3−A
すっきりと晴れあがったその秋も真ん中の土曜日、それは、俺達のクラブのメンバーにとっては決戦の土曜日だった。
ついに来たのだ、年に一度の対校試合が。
俺はシングルスとダブルスに出る予定で、その滅多にない舞台に朝4時半に起きてからずっと緊張していた。
まだワクワクする、とは言えない。試合に出るたびに感じるこの緊張は、それでも大切で必要な要素なんだと思っていた。
小さな練習試合だ。別に公式戦ってわけじゃあない。だけど部員の今日の試合にかけつ情熱は凄くて、それは俺にもしっかりうつっていたのだ。
集合は6時に学校。
ガットも張りなおしたばかりの愛用のラケットを背負って、俺はいつもの通りに電車で学校へと向かう。早朝で、山の上へと向かう電車の車内はガラガラだった。
大きな山すそに広がる街から、はるか山の上の学校へ。
まだ紅葉には早く、深い緑で覆われた山の向こう側には薄ピンク色の朝焼けが広がっている。千切れるように流されていく雲に、上空は風が強いのだと知る。
あの風は、試合の時には止まってくれるだろうか。
俺の打つ球がどうか向こうのラインぎりぎりに落ちるように。硬式でボールは硬くて重くはあるけれど、やっぱり風の威力は凄いものなのだ。
ぼーっと顔を窓に近づけて、明けてきた世界を見ていた。
この試合だけは外せない、そう言いながら毎日毎日頑張って練習してきたのだ。ざわざわと体の奥から湧き上がる震えは武者震いだって思いたい。
あの真剣で、泣きそうな顔をしていた仁史先輩。普段は後輩をからかって楽しむ笑顔の多い先輩だけど、試合が近づくにつれて歯をくいしばるような表情が増えていた。
それからやる気満々で自信たっぷりにコートを駆け回る幸田も。幸田は名実ともに我が校のシングルスのエースだ。実際は多分、他が思っているよりもプレッシャーを感じているに違いない。
一年も二年もそれから正式には引退しているけどこの試合には全員が参加する3年生の元レギュラー陣も。
今日は、勝ちに行くんだ。
空をみていたはずなのに、思考は簡単に色んなところへと飛んでいく。
今までの人生で、晴れ舞台に立ったときとかその他のことも。
一番下のランクだったし負けてしまったけど、ちょっとだけでも全国大会を経験できたバタフライの試合、あのプールに飛び込んだときの感覚とか。もっと遡って小学生の時、クラスで一番のタイムをとれて喜んだ水の中から見た、眩しい太陽と先生の笑顔とか。それから学校の中庭、強烈な夕日を避けて筋トレに励む最近の皆の姿とか。ボールの黄色、空の青、それから佐伯の―――――――――――
ぱし、と音をたてて、自分で頭を叩いた。
ダメダメ、今日は一切あの子のことは忘れること!そんな余裕はないんだっつーの、俺は特にテニスがうまい部員じゃない!
青春を感じるのはスポーツで、そういう日のはずだ。
俺にはまず、やらなきゃならないことがある。
学校に集合してから、全員で軽くアップする。ラリーで腕をならし、走りで体を温めて、高まりすぎる緊張感を散らすのだ。会話も少なく靴紐を結びなおして、用意されたバスに乗った。
隣町の高校のテニスコートが解放されるって話なのだ。
顧問同士がテニス友達で、少なくとも6年間は恒例行事になっている男子硬式テニス部対校試合。どちらも全国レベルには程遠いし、だけど水泳部の上田先生が言うほどには弱小クラブってわけでもないのだ。
実力はその年の部員の腕に左右されるが、大体ほぼ同じくらい。
公式の試合成績も同じくらい。
毎年年末に行われる国民的テレビ、紅白歌合戦のように、両クラブにとっては大事な恒例試合なのだ。去年はうちが勝った。俺はまだ1年で試合にも出れないほどの腕だったけど、仁史先輩や他のレギュラー陣がガッツポーズを何度もして喜んでいた光景を覚えている。団体戦でダブルスを一つしか落とさなかったのだ。
俺も来年はあの中にいたい、そう思ってきたんだ。
そして今年は試合に出れる。俺も、ちゃんと一員として。
ようやく口元に笑みが浮かんできた。
負けず嫌いを遺憾なく発揮する、その瞬間が近づいてきつつあった。
「ウィッチ」
くるくるとラケットが回る。
それが倒れてスポーツブランドのロゴが見えたらサーブかレシーブかの選択だ。
整列して並んだとき、先生方はお互いにニコニコと笑って握手をしていた。去年はそんなこと見てなかったけど、今回はよく観察したら先生も嬉しそうな顔をしていた。対校試合だ、だけどそれはあくまでも俺達だけのこと。顧問にとっては旧友との楽しい時間なわけだ。
規模でいえば小さな練習試合で、午前中で終わらせることが出来る。一応団体戦だけど特別ルールで掛け持ちもオッケーとされているから、俺も今回はシングルスもダブルスも出るのだ。
シングルス3戦、ダブルスが2戦。計5戦で、どちらの学校が多く勝ちを手にしたかの結果で勝ち負けが決まる。団体戦とはそういうことだ。
自分が負けても学校が勝つってこともあるし、その逆もある。
だけどどちらにせよ、自分は勝ちたい、それは皆同じだろう。
自分も勝って、学校も勝つ。それが最高だ。
こうして秋晴れの青空の下、うちのクラブとっては何よりも大切な「小さな練習試合」が始まった。
