3−B
体が重かった。引き摺るような感覚で思い袋をもってグランドの端にポツンと建つ体育倉庫へと歩いていく。
・・・くっそー、いい天気だな。こんな心の内の時は、曇りか雨で丁度いい・・・。余計辛くなるじゃん。
そう思いながら歩いていたけれど、その時視界の端に真っ青な大きいシートが見えてちょっと足を止めてしまった。なんだ、あれ?よくみてみると筆やパレットなどが日干ししてあるようだった。普段はないその光景に驚いて、一瞬心が和んだのを感じる。
道具を乾かしてるのか。土曜日に登校して作業している文化部っているんだな。
「よいしょ・・・」
袋を持ち直して、暗くて涼しい体育倉庫へと入って行った。
入って、左奥―――――――――ああ、あれか。似た様な袋が置いてあるのを発見し、持ってきたものをその並びに置いた。
暗くて誇りっぽい体育倉庫の中、ここから見れば外の世界は眩しい光に満ちていて、砂埃をあげながら秋風が吹いていくのが判る。
・・・・眩しい。それにしても、今日はマジですげー青空だよな・・・。暗い倉庫の中にいて、そこから見る外の光景はまるで芸術家が気まぐれに撮った写真のようだった。黒い縁に白く浮かび上がるグランドって構図が。ピントはあってないけど伝えたいものがある、そんな感じに思えて。
試合中も、ボールとのコントラストを楽しんだ瞬間があった。だって、あれはまだ勝っていた時で―――――――――
回想しながら体育倉庫を出て鍵をしめる。それから歩き出して角を曲がりかけて、俺はドンと何かにぶつかった。
「うわあ!」
「おわっ!」
よろよろと後へ後ずさりして顔を上げると、そこには荷物を抱えたまさかの佐伯の姿があった。
「あ」
驚いて目を見開く佐伯が声を出す。うお、マジで!俺らまたぶつかった?何と二回目だぞ、この痛みも。俺は頭を押さえながら苦笑してしまった。
「・・・俺達、よくぶつかるな」
「横内君。・・・あの、またごめんね。あたしが走ってて」
慌てたような佐伯がわたわたとそう言う。なぜこんな所に佐伯がいるんだろう。しかも、今日は土曜日なのに学校にいる。そう疑問に思いながらとりあえずと口を開いた。
「いや。前みてなかったのは俺も同じだから。――――――――あ」
言いながら彼女を見て、その腕に抱えている荷物に目が行った。その時俺の目に飛び込んできたのは、真っ青に染まったエプロン。
一面の青だった。
・・・わあ。
へ?って佐伯が素っ頓狂な声を上げる。だけど俺はしばらくそのエプロンから目が離せなかった。何度も塗り重ねられたような青、それは、まるで・・・。
ハッとした。彼女が驚いたままの表情で俺をじっと見ていることに気がついたからだ。うわ〜、うわ〜!ちょっとやばいかも、俺!どこいってたんだよ一人でさ!
急いで言葉を探す。そう、だから、その色に驚いたんだよ、ええっと・・・ほら!
「・・・・すげー青」
とりあえず出た言葉がそれで、ますます恥かしくなる。だから急いで視線をそらして天上世界を指差した。
「あの空と、同じだ。スカイブルーってやつ」
雲はほとんどなくて晴れ上がった青空。秋で天が高く感じる。きっと上空は、また強い風が吹いているんだろう。
俺につられたか、佐伯が同じように空を見上げた気配がした。何となく、並んだままでぼーと眺めてしまう。
「・・・スカイブルーって」
「ん?」
彼女の呟く声。それが聞こえて、俺は隣へ目をうつした。
「ちょっと、面倒臭いんだよ」
・・・は?
呆気に取られた。
エプロンと小さな筆を胸に抱えたままで、佐伯はまだ空を眺めている。考えて言ったのではなく、つい零れてしまった言葉のようだった。
スカイブルーが面倒臭い?なんじゃそりゃ、意味わかんねーな。その俺の心の声が聞こえたのか、まだぼーっとしたままの表情で、佐伯が話し出した。
「・・・後輩がね、調べてたんだけどね、スマホで」
「うん?」
「日本語の空色って晴れた日の昼間の空の色って定義なんだって。曖昧なの、意味が広くとれて」
「うん」
「だけど、英語のスカイブルーってね、やたらと条件があったの」
「・・・へえ」
そうなのか、知らなかった。
俺はぶつかった拍子に地面に落ちてしまっていた帽子をやっと取り上げて、砂を払う。それで、続きは?そう思ったから、自然に促した。
「どんな条件があるんだ?」
「ええとね、たしか。夏場のニューヨークで、穴をあけた紙から覗いてどれだけの距離で見える空の色、とかそんなの。何フィートとか色々決まりがあるんだって」
何じゃそりゃ。そう思ったら呆れた声が出た。
「ふうん。そりゃ確かに面倒くさい・・・」
帽子を被りなおす。また空を見れば、そこには相変わらずどこまでも続いてそうな綺麗なブルー。・・・そうか、これってスカイブルーって呼んじゃダメなのか。だってここ、ニューヨークじゃなくて日本だしな・・・。
つらつらと考えていて、ぼーっと言葉を落とす。
「あまり晴れてるとさ、空が」
丁度、今日みたいに。こんなに気持ちよく晴れた日には――――――――
「ボール打ってても、相手のコートに打ち返さなきゃいけないのに上に打ち上げたくなるときがあるんだ。青空にボールが飛ぶの、ちょっと気持ちよくて」
言ってから、何言ってんだ俺!と思った。さっきから、どうしてこんなこっぱずかしい話ばかりしてしまうんだろう。試合に負けてちょっとおかしくなってんのか?普通の話しろよ普通の話!どうして今日学校にいるんだ、とか、せめていい天気だな〜程度の!
