5−A
「ちょ、ちょっと待って・・・」
わたわたと立ち上がろうとする私の横を通り過ぎて、会計に向かう美紀ちゃんのあとを小暮が追いかけていく。ここをヤツにリークしたのは美紀ちゃんであることは間違いない。私は深呼吸を一つしてから、ゆっくりと立ち上がった。
レジ前で仲良く並ぶ彼らの背中を見ながら、鞄から財布を出す。
ダンが近寄ってきて、私の耳元でぼそっと呟いた。
「さてさて・・・あの男が目当てなのはムツミかな?それともあの女かな?」
若干ハイペースで飲んでいた。そのためにふらつく体で何とか立って歩きながら、私はふんと下品に鼻を鳴らす。
「・・・そんなの美紀ちゃんに決まってるでしょ。すぐ追いかけていったじゃない」
そうかな〜というダンの声は無視してやった。ああ、もう。酔っ払った目にヤツのキラキラが鬱陶しいのよ!
店の出口で二人に追いつく。私はぶすっとしたままで、二人を交互に見て口を開いた。
「いくらだった?今日は私が持とうって思ってたから全額請求してちょうだい」
久しぶりの後輩との飲みだったのだ。私がご馳走するつもりで注文していたし、小暮の乱入がなければもっとスマートに会計をするはずだった。格好悪いわよ、私!ブツブツと心の中で飲みすぎた自分に呪いをかけながらそう聞くと、美紀ちゃんがにっこりと笑った。
「あ、小暮課長がご馳走して下さるって!やり取り早くて私も口挟めなかったので、後はお二人で話し合って下さい〜。小暮課長、ありがとうございます!ご馳走様です〜」
「は?」
私はポカンとして同期で出世頭の男を見上げる。繁華街の照明に照らされて立つ小暮は、営業職ならではのやたらと爽やかな笑顔でこちらを見ていた。
「え、え?何であんたが?何も食べてないじゃないのよ。そんなことされたら困る―――――――」
焦って言いかける私の言葉を遮って、美紀ちゃんがそれじゃあ失礼します、と頭を下げる。それに小暮がお疲れ様、と返答していた。
おいおい、無視すんなよ君たち。
私は腕を組んで、それから深いため息をついた。
「・・・何だかよく判らないけど、もういいわ、面倒くさい。じゃあご馳走様。ありがとう小暮。ついでに美紀ちゃんを送ってってあげてよね」
うん?と小暮と美紀ちゃんが振り返った。それから何となく顔を合わせて、同じタイミングで私を見る。・・・何この感覚。この二人、実は双子か何かなの?酔っ払った上に計画と違うことが色々起きて混乱した頭で、私はそんなことを思っていた。
「私は送ってもらう必要ないですよ。危ないのは亀山さんでしょ?」
「カメ足元ふらついてるよな〜」
「それにさっき、気になること聞きましたし。ストーカーとか、危ないですよ!」
「そうだぞ、カメ!一人で帰すわけにはいかないな」
ガックリ。そう言えば、まだ否定出来てなかった。
「・・・私は大丈夫ですから。ストーカーなんていないし、本当安心してちょうだい」
唸るように言って、私は片手で二人を追い払うようにヒラヒラさせる。もういいから早く行きたまえ。万が一送り狼になったとしても、小暮なら無体なことはしなさそうだし安心。それに美紀ちゃんは小暮が好きみたいだし―――――――・・・
そんなことを考えていた私の耳に、美紀ちゃんの明るい声が突き刺さった。
「私、彼が迎えに来てくれるんで大丈夫です。亀山さんが送って貰って下さいよ、でないと私心配で〜」
―――――――――あん?
