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「今日はもう帰るねー」

 あれ?と丁度部室にきたばかりだった優実が首を傾げた。

「七海もう帰るの?まだ4時半じゃないよ〜?」

 あたしは鞄を肩にかけながら笑う。だってどうせ今日も雨だからさ、って。夕方はこないと思うし、ちょっと風邪気味だから家に帰るね、って。

 風邪なんて引いてなかったんだけど。

 だけどそれなりに・・・いや、かなり凹んでいたので。
 
 靴箱を通過して、一瞬迷う。細々とした雨だった。景色が白く煙ってるけど、霧雨程度だ。これくらいなら傘、ささないでもいいかなって思ったのだ。ちょうど濡れたい気分でもある。凹んでるときにはもういっそのこと底の底まで行きたい、そんな自虐的な気持ちがあったのも事実だし。

 いいや、このまま駅まで行こうっと。折りたたみ傘は鞄にしまったままで。

 あたしは傘をささずに歩き出した。

 あーあ、落選だ。

 あーあ、佳作にもひっかからなかった。

 一面の青空に光る紅葉。長い時間をかけたあたしの絵。

 ・・・あーあ、あたしの青空・・・サヨナラ。

 ぐぐっと悔しい気持ちが沸き起こる。だけどそのままで、ぶすっとした仏頂面のままで歩いて行った。

 校門を出てそのままいきなり坂道を上がる。しばらく学校の外周にそってあるいて、信号を3つ。そうしたら駅前の通りに出るのだ。

 あたしは歩く。雨の中。腹立たしくて、泣きそうで、すごくブサイクな顔してたと思う。

 たまに通り過ぎるのが同じく帰宅途中の高校生たち。それから数台の車。そして、雨なのに外周をランニング中の運動部の人達。

 野球部に、サッカー部。それから――――――――あ、テニス部もいる。

 あたしはそれに気がついて、つい、外周を走る運動部の男子達の中を探してしまった。横内を。いるかなって。いたらどうしようとか思ったわけではない。

 ただ、いつものクセで探したのだ。

 走ってくるかなって。

 だけど数人の野球部員を見送ってから前を向いた。

 あたし、濡れてるし、酷い顔をしてるはず。自分でも思いっきり口角が下がっているのが判っていた。長い髪も、きっと背中でもつれているだろう。だって霧雨とはいえ濡れているんだもん。

 ああ・・・現実では、格好つかない女の子・・・。こんな時には横内の顔も見れない方がいいのかも。

 もうすぐ外周から離れて2つ目の信号だ、そう思って右足を大きく踏み出したとき、走ってくる数人の運動部の中に横内を見つけてしまったのはタイミングが悪かったとしか言えない。

「あ」

 小さく声が漏れてしまった。

 目が、あった気がする。

 だけどあたしはすぐに拳で前髪から落ちてくる滴を拭うふりをして、顔を隠した。

 見られたくないって思ったのだ。ああ、もう!ちゃんと傘をしてればこんな状態を見せなくて済んだのに。そう思って自分に腹を立てていた。

 だけど、相手はクラブで外周を走っているのだ。そのまま流れて去っていくって思ってた。

 だからびっくりしたのだ。佐伯、って声がしたから。

 後ろで。

 あたしは信号待ちの歩道でパッと振り返る。

 幻聴かと思っていた。

 だけど、彼がいた。外周を走る流れから離れて、信号待ちをしているあたしの方へとやってくる。

 キャップの淵からこっちを見ている目とバッチリ視線があってしまった。息をついて、ちょっと苦しそうな顔をしている。

「おいこら!横内ー!女子と話してさぼんなよー!」

 そう叫びながら、男テニのメンバーが走って行く。それに片手を挙げて、ちょっと用事だって叫び返していた。

 あたしは濡れたままでぽかんと彼を見詰める。どうして今目の前にいるのかが判らなくて混乱したのだった。

 だって部活中でしょ?だって、だって――――――――


「傘ないのか?」

 横内がくれた言葉はそれだった。だからあたしは首を横に振る。鞄の中にちゃんと傘はあるの、口には出さなかったけど、そう伝えたくて鞄を上からポンと叩いた。

 それをしっかり見たようで、それから横内は不思議そうな顔して目線を上げた。

 説明しなきゃいけない気になったのだ。きっと心配してくれたのだろうって思ったから。だからあたしは仕方なく、本当は彼と話す時は笑顔が良かったけれど、どうしても出来なかったから仕方なく、そのままの不機嫌な顔で言った。

