・忘年会での激震・1



 暖かい冬だったはずなのに、12月に入ったら雪が降った。

 底冷え著しい作業場で、パートの前園さんの「雪だわ〜!」の声に顔を上げる。

「ついに降って来たわね〜!今日降水確率高かったから、この気温だったらって思ってたのよ〜!」

 前園さんが嬉しそうにそういって、窓の外を指差した。作業場にいる全員がつられて窓の外を見て、結構な勢いで降っている雪を眺める。

「・・・え〜・・・勘弁してよ」

 チャリで通勤している田内さんが、嫌そうにそう呟いた。高峰リーダーがそれを聞いて、手を休めながら言う。

「田内ー、怪我したら困るから、自転車は押して帰れよ〜。明日待ちに待った忘年会なのに、怪我したら欠席扱いだぞ」

 田内さんはきっとなまじりをあげる。

「明日が終わるまで、絶対に僕は怪我をしません!明日が終わったら正直寝込みたいですが。怪我でも病気でもいいです」

「・・・故意にやったら首だぞコラ」

 高峰リーダーが威嚇して、浜口さんがそれを聞いて笑った。

 午後の4時だった。

 もうすぐ仕込みも最終段階に入るというところまできていて、作業場には疲れた空気が漂っていたのに、雪のお陰で一瞬明るくなる。

 前園さんと浜口さんがお喋りを再開して、私も気を取り直して包丁を握った。

 12月になってからやっぱりきた冬将軍に、実はちょっとワクワクしていた。私は夏よりも冬が好きで、昔から雪が降るのを見るのも好き。冬生まれだからかしらね、と母親がいつでも言っていたし、自分では寒さに強い方だとも思っていた。

 今日は帰りにスーパーへ寄って・・・鍋の材料でも買おうか。

 包丁を握りながら、つい考える。最近ではスーパーでも一人用の鍋物セットなどが売られていて、材料が余ったりするのを気にせずに鍋を楽しむことが出来る。一人暮らしの小さなキッチンでもガスコンロが一つあれば十分調理が可能だから、私はよく利用していた。

 なんせお酒に合うし、野菜もたくさんとれるし、食べた気がする上に体がとても温まる。便利な食べ物なのだ。エアコンのない私の部屋には実家から持ってきた小さなストーブがあるけれど、それをつけなくても十分ってくらい、お鍋を食べるだけで部屋中暖まる。

 雪が降るような、こんな寒い夜にはやっぱりお鍋だよね。

 キムチ鍋、豆乳鍋、それともスタンダードに寄せ鍋・・・いやいや、カレー鍋なんてのも前みたぞ。

 想像してうふふふと笑いそうになってしまった。

 やるべきことをやって、今日はスーパーへいき、一人用の鍋セットを買い、銭湯にもいってゆっくりしようっと。そう決めてしまうと終業時間が楽しみになってきて、ウキウキと包丁を奮う。

 今日は平野が休みだったのも私の機嫌がいい理由なのだ。

 公園でのあの突然のキス。あれはまだ私の中で尾をひきまくっている。毎朝毎晩、何なら夢の中でも繰り返されるキスシーン。ちっとも嫌がらず、むしろ手を伸ばして顔を上にむけてしまう自分を嫌悪したところで目が覚めたりする。けれど現実世界では、あれから平野を徹底的に避けることで接触は大いに減っているのだ。

 ヤツは今では普通に挨拶をしてくるし、仕事中はやはりあまり話はしないけれど、休憩時間などはいきなり私に話しかけてくることもある。私はそれを恐れて、出来るだけパートさん達と行動を共にしたり、迷惑がる田内さんに話し掛け捲ったりして過ごしていた。

 たまーにリーダーからの視線を感じるけれど、ここの監督者である高峰リーダーは特に注意や意見はしないという方針らしいとわかった。私が平野を避けまくっていることは、きっとバレているだろうって思うけれど。

