4−A
「良かったね、怒られることも少ないよね。横内君は寝てても勉強もついていってるけどさ、あたしはへましちゃったからなあ〜・・・」
ガクっと肩を落としたようだった。おお、凹んでいる。俺はそれを視界の隅でとらえながら言った。
「成績落ちると顧問にめちゃくちゃ絞られるから・・・」
「そっか。大変なんだね、運動部って」
「まあ、仕方ないよな。学生の本分は勉強だってのが顧問の口癖でもあるし」
「へえ」
で、で?へましちゃったって何を?俺は傘をクルクルとまわして雨の滴を飛ばす。
だけどすぐに思い出した。
そういえば、この子は確か数学の悪魔に捕まってしまっていたはずだ。だからこの発言か―――――――――
「佐伯、朝学習に参加?」
確か、数学2−Bで。
答えにつまって教室の前の方で立ち尽くす後姿を覚えている。ああ、と思ったものだった。ああ、俺の隣にいたら助けられたのにって。
だけど佐伯までの距離は遠すぎて、ハラハラしながら見ているしか出来なかったんだった。貝原先生やめてあげてって心の中でブーイングもして。
佐伯はかなり暗い顔になって、傘の中で頷いた。
「そう」
「それであのため息?」
「あ、うん、それもあるけど。最近ちょっとついてなくてね」
・・・へえ、そっちも?口には出さなかったけど、俺はそう思った。
俺もついてないんだ。席替えはあるし、雨ばっかでクラブは出来ないし。でもこの子よりは確かにマシかもな。だって朝学習参加とか、マジ地獄だもん。
何か出来ないかな。今からでも、凹んでいるこの子のために、俺は何か・・・。
その時、鞄の中に入れっぱなしだったあるものが俺の頭の中に浮かんだ。
丁度駅につく。定期券を出すついでに、俺は鞄のポケットを探った。手を突っ込んだその先に、四角くて硬いあの感触。
よし発見!これをなんとか、どうにかして渡したい。
けど普通に渡すとか、そんな恥かしいこと絶対無理。だって断られたらかなりショックだと思うし。出来たら押し付けたい。ならどうする?どうやったら自然だ?
ええと―――――――――
深く考える暇がなかった。ポケットの中から取り出した携帯電話をひっつかんで、俺は言う。
「電話だ。じゃあな、佐伯。もうすぐ電車くるぞー」
あ、うん。彼女が頷いて傘を畳み、改札口を通り抜ける。
・・・よし、今だ!
その人気のない改札口で、俺はタイミングを見計らって声を張り上げた。
「あ、そうだ、佐伯!」
「え?」
「やる!」
「え、え?」
驚いた顔で振り返った佐伯に向かって、俺は手を差し出した。握り締めていたのは四角いプラケース。その中に入ってるのは受験生の時にもっていた勉強のお守りだった。
俺の言葉に流されるように手を出した彼女にそれをぐっと押し付けて、カラフムージュの携帯をわざわざ開いて耳に押し当てながら笑う。
「御守り、勉強の」
佐伯は、ぽかんとした顔をしていた。
おいおい、何でもいいから反応してくれ。ってか恥かしいから早く行ってくれ!俺は電車の電子掲示板を指差して発車時間が迫っていることを教える。彼女はハッとした顔で、手を仕舞い、それから大きな声で言った。
「あっ・・・あの、ありがと!」
ビックリした。
佐伯が、そんな声が出るんだ、と思って。
だけどバタバタと階段に走って行く佐伯の姿は喜んでいるように見えたから、俺はかなり嬉しかった。その場でジャンプしたいくらいに。
実際はかかってきてなどいない電話を畳んでポケットに突っ込んで、にやにやしたままで駅のてすりにもたれる。物のやりとり、それって何か親密っぽいよな、そう思っていたからやってみたかったのだ。
電車がホームから、ゆっくりと滑り出るのを見ていた。
・・・やった、成功した!
