・曇り空の悲喜こもごも@
全国各地の運動会が無事に終わったと思われる頃、日本の上を、秋雨前線が停滞していた。
そう、ニュースのお天気お姉さんが言ってた。画面の中でデカデカと傘マークを振り回して。
秋の台風はきていないのに、雨が多くてうんざりする。朝日に起こされることもないし、外での体育もないし、通学電車のオレンジタイムも勿論ない。一面の銀灰色で染まった空は重々しく、まだそんなに寒くないのにちょっと冷たいような気分にまでさせる。
あたしは今日もシトシトと中途半端に降る雨を眺めて、大きなため息をついた。
「・・・ああ、鬱陶しい」
折角の大好きな帰宅時間が、これでもかってほどに色あせてしまっているじゃん。今日も夕日は見れそうにない。あれがあたしの元気の源なのに。
最近、何と言うかついてないのだ。
例えば、もうすぐある文化祭の出し物でうちのクラスはコーラスに決まり、音楽的才能がほとんどないあたしは泣きそうになった。
出る前から憂鬱だ。何とかしてさぼれないかな。一体何が楽しくてクラス全員で歌なんぞ歌わなけりゃならないのよ〜。そんなのは歌が好きな子がやりたいだけやってくれたらいいのに〜。
それから例えば、ようやくおはようの挨拶も言えるくらいになったのに、2ヶ月経つからって理由で担任が席替えを決定してしまい、あたしは横内から遠く離れた窓際の前の方の席になってしまった。
もう、ガーン!て岩が降ってきた気分だった。え?!だって折角話せるようになってきたのに!て、埴輪顔だった。机をガタガタと動かしながら、あたしは心の中でひたすら担任に向かって呪いを唱えていた。先生、恨みます。
更に更に例えば、あれだけ気をつけていた数学B-2の授業でいきなりふられた問題を解くことが出来ずに、今度の実力テスト前まで恐怖の朝学習への参加が決定になってしまった。教室中の、「自分でなくて良かった」という安堵の雰囲気と「すごく可哀想」という同情の雰囲気とが居た堪れなかった。
あうううう〜・・・。
もう、そのどれもがあたしにかなりの打撃を与えて元々そんなにないHPを削ったのに、更にオレンジタイムまでないってことなのだ。もう、酷い。一体あたしが何をしたっていうの。
毎日学校にも遅れずにきて、掃除だってさぼらずにやるし、授業だって聞いている。ちょっと部活は早退気味だけど、それだって問題ない程度のはずだ。
・・・・なのに〜・・・。
信号にまで、連続でひっかかりました。
はあ、ともう一度ため息。本日5回目の赤信号・・・。
誕生日にお父さんに貰ったお気に入りの傘でも、毎日使っていたら飽きもくるってものだよね。あたしはブツブツ言いながら、傘をくるくると回していた。
そこに、後ろからぼそっと声がしたのだ。
「・・・すげーため息」
って!
あたしは一瞬固まって、耳に飛び込んできたその声の主を特定する。・・・もしや!
振り返ると、そこには同じく傘を持って立つ、横内がいた。
・・・・おおーっ!?