 で、とにかく今日は平野が休みだった。

 そして明日は私が休みの日。

 明日の夜はこの作業場初の忘年会があるけれど、それは勿論ほかの人もいるわけで、タダの飲み会なのだから気は楽だった。

 もうすぐ就業時間ってこの時、私の機嫌がいいのは当然のことなのだ。

「おーい、藤。明日お前休みだけど、忘年会忘れんなよ〜」

 リーダーがニヤニヤしながらそう言ってくるのに、私は包丁を持ったままで振り返ってふんと鼻息で返事をした。

「忘れませんよ!タダで晩ご飯が食べられるのに!」

「・・・お前ね。その言い方は露骨だろ。一応日々の労働をお互いに称えあう目的なんだけど」

「判ってますよリーダー!でも晩ご飯代が浮くのは有難いですから!」

「まあな。お前も一人暮らし組だったよな」

 また浜口さんが明るく笑った。その隣で前園さんが、いいわね〜、って口を尖らせる。

「あたしらなんか、家族のご飯作ってこなきゃならないのよ〜」

「たまにはインスタントでもいいんじゃないですか、前園さん」

 私がそういうと、前園さんは済ました顔でこう言った。

「ダメなの、千明ちゃん。うち、週に3回はインスタントだから」

 和やかに笑い声で本日は終わっていく。時間通りに全ての業務は終了し、今日だけは残業しねーぞ、と決心したらしい高峰リーダーも、皆と一緒に作業場を出る。

「うわ〜・・・。凄いですね。吹雪っていってもいいんじゃないかな、これ」

 雪はまだ積もってはいなかったけれど、傘がないと大変そうな降り方ではあった。

「気をつけて下さい〜!」

 情けない顔で空を見上げる田内さんにそういって皆で見送る。それから解散した。

 電車にのって、スーパーに寄り道をして、一度家に帰ってから、お風呂の用意をして銭湯へと行く。雪がしんしんと降っていて町は静かで、どこか違う町に来たようだった。

 暗い中、静かに一人で歩いていると、その寒さから急に一人身なんだと思うことがあった。

 私にはもう随分と、好きな人がいない・・・。それに、一緒に居たいと思うような人も。大学の間や社会人になりたてのころは滅多に思わなかったそんな気持ちが、今年になってからはちょくちょく思い浮かぶようになっていた。

 きっと会社に慣れたせい。

 それとも、一人暮らしが寂しいせい。

 そう思っていたけれど、平野が突然目の前に現れたときから、そんな気持ちはまたすっかり忘れてしまっていた。バタバタと勝手に気持ちが忙しくて、怒ったりパニくったりで寂しさを感じる暇がなかったのかも。

 抱きしめられて、キスをして。

 だけど別に恋人でもなくて、平野の考えも判らないまま。

 息が白くなって暗い空へ上がっていく。指で唇に触れて、私は一瞬泣きそうになってしまった。

 好きでもない女とあんなキスをして・・・平野は平気なのかな。私はすごく動揺して、まだ頭から離れないけれど、ヤツの普通な態度を見ていたら私にキスしたことなんて忘れてしまっているように思えてくる。

 ってか忘れてるのかも。ヤツにとっては何でもないことなのかも。勝手に意識して馬鹿みたいに悩んでいるのは私だけなのかも!

「・・・くそ」

 もしそうだったら悔しさで死ねる。そう心底思ってしまった。

 銭湯が見えて、出てきた人とすれ違う。それを避けながらハッとして、私は歩きながらブンブンと頭を振った。

 ダメ、忘れるの。あれはなかった。それこそただの通りすがりにぶつかっただけ、そんなところよ!電信柱にぶつかったからちゅーしてしまった、そんな程度なの!

「もう!」

 頭を振り続けたままで銭湯の暖簾をくぐり、番頭さんに変な顔をされてしまった。



 そしてやってきた、うちの会社入社以来の・・・いや、高峰リーダーも経験がないって言っていたから、もしかしたら設立以来の初忘年会の日だ。

 私は休みの日だったので、朝はゆっくりと布団の中でごろごろして、気が済んだところで起き、まずは家事を済ませてしまう。普段は気ぜわしく体力もほぼ無くなった状態で帰宅するので、休日に家事はまとめてやることにしている。

 朝食兼昼食をガツガツ食べたあと、山盛りの洗濯物を処理しにコインランドリーへ。洗濯と乾燥を待っている間に週刊誌でゴシップの収集、それが済んだら洗濯物を片付けて、部屋の中を掃除する。

 実家では毎日曜日が大掃除の日と決まっていて、父も母も子供達も一家総出で掃除をしていたものだった。その代わり、普段は皿洗いと風呂掃除くらいしかしない。買い物も週に一度のまとめ買いだったして、休日に家事を全部してしまうというのは私の意識の底にこびりついていることなのだ。

