5、怖いもの知らず@



 さて、私はどうするべきだと思う?

 思っていたことを正輝に全部ぶちまける?

 いやいや、それはまだ駄目よ。だってそれには必ず涙が必要になるだろうし、今の私にはそんな体力はない。というか、今日の午後からのために体力は是非温存しておきたい。

 そんなことを考えながら人気のないことで有名な喫茶店(つまり、コーヒーがまずくて人気がない)へ正輝をつれて行き、ビタミン接種のための生絞りオレンジジュースを注文して(出入りの生命保険営業に教えて貰った)向い合った。

 そして正輝を見る。

 あまり磨かれていない窓から入りこむ朝日が彼の整えられた黒髪にあたる。眼尻の皺、それに鼻筋。グレーのスーツとブルーのネクタイ。私はまた身体の奥底から意志のかたまりが湧き上がってくるのを感じた。

 オー、ガーッド・・・。

 眩暈がしそうで額を抑える。

 何ていい男なの、今すぐネクタイを引っ掴んで引き寄せて、ディープなキスをしたい!ううん、落ち着け私、勿論そんなことしないけど・・・まあとりあえず、今この場所では。

 悶々と想像を膨らませては悶えている私の前で、落ち着いたらしい正輝が言った。微笑を浮かべて。

「えらく変えたんだな、髪型も、アクセサリーも。・・・翔子に似合ってるよ」

「―――――」

 ・・・うーきゃー!褒められた!神様ありがとう!思わず両手をバタバタと振り回しそうになってしまった。

 正輝になにか褒め言葉をもらうと、すぐに興奮するたちであるのを自分で忘れてしまっていた。だけどそこで、禁欲生活の原因となった出来事を無理やり頭の隅から引っ張り出して、空咳を我慢してからぼそっと言った。

「真似されたから、自分が変えることにしたの」

 正輝はちょっと体を引いた。

「・・・それに、服装も。パンツスタイルにしたんだな。翔子、スカーフなんて使ってたっけ?」

「真似されたから、変えることにしたのよ」

「・・・あー・・・」

「真似されるのが、本気で我慢ならなかったのよ」

 正輝は黙った。

 オレンジジュースが運ばれてきたのでそれをひと口飲んで、私はゆっくりと呼吸をした。泣かないように気をつけるのよ、私。今日はクライアントとの現場視察もあるし食事会でのミーティングもある。朝から頑張ってきたアイメイクを崩れさせないように、頑張りなさい!

 よし、十分な気合を自分に入れてから、姿勢を正す。

「正輝」

 彼は真面目な顔をしていた。多分、緊張もしていたと思う。

「私があの子に対して言ったことは、ただの嫉妬ややっかみじゃない。何なら亀山に聞いてくれたらわかるけど、あの子は1か月でほぼ“私”になった。そして私はそれを不快に思ったのよ。誰かが会うたびに自分そっくりになってくる、それって普通に考えたら気持ち悪いことじゃあない?だから、自衛のために逃げることにしてるの」

 正輝は頷いた。

「翔子が本気であの子を・・・あの子がしたらしいことを嫌がってるのは判った。それは俺の認識が違っていたと思う。・・・それで、俺は?あのレストランで置き去りにされたのはそれが原因だとしても、それからも避けられているのはどうしてなんだ?」

 俺は、謝ったよな?そういいながら正輝が私を見詰めている。

 ・・・確かに、たしか〜に謝ったけどさ。私はあの夜の疲労感を様々と思い出してため息をついた。だけど、ああ、この人全然判ってねーんだな、と思ったのは言わないでおいた。

 今は泣けないのよ!あの夜のことまでひっくり返したら、この素晴らしい化粧が崩れる羽目になる!キャット目になるように慎重に引いたアイラインの苦労を思い出すのよ私!