「よ、横内、君・・・」
「よく降るな、雨」
赤面はしなかったと思う。だけど、クラスメイトと話すにしてはいきなり上がったテンションで、あたしはそそくさと彼に向き直った。
「あれ、クラブは?」
横内は制服を着ていた。帰り道に会うときにはしていた、部活の格好にブレザーをひっかけただけ、というのではなくて、日中にしている学生服姿で。そういえば、今日はラケットケースがないな。
「雨で、休み。ここのとこ雨でコート使えなくて毎日筋トレばっかだったから、たまにはって顧問が休みをくれた」
「あ、そうなんだ」
あたしは頷く。
男テニ、対校試合負けたんだって。そう優実から聞いていた。3年生の引退試合はまた別に夏前にあったそうだけど、これで本当に3年はいなくなって2年の天下ね、って言っていたのだ。横内も残念なことがあったってことだよね、だから。ああ、またため息が出そう・・・。
信号変わったぞ、そう言って横内が歩き出す。
あたしは隣に並んで歩いていいものかで激しく悩み、ちょっとだけ距離をあけてついていくことにした。だって仕方ないよね?同じ駅から電車にのるんだもんね。
会話がないままで、雨の中、駅まで歩いていく。歩幅の違いなんかを発見して、勝手に一人でドキドキしていた。
学校が山の中にあるために人気のない駅までの道。周囲にはポツポツと同じ学校の生徒の姿。皆傘の中で音楽を聞いたり携帯電話を見たりしていて、人のことなんて気にしてない。
あたしは嬉しいような困るような気持ちでざわざわする胸を懸命に無視する。
だって、そうでもしないと叫んで躍りだしそうだったのだ。席が離れた上にまたまた4時半に帰るあたしは、横内と顔を合わせることなどなくなってしまっていた。
朝も昼も夕方も、話すどころか顔を見るのですら難しい。一瞬の盗み見に力を込めるって状態なのだ。
前よりもハッキリと、自分の気持ちに気付いているのに。
あ、あたしはあの子が気になるってレベルから、好きだってレベルに上がっちゃったんだなって。
その男子が今、ほんの少し前を歩いている!
・・・あ、ヤバイ。頭に血がのぼりそう。
「・・・ああ、眠い・・・」
前から声がした。横内は欠伸までしたらしい。傘の中で、手が動くのが後からでも判った。
ちょっとおかしくなってあたしはつい口を出す。
「授業中寝てたんじゃないの?まだ眠い?」
さすが眠りん坊だな。
すると、横内はうーん、と呟くようにいった。
「・・・最近、俺あんまり授業中に寝てないんだけど・・・」
「え?あ、そうなの?」
席が離れてしまって、しかもあたしの席が前の方なので授業中の彼を見ることができないのだ。でも最近はそういえば、先生方の「横内〜!」って声、あまり聞かないかも・・・。へえ、寝てないのか、授業中・・・。
「隣の人起こしてくれてるから?今は誰だっけ、隣の席」
あたしがそう聞くと、傘の下からちょっとだけ横内の顔が覗く。だけどすぐに前をむいて、返事をした。
「それもあるけど。・・・なんか、寝れなくて」
ふうん。あたしは歩きながら考える。どうしてかな。あ、そうか。きっと試合も終わって朝錬や昼練が少なくて、疲れてないんだろうなって。
隣の人が起こしてくれるなら、そのまま起きていることも出来るに違いない。それに、隣の人っていわなくてもいいか。だってしっかりチェックしたもん。今の横内の隣は、竹崎さんだ。
生まれつきだって言っていた茶色の細い髪がサラサラの、クラスの中でも人気のある女の子。色白で、優しくて。八重歯が可愛い女の子。
・・・だから、起きてるのかな。もしかして。竹崎さんが隣って、嬉しいのかも。
あ、また凹んできた。
あたしは何とか顔をあげて、つとめて明るい声で言った。
「良かったね、怒られることも少ないよね。横内君は寝てても勉強もついていってるけどさ、あたしはへましちゃったからなあ〜・・・」
いいよな、眠りん坊。君は数学の朝学習には行かなくていいのだろうし。あたしは若干のやっかみもまぜてそう思う。
これから実力テストまで2週間、毎日・・・。ううー、たまったもんじゃないよ〜!