情報が脳みそに到達するのにゆうに10秒はかかったに違いない。私はしばらくぽかんとして、それから唾飛ばす勢いで彼女に叫んだ。
「――――――――彼っ!?か〜れ〜!?あれ、美紀ちゃんたらいつの間に彼氏出来たの!だってこの前までいないって―――――――」
「ああ、ちょっと違うんですよ。彼氏ではないんです」
ニコニコと微笑んだままで美紀ちゃんはさらりと言った。
「は?彼氏じゃない?」
「ええ、正しくは婚約者であって、つきあったりはしてませんから」
だから彼氏はいません、そう続ける美紀ちゃんを唖然として見詰める。
「婚約者・・・」
「はい。では、、亀山さん、また明日!小暮課長、ありがとうございました!」
「おう〜」
もう一度頭を下げて、出来る後輩は踵を返して去っていく。私はその背中を呆然と眺めたままだった。・・・婚約者・・・だから、彼氏ではないって・・・・まあ、そりゃ確かにそうかもだけど。つか・・・つーか、婚約者がいたんかいなっ!!
「あらまー・・・」
口の中で小さく呟いた。・・・やってくれるね、美紀ちゃんたら。
真夏の夜、繁華街の真ん中で、騒々しくて明るくて喧しくて人がたくさんいた。その夜だと言うのに暑い空気の中に突っ立って、私はぼんやりと小暮を振り返る。
・・・ああ、可哀想じゃん、こいつ。ご馳走までして彼女に彼氏どころか婚約者がいるなんて―――――――――・・・
だけど小暮はガッカリしているようには見えなかった。それどころか私に笑いかけて、駅の方面を親指で示す。
「帰るか?」
「・・・」
あれ?私はちょっと眉間に皺がよってたはずだ。ガヤガヤと煩いバックの喧騒。その中を突っ切って、ダンの美声が頭の中に直接届いた。
『どうやら、ムツミが目的のようだな〜』
笑いを多分に含んだ声。私はそれにカチンときて、ヤツを睨みつけようと周囲を見回す。すると何と、後にいたらしい背後霊・・・・ではなくて、神は、いきなりトン、と私の背中を押したのだ。
「うわっ・・・」
「――――――おっと」
パッと手を差し出されて私は小暮に捕まって止まる。うわわわわ〜!急いで小暮から離れて、額を自分で叩きながら謝った。
「ごめん!」
「いやあ別にいいよ。ほれ、フラフラじゃないかよ、いいから送らせてくれ。山本さんに叱られるの俺だしさ」
「いや、でも本当にだいじょ―――――――」
「よろけといて何言ってんだよ。行くぞ〜」
小暮は背中を向けて歩き出してしまう。畜生〜!!どうしてこんなことに〜!私は仕方なく歩き出しながら、小暮の隣辺りを浮かびながらニヤニヤと笑うダンに呪いの視線を飛ばしていた。
・・・・ああ、殴りたいぜ!あんた何やってんのよってあのキレーな服を掴んでガクガク揺さぶってやりたい!
