・A



「うわあ!」

「おわっ!」

 体に衝撃があって、あたしは後ろによろよろと後ずさる。転んだりはしなかったけど、肩から胸にかけて痛みが走っていた。

 また誰かにぶつかったらしい。全くあたしったら、走って角曲がるのやめなきゃね、そんなことを考えながら、謝ろうと顔を上げる。

「あ」

 相手が、ぶつけたらしい頭を抑えながら、苦笑した。

「・・・俺達、よくぶつかるな」

 横内だ!

 テニス部の制服であるらしいラインの入ったジャージの上下を着て、横内が立っていた。頭を押さえているということは、あたしの肩にぶつかったのは彼の頭なのだろう。・・・一体どんな姿勢で歩いてんだ?

「横内君。・・・あの、またごめんね。あたしが走ってて」

「いや。前みてなかったのは俺も同じだから。――――――――あ」

 呟くように言った横内が、パッと目を見開いた。

「へ?」

 あたしは彼の驚く意味が判らず、首を傾げる。え?一体何に驚いてるの?ってかどこ見てる?

 彼の視線はあたしの胸元。あたしが抱きしめている、エプロン。

「・・・・すげー青」

 真っ直ぐにエプロンを見ていた。あたしの乱暴に扱う絵筆の影響を受けてついた青に、目を見張っているらしい。

 だけどすぐに自分の言葉に照れたような顔をして、ほら、とあたし達の頭上に広がる青空を指差した。

「あの空と、同じだ。スカイブルーってやつ」

 つられてあたしは空を仰ぎ見る。

 雲がきれて、すっきりと晴れ上がった真昼の青。色んなところにプリズムが落ちて、光景そのものがきらりと光っていた。

 見事な見事な青空。あまりにも青一色で雲もないから遠近感がつかめない。

 すぐそこに張り付いているようにも見えるし、永遠に届かないほど遠くにあるようにも見える。

 大きく上を仰ぎ見ていたら、ぼんやりと後輩のヒカリちゃんの言葉を思い出してきた。

「・・・スカイブルーって」

「ん?」

「ちょっと、面倒臭いんだよ」

 気がついたら、あたしは空を見上げたままでそう呟いていた。

 横内がこちらを見た気配がした。

「・・・後輩がね、調べてたんだけどね、スマホで」

「うん?」

「日本語の空色って晴れた日の昼間の空の色って定義なんだって。曖昧なの、意味が広くとれて」

「うん」

「だけど、英語のスカイブルーってね、やたらと条件があったの」

「・・・へえ」

 あたしはそこでハッとした。やだやだ、ちょっとあたしったら何をベラベラといきなり喋っちゃってるのよ。

 だけど、ちらっと見た横内は退屈しているようには見えなかった。急いでいないのだろうか、すでに頭を押さえてはおらず、ぶつかった時に落ちたらしいキャップをひろって砂を払っている。

「どんな条件があるんだ?」

 ・・・おお、何とまだ興味もあるらしい!

 あたしはちょっと嬉しくなって、ヒカリちゃんに感謝しつつ続きを話すことにした。

「ええとね、たしか。夏場のニューヨークで、穴をあけた紙から覗いてどれだけの距離で見える空の色、とかそんなの。何フィートとか色々決まりがあるんだって」

「ふうん。そりゃ確かに面倒くさい・・・」

 帽子を被りなおして、横内がまた空を見た。ちょっとぼーっとしているみたいだった。

「あまり晴れてるとさ、空が」

 小さな声で、彼が話しだした。

「ボール打ってても、相手のコートに打ち返さなきゃいけないのに上に打ち上げたくなるときがあるんだ。青空にボールが飛ぶの、ちょっと気持ちよくて」

 ・・・おお。それって前、体育の時間にあたしが考えてたのと同じ感覚!