「成績落ちると顧問にめちゃくちゃ絞られるから・・・」
ぼそっと横内が言う。あたしはそれにも驚いた。へえ!って。運動部って、練習もきつい上に成績の管理もされるのか、って。でもそういえば、横内は寝てるけれども予習はしてるみたいだったもんね。数学だって、ちゃんと。
「そっか。大変なんだね、運動部って」
「まあ、仕方ないよな。学生の本分は勉強だってのが顧問の口癖でもあるし」
「へえ」
横内が傘をくるりと回してあたしを見た。
「佐伯、朝学習に参加?」
「そう」
「それであのため息?」
「あ、うん、それもあるけど。最近ちょっとついてなくてね」
・・・君とも席が離れちゃったしね。
まさか、そんな事言えないけどさ。
話してる間に駅についてしまった。傘をパッパと畳みながら、横内が定期券をさぐる。
うーん、どうしよう。まだ一緒にいていいのかな。それともここで離れるべき?
あたしがウダウダとそんなことを考えてると、前で横内が、あ、と言って携帯電話を取り出した。
「電話だ。じゃあな、佐伯。もうすぐ電車くるぞー」
携帯を開きながら、彼はあたしにそう言う。残念な気持ちを押し隠して、あたしはうんと頷いた。
・・・ちぇ、電話か。
定期を手にして滴が垂れる傘を避けながら改札を通る。その時、後ろから声が飛んできた。
「あ、そうだ、佐伯!」
「え?」
慌てて振り返ったあたしに向かって、改札の向こうで横内が手を伸ばしていた。
「やる!」
「え、え?」
何を?
出した両手に落とされたのは一枚のケースに入った切符だった。
「御守り、勉強の」
電話を耳にあてながら、横内がにっこり笑った。
驚いて固まってしまったあたしの耳に、ホームに電車が入ってくる音。早く行けって横内が指差している。
「あっ・・・あの、ありがと!」
自分でもびっくりするような声を出して、あたしは走り出した。階段をかけおりて電車に滑り込む。
ちゃんと乗れたあとも、息が上がっていた。だけど有り難いと思った。
顔が赤いのも大きな鼓動も、それのせいに出来るから。
手の平の中の“勉強のお守り”、それはクリアケースに入った切符。駅名は学駅だった。
多分、受験生へのお土産によくある縁起のいい駅名の切符をお守りにする、というのなんだろうな、と思った。学駅って、どこにあるんだろう・・・。おじいちゃんがいるって言ってた西の方なのかな。
手の中にそれを包み込んで、あたしは窓の外の曇り空を眺める。
だけど、口元には笑みが浮かんでいた。
これで恐怖の朝学習も頑張れる、そう思ってちょっと、いや、かなり嬉しかったのだ。
銀灰色の雲・・・それが何だってんだー!
それから3日間はやっぱりまだ低気圧が居座っていて、あたしが住む街はいつでも曇りか雨だった。
だけどそれなりに凹まずに、朝学習にも参加できたのだ。それは、横内がくれたお守りのおかげ。
それから必死に勉強もした。もう次は参加しなくてもいいように。それも、横内がくれたお守りに誓って。
『なかなか頭がよくなってきたかも。ちょっと運も上向きかも』
そう一行日記に書いた次の日、だけどあたしは、また凹むことが起きたのだった。
結構特大の、凹むことが。
「残念だったわね。今回は出品も多かったみたいなの」
顧問がそう微笑んで、あたしに長くて白い封筒をくれる。
中身を見なくても判った。
これって、参加賞だ。
あたしの絵は落選してしまった。
結構な時間をかけて、愛情も注いだけど、やっぱり見破られたのかな、と思った。
横内に言われた夜に考えた「格好つけた作品だったかも」ってやつだ。情熱や愛情ではなく、それが表に出てしまっていたのかもって。
実際のところは判らない。クロッキー用の鉛筆が入っている参加賞を貰う程度では、講評もして貰えないからだ。美術部のメンバーでは今年はいい成績をとったものは一人もおらず秋の芸術期間を終えてしまった。
これでは来年の部活予算が削られる〜!!と叫んでいたのは部長と会計で、あとのメンバーは仕方ないじゃーんなどとお菓子を食べていた。
「七海も残念だったね、あたしは好きだったんだけどな、あの絵」
そういって慰めてくれた人は多かったけど、あたしはありがとうと返して席を立つ。
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