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「兄ちゃん、彼女でも出来たの?」


 弟の洋介がいきなりそう聞いたので、俺は味噌汁を肺の中に入れそうになってしまった。あっつあつの豆腐つきで。

「ごふっ・・・げほげほ」

 地獄の苦しみを味わう俺に大丈夫?と呆れ顔の母親と、弟の言葉に新聞から顔を覗かせた父親。久しぶりに家族が揃った夕食の席で、それはいきなりの爆弾だった。

「おお〜・・・まさかマジで?」

 にやにやと笑いながら俺を覗き込む洋介の足を、テーブルの下で蹴っ飛ばす。

 ・・・陸にいながら溺れ死ぬとこだった!!豆腐で死ぬのはマジ勘弁だよ。

「そりゃ本当か、航〜?でもそりゃ高校生だもんなあ。なんか今までテニスか水泳の話しばかりだったけど、ようやくお前も男に・・・」

 しみじみとそういう父親に、俺はお茶を飲みながら涙目で片手を振った。

「出来てない、出来てない。いきなりで驚いただけ」

 なんだ、そうなの。母親はすぐに食事に戻ったけれど、弟と父は何か目をあわせて意味深に笑っている。トンカツに箸を突き刺しながら、洋介が言った。

「だって最近なんつーか身なりにこだわってるしさ。変だよなあって思ってたんだ。なんだ、彼女じゃないのか〜。あ、でも好きな子はいるんでしょ?」

「黙れ」

 ようやく落ち着いた肺を宥めながら不機嫌にそう言うと、弟はもう一度にやっと悪そうに笑って首をすくめた。・・・くそ、こいつ。後でボコボコにしてやる。

 父母と兄弟の家族の食卓で、専ら喋るのは父さんと母さんだ。特に母さん。今日会社であったことからご近所の噂、それから洋介の進路やそのクラスメイトについて、とにかくひたすら喋っている。水泳をやめて家族の中で目立つ要素のなくなった俺が話題の中心になることなど最近ではなかった。だからさっきの弟のは全く予想していない攻撃だったのだ。だってさっきまで、本当に直前まで、優秀な弟が進むことになっている水泳の強豪高校の話しをしていたのだから。

 どうしていきなり俺の恋愛なんだ!あー驚いた!

 ぶすっとしたままで御飯に戻る。

 身なりを気にしている?そんなつもりはなかったけど、確かに以前よりは鏡をみる回数が増えているかもしれない。しかしそんなこと、よく見てるな〜、こいつ。もしかして暇なのか、弟よ!

 爆弾を落とした洋介をちらりと見ると、もうすでに兄を弄る興味はなくしたようでつけっぱなしのテレビの画面に目を奪われているようだった。

 はあ、思わずため息を零しそうになって、慌てて白い御飯を口に突っ込んだ。

 部屋が一緒とは言えさほど顔を合わせることのない弟の洋介にまでそんなことを言われるほど俺の様子が変なのであれば、それが思い当たる原因は一つしかない。

 ここ数日の俺を挙動不審にしているもの。それは!

 あの子の、佐伯七海の、イメチェンだ。

 何と、彼女はある日髪を切ってきたのだ。

 それは今までただ伸ばしているだけ、というように無造作だった長い黒髪を切った、というには無理があるような、劇的な変化だったのだ。

 実際は切っただけ、なのかもしれない。

 だけど以前は腰近くまであり、本人もあまり喋らない地味な感じだったのを助長するかのように重く垂れ下がっていた黒髪が、軽やかでサラサラで洗練されたイメージとなって現れたのだ。

 クラスの女子が、朝一番で叫んだくらいに。

『あー、佐伯さん髪の毛切ったんだね〜!めちゃ可愛いよ〜!!』

 って。

 俺はたまたま朝錬がなかったために、いつもより早く教室へ入っていた。まだそんなに眠くなかったから普通に自席へ座っていて、ダラダラと1限目の用意をしているところだったのだ。

 そこへ佐伯が登校してきた。クラスの女子のきゃーと言う声に、きっとその時教室にいた全員が彼女を見たはずだ。

 15センチは切っていると思う、肩のあたりで揺れる黒髪。そして前髪もすっきりとなっていて、眉毛と彼女の白い肌が露出していた。

 あ。と思った。

 あ、って。

 確かに、可愛くなっていた。

 パッと目がいくくらいには。佐伯は女子の言葉に顔をちょっと赤くして、俯いて自分の席へと逃げた。それで他のヤツは注目するのをやめたようだったけど、俺はじっとみていたのだ。複雑な気持ちを抱えながら。

 ・・・そんなことしたら、目だつじゃないか、そう思ってしまったんだ。

 折角、俺だけが見てたのに、って。目立たない彼女のいいところ、面白いところやあの白い肌や案外照れ屋なところなんかも、俺だけが知ってたのに、って。

 ちょっと悔しかったらしい。

 そんな自分に困惑したけど、授業が始まる前にちらっと後ろを振り返った佐伯と目が会った。

 彼女は驚いた顔でパッと視線をそらしてしまったけど、あれ、まずかったかなあ〜・・・。そう考えると凹んでしまうのだ。

 俺はもしかしたら、怖い顔をしてたかも、って。ちょっと睨むようだったかも。

 佐伯が髪を切ってから、クラスの中でも男子の間で「案外可愛かったんだなー」という声を聞くようになった。

 だから、最近は毎日がちょっと憂鬱なのだ。

 隣の席じゃないし、委員会もクラブも同じじゃない。問題の面倒臭かった文化祭も終わってしまって(合唱はちゃんと歌いました)それこそ話す接点がない彼女が、どんどん離れてしまうような気がして。