ギラギラと発射する私の視線ビームを楽しそうに見返して、無駄に美形な神はまたにやりと笑った。
電車の中では、小姑神は何もしなかった。私と小暮も大した会話はせず、ただ他の乗客と一緒に電車に揺られる。ガタンゴトンと電車の音だけが耳の中に響いて、どうして今私は小暮と二人(正しくは二人と一体、だけど)なのだろうか、などと考えていた。
二人でこんなに近くにいたことなど勿論ない。それに今まではただの同期であって、こういう展開もなかったのだ。酔いは醒めつつあったし、私が男と一緒にいるなどということに少しばかりの居心地の悪さも感じていた。
だから、最寄の駅まで来たところで小暮に向き直る。
「ここまででいいよ、ホント有難う。食事まで支払わせちゃったのがどうしても気になるんだけど・・・私に払わせてくれない?」
ヤツは持ち手から手を離してドアへ向かいながら、チラリと私を見る。電車を降りたところで振り返って言った。
「いや、今日のは俺もちで。そうしたいんだ、頼むから、そうさせてくれ」
ホームの上を人が流れていく。ここで別れたら電車賃もかからずに小暮を帰すことが出来る、そう思っていたから、私は邪魔にならないところへ移動しようとした。だけど腕をとられてアッサリとエスカレーターへ乗せられてしまう。
「ちょっとちょっと!ここでいいってば!」
「いいから」
「よくないわよ、いいって言ってるのに」
「公共の場で争うのはよくない」
「あんたがいう事聞いてくれないからでしょおおおお〜!」
だけれども確かに恥かしい。文句だけは言って、仕方なく私は人波に従った。小暮はさっさと改札を出てしまい、今更もういいから帰れ、とは言えない距離にいってしまったのだ。
・・・・・ああ、そうか。あいつ営業じゃん。うう〜・・・ペースを崩されちゃってるよ、私。
だけど誰かとこんなに話したり行動したりするのがとても久しぶりで、美紀ちゃんとの食事で使った体力も大きく、人といるのに不慣れな私にはもう暴れる元気はなかったのだった。
そんなわけで、うんざりして駅を出る。
そこには外灯に照らされて立つ小暮と、その隣をふわふわと浮かぶ白く輝く神。・・・・・ああ、一人になりたい。
私はため息をついて、小暮のいる場所までゆっくりと歩いていった。それから背の高いヤツを見上げていう。
「・・・小暮が気にすることないのよ」
「ん?」
私が何を言い出したのかを計りかねたか、小暮が首を傾げた。
「今日の昼休みの終わり近く、実は偶然聞いちゃったのよね、喫煙コーナーでの同期会の話題」
小暮が真顔のままで私を見た。
「それで美紀ちゃんが・・・あ、山本さんが怒っちゃって、それ慰めるのもあって今晩飲みに行こうってなったの。他人事なのに本気で怒ってるからさ、あの子、優しいよね」
それで美紀ちゃんと飲みに行って、久しぶりに過去の話もして――――――――で、小暮が登場して。・・・ってあれ?美紀ちゃん、いつ小暮に居場所をリークしたんだろう?
若干の疑問がわきつつあったけれど、とにかく今は関係ないことだ。私は言いたかったことを頭の隅から引っ張り出して無言で見ている小暮に言った。
「小暮が庇ってくれたのは嬉しかったけど、もう私の世話焼かなくていいよ?倉井がいった事は口は悪いけれど、他の人も実はそう思ってるって多いと思うし。だから小暮はさ、倉井と仲直りしなさいよ」
私のことは放っておいてくれていいからさ、そう続けて、私は小暮を見上げる。大体将来の見込みもないお局呼ばわりされている私の世話を焼くよりも他に、することなんか幾らでもあるでしょうが、そう思って。
駅前の明りに照らされて、少し疲れた感じの小暮は真面目な顔で私を見ている。うん?反応が全くないぞ?と私が痺れを切らし始めた頃に、ようやく大きなため息をついた。
「・・・ま、仕方ねーよな。俺だってついさっき確信したんだし」
あん?