 あたしは嬉しくなってうんうんと頷く。

「判るなあ!黄色と青が綺麗だよね、くっきりしてるっていうか」

「うん。綺麗だなって思う。でもそれを部活中にやるとまずいから、自主練のときにするんだけどな」

 頭の中で、一人ボールを空に打ち上げている横内の姿が浮かんだ。ラケットを水平にして、ポーンポーンと黄色い球を空に上げている。

 その姿は想像じゃあなくて、あの体育の日に、実際彼がやっていたことだった。

 コートの隅っこで、クラスメイトが飛ばしたボールを拾いながら。時折ポンポンとボールで遊んでいたのだ。

 同じタイミングで、青と黄色に見惚れてたんだな。そう思ったら、ますます嬉しくなってきた。

「じゃあ」

 彼がぼそっと呟いた。

「これからは、空色って言おう。スカイブルーは面倒くさいし」

「うん」

「別に面倒くさいの使う必要ないよな。簡単なので。綺麗だったら、それで、別に」

「うん、そうだよね」

「・・・負けたら、次は勝てばいいってのと一緒だな」

 ―――――――うん?

 あたしは頷くのをやめた。

 横目でこっそりと見ると、横内はまだぼーっと空を眺めている。

 ・・・てか、今昼の1時半くらいだっけ?そういえばもう対校試合は終わったのかな。それで戻ってきたのかな。試合結果・・・ちょっと聞く勇気がない。

 爽やかな風が通っていってあたしのエプロンや髪を揺らす。言葉が見付からなくて困って立ち尽くす。

 聞きたい。試合、どうだった?って。

 どうして一人でここにいるの?他の人達は?って。

 だけど・・・聞けない。

 情けない。あたしは自分に大いにがっかりしながら、それでもと無理やり口をこじ開けた。

「・・・横内君って、負けず嫌い?」

 彼が空からあたしに目をうつして、ちょっと笑った。

「負けるのが好きなやつなんているのか?」

「―――――――」

 あたしは言葉をどこかへなくしてしまった。

「・・・まあ、俺はかなり負けず嫌いだと自分でも思うけどさ」

 横内はキャップに手をやって、じゃあ、と言う。

 それから、ぶつかってごめんなーと言って、ザクザク音を立てて歩いて行ってしまった。

 濡れた絵筆と抱きしめたエプロン。

 あたしはまだしばらくその場で、太陽にあたりながらぼーっと突っ立っていた。

 帰る途中、男子硬式テニス部の団体と校門で出会ってしまった。どうやら試合が終わって一度学校へ戻って来ていたらしい。その途中で、体育倉庫に用があったらしい横内とぶつかったのだと判った。

 昼下がりの太陽の下、顧問の言葉を皆並んで聞いていた。なにやら厳しい言葉を貰っているようで、皆の顔は真剣そのものだった。

 横内の姿も見れたけど、あたしはそのまま通り過ぎる。

 ちょっと気後れしていたのだ。

 傷つけたのかな、と思って。



 ――――――――負けるのが好きなやつなんて、いるのか?



 ・・・・いない、よね。

 あたしは布団の中で何度もゴロゴロと転がっている。眠れなくて、辛くて長い夜だった。

 あたしだって負けるのは嫌だ。すごく負けず嫌いかと聞かれるとそうではないとは思うけど、やっぱり人並に悔しいとか悲しいとかの気持ちを感じたことは今までもたくさんある。絵でも、運動でも。

 元々運動するのはそんなに嫌いってわけではなかったから、もしかしたら負けるのが嫌で運動部には入らなかったのかも。勝ち負けがハッキリわかってしまうのが嫌で。そう思ったことは一度もなかったけど、でももしかしたら。

 今度の展覧会だって、自分の為に書いてるってずっと言ってたし、思ってた。

 だけど展覧会に出すという事は、批評されるということ。優劣を決められるということ。本当に自分のためだけだったら、そもそも出したのかな?

 ゴロゴロゴロ。

 転がっても転がっても眠れなかった。

 あたしの大切な世界、大切な色を描きたかった。だけどそこに、ちょっと格好つけてしまったかもしれない。あたしの表現欲だけじゃあなくて。格好つけたってのが、よく判る作品になってたかもしれない。

 どうよ、あたしはこんなのが描けるのよ、って。そんな傲慢なところが。

 ・・・あううううううう〜・・・・。

 頭からすっぽりと布団をかぶって、悶え苦しむ。

 横内の白いキャップ。赤いラケット、黒い鞄。それから黄色いボールを見詰めるあの目が。

 様々な色彩の渦になって頭の中を回っている。

 ぐるぐるぐる。

 ぐるぐるぐる。

 その夜は、とても疲れる夢を見た。





[ 9/18 ]


[目次へ]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -