5、小暮の行動@
私の前に天から急に「神様」と名乗る不審な美形が降ってきた。
ヤツは私を「人間観察の対象」に選んだ、とぬかし、一日24時間、亀山睦という女がどういう人間でどういう生活をしていて、どういう考えを持っているか、を観察しはじめた。
そのために脅されていた私は仕方なく協力することにした。
いつでも近くにいるヤツを無視するために、やる気の失せていた仕事すらも真面目にするようになった。
実家にも久しぶりに帰り、兄と初めてわかりあうという衝撃の体験をした。
その日の帰りにヤツにズバズバと「自分がいかに幸せから遠ざかっているか」と指摘されて腹を立て、攻撃するも避けられた挙句に抱きしめられ、それを咎めるとヤツは離れて観察するようになった。
ところが何故か急に考えを変えたらしいヤツは、「マニュアル通りの観察はやめる」と宣言して―――――――――
・・・・甘えたの、傍若無人の、俺様神になりやがった。(今、ここ)
はい、自分の為のまとめ終わり。そう心の中で呟いて、私は経緯をメモ書きした書類の裏紙をそのままシュレッダーへ突っ込んだ。
感想、超〜理不尽・・・。
うんざりして重いため息をついた。
美形でやたらと美しい、女神かと見まごうばかりの男神、ダン。
ヤツは、何と私に強制させることにしたのだそうだ。
何をって?
その、現代人の言うところの、「幸せな生活」ってやつを掴み取れと。
「おにーさん!生中お代わりね〜!」
私は店の奥に向かってジョッキを上げながらそう叫ぶ。店中のいたるところから「はーい!」と声が返って来た。そうそう、やっぱり飲み屋はこの威勢がなけりゃ。満足してニコニコしていると、前の席に座った美紀ちゃんが呆れた顔で私を見ていた。
「・・・亀山さん、実は飲兵衛ですか?4杯目ですけど」
「ん?違うわよ。面白くないことが続くから、ここで一気に厄落とししたいわけ」
スルメの七味マヨネーズを口に突っ込みながらそう答えると、2杯めのチューハイグラスを握り締めながら、美紀ちゃんが腹立たしそうに頷いた。
「昼間のあれですね!?ほんと、超〜むかつきました、私!」
・・・昼間のアレ?あれってなんだ?私は瞬きを繰り返して酔っ払った頭を働かせる。そして、ようやく喫煙コーナーの、我が同期たちの会話であると思い当たった。
・・・ごめん、美紀ちゃん、忘れてたよ。
私は個人的に起こったムカつくこと―――――――背後霊みたいにひっついている神の暴動―――――――について言ってたんだけど〜・・・。
仕事終わりで髪を解いた美紀ちゃんは本当に可愛かった。眼鏡のシルバーの柄がキラキラと照明に光って、ふんわりと広がった髪も光を発している。
「酷いですよ!亀山さんだけわざと除け者だなんて!小暮課長達が諌めてくださったからよかったようなものの、私が蹴り倒しにいくところでした!」
「・・・やめといてね、美紀ちゃん。自分を大事にして頂戴」
「今晩って言ってましたよね!?あっちいかなくて良かったんですか?その後も誰からも声かけなかったんですか!?」
もしそうなら総務として執拗な嫌がらせをしてやる!とばかりに目をギラギラさせる彼女を落ち着かせたくて、私は片手をヒラヒラ振った。
「ああ、小暮からはメール来たけど断ったの」
「え!?」
美紀ちゃんがすぐに反応した。おおー、凄いね、小暮の名前の威力。やっぱり恋する女って可愛いわ〜。
「断った!?どうしてですか!」
テーブルに頭をぶつけそうになってしまった。反応したのは小暮じゃなくて、そっちかよ!もう。
またスルメを口に突っ込みながら、私はタラタラと話す。
「だって、美紀ちゃんと約束してたし」
「そそそそんなのこっちをキャンセルして下さいよ〜!同期会でしょ!?」
「だって先約優先は当たり前でしょ?あっちはそんなに行きたくなかったしさ〜」
夕方に、小暮からメールがきたのだ。社内メールでは勿論なく、私のケータイに、直接。うわ〜、メールなんて久しぶりじゃない、なんて思いながら開けたら小暮からのメールだったので苦笑した。
