3、ダンの行動@
「ムツミ」
実家からの帰り道、時間は11時を過ぎていて、日曜の夜の終電近くで乗客は他に誰もいなかった。
この車両にはダンと私だけ。ヤツは通路挟んで私の前の座席に座っている。
「な〜に〜?」
他に誰もいないので、傍目には独り言だけれども怪しくないから普通の声で返した。小声じゃなくて会話ができるって素敵だわ。
実家で大量とは言わないけれどそれなりにお酒も飲んできた私は、ほろ酔いで、もうあと暫くは実家に帰らなくていいと思って上機嫌だった。
ダンはその綺麗な瞳で私をじっと見て、しばらく言いにくそうにしたあと、ボソッと聞いた。
「お前は、男に興味がないのか?」
「あん?」
だれきって座席にもたれていた私は半眼だった瞳をパチっと開けた。
「結婚に興味がないと今日ずっと言っていたな〜と思って」
何なのだ、一体。まさか、この小姑、今度は私の結婚問題まで関心をもったとか?
私は怪訝に思いながらも、こういう話題になった時にいつもやるように断言する。
「結婚には興味、ないわね」
「どうして?」
あらまあ!どうして、と来たか。・・・つって、そのままじゃね?だから、興味がないのよ。
ガタンゴトンと電車が走る。その夜の中を縫う感じが好きで、私は窓の外へ目を向けた。それからダラダラと返す。
「今の人間世界の離婚率、知ってるの、ダン?好きあった同士が結婚したところで、結局女にとっては結婚て人の世話なわけよ。ダンナの世話に子供の世話。自分にかける時間がなくてボロボロになる人も多いの。私みたいに今まで独身で好きに生きてきた身には、そんなの耐えられそうにないのよ〜」
自分の好きな時間に寝起きして、躾ける相手もいないから怒鳴ることもない。一人でいる限り家の中ではノーストレス!全ては自己責任の素晴らしい独身時間!どうやって結婚に興味持てっていうのよ。
私は窓の外を見ながら片手をヒラヒラ振った。
「だから興味が、ないのよ。まあ好きな男でもいれば別かもしれないけれど、私には付き合ってる男も長いこといないしね〜」
ダンがふむ、と頷いたのが判った。だけどそれで話は終わらずに、また続けて口を開く。
「男が嫌いなのか?」
「え?いや、別に嫌いではないけど。進んで世話をしたい位好きになる相手はいないわね、確かに」
何だかダンは納得いかない顔をしている。私はヤツに向き直って聞いた。
「どうしてそんなこと気にするのよ?今の日本では、30代後半での結婚も珍しくないのよ、知らないかもしれないけど」
整ったダンの顔。その綺麗な眉が、すっと上がった。
「――――――人間は、子孫を残し、それを確実に育てるために結婚をするだろう。そのために愛という感情認識と性欲があるんだ。そう出来ている。ムツミには性欲がないのか?」
おっとお!喧嘩を売られちゃったぜ。
私はムスッとしたままで鼻を鳴らす。
「昔はあったけど今は枯れてるわね!」
「どうして」
「相手がいないからでしょうが!そう思うけど、実際のところは知らないわよ!」
うがががが〜!!何なのだ、人が折角気分よく電車に揺られているというのに!
噛み付く私を無視して、ダンはその綺麗な顔に真剣な表情を浮かべてこう言う。
「つまり、好きな男がいないから性欲も沸かないし、結婚やその相手と共にいることにも魅力を感じないわけだな。ムツミが惚れる男がいればそれは問題ないわけだ」
「現代ではそれが最大の困難に特定されてるのよ!」
大体元々惚れっぽい人がいればそうでない人もいるでしょうが!私は分類するとすれば、確実に後者のタイプだと思う。一目ぼれなんて信じてないし、この命を上げてもいいと思えるような大恋愛をしたことなどない。
今目の前に完全に自分のタイプの外見をした男を用意されたとしても、その人の中身を知ろうと思って何かの行動を私が起こすとは思えない。そんなのきっと面倒くさいと思うだろう。そして私はその人を見て楽しみ、ああ、今日はラッキーだったな、好みの外見した男を見れたわ〜などと思うに違いないのだ。
私はムカついてイライラと爪を噛む。
座席にだらりともたれかかったままで睨みつける私に、ダンが前から声を飛ばした。
「お前には、色気がない」
カッチーン!
「ほっとけっつーの!!」
何なのよ〜!思わず椅子から背中を離して噛み付きかける私から目を離さず、ダンは考え込むような顔のまま言った。
「異性が長らく側におらず、恋愛感情を抱く相手もいない。だからだろうな〜・・・。うーん」
「だから、私はそれで満足してるのよ。あんたに関係ないでしょ、もう〜!」
「そういうわけにはいかない」
今や私は立ち上がり、仁王立ちになってダンを見下ろす。
「何故なのか五文字以内で述べよ!」
「寂しそうだからだ」
・・・は?
私はダンをじっとみた。
―――――――寂しそう、だからだ。・・・って五文字じゃないじゃん。
言葉をなくしたままで私は神を見ている。電車の揺れはヤツには関係ないらしく、微動だにせずにダンは話す。
「ムツミは、寂しいのにマヒしている。慣れすぎていてそれが当たり前になり、求めていることに気がついていない」
・・・断言しちゃってるよ。おいおい。私は呆気に取られていたけれど、そこでちょっと口を挟んでみた。
「いや、寂しいとか思ってないよ、私」
ダンがふ、っと笑った。
「ムツミは一人の時、たまにぼーっとしている。その間に手でいろんなところを触っているのに気付いているか?唇、髪、足、鼻、自分の体の色んな場所を無意識に撫でている。生物が自分の一部を触るときは寂しいとか不安があるなどの時だと俺は習った」
「・・・」
え、ほんと?私は思い出そうと努力する。だけど無意識だってダンも言ってたじゃん。それがクセになってるなら私は勿論気がついていない。でも・・・寂しい?
「異性に興味がなく恋愛をしていなくとも他に邁進しているものがあれば、充実度は確かに違うだろう。だけど、ムツミは仕事にも欲をなくしている。友人とも遊ばない。異性の目を気にしない。それではお前は一体何の為に生きているんだ?」
――――――あ?
私はまた怒りが湧いてきたのを感じた。
そのタイミングで電車が駅に止まる。ドアがあいて、夏の夜の空気が車両の中に忍び込む。だけど誰の乗り降りもなくて、そのままでドアは閉まった。
相変わらず、終電のこの車両には私とダンだけ。
動き出した電車の振動に両足を踏ん張って耐え、私は目の前の美形に意識を集中させた。
「私が何のために生きようが、あんたには、関係ないわ」
一々区切って言ってやった。このお節介神め。何だって私は今こいつに説教されてるわけ?折角上機嫌だったってのに―――――――――
ダンは私の突き刺しそうな目線にもめげずにじっと見返してくる。
「ムツミの人生をもっと輝かせたらどうだ?」
「―――――――」
「俺は、ムツミに幸せになって欲し―――――――」
「やっかましいいいい〜!!」
腰に当てていた両手を解放して、私はダンに向かって突進した。そしてスナップをきかせて手を振りおろす。
私の人生を、生活を、そんな風に断言して欲しくなかった。あんたに一体何が判る、あんたが一体私の何を知っている?
そんな細かいことを考えたかは判らない。だけども、自分でも制御出来ない強烈な怒りでもって、私はダンに殴りかかったのだ。
―――――――――けど、うまくいかなかった。
「落ち着け」
スイ〜っとダンに避けられて、勢い余って座席に突っ込んだだけ。動きが早すぎて、それでなくても頭に血が上っている私にはダンを追いかけるなんて無理な話だった。
畜生!
悔しさから突き出した右足も空振り。ヤツはす、す、と避けて風のように動き、そのままで私の目の前に立つ。
「人間(お前)は神(俺)に触れない。だけど―――――――」
パシッと両手を掴まれて、目を見開いたままの私は結構な力で引っ張られる。
「神(俺)は人間(お前)を触ることが出来るんだ」
「あ」
視界がいきなり、キラキラで埋められた。
私は突然の成り行きに体を固めたままで声も出せずにいる。
夜を走る誰もいない電車の中、私はダンの腕の中。
ふんわりと光輝く、大きくて強い力の神に、全身を抱きしめられていた。
ダンの着ている衣の中に絡め取られる。プラチナブロンドの細くて長い髪の毛が私の鼻先や顎をくすぐる。
・・・これは、一体――――――――――――
優しい感触の声が響いた。
「本音を言われて怒るということは、まだ諦めきれてないってことだろう」
怒鳴ったり暴れたりが出来なかった。ダンの能力でそうだったわけではないと思う。突然のハグは、それ自体が非常に久しぶりな私から言葉も力も奪っていってしまったらしい。
ただ、私は驚いて固まっていた。
目も口もあけっぱなしで。
片手を私の腰にまわし、ダンはしっかりと私を抱き寄せる。そうしておいて、あいている片手でゆっくりと頭を撫でてきた。
ヤツの、緑の間を吹きぬける風のような温かくて優しい匂いが私を包み、それから明るく涼やかな声が耳の中で響く。
「自分で封印してしまった思いがあるはずだ。こんな予定じゃなかった、こんなはずじゃなかった、そう思うなら、またやってみればいいんだ。ムツミは、自分で自分をダメにしていることに気がついていない」
じんわりと視界が潤みだしたのが判った。
自分で自分をダメに?ちょっとちょっと、どうして私はこんなひよっこ神に、説教されてるの―――――――・・・
ダンはゆっくりと言葉を繋げる。
「死ぬまでに時間を与えられているのは皆同じだ。それをどう使うかで、人生は全く違ったものになる」
聞きたくないのよ。この明るい声なんて。冗談じゃないわよ、ほんと。だけど、手に力が入らないの。
「ムツミが勝手に自分で諦めてきたものは」
聞きたくないんだってば。
「諦める必要なんて、なかったもので――――――」
聞きたく、ない。
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