・砂糖の女とシュガーの男・1



 結局、その夜はひりひりして眠れなかった。

 日焼けってほんと火傷なんだなあ!とじっくり体感した私。朝は随分ぼーっとして市川さんを苦笑させてしまった。

「おーい、メグっち!しっかりしてくれ〜」

 お湯が沸いているのにも気がつかなかったらしい。私はハッとして、いそいでやかんの火を止める。

「・・・すみません」

「火事になる、火事に。マジでやめてね、俺がようやく辿り着いた場所なんだから」

 はい、と頷いて反省し、私はそろそろとやかんのお湯を落とした。


 緑溢れる国道沿い、眼下に日本海が広がる場所に、市川さんの“辿り着いた”喫茶店、『ライター』がある。

 主なお客さんはここから車で20分ほどの場所にある、ここ数年埋まらないらしい絶賛分譲中の別荘地からの年配者と、旅行中の人々だ。山の長いトンネルが終わった国道沿いにいきなり現れる大きく区切った土地に、喫茶店『ライター』が建つ。2階建ての卵色した住居兼喫茶店と広々とした砂利の駐車場と個人菜園。それが、市川さんが手に入れたものだった。

 土地は目茶目茶安かったらしい。海は見えるし国道沿いではあるが、一番近い街でも車でかっ飛ばして20分かかる峠のここら辺には、他に民家などはないのだ。長い学生生活中のアルバイトで貯めたお金で土地を買って、あとは京都の知り合いを大勢集めてツテもコネも駆使し、1年かけてこの楽園(市川さん曰く)が出来上がったらしい。

 景色や環境は素晴らしい。が、それが故に周囲には何もなく、不便と言えば不便。いやいや実際のところ、もんのすごーく不便。市川さんはバンとバイクがあるのでそれでいいと思ったそうだけれど、免許も持たない私がここへ来るのには難儀したものだ。

 だって最寄のバス停から15分だよ、両側から植物が迫り来る細い細い土の道、山道といって大正解の道を。そのバスだって、午前と午後に2本ずつしかないし。

 というわけで、ここにきてまず第一に、市川さんが私に買うように言ったのは、自転車だった。それも格好いいロードバイク。不便でしょ、って。でも俺は金出さないからね、メグちゃんがバスでいいならそれでもいいけど、って。

 ・・・・困る。

 そう思った私はいわれたとおりに自転車を買った。予算の都合でロードバイクではなかったけれど、それなりの自転車を。いい買い物だった。だけど休日に遠出することも含めて、その自転車は私の大事な足になってくれている。

 名前はチャーリー。だってチャリだから。

「海には泳ぎにいきなよ、メグちゃん。そもそも一体自分、あそこに何しに行ったの?」

 市川さんがサンドイッチを作りながら私にそう聞いた。

 彼は、たまーに関西弁が出る。普段はそんなことがないのに、気を抜いたときとかに、突然。相手を指して「自分」と呼びかけるのも、それだ。

 私はお盆を抱えたままでぶーぶーと口を尖らせる。

「そりゃ勿論泳ぎにいったんですよ!」

「泳いだわけ?」

「・・・浮かんでましたよ、海に」

「泳いでないでしょ。それに、汗かいたら日焼け止めなんて流れるってわかってるでしょうに」

 判ってましたけどー!私は更に頬を膨らませながら言った。

 それから、市川さんが作った素敵なサンドイッチプレートと紅茶をお盆にのせて、テラス席で朝食を待つご夫婦の所へと運ぶ。

 ちょっと離れたところにある別荘地に住むリタイヤ組の年配夫婦で、ここの常連さんだ。平日は毎日ドライブがてら「ライター」に寄って朝食を食べ、そのまま街へと買い物に出かけていく。羨ましい悠々自適生活ではあるが、きっとこの人たちも様々な苦労を乗り越えてきたのだろうって今の私は考えてしまう。

