2−B
ぶつぶつ言いながら先生は向き直る。・・・寝てねーよ。フリをしてただけでーす。俺は心の中でそう言って、ふんと鼻を鳴らしたいのを我慢した。
「あの・・・ありがと」
隣から、小さくて小さくて消えそうな声が聞こえた。
俺はちらっと彼女を見た。伺うような視線、だけど、嬉しそうな顔。
ぐぐっと嬉しい気持ちがこみ上げてきたのを感じた。
だけど出来るだけ表情を作らずに、頷くだけにする。
クールを装いたい年頃なのだ。
その物理の授業はその後、ハッキリ言って地獄だった。
緒方先生は俺が答えを教えたと確信したのだろう。嫌がらせのように俺と佐伯、それからその周囲ばかりを集中的に当てまくり、一瞬も気も抜けない状態になってしまったのだった。
チャイムが鳴ると同時に体中の力がぬけた。・・・・ああ、めちゃくちゃ疲れた・・・。
それは隣も同じだったらしい。佐伯がその時、話しかけてきてくれたのだ。ほんと、しんどかったよねって感じで。横内君、さっき、ありがとうって。
俺は移動教室があるってんで、次の用意をしていたところだった。だけど自分が何をしていたかを忘れるくらいに驚いてしまった。
だって・・・彼女から話しかけられるとか、夢にも思わなかったから!
だから慌てていた。予想外のことで、ほとんど頭が動かなかったのだ。
物理得意なの?寝てなかったから、そう佐伯が言うから、俺はつい口を滑らせてしまったのだ。
「佐伯さんが隣だとさ、眠れなくて」
って。
いや、実際にはもっと長い文章でダラダラと言い訳をたくさん並べていたはずだ。だけど要約すればそういう内容の言葉を言ってしまって、俺がハッとしたときには佐伯は困ったような顔をして謝り出していたのだ。
「―――――――あの・・・ごめんね」
って!!
うおっ!!やばい、違う違う、違うんだああああ〜!君が悪いんじゃなくて、そうじゃなくて・・・。
俺はめちゃめちゃ慌てて訂正に走る。手に持っていた教科書を握る力が半端なかった。
「いや、佐伯さんは悪くないんだけどさ」
そうそう、全然君は悪くない。
「というか、きっとその方が俺にもいいんだよな。寝ずに済むんだから」
そうそう、寝ないに越したことはないし、どうしても君が気になって眠れないんだもん。
「だから、うーん、謝る必要はなくて・・・」
べらべらべら。俺は一人で汗を垂らしながら弁解しまくっていた。
隣の席である佐伯が起こしてくれないから、俺眠れないんだよね〜。そんな意味に取られたらどうしようと思って、本当に必死で訂正した。
佐伯はちょっとぽかんとした顔で俺を見ていたけど、顔をふんわりと緩ませる。・・・う、笑った。俺の慌てようが面白かったのかな。
まともに喋ろうと思ってもこれだ!
俺は自分の頭を叩きたい気分で席を立つ。丁度移動教室なのだ。今はそれに感謝して、この場から逃げよう。
だけどそこで、また彼女の声が聞こえた。
おずおずと、だけどハッキリとした声が、俺の耳の中へと飛び込んでくる。
「ごめんね引き止めて。でも、あの・・・」
え。俺はパッと振り返る。何何何?まだ何か用があるのでしょうか?
