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いざ!そう掛け声をかけて部屋を出る。平野が来ることが判っていても、気持ちは弾んでいた。ブランチから時間が経っている上に掃除で体力を使ってお腹は空いているし、飲む気満々で。今晩は浜口さんにぴったりひっついていようっと、そう決心して。
「お疲れ様〜!千明ちゃんこっちよ〜!」
作業場がある駅前のロータリーで、北浦さんが私をみつけてブンブンと手を振っている。私はそれに笑顔でこたえて駆け寄った。だけど、あれ?待ち合わせ場所にいるのは北浦さんただ一人。
「北浦さん、お疲れ様です!皆さんは?」
「仕込みが早く終わったのよ、今日!やっぱり皆何となくウキウキしてたしねえ。それで先にいってもらったの」
「え、私を待って下さったんですか?うわあ〜すみません、場所、メールで教えてくれたら行きましたのに」
そういうと、北浦さんはケラケラと笑う。
「いいのよ、だってあたしがメールうまく使えないんだから!さ、いきましょ。お腹すいてるわね?」
「空いてます!」
今日は幹事の北浦さんが、選んだ店の紹介を道々してくれたお陰で、私はどんどんお腹がすいてくるのを感じていた。炉辺焼きの店らしい。ホッケが最高らしい。お酒も種類が揃っているらしい。・・・あ、涎が。
歩いて5分ほどの店に到着して、コートを脱いで案内された座敷へと向かう。そこには確かに私と北浦さん以外の全員が揃っていて、ニコニコと笑顔で話をしていた。
「あ、藤だ」
リーダーの声に頭を下げる。全員がこっちをみて、色々と挨拶が飛んできた。
「お疲れ様です、遅くなってすみません」
リーダーの横に座った田内さんが、いやいやと手を振った。
「遅れてないよ、大丈夫。今日仕込みが早く終わったんだよ」
「ほら、早く座れよ。北浦さん、始めましょう〜!」
リーダーもご機嫌のようだった。素晴らしい。いつもは罵声ばかりはく口元も口角が上がって、よく考えたら滅多に見られない私服姿で寛いでいるようだった。機嫌が良いときの高峰リーダーは、イケメンのメガネ男子に様変わりだ。是非この上機嫌をキープして貰いたい、私はこっそりと心の中でそんなことを考えた。
リーダーだけではなく、勿論他の皆も私服だ。普段エプロンに白い帽子で髪の毛を隠している姿ばかり見ているので、頭が見えているってだけでもかなり印象が違って見える。
多分それは私も同じなのだろう。千明ちゃんってそんなに髪が長かったっけ?と前園さんが聞いて来たところを見ると。
北浦さんがお店の人を呼び、めいめいが飲み物を注文する。上座にリーダー、その両脇は前園さんと田内さん。田内さんの隣に平野が座っていて、前園さんの横には浜口さん。案内された時にパッとその構図を見た私は、すぐに浜口さんの隣へと荷物を置いた。私と平野の間に北浦さんを挟む形にして。
とりあえずは思い通りだ。ホッと息をはいて、平野の方は絶対に見ないようにしながらパートさん達に話しかける。ビールが運ばれて、リーダーが乾杯の音頭を取り、ようやく忘年会が始まったのだった。
「食え〜!そして飲め〜!」
「任せて下さい!」
田内さんが腕まくりをして目を輝かせて言った。
やっぱり最初は気になりまくった。テーブルの向こう側、真正面に平野がいるってことが。だけどビールを飲み始めてすぐに予め頼んであったらしい料理が運ばれてきて、それどころじゃなくなったのだ。豪華な料理だった。飲み会自体が久しぶりなのもあって、私はよく飲んだ。浜口さんと前園さんが日本酒が好きだとわかってからは、3人で地酒を注文し、飲み比べなんかもしたほどに。
皆顔を赤くして、普段は会えない本社の社員の噂とか、仕込み中のビックリな失敗談、腹が立つ注文ファックスなんかについて盛り上がる。
ああ楽しい。ケラケラと笑いながら、私は満足で箸を動かす。楽しいな。入社して初めてかもしれない、こんなに楽しいって思ったの―――――――――
「あー、ちょっと俺ニコチン摂取」
高峰リーダーがそう言ってふらっと立ち上がる。前園さんが、大丈夫?とヨロヨロのリーダーを見て眉をしかめた。
