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 数日が、瞬く間に去って行った。


 廊下での衝突事件のときに拾った赤い小袋はまだ俺の制服のポケットの中で眠っている。

 返せないのだ、どうしてもタイミングが掴めなくて。

 隣の席だけど・・・相手はいつでも本を読んでいたりするし、俺は眠ってしまう。授業の終わりにでもって思い覚悟を決めた時に限って、4組の幸田がすぐに迎えにきて腕を掴んで購買やクラブへ俺を連れて行ってしまうのだ。

 『これ、落としてない?』

 ただそう聞いて手の平を開けることがこんなに難しいとは!!

 机と机の間の距離はわずか45センチ。それがとてつもない距離に思えてきたこの頃。足も手も、のばせば届くのに。よっぽど小さい声でなかったらなんでも聞こえる距離なのに。

 あまり日にちが開くと不自然すぎて返すものも返せなくなるんだぞ、俺!って自分に言い聞かせること24時間×かかった日数。

 情けない自分が嫌で、自己嫌悪に陥りそうだった。

 今日も、ポケットを軽く叩いてその小袋の存在を確かめる。それは既に習慣のようになってしまっていた。


 もうすっかり夕焼けも終わってしまった夜の入口の時間、俺達の部活動は終了する。顧問や部員に挨拶を済ませると一人で校門を出て、面倒臭いから制服はひっかけただけ、って格好で、俺は一人山道を最寄駅まで上がっていく。

 部員はほとんどがバスが自転車なのだ。やっぱり電車で遠くから来ているのは俺くらいで、それは朝錬の時などに辛いこともあるけれど、電車の中で自由時間なのは気に入っている。試験前には勉強も出来たりするし。

 腕時計を確認すると、もうちょっとで電車が出る時間だった。別に急ぐ必要はないのに俺はクセで走り出す。

 間に合うか?・・・ちょっとキツイか、いやでも頑張れば――――――――・・・・

 その時、遠くの改札口を通っていく、見覚えのある黒髪揺れる背中を発見した。

「あ」

 ――――――――――佐伯だ!!

 練習でクタクタのはずの足に力がこもり、ぐんとスピードを上げる。

 絶対間に合ってみせる。そうしたらチャンスがあるかも、電車の中であれも返せるかも――――――――――

 神業のように定期券を滑り込ませて、転げ落ちる勢いで階段を駆け下りる。そして、ちゃんと無事に間に合ったのだ。

 ただし。

 俺は肩で息をしながら汗だくの額を腕でぬぐって顔をしかめた。

 相手には、連れがいますっと。

 何と俺の隣の席の女子には他の女の子が一緒にいたのだ。見たことはない顔なので、同学年ではないのかもしれない。といってもマンモス学校のうちの高校では同級生でも3年間で一度も見ないってこともザラにあるらしいから、断言は出来ないけど。

 ・・・くそ、近づけないじゃんよ。

 連れがいる、それも大して親しくない女子に気軽に声をかけられるような度胸は、残念ながら俺にはない。

 ふうーと深呼吸をして、とにかく呼吸を元に戻すことに集中した。

 チャンスを待つんだ。もしかしたら、返せるかもしれないし。

 それにしてもこの電車であの子に会ったこと、あったっけ?急いだ割りにはその目的が障害物と一緒にいたので行き場をなくしてしまった俺は、呼吸を整えるついでに考える。

 佐伯って何かクラブしているんだろうか。てっきり帰宅部だと思っていた。だって部活で同じなんだなと感じる友達もいなさそうだし・・・。教室で他の女子とわいわい騒いでるってことも見たことがない。今一緒にいる女子は、もしかしたらクラブ活動で一緒の子なのかもしれないけど。

 俺は、彼女のことを何も知らないんだよなあ〜。そんな当たり前のことにすら、今気がついた感じだ。

 委員会は何だっけ?クラブは何をしている?・・・下の名前は、何ていうんだろう。

 赤い小袋を返したい、そう思ってポケットを叩くこと、わずか10分ほど。

 そのチャンスは案外すぐにやってきた。もう一人の女の子は二つ隣の駅で降りて行ったのだ。

 二人の方をチラチラみていた俺は、あ、って口に出してしまうところだった。急いで車両の中を歩き出す。くそ、こういう時にはクラブのデカイ鞄が邪魔で仕方がない。

 いつもは大事に思うテニスバック。色を選ぶときには見惚れた空と同じ色にしたブルーのそれを片手で押さえて、俺は静かに電車の連結を通り抜けた。

 隣の席の女子はドアのところに一人で立っている。窓から外をぼんやりと眺めているようだった。

 よし、いくぞ。

 俺は近づきながらこっそりと深呼吸をする。そして、口を開いた。

「あ、佐伯さん」

 ぱっと彼女が振り返った。

「――――――――よ、横内、君」

 驚いたようだった。両目を大きく見開いて、彼女は十分な間をあけて俺の名前を呼ぶ。・・・つかもしかして、名前思い出すのに時間がかかったとか?だったら凹むよな、ちょっと。

 そんなことを思いながら、俺はもう一歩近づいて、言った。

「これ」

「え?」

「これ、佐伯さんのじゃない?」

 ポケットから出した赤い小袋。それを手の平にのっけてみせると、佐伯は、あ、と声を零して両手を出してくる。

 あ、やっぱりこの子のだったんだ。俺はちょっとほっとして手を引っ込めた。ずっと毎日思いつめていて、万が一でもこれは私のじゃないよって言われたらどうしようかと思った。