小暮が零した言葉の意味がよく判らなくて首を傾げる。もしもーし?私が言ったこと、聞いてるのかいな、この男。
とにかく、お前の家までいくぞって小暮が私を促す。それは特に歓迎すべきことではないのだけれど、仕方なく私は自分の部屋に向かって歩き出す。
夏の夜、虫の鳴き声が小さく響く中を、同期の男とキラキラ輝く宙に浮く神、それから私で一緒に歩く。・・・どうしてこんな状態に?せっかく飲んだアルコールも今では勝手に蒸発してしまったようだった。
蒸し暑かったし、言葉もなかった。
いつも通り抜ける公園に差し掛かり他に人影がなくなったところで、小暮が歩きながら話し出した。
「俺さあ」
「うん」
「カメが気になってるってちゃんと判ったんだよね、今晩のことで」
「・・・はい?」
呆気に取られて、つい小暮をガン見する。歩きながらだったので首だけを無理に捻って痛かった。私の視線を受けて、やつはチラリと一瞬だけ私を見た。
な、何を言い出すのだこの男は!私はじんわりと額に汗を感じる。ちょっと待って、だってその言葉って、もしかして、まさか・・・。
後でダンが軽く笑った声を聞いた。その少しの笑い声は、その中に大量の喜びを含んでいるような明るい声だった。
小暮がのんびりと歩きながら前を向いたままで話す。今日の飲み会、ムカついてたけど、とにかく行ったんだって。今更不参加も態度悪いし、カメには予定があるって断られたしって。
「ちょっと残業になっちまって、それで遅れて。だけど行っても全然気分が盛り上がらねーの。男ばっかで、普段話すような奴らだっていうのもあるんだろうけど、それでなくて・・・カメがいないからだって思ったんだ」
「いやいや、気のせいだと思うわよ」
私は咄嗟にそう口を挟んだ。そんなことないだろう、君はきっと昼休みの流れにムカついていたから、飲み会そのものから興味を失っていたに違いないわよ〜!そう心の中で呟いていたら、ダンが後から私の髪の毛をツンツンと引っ張っている。
「こらムツミ!この男が話しているのを邪魔するな!」
私はしかめっ面でダンをにらみつける。こいつもいたんだった!
勿論小暮はダンの存在など知らないから、ちょっと照れたように前を向いたままで話続けている。
「ずっと前からだったんだ。だけど、お前が何でか仕事に対してやる気をなくして凹んでしまった。それも何とかしたかったけどワケも話してくれないし、特に相談もない。俺は仲が良かったって思ってたけど、カメには頼りにされてねーんだなって・・・一度は諦めたんだ。自分の昇進もあってバタバタしたのもあるし」
「・・・」
私は言葉を失っていた―――――――――わけでは、ない。何とバカ神に口を両手で塞がれていたのだった。傍目にはダンの姿は見えないから、私は自分の手を口元でバタバタ動かして無言でいる女に見えたはずだ。
こおおおおおおらあああ〜!!このバカ神!!手をはなせ〜!!
「いいから黙れ、ムツミ!今お前の人生でかなりいい場面なんだぞ!」
疫病神に口を塞がれて発言の自由を奪われている今がどうして人生でかなりいい場面になるのよ、バカ野郎〜!!フガフガと変な音を漏らしながら私は渾身の力で口をこじ開けようと努力した。
くっそ〜!!
「でもやっぱりそうなんだなって今晩思ったんだ。会社出るときに、総務から社内メールきてるのに気がついて。そうしたら山本さんで、亀山さんとここで飲みますって教えてくれてた。だから同期会は抜け出してそっちに行ったんだ。・・・行くとき、楽しかった。カメに会えるって思ったから」
気、気、気のせいよ、小暮君〜!!ってか美紀ちゃんたらそんな職権乱用をしてたのか!敵に回すと恐ろしい後輩なのだな!私は相変わらずダンのバカ力に無理やり抵抗しながらそんなことを思っていた。
言いたい。声を大にしていいたいのよ!小暮、それはあんたの気のせいよ〜って!手をは〜な〜せええええ、バカ神〜!!
小暮が足を止めて振り返った。途端に私の全身から、ダンの力が取り去られたのがわかった。パッと口から空気が入ってきて、驚いた私は目を見開く。
・・・・あ・・・自由に、なった―――――――――――
「だから、カメ。俺と付き合ってくれないか?今よりも・・・ただの同期よりも、もっと近い存在になりたいんだ」
見開いた私の目。その一杯の視界の中には、真ん中に真面目な顔した小暮が外灯に照らされた姿が。そしてその斜め後ろに浮かぶキラキラの疫病神――――――――――
「うんだ!うんと言え、ムツミ!!」
バタバタと両手を振りまわして激しく頷きながらそう叫んでいる。超、楽しそうな神。
・・・・・・・ああ、殺してやりたい。
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