一瞬の躊躇を見せて、それから決心したように佐伯が前髪のしたから俺を見る。
「あの、そんなに眠いなら、夜にもうちょっと早く寝たら?」
カーン、って、たらい桶が落ちてきたみたいな衝撃があった。
・・・・・・・やっぱり、気にしたよな、さっきの俺のセリフ。そう思ったからだった。
授業中に寝るくらいなら、夜しっかり寝ろ。そう思っても不思議じゃねーよな・・・。だから俺は結構凹みながら、その場を離れるついでに返答した。
夜も寝てるよ、って。でも朝錬があってどうしても眠くて。うちの部、試合が近いからハードで〜って。もう言い訳のオンパレードだ。
だけどもう無理。チャイムが鳴るし、結構な傷口を作ってしまった・・・。
俺は学校中に響き渡るチャイムに力を借りて、彼女の返答を聞くことなく教室から走り出た。
佐伯。
隣の席の女子。
前はなんとも思ってなかったけど、あの衝突からかなり気になりだしたクラスメイト――――――――――――
問題は。
俺は放課後の放送委員の会合で机に肘をつけて悩んでいた。
・・・下の名前、なんてーんだろう。
「ちょーっと横内君!起きてる?委員会でも寝ないでよ〜」
そういう声がして、同時に肩をゆっさゆっさと揺さぶられた。
「へ?」
顔を上げるとそこにいる面々の呆れたような顔。・・・・いや、寝てねーんだけど。もう皆、俺が下向いてたら寝てるのだろうって自動的に考えるようになってるよな。
それは紛れもなく俺自身のせいなんだろうけど、なんか悔しい。
中学の頃までは間違いなく尊敬や憧れの視線を受けていたはずの俺は、今ではただの「やたらと寝てるヤツ」なんだよな。ちぇ。
「ごめん、聞いてるよ」
ふう、と息を吐いて委員長の6組の桑原が、ノートを叩いた。
「もういっか。じゃあこれで会議は終わり!来月の放送順番も今月のを繰り返しってことで。それから文化祭のうちからの出し物、各自考えといて〜」
はーい、だらだらとそれぞれから返事が上がって、月に一度の委員会は終わりとなる。
高校3年間の内1年間は必ず何かの委員をしなければならないので、1年生の時は何もしていなかった俺は春先にじゃんけんで勝ち抜いて、気楽だからという理由で人気の放送委員の座を獲得したのだった。
「クラブ以外は本当寝るんだよね〜。横内君て!」
さっき俺の肩を揺さぶった、隣のクラスの菊池さんがそう言って笑った。
この人はクラス委員もしてるらしい。だからどうしても世話をやいてしまうのだろうか。それとも単に、忙しいのが趣味なのかな。
細い茶色の髪の毛は肩まであって、菊池さんが笑うとそれがサラサラと揺れる。大きな口元はいつでも笑みを作っていて、くるくるとした大きな目が可愛い女子だ。化粧でもしているのだろうか、睫が凄く長い。サッカー部に元カレがいるとかで、一度うちのクラスの男子が2年生可愛い女子ランキングなるものを作ったときに上位にいたはずだ。それは覚えている。
俺は欠伸をしながら言った。
「今日は寝てなかったんだけど」
「うそ〜。だって完全に頭が下を向いてたよ?」
鞄を肩にかけながらそう彼女が笑うのに、俺は何かいいわけをしなくちゃならない気分になって、面倒臭さからあっさりと夕日のせいにすることにした。
「ほら、夕日が眩しすぎるから。この学校ちょっと厳しいよな、この眩しさ」
ちょうど夕焼けの時間だったのだ。かなり分厚いカーテンをしていても西向きの教室には強烈な光が入ってくる。電気の明りなんかかき消して、全部をオレンジ色へと塗り替えてしまうのだ。
ここ、放送室も、その例には漏れなかった。
すると菊池さんは、ああ、と頷いて、俺と一緒に歩きながら教室を出て、ドアを閉めながら言った。
「凄いよね、この夕日。でもこれが大好きだって子もいるんだよ。物好きだと思うけど、あの子は本物よ。夕日の為にね、電車から夕日を見たいからって学校早く出るくらいだもん」
「へえ」
そりゃ確かに物好きだよな。俺は相槌を打ちながら、廊下いっぱいに差し込む夕日に目を細めた。
だってこの学校にいれば嫌ってほど夕日なんて見れるのだ。これを更に見るために下校時間を早めるなんて―――――――――
「横内君同じクラスだから知ってる女子だよ」
「ん?」
「ほら、佐伯七海っているでしょ?髪の毛がすごく長い女子」
菊池さんのその言葉が耳に飛び込んできたとき、眩しくて細めていた両目を思わず見開いてしまった。
・・・・・え。ちょっと待った、今なんつった?
「え?」
俺はくるりと振り返る。菊池さんは何故かにやりと意味深な笑顔を向けてきた。なんか、観察しているような視線だな、と頭の片隅でちらりと思う。
「佐伯、七海。同じクラスでしょ?2−2だもん、あの子」
「・・・・あ、うん」
知ってる知ってる、勿論知ってる!・・・さえき・ななみ。ななみっていうのか、下の名前。どんな字を書くんだろう。隣が歩き出したから、俺もつられて歩き出す。頭の中が混乱中でちょっと呆然としていた。
「そのね、夕焼けオタクの七海と、実は私同じクラブなんだ〜。美術部なんだよ、知ってた?」
知ってた?のところにまた何か含まれたような声色を感じた。
「・・・へえ」
そう無難に答えて、俺はもう彼女の方は見ないで前だけを向いて歩く。廊下の先でじゃあ、と手を振った。菊池さんはまたね〜と大きな声で叫んで手を振っている。
「横内くーん、クラブ頑張って〜」
階段を駆け下りながら考える。
・・・・佐伯、美術部なのか。
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