相手の学校は創立も古くて土地が大きく、テニス部はそんなに強くはないのにコートが3面もあるのだ。だからシングルスが2試合とダブルスが1試合、同時にやることが出来る。
それぞれがそれほど部員の数も多くないから、広いコート敷地内に散らばって応援やらに励むことになる。
綺麗な青空。風も微風。俺は気分が良かった。ついクセでラケットを手の中でクルクルと回す。
相手の緊張を読み取って、ちょっと笑うほどの余裕が、その時にはまだあった。
試合開始の合図、まずは俺のサーブから。
左手に持った黄色いボールを青い空へとあげる。タイミングを掴んでの右手、それから両足が浮いて―――――――――全身をバネのように弾ませた。
「やったな」
後からドン、と背中を叩かれて振り返る。
汗だくの顔をタオルで隠しながら、幸田が立っていた。
「うん。ありがとう」
俺はそう言ってバッグの中を漁る。もう早くスポーツ飲料水を飲まないと干からびそうだ。
「相手のコンディションが悪いのもあった、ラッキーだったんだ」
喉をならしてスポーツドリンクを飲んでからそう言うと、幸田は真面目な顔で首を振った。
「いや、お前の方が上手かったんだよ。運も実力のうちっていうし、コンディションはどんな小さな試合であっても整えとくのが大事なんだろ」
シングルスの3番目、俺の試合は勝つことが出来た。だけど、ギリギリで。掛け持ちだってのにこの様ではヤバイかもと自分で思うほどに足が重くなっていた。
かなり振り回されたのだ。コートの中を右に左に。だけど幸田と組んだ毎日のトレーニングで鍛えていた反射神経と瞬発力がきいて、何とか勝つことが出来た。
幸田はごしごしとタオルで顔を乱暴に拭く。やつは、惜しくも負けてしまったのだ。太陽の光も風の影響も勿論あった、だけど大きかったのは相手のサーブだ。どうしてこんな高校にいるんだ?って思うほどの重いサーブを受けきれず、サービスを取られてしまったらしい。
幸田は何も言わないけれど、いつもの笑みが消えている。うちの部のエースである自覚がある幸田には、今回の試合結果は相当こたえたはずだと判っていた。
「ダブルスが鍵だな」
ぼそりと幸田がそう呟いた。
俺は声は出さずに頷く。
仁史先輩も勝ちを手にしていた。だから、あとはダブルスの結果で全てが決まる―――――――――
***********
「よし、礼!」
「ありがとうございましたっ!」
一同がコート内で整列して、帽子をとって挨拶をする。そのありがとうございました!も、するすると青空に吸い込まれていきそうだった。
なんせ、力が出なくて。声を張り上げる気力など残ってなかった。
対校試合は結果的に負けてしまったのだ。
シングルスは2勝、そして負けは3戦だった。ダブルスは散々で、1年と組んだ俺は相手の1年コンビにあっさりと叩きのめされた。双子なのかと思うほどに息のあったコンビで、聞けば中学からダブルスでコンビを組んでいたらしい。
・・・なんでその学校に?再び、だ。全く。もっとテニスが強い高校へ行けよ、お前ら〜。
とにかく最速かってくらい早くついてしまった勝負に、俺とパートナーの1年の野田は泣くことすら出来ないざまだ。隣で先にやっていたダブルスも負け気味だと知っていたから何としても耐えなければならなかったのに。勝たないといけなかったのに。
負けた。
それも、かーなり無様に。ほぼストレートで潰されたのだ。
最後にあっちの生徒が一人足を痛めたとかで病院いきで、普段なら試合のあとも練習を一緒にするのだけどそれもなくなってしまったのだ。
そして、無言が支配するバスにのって俺達が自分の学校へと戻った時にはまだ昼間の太陽が元気な時間だった。
本来なら夕方までテニス三昧の一日だったはず。勝っても負けても同じだけの汗を流し、試合後の練習は昼食を挟んでいつでも和気藹々と楽しめるはずだったのに、何でまだ昼に俺達は自分の学校に戻ってんだ?
お陰で気分は憂鬱なままで、毎年ならその後の練習で流す汗にひっついて散っていく悔しさも、ぐるんぐるんととぐろをまいて俺の体の真ん中に居座っていた。
かなりどす黒い感情が。
「はい、お疲れ」
顧問がそういって静かに口を開いた。
「悔しい結果だよな。各自がわかってると思うけど、でもこれは普段の練習成果だと思わないといけない。お前たちは頑張ったのかもしれないが、相手はもっと頑張っていたってことだ」
いつもの淡々とした口調で、顧問が話しながら部員を見回している。3年生はずっと暗いままだった。2年生は体が痛いかのような顔をしているし、1年生は膨れたような顔をしていた。
負けた試合の後にきく顧問の言葉。実はこれが、一番辛いのかもしれない。
「以上だ。ちょっと休憩するか。昼食を食べたらまた練習に戻るぞ。――――――――あー、横内」
「はい」
締めにかかっていた顧問が俺を呼んだから、ハッとして顔を上げる。
「これ倉庫まで持っていってくれ。入って左奥の棚だ」
「はい」
試合表を挟んだりするボードなどを大きな袋ごと預かって、俺は一人でグランドを横切り始める。後ろで顧問が、じゃあ2時半まで自由時間、と声をかけているのが聞こえていた。
・・・2時半。約1時間の休憩か。
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