 トイレ、シャワーブースもピカピカにして、窓や壁も拭く。真冬だというのに汗だくになって掃除をすると、気持ちまですっきりしてくるから素敵だ。クッションや枕を狭いベランダではたいて埃を出す。それから布団乾燥機をセットして、ようやくひと段落ついた。

 後は掃除に使ったものを片付けて・・・それで終わり。時計を見ると午後の4時。

 集合の7時15分まで、あとはパソコンに没頭出来るってものなのだ。

 あの夜平野にキスの「講義」をされてから、私は作品のキスシーンを書き直した。そしてそれ以降の公開をストップしてしまっている。

 何故ならバランスが崩れたからだ。シンプルにさらーっと書いていたキスシーンが充実してしまい、ますます「そして次の朝」へと飛ばすことが出来なくなってしまったからだった。

 毎晩うんうん悩んで書き、それが気に入らずに削除する。そんなことを2週間もやっていた。ああああ〜・・・どうしよう。書けない。私には、エッチシーンが書けない!そう嘆いて頭を枕で叩いていたこともあったけれど、とにかく落ち着こう!そう決めてからは、パソコンを開けなかったのだ。だってパソコン開けると焦るんだもの。

 でももうそろそろ、読んでくれている読者さんから、ぽつぽつとコメントを頂いている。

「続きを楽しみに待ってます」的なコメントを!それも一度公開していた場所だから、「あれはどこへ消えたんですか?結末で悩んでいるんですか?」と書き込みを見た時には申し訳なくて、見えないと判っていても土下座したものだ。

 すみません〜待っていただいてるのですねぇ〜!!って、ほぼ泣き掛けながら。

 でも返事に書けないでしょ、私は未体験なもので書けないんです、などとは。あうあう。

「でも、やるのよ!」

 自分でそう掛け声をかけて、私は手をぽきぽきと鳴らす。登場人物だって可哀想だ。あのまま放置するのは、やっぱり私の精神衛生上もよくないに違いない。

 書こう!とにかくバランスを考えて、心理描写もたくさん入れればカバーできるかもしれないし。そう思っていた。別に何も具体的に書けばいいってもんじゃないんだし!色気漂う文章ってやつを目指せばいいんじゃない!?なんて、最後にはキレ気味に思ったりもして。

 綺麗になった部屋の中、髪の毛をぐるぐるにまとめたお団子ヘアーで気合を入れる。

 それから無駄に力をいれて、人差し指でパソコンの電源ボタンを押した。


 次に顔を上げたときには窓の外は真っ暗だった。

 疲れきった指をいたわりながら、私はヨロヨロと立ち上がる。時刻は6時すぎだ。さすがにもう行く準備をしなければ間に合わない。凝り固まった肩をごりごり言わせながら、深い呼吸をした。

 カーテンをきっちりと閉めて、その場で伸びをする。

 ブルーライトのせいで視界が不良だ。一度顔を洗いなおしてから化粧をすることにした。洗顔のあとにホットタオルを顔にのせてしばらく肌と瞳を休憩させる。肌がもっちりとなったところでタオルをとり、化粧水をつけてクリームを塗りこんだ。

 エアコンじゃないので部屋の空気は乾燥していない。だけど肌の曲がり角ではある年齢なのだ。手入れは怠ってはならない。誰に見せるわけじゃなくても、自分の為に手入れをしよう。

 何をしてもどう動いても、さっきまで書いていた濡れ場が頭の中をよぎっていた。鬱陶しかったけれど仕方がない。最後まで書き上げて完結させてこその趣味だ。そう思って苦手なところでも頑張らねば。

「でも、マシになったよ、絶対に」

 鏡の中の自分にそう声をかける。マシな文章がかけたはずだ。濃厚になってしまったキスシーンには勝てないかもしれないが、変ではないくらいのものが。

 眉を書き足して、肌の表面はパウダーをのせるくらいにする。たまにはちゃんとしようと思って、仕事場ではしないアイラインをかいてマスカラで睫毛を持ち上げる。

「よし」

 ぼやけていた顔の線がハッキリと完成したところで髪を下ろして櫛を通し、黒いタートルネックとブルージーンズ、それから白いダウンコートをきて、出発する準備が整った。




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