2−A


 俺と隣の席の女子が、仲良くなったわけではない。

 残念ながら、ただのクラスメイトって感じからは一歩だって前進はなかった。


 申し訳ないくらいに俺はしっかりと思春期の男の子だったのだ。それは前から知っていたけれど、今まではテニス部に慣れたいとかもっと上手くなりたいって思いや目標があったし、気になる女子なんていなかったから何とかお綺麗に毎日が経過してきていたんだな、とわかってしまったというか。

 あの9月の、オレンジ色に染まる廊下でぶつかった、それも口と口が―――――――――それを意識しだしたら、何だコリャってほどに毎日毎日毎日視界に入るようになってしまったのだ。

 地味で静かな女の子が!

 下手したら声なんて一度も聞かないくらい静かな、隣の席の子が!

 とにかくいつでもあの長い髪の毛がサラサラと目の前で揺れている気がして恥かしい。

 こんなのただの自意識過剰だって判ってるけど、以前は気にせずに爆睡出来た授業中でさえ、彼女が隣から見ているのではないかと思ったら眠気が吹っ飛ぶようになってしまったのだった。

 見られてるかも、とか。

 いや、きっと、つか絶対見てないって断言出来るけど!

 だっていつでも寝ている俺は、きっと風景の中に溶け込んでしまっているのだろうと思う。先生の注意を引いてしまうから、もしかしたら迷惑にさえ思われているかもしれないのだ。

 白昼夢をみる気分だった。話しかけられてもいないのに、佐伯と会話をしたようなぼんやりとした夢。大丈夫?って聞かれて、俺が頷く。うん、起こしてくれてありがと―――――――――

 待て待て待て、落ち着け俺!


 とにかく、佐伯を気にすることはない。そう言い聞かせてみるのだ。一生懸命。そして、その一生懸命さに気がついて自分でわああああああ〜!!って叫びたくなるんだった。

 彼女の視線を気にしない、そんなことが出来る、佐伯という女子の存在を忘れることが出来るのは、やっぱり部活中だけだった。

 ありがとう、テニスの神様。

 しかも折りよく、丁度試合前。気合を入れて入れて入れまくるくらいで丁度いいって時期だったから、俺はもうやたらと集中しまくって部活に打ち込んだ。

 授業中は隣の席が気になって眠れない。

 いつも通りに寝たフリはしているけれど、前みたいに熟睡できない。

 だってもしあの子の隣で寝言なんて言ってたらどうする?その中に彼女の名前が入っていたら、俺はどうしたらいいのだ!そんなのただの思春期変態野郎だろう〜!そんなことになったら泣いても足りない、そう思うから、授業中には恐ろしくて眠れない。

 だけどよりハードにクラブ活動には打ち込んでいて、しかも朝錬も昼練もある最近、家ではどれだけしんどくてもやらなければ地獄行きが確実の授業だってあるから、予習もしなくちゃならない。

 もう俺はヘロヘロだった。


「なんか最近、航疲れきってねーか?」

 お節介の幸田がそう言いながら昼休みの部活中に顔を覗き込んでくる。まだ若干熱い日差しがある天気の良い昼休みのコートで、ヤツはタオルでぐいぐいと顔を拭いていた。

 俺はムスッとしたままでラケットでヤツの脚を叩いた。

「ほっとけ」

「いやいや、放っておけないでしょ〜。最近の航、神気迫るものがあるぜ、ラリーでも。ちょっと怖いくらいだ。いいから何があったか話してみろよ」

 ・・・・お前にだけは、嫌だ。

 俺はタオルを頭の上からかけてやつの声を無視する。気になる女子が出来てしまったなどとこいつに言った日にゃ、きっと佐伯も巻き込んでの面倒臭くて恥かしい展開へと連れて行かれるはずだ。

 こいつは巨体ながら、恋愛は俺より遥かに多い経験を持っている(本人の言うことを信じれば、だけど)。幼少児からテニススクールに通っていたらしいこいつは我がクラブの現在のエースだし、体は大きいがブサイクではないからそれなりにもてるのだろうと思う。それに女子相手でも滅多に照れずに思っていることをいえるらしい性格だから、俺に気になる女子が出来た〜なんてこと聞いたらコートの中からでも叫びそうだ。

 佐伯さんっているー!?って。うちの教室に向かって。

 だから、言わない。

「なあ〜ってば、航〜」

「うるせー」

「航ってば〜。お前海より広い心を持ってるんだろ?いいじゃん悩みの一つや二つ」

 なんじゃそりゃ。もう突っ込むのも面倒くさいぜ。

「・・・ただの睡眠不足だから」

 うるさくなってそう答えると、幸田はえ?って顔をこっちへ向けた。

「何で?だってお前、全部の授業中寝てるんじゃなかったっけ?」

 どうやら俺は、2組の眠りん坊ってあだ名があるらしいのだ。それはこいつから聞いたのだけれど。1学期の終わりにはそんなあだ名が定着してるぞ〜って笑われたから覚えている。