 人生の暗い淵は、誰にだってあるはずだ。

「お待たせしました」

 笑顔を顔に貼り付けてガラス戸をあけると、二人はあらまあと言った。

「メグちゃん、凄い日焼けじゃないの!」

「そりゃあ痛いだろう」

 やっぱり誰が見ても真っ赤らしい。

「痛みには何とか耐えてます〜」

 お愛想を手と共にふって店の中へと戻り、お盆を置いて市川さんの前でため息をつく。

「あーあ・・・私、昨日どうして浜辺に行ったんだろ」

 彼はパッと手を振って、私のため息を散らした。

「ダメダメ、ため息禁止。不幸が蔓延する!それに、さっき自分で泳ぎにいったって言ってただろ」

「そのつもりでしたよー」

「じゃあ何で泳がなかったの」

 話に付き合ってくれることにしたらしい。市川さんは、布巾で手を拭きながらカウンターにもたれかかって私を見た。

「・・・え、そりゃ・・・」

 私はふと考える。

 泳ぎに行った、のだ。私だって。そのために水着だって浮き輪だって持っていた。だけど結局泳がなかったのは、砂糖がなかったから。そしてそれは―――――――・・・

「あ、そうそう、テンション低くなったのは、あの人のせいなんだわ!」

「うん?」

 ぽん、と手を叩いてそういう私に、市川さんは首を傾げて見せた。

「砂糖忘れたんですよ、私。それで貰えないかなーと思って人を探して・・・でも海の家もなくて、ほとんど誰もいなかったんです。旅行中の家族連ればかりで。で、唯一見付かった地元の人っぽい人に話しかけたんですけど」

 市川さんが苦笑した。

「ああ、忘れたんだね、メグちゃん。命の砂糖。それで、その人にケンモホロロの扱いを受けた?」

「いえ、失礼な態度ではなかったんですけど・・・何か変で」

 市川さんが更に怪訝な顔をしたので、私は昨日の浜辺での会話を再現してみせた。自分が間違えてシュガーって発言してしまったこと、それからその男の人の、不思議な返事も。

「何だそりゃ。会話になってないような」

「ですよね?で、何が何だかわからないけど、まあとにかく砂糖はないんだってなって、それでテンションがだだ下がり〜です。あとはぷかぷかと波に浮かぶだけ〜」

 ふむ。そう言ってしばらく考えたあと、ヒョイと眉をあげて市川さんが笑った。

「ま、とにかく、だ」

 後ろの棚をごそごそとあさって、小さいものを指で弾いて私に飛ばす。

「いい加減にしないとその若さで糖尿病だぞ。砂糖を直接舐めるより、これにしときな」

 放り投げてくれたのは、檸檬キャンディーだった。


 日焼けは酷かった。

 ジンジンと肌が痛み、真っ赤になってしまった私がお風呂にちゃんとつかれるようになったのは3日も経ってからだった。毎日アロエパックをし、出来るだけ肌をしめつけない服を着て過ごした。

 だけど、次にきた休日に、私はまたあの浜辺へと行ったのだ。

 今度はバスに乗ってではなく、自転車で。

 恐らく40分くらい必死でこがないと着かないと思うよ、そう市川さんに言われて、私はその覚悟を決めて自転車に跨る。

「まだ止めといた方がいいと思うけどね〜。でもまあ、今度はちゃんと海につかってきな。行くならついでにその肌を冷やすんだよ」

 にやりと口元を歪めて少しニヒルな笑みを浮かべながら、店の前まで出てきてくれた市川さんが言った。

「あと、帰れないくらい疲れきらないこと。行きは山を下りるけど、帰りは当然上りなんだぞ。チャリで。俺に電話くれても迎えにいきません〜」

「押忍!」

 私は敬礼をする。

 今日の市川さんは、休日ルックだ。つまりまだ、朝の光に照らされて立つ彼は寝起きの姿のままだった。いつもの喫茶店の制服、着古したリーバイスのブルージーンズと白いTシャツにキャップやバンダナ姿でなく、寝巻きにしているらしい甚平と寝癖のついた頭。柔らかい黒髪が軽やかなウェーブを作って市川さんの顔の前に落ちている。とてもリラックスしていて、彼の落ち着きが強調されているようだった。

 普段はやたらと早起きな市川さんにご飯まで作ってもらっているので、休日は私が朝食を作っている。今日もハムエッグとトースト2枚に大量のサラダというメニューを作って、店のカウンターにセットしてきたのだ。

 だから甚平姿で欠伸をする市川さんは、これから店に戻ってそれを食べるはず。

「コーヒー、それとも紅茶?」

 寝癖を右手で撫で付けながら市川さんがそう聞くから、私はリュックを背負いながら答えた。

「今日は紅茶です!恵のスペシャルブレンド・ティー!」

「お、そりゃ楽しみだ」

 朝食につける飲み物は、市川さんにとって大事らしい。それに気がついてからは、私は作るときに十分注意をするようにしていた。

 人がよくて謎だらけのこの雇い主に、喜んで欲しくて。

「じゃあ行ってきまーす!」

「気をつけてー」

 後ろを振り返って市川さんに手を振りながら、私はチャリにのって出発した。いざ、あの海へ!この酷い日焼けはあそこでしたのだから、あの海で体を冷やさねばならない。

 色々変な理屈をこねくり回してはいたけれど、実際の所、私は興味があったんだろうと思う。

 浜辺で出会った、あの男に。




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