よし、と俺は拳を握り締めて自分の部屋でガッツポーズを作っていた。
何か嬉しいことがあったわけではない。クラブでまた別にあった練習試合では無事に勝ったし、たまーにある晴れ間にまたお日様の下でラケットを振り回すことだって出来たし、ボールの黄色と青空の俺が一番好きなコントラストだって見ることが出来た。
だけどそれはとりあえず置いておいて。
これは喜びのポーズではないのだ!それではなくて、そうではなくて―――――――――――
「決心ってやつだよ、うん」
つい言葉に出して言ってしまった。
弟と同じ二人部屋なのに、ヤバイヤバイ。今あいつがいなくてよかった!こんなとこ見られたら、またからかおうって側にひっついてくるに違いない。
同じ水泳の道にすすんだ弟は、俺より遥かに才能があった。それから、努力する力も。だから今中学3年生の弟は全国大会でも去年はいい成績を残していて、高校も水泳の強豪にいくようだった。
追いつかれ、追い抜かされたけど、俺達兄弟はそれなりに仲がよかった。確かに悔しいことは多かったけど、それはそれだ。兄弟だから負けたくないのがあるけれど、それもあっちも同じこと。水泳では負けたけど、あいつはラケットの持ち方すら知らないんだぞ!そんな小さなことを思って平静を保っている俺だった。
ま、それもどうでもよくて。
俺が今、一人で二段ベッドの横で決心したこと、それは。
佐伯七海に、もうちょっと近づこうってことだ。
だって高校生なんだし。
小中学と水泳一筋だった。修学旅行も家族旅行もいかずにタイムを縮めるために練習にいっていたあの日々。
俺は今それを抜け出して、ほどほどにスポーツもし、ほどほどに勉強もし、それからほどほどに恋だってしたいのだ。そんなお年頃、のはず。
気になる相手がいて、同じクラスだ。人見知りなのかあまり他のやつらと喋らない、交わらないあの子とクラスで一番話す相手は俺であるとの自信がある。だから、もうちょっと近づきたいのだ。
お守りを、急ではあったが渡せたこと。彼女が嬉しそうなそぶりをみせてくれたこと。その二つが俺にかなりの勇気と満足を与えていた。
これからはもっと話しかける。
それに、もっとアプローチをしていきたい。俺は君のことが知りたいって――――――――――・・・
「うわああああああ〜」
あまりにも照れてしまって、俺はたまらずベッドに転がり込んで枕に顔をぐりぐりと押し付ける。
ヤバイヤバイ!体中が熱くて溶けてしまいそうだってば!!
きっと今は顔も真っ赤なはずだ。
・・・俺ってば・・・・一人でかなり、青春・・・。
だけど、難しかった。
席が遠いってこんなにハンデに感じるものなのか!ってびっくりしたくらいだ。
全然話す機会などないのだ。俺はいつでもジリジリしてチャンスを狙っていたけれど、そんな時になって学校は忙しい秋だったりする。つまり、実力テストとか文化祭とかそれに伴って委員会とかクラブ活動とか、色んな行事が目白押しなのだった。
全然教室にいれなかった。それはきっと全校生徒がなんだろうけれど、俺は日に日に機嫌が悪くなっていった。
思い通りにいかないことがこれほどストレスとは!
それにもう一つハプニング、というか、事件があったのだ。
それはまたしとしとと雨が降っていた放課後のことだった。
「このくらいならいけるだろ。外周10周、いってこい」
顧問がそういって、俺達男子硬式テニス部は他の陸上部やバスケ部などにまじって学校の外周を走ることになったのだった。
その日。
雨が降っているのに傘もささずに雨に濡れながら、佐伯が駅までの山道を登っていたのだ。
一人で、下を向きながら。
あ、佐伯だ。そう思ってからはもう、彼女しか視界に入らない。俺は遠くの方で信号待ちの彼女を見つけてしまって、それから走って近づくまでの間、ひたすら目で佐伯の表情を伺いみていたのだ。
・・・なんか、暗い雰囲気。あれ?でも今日別に、教室では普通だったけどな――――――・・・
俺はめちゃくちゃ気になってしまって、色んなクラブの人達が入り乱れて走っている外周の列からつい抜け出してしまったのだ。で、彼女に聞いた。傘ないのか?って。
佐伯はまた目を大きく開いて俺をみたけど、そこで驚いたのは俺の方だった。
全身が霧雨にぬれて表面がしっとりしてしまっている制服。それに長い黒髪は細い束になって背中や胸元に落ちている。そして佐伯は・・・泣きそうな顔をしていた。
ぐっと唇をかみ締めて、眉をよせて、困ったような怒ったような顔で俺を見ていた。
困惑して見詰めてしまった。どうしていいか判らなくて。・・・一体、何?そう思って。
同じクラブ員のメンバーにからかわれながらも俺はついその場に立って彼女と向かい合わせ。佐伯はぐっと睨みつけるような鋭い目を一瞬してから、目をそらして言った。
―――――――――美術部で出した絵が秋の作品展で選考漏れして参加賞だったの。今、すごく悔しいから雨に濡れるくらい何でもないの。
それから、呟くように続けたんだ。
―――――――――横内君が言うの、判った気分。負けるのって―――――――あたしも、好きじゃない。
そのまま踵を返して走るように行ってしまった。駅に向かって。俺はしばらくその場から動けなくて、その内一周も皆に置いてかれたことに気がついて、外周のランニングの列へと戻ったのだった。
心臓がドキドキしていた。
負けた、って言ったよな、佐伯。美術で負けるってちょっと意味が判らないんだけど・・・まあつまり、自分は選ばれなかったって言いたいんだよな?って。
俺は何ていってあげればよかったんだろう・・・。
話しかけようって決意して、最初のタイミングがそれだったのだ。
凹むでしょ、こんなの難しいぜいきなりは。
その時は本当に、帰りの電車でも家に帰ってもひきずってしまったのだった。しかも、彼女は翌日学校を休んだのだ。俺は慰めの言葉をかけようって何度もイメトレしていっていたから、それにも凹んだ。
いねーじゃん、本人が・・・。そう思って。くそ、頑張ったのに、って。
だけど次こそは!!そう思ってまた、ベッドの上で拳を握り締める。
必ずハッピーな会話を佐伯としてみせるんだ!
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