 その時は、どうでも良かった。

 だけど今は、どうかそんなあだ名で佐伯の前で呼ばないでくれ、とも思ってしまう。何だよ眠りん坊って。まるで中坊みたいなあだ名じゃないか。

 ラリーの順番待ちで手持ち無沙汰の俺は、クマが出来ているかもしれない目の下をこすってひっくい声で言った。

「寝ちゃダメだろ、授業中は!」

 幸田が呆れた声を返した。

「いや、それ今更お前が言う?」

 まったく、うるさい。



 実際のところ、超眠かった。

 昼練が終わって次の5限目は、うちのクラスは物理だったのだ。

 緒方先生という40代前半の男性教諭だけど、この先生がまあ酷い。何を言ってもお経にしか聞こえなくて、俺でなくてもクラス中が眠りの渦に引き込まれてしまうのだ。

 今もその緒方先生がたらたら〜っとさほど抑揚もつけずに教科書を棒読みしている。

 ・・・・・ね〜む〜い〜・・・。ともすれば頭がガクっと崩れ落ちそうになる。

 だけど。ちらりと目の端で隣を盗み見る。

 眠れない。だって、隣の席が気になるから。

 授業が始まって最初の方は肘に顎をのっけて寝たフリをしていた。だけど、昼練で疲れているはず、しかも昼食でお腹も満たされているはずなのに、ど〜うしても眠れなかった。

 ただ眠いだけで眠れない。それって、拷問だぜ。

 ううう、くそ。もう泣きたい、俺。

 片手で顔を覆って指の間からちょっとだけ見る。隣の女の子を。このクソ眠たい授業中、あの子は何をしてるのかな――――――――・・・

 サラサラと音が聞こえたから気になっていたのだ。

 だから指の間から盗み見た。すると、何やらノートに一生懸命何かを書いているらしかった。

 ・・・あれは、絵?

 思わず振り返ってガン見しそうになってしまったとき、緒方先生の声が飛んできたのに気がついた。

「じゃあここを、えーと、佐伯に答えてもらおうかな」

 って。

 俺は手を顔から外して彼女を見る。だけど、当の本人は気がついていないようだった。相変わらず下を向いて、一生懸命にシャーペンを動かしている。

 あ――――――あれ?授業、もしかして聞いてない・・・?ってか気がついてない、よな?これ、やばいよな?

「佐伯〜?おい」

 緒方先生の声に苛立ちが混じりだしたのが判った。クラスの中何人かが振り返りだす。

 俺は咄嗟に左足を伸ばして彼女の机を軽く蹴飛ばす。45センチ、二人の距離は45センチ。だから俺の足でも届く。実は体育で着替える時に、人の目を盗んでこっそりと測ったことがあるから知っているのだ。彼女の机まで、45センチ――――――――――

 コン、と音がして、軽く机が揺れる。

「佐伯!」

 彼女が、ハッと顔を上げた。

 ・・・あ、気がついた。

 俺はもう一度足で机を蹴ったところだった。そうそう、今、君あてられてるよ!心の中でそういう。

「佐伯、こら、ぼーっとしてないで早く答えなさい」

「は・・・はい」

 緒方先生の眉間に皺がよっている。ああ、やば。あの先生機嫌悪くなると長いんだよな。何度も居眠りで職員室へ呼び出しをくらったことのある俺はそれを知っていた。

 だけど、隣の席の女子は本当にノートへの落書きに没頭していたらしい。今、教科書のどこなのかが判らなくて答えられないようで、見開いた目が震えるようだったのがわかった。だけど俺は、起きていたし、何と授業を聞いていた。

 俺は腹に力を込めて、ぼそっと低い声を飛ばした。

「オームの法則」

 一瞬、彼女が振り返りそうになる。それをもう一度机を蹴ることで阻止する。ダメだ、こっち見ちゃ。先生にバレる。

 数回瞬きをしたあと、彼女は顔を上げ、ハッキリと先生に向かって答えを言った。

 さっき俺が言った言葉、オームの法則です、って。

 先生は軽く頷いて、指で佐伯を指す。

「そうだな、正解。一番後ろでも集中しなさい。・・・まあ隣に引きずられるのは判るけどな」

 あははは、とクラスの男子から笑い声が起こる。緒方先生はついでに俺に嫌味を飛ばすことにしたらしい。だけど今日は起きてたんだぞ、俺は異議有りと苦情を申す。

「せんせー、今日は起きてますー」

「さっきまで寝てただろ、目立つんだよ、横内は。ほら、他のものも起きなさい。まったく、45分くらい耐えろよお前らはー」




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