「リーダーあんまりお酒強くないんじゃない?お茶頼んどきますよ、戻ったら飲んでくださいね」
北浦さんもそう言って、リーダーは男性陣の後ろをフラフラと通り過ぎながら、はいはいと手をあげる。ほんと、顔が真っ赤だった。それにリーダーがタバコを吸うってことも、私は初めて知った。
高峰リーダーが座敷を出て行ってから、私はパートさん達に言う。
「リーダーが喫煙者なの、知りませんでした」
するとテーブルの向こうで、田内さんが顔を上げた。
「僕知ってた。一度見たことがあるよ。苦情の電話きた時にさ、外で一服してた。ほら、夏にあったでしょ、むかつく苦情が」
ああ〜、と平野以外の全員が頷いた。串刺しにされた肉が小さいと、担当している居酒屋のうち2軒から苦情があったのだ。だけどそれは私達のせいではなく、そもそも仕入れ先に言うことでしょうって高峰リーダーが言い返すと、小さい肉は大きいものとバランスよくまぜて仕込みをするのがあんたらの仕事だろう!と言われたってことが。
そんな無茶苦茶な!都合いい大小様々な肉など一緒には入っていないし、こっちは入ってきた肉を仕込んでるだけなのに、と当時は全員でむかついたし憮然としたけれど、その時にリーダーがタバコを吸っていたらしい。
「じゃあヘビースモーカーってわけじゃないのね〜。いるわよね、お酒入った時だけ吸う人とか。千明ちゃん、これ飲む?注文してくれない?」
新たな地酒を指しながら、前園さんがそう言った。私は頷いて立ち上がる。
「じゃあ注文ついでにちょっと失礼しますね〜」
「トイレは奥の左よ〜」
はーいと頷いて、座敷から降りる。その時一瞬足許がふらついて、壁に手をついた。・・・ありゃあ〜、思ったより酔ってるかも・・・。こりゃ私も気をつけないと・・・。
しかし同じように飲んでいる前園さんは、まだまだ普通の顔をしていたぞ。あの人すごくお酒に強いのかも。
通りすがりの店員さんに注文をして、私はトイレに向かい、済ませる。手を洗って出てきたら店の入口が見えた。外は暗く、冷たい風が吹いているようだ。何となくフラフラと私はそっちへと向かう。冷たい風にあたって、ちょっと意識をハッキリさせよう――――――――――
「・・・何だ、藤も吸うのか?」
出たところでいきなり声をかけられて、私は思わず飛び上がる。
「うわあ!」
振り返ると奥の暗がりで店の壁に背を預けて、高峰リーダーがこっちを見ていた。
「・・・あ、リーダー。びっくりした〜」
「失礼だぞ人をお化けみたいに」
冷たい風で熱くなった顔が冷やされていく。私がリーダーの方へと体を向けると、吸う?とタバコを差し出してきた。
「いえいえ、結構です。トイレの帰りですよ。ちょっと酔ったなあ〜と思って風にあたりにきたんです」
ああ、とリーダーは頷いた。
「お前ら強いんだな〜。俺、あれだけ酒飲んだら酔いつぶれて明日も使いものにゃならねーよ、きっと」
「パートさん達強いですよね。まだまだいけそうでしたよ、注文もしてましたし」
さすがに風が寒くて手で体を抱く。酔いも若干マシになりつつあるし、風邪引く前に戻らなきゃ、そう思ったところで、目の前にコートがずいっと差し出された。
「着ろ」
高峰リーダーが、自分のを脱いで私の方へと差し出していた。ビックリしてつい目を丸くする。
「え、いいですよリーダー。まだタバコ吸いますよね?私もう戻るんで――――――」
「なあ、藤」
まだこっちにコートを持った腕を差し出しながらリーダーが呼んだ声が、改まったものだったので思わず顔を見る。
「はい?」
何だろう。そう思って真っ直ぐに見た高峰リーダーは、私と目が合うとそらしてしまった。口に火のついたタバコをくわえたままで、えらく静かに言った。
「お前さ、平野と付き合ったてたとか、そんなのか?」
「は?」
呆気に取られてつい反射的に聞き返してしまった。リーダーはちょっと眉間に皺を寄せて、むっとした表情で私を見る。ついでにコートを持つ手を引っ込めた。
「は?ってなんだよ、その言い方」
「ああいや、すみません。驚いたもので!」