「美術部で出した絵が秋の作品展で選考漏れして参加賞だったの。今、すごく悔しいから雨に濡れるくらい何でもないの」

 横内の顔は変わらなかった。相変わらずじっとこっちを見たままで、乱れた呼吸を整えている。

「横内君が言うの、判った気分。負けるのって―――――――あたしも、好きじゃない」

 泣きそうだった、と思う。

 だけどもう雨に濡れた状態で、すでにあまりにも可愛くなかった。だからこれ以上の失態をさらしたくなくて、あたしはじゃあねと声を出す。

「・・・クラブ、頑張ってね」

 信号は青に変わっていた。

 あたしはそのまま小走りに渡ってしまって、もう後ろを振り返らなかった。もしかしたら、横内は何か言っていたかもしれない。でもそれどころじゃなかったのだ。

 空一面を覆う曇り空。

 雨は地表から上がった水分が空気中で雲を作り、一定量を超えると地表に降って来るもの。途中でたくさんの埃やゴミを巻き込みながら。

 だからあまり綺麗ではない。授業でそう習った。綺麗ではない、なんていい方は先生はしなかったけど。はっきりと、汚いって言ったのだ。

 だけどあたしは口を開ける。

 飲んでしまったって構うもんか、そんな気分だった。

 破れかぶれよ。だってもう濡れてるし。今更雨が口に入ったって大したことない。そう思ったのだ。

 ・・・くっそう。負けた。

 あたしは、負けたのだ。

 電車は今出たばかりだった。

 あたしは肩で息をして、改札前で鞄からハンドタオルを取り出す。

「まったく、もう・・・」

 公共機関はぬらしてはいけません、そう考えるくらいには、気持ちは落ち着いて元に戻っていた。



 なんと、本当に風邪を引いてしまった。

 雨に濡れたのが問題だったのじゃあなくて、知恵熱じゃないの?自分ではそう思っていた。それか、ショック熱。ちょーっと情けないけど。まあでも多分、その全部が重なったのだろう。

 参加賞だったってショックと、雨に濡れたことと、面白くないことが続いたってこと。

「もう、どうして傘があるのに濡れて帰ってくるのよ、このバカ娘!」

 母親は仁王立ちになってあたしをすぐにお風呂へ入らせたけど、翌朝には38度を出してしまったのだった。

 仕事に行くから、ちゃんとお昼は食べて薬飲むのよ、そう言い残して母親が出ていってから数時間、ちょっとウトウトしていた。

 枕元に転がしたあたしの携帯には優実や1年の時のクラスで仲がよかったマコトちゃんからメールが入っていた。

 大丈夫?ちゃんとあったかくして寝ててよ〜、とか、今日移動教室で居なかったからびっくりした〜、とか。

 そうか、今日は化学があったんだ、と思った。

 化学も移動教室で、2クラス合同で授業を受けるのだ。優実は隣のクラスで文系だけど、化学のクラスは同じだったのだ。

 高校では部活でもクラスでもあまり仲の良い女の子もいなかったから、あたしは化学の時間はよく楽しんでいた。明るくて可愛い優実と一緒にいれるから。それに、彼女はとてもお喋りだし。

 よく考えたら横内が所属する男子硬式テニス部の情報だって、多くは優実から入ってきてるんだった。練習はこんなことしてるみたいよ、とか、今日は近所の大きな公園のコートで練習だってよ、とか、今度また試合あるんだって、とか。