 だから違う理由を披露した。

「あの子があなたを狙ってるから」

 ま、これだって正解なわけだし。

 ん?と正輝が首を捻る。

 ・・・ああ、悪気がないって本当罪よね。タバコが欲しくて指がテーブルの上でウロウロする。だけどタバコを吸わない正輝の前では禁煙しようって恋人になって以来決めていたし、今だってまだ恋人なわけだ。だからここは耐えなくては。

「あの子は私に憧れて、真似をする。その彼氏も欲しくなる。本当ところのあの子の狙いは知らないわ。だけど、問題はそこじゃあないの」

 ドンと私はテーブルに拳を押しつけた。

「今は、仕事が、忙しいのよ!!」

「――――――」

「だからプライベートでバタバタしたくないの!簡単に言うとこういうことなのよ。ねえ、言いたいことはあるだろうし、あなたに我慢を強いているのもわかってる。でも私には耐えられそうもない“あの女”との戦いは、イベント修了後にしたいの!」

 正輝は椅子に寄りかかった。

 真面目な顔はしていたけれど、怒ってはいないようだった。私はとりあえず、彼のその表情に安心する。良かった。そんなこと俺が知るかよって言われたら、立ち直れないところだった。正輝はそんなこと言わないと思っていたけれど、人間はいきなり変化することだってあるのだ。

 私はそれをよく知っていた。

 彼は私の落ち着きない指に気がついて、苦笑する。

「タバコが欲しいんだろ?吸ってもいいよ」

「・・・いいの」

「ジン・トニックも欲しいんだろ?ここにはないかも知れないけど」

「大丈夫よ、我慢する」

 ってか折角我慢しているのにその素敵なアルコールの名前を出さないでくれ!私は半眼になってメニューたてをにらみつけた。

 イメージの中では、崖っぷちでピンヒールを履いた片足でバランスをとっている感じなのだ!つまり、超必死。勿論タバコも酒も欲しいに決まっている!だけど今は朝日が燦燦と差し込む健全な喫茶店のモーニングタイム、タバコも酒も必要とするには早いことだって嫌ってほど判ってる。それに、そのタバコは吸わずアルコールにも弱い愛しい男の前なのだ。

 あったとしても、飲めねーよ、それに吸えねー。

 くくく、と小さな笑い声がして、前を見ると正輝が笑っていた。

「了解、とにかく、翔子がギリギリのところにいるってのがよく判った。気持ちに余裕が出来るまでそっとしとくよ。原因の一部は俺だろうけど、それはまた翔子が楽になってから埋め合わせする」

 私はガバっと顔を上げた。

「メールも電話も控える。だから、多忙が終わったら連絡をくれ。美味しいものでも食べに行こう」

「・・・正輝」

 ・・・・今、嬉しい言葉を、私、貰ったような―――――――

 つまり、彼は私のこの状態を許して、しかも黙って待っててくれるってこと、よね?逃げまくった私へ文句も言わず、なんなら謝罪すらして、許してくれたってことよね?

 仕事が終われば―――――――正輝と素敵でラブラブな夕食。

 ・・・よっしゃあ!!

 頭の中で、巨大なくす球が華やかに割れた。

 ガタンと音をたてて、ゆっくりと正輝が立ち上がった。彼は朝日を背中に背負っていて、それはまるで後光のようだった。・・・凄いわ正輝、あなた、ついに神様にまで昇華しちゃったの―――――――・・・

 恋愛フィルターが両目にかかって正輝の格好良さがいつもより6割増しになり、夢中かつ呆然と見上げる私に、彼が言った。

「俺も仕事に戻る。悪かったな、朝っぱらから。翔子のイベントがうまく行くように祈ってる」

 そして、正輝は戻って行った。じゃあな、と爽やか〜に挨拶をして。彼が注文したコーヒーは一口飲まれただけで放置されている。やっぱり不味かったんだ、と残された私はそれを見て笑っていた。

「・・・やれやれ」

 一人で呟く。それから、ゆっくりと周囲を見回した。忙しいはずのモーニングタイムなのに閑散とした喫茶店。お湯のわく音、それから店内の音楽。窓の外では6月の陽光が降り注ぎ、今日も忙しく街は動いている。

 勇気が出てきていた。

 それから、ここ最近なかった笑顔も。

 目尻の皺も、ホウレイ線も、この際なんでもオッケーしちゃうわ。眉間の皺だって今なら許しちゃうかも。もう何でもドーンとこいよ。とにかく仕事を片付けて、そのあとで自分への御褒美としてすんごい高い保湿クリームも買ってやる。それから一流のエステティシャンの予約も。何なら高級スパの会員権も。

 それで5歳は若返ってみせるんだから!

 怖い物しらずになっていた。だって私は恋人と仲直りが出来たのだから。正輝が見方になってくれる、それってこの世の中には何一つだって怖いものなんてないって本気で思わせてくれるのだから。

 にっこりと微笑んで私は立ち上がった。

 よし、仕事を終わらせよう。

 私はヒール音を響かせて、歩き出した。






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