 ・・・イライラする。このままじゃ、ダメだ。そう思っていた。

 全然話せない。しかも、相手は何故か可愛くなってしまった。俺はそれに勝手に焦りを感じていて、部活でも不機嫌だったのだ―――――――――あることに気がつくまでは。

 それは、たまたまだった。

 いつものようにボールを高く空へと上げて、青空と黄色のコントラストを楽しんでいた。その光景にひかれてテニスを始めたわけで、もうこれはクセになってるといってもいい行動だったのだ。

 ポーンとラケットの面で打ち上げる。

 青くて高い空へとボールが上がっていく。

 灰色の大きな校舎をバックにしてボールが上がり―――――――――屋上のフェンスのところに、人影を発見したのだ。

 俺は目がかなりいい。両目視力はどちらも2.0。その自慢の目が捉えたその人影は、紛れもなく、気になるあの子だ。

「あ」

 そう言って、ついボールを無視してしまった。

 ポーンと音をたてて、ボールは空から俺の横の地面に落下してぶつかる。周囲のラリーや筋トレの声がかき消されたかと思う瞬間だった。

 ・・・あれ、佐伯だ。何であんなところに?最近寒いのに――――――――

 そう思ってから、自分の頭をラケットで叩く。バカか俺は。屋上が夕焼けウォッチには最適なんじゃないかって言ったのは、俺だろうが!それに気がついた。

 行ってたのか、佐伯。もしかして毎日屋上にいたのかな。もしかして―――――――――――

 実際のところ、かなりの頻度で屋上のフェンス越しに佐伯の影をみた。ボールをあげるクセの変わりに、俺は空ではなくて屋上を見上げる回数が増えてくる。毎日の部活で、毎日屋上を見上げる。

 寒気が日本を覆って寒くて寒い日も、彼女の姿は屋上に見えていた。マフラーで顔を半分くらいぐるぐる巻きにして、背中を丸めて座っているらしい。だけどもう見慣れてしまったそのマフラーの色や丸めた小さな背中は、真っ直ぐに俺の視界の真ん中に入るのだ。それは夕焼けの時間を過ぎると消えていたから、やっぱりあそこで夕焼けをみているんだろうな。

 俺はだから、ある日決心する。

 たまたま部活がなくなった放課後だった。

 今日もいるかもしれない。あそこに、佐伯が。

 屋上に通じる唯一の階段を一人で上りながら、俺はドキドキと煩い鼓動を耳の中で聞いていた。

 落ち着け、いるかはわからないんだから。落ち着け、俺。別に何かが起こるわけじゃあない。落ち着けってば。

 でもいたらどうする?いたら、どうしたらいいんだ?何を話す?それから、それから―――――――・・・

 一度深呼吸をして、金属の重いドアを開ける。

 冷たい風が入り込んできて俺の全身を包む。それに首をすくめながら、俺は屋上をみまわして、そこに目的の女の子を発見した。

 ベージュ色のマフラー、黒い髪が風に揺れている。コートを着て寒そうに体を縮め、フェンスに体を預けている子。

「あ、やっぱりいた」

 俺がそう言うと、佐伯は両目を大きく見開いた。・・・そんなに驚かなくても。つい苦笑して、彼女へ向かって歩いていく。ドクドクと心臓が音を立てていたけど、全力で無視した。

「夕焼けウォッチ?俺も今日天気がいいから、また凄いのが見れるかなって思って」

 本当は、それを見ようとしている女子を見るために来たんだけど。

 彼女がまだ驚いた顔で、ぼそぼそと言った。

「・・・あー・・・はい」

 それから俺の全身をしげしげと見て、これまた小さな声で聞く。

「ええと・・・今日、部活は?」

「顧問の急用やら部員のインフルエンザが重なって休み。しかし寒いな〜ここ!」

 話しながら近寄って、同じようにフェンス越しにその広い光景を眺めながら言う。彼女は納得したようで、そこで初めて笑顔になった。

 あ、良かった。別に俺は邪魔じゃないらしい。それが嬉しくて、すんなりと言葉が出た。

「こんな寒いのに、平気なの、佐伯は?」

「手袋にカイロも準備してくるので。それに購買で温かい飲み物も!顔が寒くて痛いけどね〜」

 ニコニコと笑って、彼女はポケットから小さなカイロを出して降ってみせる。完全防備なわけだな、それを知って安心した。5分以上いたら絶対風邪引くよな、そんな気温だったのだから。

「ああ、風が当たるとこは痛いよな、やっぱ」

「うん。厳しい風だよね、真冬のさ」

 会話が続く。それは実に普通の流れで、もしかして俺達はずっとこんな感じで友達だったのじゃないか、と錯覚していまうような感じだった。

 いいぞ、俺。超自然に会話が出来てるじゃないか!

 気分よく一緒に空を眺めていて、強い風が真正面から来る。その瞬間、いつかの弟の声が突如として頭の中に蘇ったのだ。

 トンカツと豆腐の味噌汁、その匂いも一緒についてきたくらいにハッキリと。

『兄ちゃん、彼女でも出来たの?』

 って、あの言葉が。

 それから憮然とした自分の気持ちも。

 ・・・でも、好きな子はいるんでしょ?・・・そうか航ももう高校生だもんなあ〜・・・彼女、彼女、彼女。

 彼女って、特別な関係の女の子ってことだよな。

 今までの人生であまり気にしたことがなかった問題が、いきなり天から降ってきたみたいだった。




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