 ・・・ああ、学校行きたかったな。

 昨日の帰りに横内が折角話しかけてくれたのに、会話という会話はしなかったし。あたしは不機嫌な顔でにらみつけるようだったはず。

 あうううううう〜・・・。ごめんね、横内。あまり可愛くない上に不機嫌な面で。

 布団の中でおでこに冷えピタをつけながら、あたしは悶々と転がっていた。手をのばして、机の上においてあった勉強のお守りを布団の中へと引っ張り込む。

 それを握っていれば元気がわいてくるような気がした。

 明日には、元気になりたい。

 曇り空も今日あたりで終わりだってテレビでも言ってたし。また青空や、夕焼け空が戻ってくるなら。

 あたしも元気になりたい。


 その日は金曜日だったのに休んでしまったから、何とあたしは思わぬ3連休を手にいれたわけだ。翌日の土曜日には平熱に下がっていたから、曇り空でも気分もよくなっていた。

 月曜日に学校に行ったら――――――――――横内に、おはようって言おう。


 ・・・出来たら、笑顔で。

 うん、まあ出来たらね。



『実力テスト開始。これで恐怖の朝学習から解放〜!』

 そう一行日記に書いた帰りの電車の中、あたしは久しぶりに顔を見せてくれた夕日の中を、また飛んでいるかのような気持ちで乗っていた。

 誰もいない車両はあたしのものだ。

 わーい、本当に気持ちいいぞう!

 もうニコニコで乗っていた。

 圧倒的な珊瑚色の景色の中、空には大陸のような雲も浮かんでいて、その端から赤や黄色やオレンジやの光がにじみ出ては世界を照らしている。雲の間をぬって地上におちてくる夕焼けの強い紅色が。あたしは電車に揺られながら、その光景から目を離せない。

 真っ赤に滲むお日様。その周りから溢れ出る強烈な色彩が。いくつもの明るい色が重なって輝く大きな雲が。ついぼーっと見惚れてしまうのだ。

 街も人も車も田んぼも全部全部染まってしまう。

 ・・・これを、横内と見ることが出来たらなあ。

 あたしはすごく嬉しいに違いないのに。


 風邪で学校を休んだ金曜日以外の毎朝、ちゃんとあの恐怖の貝原先生主催の朝学習に参加したのだ。

 朝も5時半おきで学校へのろのろと登校して、学校の敷地内の別棟にある図書館の2階、大きな視聴覚室へと向かう。同じように参加が義務付けられてしまった学生達が嫌そうな顔をして歩いてくる中、ポケットの中でお守りを握り締めていた。

 朝早くなのにカーテンを閉め切った視聴覚室の中、数十人の学生を机につかせ、先生は淡々とプリントを配る。ただひたすらそれを解くのだ。毎日毎日同じ問題で、そりゃあ嫌でも解けるようになる。

 お陰であたしの実力テストも、数学2−Bだけは自信がついてしまったほどだった。

 そしてあたしは、あの休んだ金曜日から2週間、横内とは話せてない。

 だって席も違うし、彼には朝錬も昼練もあり、ぎりぎりに教室にきて、誰よりも早く教室を出て行ってしまうのだ。委員会もクラブも違うあたし達には席が隣って繋がりしかなかったのだって、さまざまと見せ付けられた2週間だった。

 お礼も言いたかったのにな。

 お守りのお陰で耐え切れたって。・・・いやいや、それは直接的すぎるか!それなら「君が好きです」の方が恥かしくないかもしれないぞ!・・・いやいやいや!そりゃあ告白の方が恥かしいに決まってるわよあたし!

 一人でジタバタして、心の中の恥かしい「告白シーン」を消しゴムで消しまくった。

 彼を思い出してちょっと凹んだ気持ちで、あたしは顔を上げる。

 まだ夕焼け時間は続いている。だけど、次の乗換駅では乗客が乗ってきてしまうはずだ。だからあたしの一人じめ出来る時間はこれで終わってしまうのだ。

 曇りや雨でなく、大きな雲はあっても素晴らしい夕焼け。

 それを久しぶりに見れたことで喜んでいたはずの気持ちも、横内のことを考えて萎えてしまうのがつらかった。

 ・・・うわあ、あたし、本当に好きになっちゃったんだなあ!そう思って。

 それだけ、あのクラスメイトの男の子が影響あるんだなあ、って。

 もう一度話したいのに。

 同じクラスにいるのに、やたらと遠い男の子だ。

 山を降りていく電車の中、ため息を零してから、あたしは通路の真ん中に立つのをやめて座席に座る。

 大人しい高校生に戻る時間だよ。もう、ここはあたし一人の世界じゃなくなるんだから。

 ちゃんと部活に最後まで出れば、男テニの帰りである横内に会えるかもって、判っていた。電車で会えば喋ることが出来るかもって。あっちからも話かけてくれるかもって。

 だけど、それでもあたしはこの時間をとってしまう。大切な時間なのだ。

 ・・・ただ、勇気がないだけかもしれないけど―――――――――――





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