 え、マジで!?って仰天するところだった。でもやっぱりこれはこの子のだったらしい。

 彼女が顔を上げる。電車の車内の光の下、ぶつかった時以外で初めて向き合った佐伯は、色が白かった。それから―――――――口が小さくて、瞳が少しだけ茶色い・・・。

「これ、あたしの香り袋。ええと、どこで・・・?」

「・・・前、ぶつかった時だと思う」

「え?落としてたんだ、あたし?」

 真っ直ぐな視線に照れる。ゆっくりと視線をそらして、俺は窓の外を見ながらぼそぼそと言った。

「保健室から戻るとき、廊下に落ちてた。・・・ぶつかった時に落としたのかな、と思って。佐伯さんのかわからなくて、とりあえずもってた」

 どうやらこれは香り袋というらしい。確かに何かのいい香りがしたな。ずっともっていたせいで、今はもう俺の制服のポケットはその香りが染み付いてしまっている。

「ありがとう。気がついてなかった」

 佐伯の言葉に満足する。それから、無事に届けられたことにも。俺はちょっと弾んだ気持ちで頷いて窓の外を見る。

 ちょっとだけ空いた微妙な立ち位置で、俺と佐伯は一緒に電車に揺られていた。彼女はすぐにポケットに仕舞ったから、袋の赤い色だけがぼんやりと俺の瞼に残る。

 ・・・なんかちょっと・・・気恥ずかしい、かも。一緒にいるようないないような微妙な空気が居た堪れない。これってまた車両移動すべきなのか?

 そう思った時、隣から小さな声がした。

「席、隣なんだからさ。言ってくれたらよかったのに。ずっと持ってたの?」

 思わず隣を見る。すると真面目な瞳とぶつかって慌てた。まさか同じタイミングで振り向くとは思っていなかったのだ。わおわお。

 それに言い訳をしなくてはならないってことに気がついた。ずっと持ってたの?に答えがあるとすれば、うん、そうなんです、なんだけど。そんなことは恥かしくて勿論言えないから、頑張って言い訳をしなくては。

「・・・いや、俺、寝ちゃうから・・・。何度か話そうと思ったけど、眠くて。授業始まってから、とか思ったらもう寝てて」

 そうそう、そうなんだよ!決して返せるのに返さなかったわけではなくて――――――――

「さっき、隣の車両から気がついて。一人になったみたいだったから、来たんだ」

 本当は同じ電車に乗れるようにってマッハで走ったんだけど、そんなことも勿論言わなくていい。

 俺は照れくさかったから、彼女の方を見てなかった。だからちょっと不安になったのだ。相槌が全くなくて、もしかして一人でベラベラ喋ってる?って。

 だから聞いた。聞いてる?って。しっかりと彼女を見て。

 するとパッと顔を上げた彼女が、慌てたようにいきなり早口でまくし立てたのだ。

「へ?ええ、ああ、いや、はいはい、うんうん、聞いてるよ〜、ちゃんと」

 しかも、両手のジェスチャー付きで。バタバタと。

 さっきまで静かだった人が、いきなり近所のおばちゃんみたいなノリの反応をした、俺はそれが面白くて、つい口の中で笑ってしまった。あはははは、何だ、急に軽いノリ。あははは、慌てたらこうなるんだ、この子。

 だから言ってしまったのだ。佐伯さんてさ、って。話すとけっこう面白い人なんだなって。それには別に他意はなく、からかおうと思って言ったのではないのだ。あくまでも、つい出てしまった素直な感想だった。だけど、その一言が引き起こした反応は凄まじかった。

 ぶわって音がしたかと思った。そんな素早さで彼女は真っ赤になった。

 俺は一瞬呆気に取られてそれを見る。さっきまで確かに白かった頬のところや目の横辺り、赤くなって湯気が出そうな色合いだ。それは黒い髪に遮られてすぐに見えなくなったけど、俺の視界に残像となって残る。

 笑いながら、驚いた。

 もしかして佐伯って・・・・照れ屋?

 俺がここに居なかったら頭抱えてジタバタしそうな雰囲気だった。

 へえ、本当、案外おもしろい――――――――――――


 その時車内放送が響き、俺が乗り換える駅へと電車が滑り込んだのがわかった。大きく揺れる車体に、隣の佐伯は咄嗟にドアへと手をついて体を支える。

 同時につり革を掴んでいた俺は、何も考えずに反応した。

 そこは、危ない。

 彼女の左腕を捕まえて引っ張る。さらさらと流れる黒髪の向こう、見開かれた瞳が俺を見上げた。

 真っ直ぐにそれをみてしまった。あ、って心の中で声がした。それはめちゃくちゃ動揺した自分の声。

 だけど口から出たのは、幸運なことにいたって常識的な言葉だった。

「ドア開く。危ない」

「あ、はい―――――――」

 音を立てて車体が止まる。それからドアが開いて、夜の空気がざざーっと流れ込んできた。それに、救われた。

 彼女の腕を離して、何てことないように言う。

「じゃあ、俺ここで」

 大きく一歩踏み出して電車を降りる。真っ直ぐに歩くんだ、俺。振り返ってはいけない。振り返っては。だって―――――――――



 俺も顔が赤いのが、バレてしまうから。






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