私は慌てて両手を振る。口が悪い上に現在酔っ払っているはずのリーダーを刺激するのは大変よくないはずだ、そう思ったからだった。だけどこの人勘違いをしているらしい。それはちゃんと否定しないと――――――
「ええと?リーダー?何かよく判りませんが、私は平野と付き合ったことはありません」
付き合いたかったけれど、振られました。そのセリフは寸前のところで飲み込んだ。キッパリハッキリと振られました、私。
私の返答にちょっと眉毛をあげて、リーダーがふうんと呟く。
「・・・えらく避けてるだろ。今日だって一回も見ようとしてないよな。だけど、平野は気にせずにお前に話しかけるし、接している」
げろげろー、ちょっとリーダーよく見てますね!思わず心の中でそう突っ込んだ。それともやっぱりそんなに判りやすいですか、私は!?仕方ないからちょこっとだけ情報を小出しにしておこう。
「高校の頃にちょっとばかり色々ありまして・・・でも元彼とかではないです!」
きっぱりとそういうと、リーダーは頷いて短くなったタバコを地面に落として踏みつけた。それからコートを肩にかけて、ふらっと私に近づく。
「何か、嫌なんだよ」
「へ?」
「嫌なんだ。気になるんだよ、お前が平野と話してるの見ると」
「はあ」
イマイチ言ってることが判らなくて、私は首を傾げる。風が冷たくて、中に戻りたいなと思いながら。リーダーは目を細めて、風に髪を乱されながら言った。
「・・・うーん・・・俺もしかして、お前が好きなのかも」
――――――は?
今回は、速攻で言われたことを理解した。
何だってーっ!?
目をむく私の前で、フラフラのリーダーはうーんと言いながら片手で頭をかき回している。
「酔っ払ったなあ〜・・・。ま、何だ、多分、そうだろうって思うだけ。だから嫌なんだろうな、藤と平野が何かしてるの見るの」
「え。・・・ええ?リーダー、大丈夫ですか?言ってること判ってます?」
「おー多分なー。しかし寒ぃな・・・戻るぞ、藤」
多分て何だ!多分て!激しく突っ込みたかったけどそれは何とかのみこんで、私は先にたち店のドアを開ける。
「ええと・・・はい。そうですね、そうしましょう!」
「あー、これ明日俺、大丈夫かなあ〜」
「しっかりして下さいよリーダー。そこ、段差ありますよ!」
私は努めてしっかり者の役割をした。だってリーダーがリーダーがリーダーが今!!私を好きかもって言ったのだから!かも、だけど、かも!
これって大パニックでしょ!どうしたらいいのよ一体!しかも独白したってだけで、こっちの反応は一切気にしてないんだけどこの人!それってさ、今目の前の私に言う必要あった!?
あまりにも恋愛偏差値の低い私には、優秀な答えなど見つけられなかったのだ。だから酔っ払いを支えるという役目に徹することにした。それが最もたやすい現実逃避だったのだ。
「あー、リーダーに千明ちゃん、遅かったですね〜!ってリーダー、大丈夫ですか?」
座敷に戻るとパートさん達がわらわらとやってきて、私から高峰リーダーを受け継ぎ、代わる代わるに世話を焼きだした。
「外の風にあたりにいったら、高峰リーダーがフラフラでしたから回収してきました」
そう言うと、その酔っ払いであるリーダーが、うるせーぞ藤!とブチブチ言う。
パートさん達は笑ったけれど、私はまだ混乱した頭のままで、とりあえずと座り込む。呆然と周囲を見渡すと、まだガッツリ食べている田内さんがさっきのままの場所に、そして平野が―――――――――こっちを見ていた。バッチリと目があってしまって、一瞬で混乱が深まった。
あ、やば――――――目があっちゃった。
新たな混乱があった私は少し気がゆるんでいたのだろう。パッとそらすと頼んでおいた日本酒をぐっと一口飲んで、時計を見る。夜の10時半。なんてこと、もう3時間半も経っていたとは!
「あのー、そろそろ私帰りますね」
リーダーとリーダーを介抱しているパートさん達にそう言うと、え?と皆がこっちを見る。黙って時計を指すと、パートさん達も慌てだした。
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