ヤツはきっと責任を感じたのだろうって思ったから。
自分が幹事をしていれば、私だけ省くなんてことなかったのにって。
『急で悪い。今晩同期会があるんだけど参加出来る?連絡漏れで、ギリギリになって申し訳ない』
私と美紀ちゃんが実は喫煙コーナーから漏れ聞こえる声を聞いていたとは、あそこの誰も気がつかなかったらしい。
で、当然私は断りの返信をいれたのだ。『悪いね、先約があるの』って。皆で楽しんできて〜ってまで入れた。
そりゃ私を嫌っていると今やハッキリ判った男が幹事をする飲み会に出るよりは、普段から一緒の部屋で働いている頼りになる後輩と飲むほうが楽しいに決まっている。
私は急に態度をコロッと変えた背後霊(つまり、ダンなんだけど)から受けるストレスをどこかで発散させたかったのだ。
私がそのメールを打っている間、ダンは唾を飛ばして(いたかは知らないけれど)『行くべきだ、ムツミ〜!行けばあの小暮という男もいるのだろう!?あんたを庇ってくれる人は大切にしろよ〜!』と叫んでいた。
無視だ無視。ヤツは、どうやら小暮こそが私が幸せを掴むためのキーパーソンになると思い込んだらしかった。
で、予定通り美紀ちゃんと安いけれど料理もそこそこ美味しい居酒屋に。
それを知った美紀ちゃんは当然ぶーぶー言ってきたけれど、私がとっておきの切り札である何故仕事をしなくなったのか、の理由を話し出すと口を閉じて身を乗り出して聞いていた。
誰にも話したことがなかったから、これなら興味が沸くだろうと思ったのは正解だった。
とはいってもそんなに規模も大きくない会社内のこと、ある程度の噂や推測はやはりあるはずだ。それを証明するかのように、元気をなくした美紀ちゃんが前でぼそりと呟いた。
「・・・本当だったんだ、あの話は」
「そんなわけで、な〜んか力が抜けちゃってねえ〜・・・。もういいかな、と思ったの。それで迷惑をかけまくってるうちの事務所のメンバーには申し訳ないんだけどね・・・。もう仕事は頑張れないって思ったのよ」
流石に酔いが回ってきて、しかもその頃の愕然とした辛い気持ちを思い出したので、私は若干涙目だった。
頬杖をついてそう話していると、前の美紀ちゃんも心なしか涙ぐんでいる。
「それは酷いですよ。そんなこと一々言わなくてもいいじゃないですかねえ!誰なんですか、そのバカ上司は!?」
口の中に残った苦いビールを飲み込んで、私はぼんやりと返す。ああ、その課長、今は工場勤務になって会社にはいないのよ〜って。
だけど、恨みなんてないのだ。
ただ私がやる気を失ってしまっただけなのだから。
ちょっとしんみりしちゃったところで、二人ともグラスが空なのに気がついた。
「お代わり、どうする?」
「亀山さんちょっと飲みすぎじゃないですか?もう止めた方が・・・」
美紀ちゃんがハッとしたように止めたけれど、私は酔ってだるくなった体を椅子に預けてちょいとばかし唸る。
「・・・うーん。だってまだ発散しきってないからなあ〜」
え?と美紀ちゃんの声。あ、しまった、そう思った時には聡明な後輩の突っ込みが入っていた。
「まだ?同期会以外のことで、まだ何かストレスがあるんですか?そういえば、最近はえらく仕事をして下さるようになったのはどうしてですか、亀山さん?」
私は焦って体を起こす。しまった、いらないことまで言っちゃったよ!
「いえいえ、ええと、ほら!人間生きてるだけでそりゃあもう結構なストレスを受けるものでしょ!?」
そういえば、美紀ちゃんと話に夢中でダンのことを忘れていた。あいつどこ行った!?私は店員さんの呼び出しボタンを片手で押しながら目だけを動かしてダンを探す。
あの疫病神、一体どこに―――――――――――
「亀山さん?急にキョロキョロしてどうしたんですか?」
美紀ちゃんはちっとも酔ってませんてな声で追求までする。私はわはははと笑って誤魔化そうと彼女を見て、飲んだばかりのビールを戻しそうになってしまった。
美紀ちゃんの肩を抱くようにしてニヤリと微笑んでいるのは問題の疫病神!こ、こ、こんなところに!