だけど恥かしくて佐伯の方を見れないと思っていたら、視界の隅ではどうやら彼女は頷いているみたいだ、と気がついた。
何度か頷いて、それから急に弾んだ声で言う。
「判るなあ!黄色と青が綺麗だよね、くっきりしてるっていうか」
・・・あ、嬉しいな、判るのか、この感覚。そう思って思わず続ける。
「うん。綺麗だなって思う。でもそれを部活中にやるとまずいから、自主練のときにするんだけどな」
一応部活は頑張ってるってアピールはしておきたい。・・・って、あ!!
そこで俺は、結構な時間部活に戻っていないのだ、とようやく気がついた。折角まさかの偶然で佐伯に会えたけど。そもそも休憩時間はそれほどないのだから、戻ってお弁当を食べなくてはならないのだ。
だから名残惜しかったけどこれで終わりにしねーと・・・。
俺は彼女の方をみて言った。
「じゃあこれからは、空色って言おう。スカイブルーは面倒くさいし」
「うん」
「別に面倒くさいの使う必要ないよな。簡単なので。綺麗だったら、それで、別に」
「うん、そうだよね」
そう別に大した問題じゃない。呼び方が違っても、見ているものが同じなら。大した問題じゃないんだ、今日だって負けたけど、次は、次こそは―――――――――
一瞬俺は、佐伯とぶつかるまで自分の心を支配していた悔しさを思い出した。だからぽろっと言ってしまったのだ。
「・・・負けたら、次は勝てばいいってのと一緒だな」
って。
佐伯がハッとしたように動きを止めたのがわかった。
俺はそっちを見れなくて、それからやっぱりちょっと恥かしくて、上を向いていた。また空を眺めるみたいに。この子に弱音みたいなこと、言うつもりじゃなかったのに。顧問が言ったように、俺達も頑張ったけどそれより相手が頑張ったってだけだ。今日のこの悔しさははらせるときがくるはず・・・。
その時、恐る恐るといった感じの彼女の声が風にのって流れてきた。
それはぽんと俺の耳の中へと飛び込んで、爆竹みたいにバチバチと音をたてて跳ね回る。
「・・・横内君って、負けず嫌い?」
思わず、彼女を真っ直ぐに見てしまった。負けず嫌い?そりゃ、確かに俺はそうだけど、でも―――――――――
つい笑った顔で言ってしまったのは、傷口があるって知られたくなかったからかもしれない。
「負けるのが好きなやつなんているのか?」
自分が情けない思いを、悔しい思いをするのが好きなやつなんて。
その時一瞬、空の青も、佐伯に会えたことで上がっていた気分も忘れてしまっていた。
彼女は口を開けたままで固まっている。
・・・ああ、今、俺、結構きつい言い方だったかも。そう気がついて、苦労したけれど意識して口元を緩める。
「・・・まあ、俺はかなり負けず嫌いだと自分でも思うけどさ」
「――――――」
とにかく、もう戻らなきゃ。
俺は彼女の横を通り過ぎながら言い逃げみたいに言った。じゃあな、って。ぶつかってごめんなーって。
もう振り返らずに、そのまま校舎の影で昼食をとっている部員のところまで歩いて行った。2年生が集まって円を作って弁当を食べている。まだちょっと表情は暗かったけど、やはりそれなりに会話は生まれてきているみたいだった。
あ、横内戻ってきた、そういう声が上がって、俺は片手をあげる。
「航、何してたんだよ、遅かったな〜」
こっちこいよ、と声をかける幸田に頷いて、俺は鞄を手に取る。
「袋置く場所判らなかったのか?すぐだっただろ、倉庫の中の左奥」
不思議そうにまだ聞く幸田に、上の空で答える。
「判ったよ。ちょっと・・・太陽が眩しくて、立ちくらみおこしてただけ」
え〜、お前大丈夫か?もっと体力つけろよ〜、そう幸田がいうのに淡々と頷いた。
「あ、そうだ。先に鍵返してくる」
荷物を幸田の隣において、俺は顧問に体育倉庫の鍵を返しにいく。
心の中がごちゃごちゃとしていた。
自分が今どんな気持ちなのかもよく判らなかった。何だよこれ、結構気持ち悪い状態だな。
あの青とか、隣の席に座る気になる女子とか。並べられたパレットや筆、ブルーシート、面倒臭いスカイブルーの定義・・・。それから、佐伯のあの言葉。
負けず嫌い?
・・・ああ、そうだよ。めちゃくちゃな負けず嫌いだ。そんで、今日は負けたんだよ、試合に。
自分がむすっとしているのが判っていた。くそ、女の子のちょっとした発言にこんなに動揺するとは思ってなかった。俺って小さいヤツなのかも。
「航、早く食えよ、時間なくなるぞ〜」
「うん」
午後の練習、それでこの気持ち悪さを忘れれたらいいんだけど。
もう思いっきりやってやる。ラリーも、筋トレも、球出しも。
汗と一緒に全部が流れ出るまで。
その日は結局一日いい天気で、自分達の学校のいつもの場所で練習をする俺達に、また強烈な夕焼けが襲い掛かってきたのだった。
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