うん』
一瞬の間があったけれど、それはきっと記憶を探っていたからであろうと私は思った。
「それで今晩、地元に残ってる高校の子らで飲まないかって誘われたんだ。平野、仕事上がってからこれない?電車一本でしょ」
平野が来てくれたら、帰りも一緒できる、そう思った私は弾んだ声で言う。だけどしばらく黙ったあとで、平野が聞いた。
『飲み会・・・藤を誘ったのって、吉田?』
「そう」
『他には誰が来るって?』
「まだ知らない。さっきのことなのよ。それで、私にも連絡先知ってる同級生がいたら声かけてくれって、吉田君が」
『吉田が』
「うん」
『俺に電話するって吉田に言った?』
「え?いや、その時はそんなこと考えてなかったから、言ってない。もしかしたら仕事上がりにこれるかもってさっき思って・・・」
何なのだ、一体、この流れは?私は怪訝に思って首を捻る。すらっと誘ったんだから、すらっと返事してくれたらいいのにさ。微妙な気持ち悪さを感じて私の口調は険しくなる。
「平野、都合悪い?今晩忙しい?」
中々ヤツが返事をしないので私から聞いてみる。するとうーん、とちょっと唸り声がして、平野が言った。
『時間はあるんだけど・・・俺今日ちょっと熱っぽいかも。そんなこと高峰リーダーには言えないから、今日は真っ直ぐ帰って大人しく寝とくよ。明日もバイトだし』
え。
私は驚いて言葉が出なかった。熱?さっきまで元気そうだったけど?
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