ヤツの綺麗な顔のすぐ近くには美紀ちゃんの怪訝な表情。二人でこちらをじーっと見ている。
・・・うおおおおおお〜!!何してるのよ、バカ神〜!!私はにこにこ〜っと笑顔を作りながら、心の中でダンを罵倒しまくった。
ヤツがあそこにいる限り私は睨めないではないか!そんなことしたら、素敵な後輩にメンチ切る嫌なお局になってしまう。あうううう〜・・・。
「ムツミ、えらく楽しそうだったな〜。いいことだ、本当」
「亀山さ〜ん?大丈夫ですか?」
「これだけ俺の存在を忘れるくらいに時間を過ごすこともあるんだな。やはり会社のあとの自由時間は有意義に使ってこそだろ?」
「亀山さんてば。あら?ちょっとちょっと〜?」
ダンと、その存在に気がつかない美紀ちゃんが交互に言葉をかけてくる。それだけでもう、発狂するかと思った。
おおおおおお〜!酷いじゃないの、酷すぎじゃない!?なんてことするのよ、ちょっと、私の可愛い後輩にひっつくんじゃないわよ!このバカ神!
笑顔のままで呪いをかけど、ダンはニヤニヤしたままで美紀ちゃんにぴったりとひっついている。
「・・・大丈夫じゃ、なさそうですね」
美紀ちゃんが心底心配そうな顔をしたところで、私は奥の手に出た。
つまり、見ないことにしたのだ。二人まとめて。
ケータイにメールが来たかのように装って、目を外し鞄を探りながら言った。
「大丈夫、大丈夫よ〜!ちょっとここ最近男運も悪くてさ!それで、ほら、それがフラッシュバックみたいになって・・・」
「男運?」
美紀ちゃんの声だけが聞こえる。よしよし。本当に腹が立つけれど、とりあえずこの子と別れるまではダンを罵ることも出来ないのだ。平常心、平常心・・・。
「亀山さん、もしかして・・・・何か面倒臭い男性に付きまとわれてるとか?」
ぶぶーっ!
唾を盛大に床に噴出してしまった。・・・よ、よかった、ビールとか飲んでなくて!!
あまりにビンゴな美紀ちゃんの言葉に、私は激しい反応をしてしまい、お陰で聡明な後輩はそうだと断定してしまったらしい。
ぐいっと身を乗り出す気配。それから真剣な声。
「そうなんですねっ!それで、その人の事を忘れたいが為に仕事にも没頭せざるを得なくなってるとかですかっ!誰、誰なんです?亀山さん人に頼らないから、全然知りませんでしたよ。もしかして、まさか、ストーカーとかですかっ!?」
「え?!す、ストーカー?」
私は慌てて体を起こして彼女を凝視した。幸いなことに、すでにダンは彼女から離れていたようだった。確かに面倒臭い男性に(正しくは男神に)付きまとわれているけれど、決してストーカーなどでは!!つまり、ほら、生きた人間って意味の。
そんなのでは勿論ない。だからちゃんと説明して彼女の不安を説かねばならない。ダメダメ、これ以上心配かけるわけにいかないわよ〜!!
「いや、あの、美紀ちゃ―――――――」
私は驚きのままの見開いた目で、否定しようと口を開けた。
その時、これまた全くお呼び出ない声が、低くて聞き覚えのある声が、背後から降って来たのだ。
「ストーカー!?―――――――カメ、そんな危ない目にあってるのか!?」
振り返るとそこには店の照明を浴びて立つ、小暮の姿が。
・・・・・・・・・・・・なぜ、あんたが今ここに・・・。
「小暮課長!」
美紀ちゃんがそう小さく叫んでグラスを置いた。彼女に片手を上げて挨拶したあと、相変わらず突っ立ったままの小暮は私を見下ろして聞く。
「カメ、どういうことなんだ?変な男に付きまとわれてるのか?」
「いやいやいやいや、ちょ〜っと待って。ど、ど、どうして君がここに?同期会はどうしたの?」
パッと腕時計を見る。時刻はまだ9時前だ。私達は定時で上がってすぐ来ているから3時間ほど飲んでいる計算になるが、営業課はもっと終わるのが遅いはず。今頃一番盛り上がってるはずでは?
酔っ払った頭でもそこまで考えて私は身を捩ってヤツをガン見する。
「ちょっと顔は出したよ。で、すぐこっちに来た。ここにいるって聞いたからな」
「はっ!?誰に?」
そこで私は思わずダンを目で探した。ヤツはテーブルの横あたりをふわふわ浮かびながら、私の視線に気付いて首を振っている。こいつじゃない?じゃあ――――――――――
「さてさて、会計しましょうね、亀山さん」
鞄を持って美紀ちゃんが立ち上がる。
まさか!
私は半眼になって後輩を見上げた。すると髪を下ろしてお酒で頬を染めたラブリーな彼女が、その可憐さを裏切る企んだ微笑を見せたのだ。
――――――――――あんたかっ!?
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