2−A



 急なお知らせだったのはどうやら私と兄貴だけだったようで、実家には既に祖父母と父母と父の兄夫婦、その娘である私達の従妹、そしてそのダンナと子供達が集まっていた。人数が多くて、やることもそれなりにあるので、ダンのことを忘れていられた。それは大変有難かった。四方八方から飛んできた「いい人出来たの?」の質問を黙殺することも上手に出来たと思う。

 主役である祖父に挨拶した時、病気でほとんど目が見えないはずの祖父が、ダンがいるほうをむいてじっと止まったのには驚いた。

 ・・・見えるの、じっちゃん?

「睦ちゃん」

「え、何?」

 祖父がその皺皺の顔をほころばせる。

「チャンスだと思えば、大丈夫だからね」

 ・・・え?

 小声の祖父の言葉の意味は判らなかった。だけど、ダンがふわふわと寄ってきて祖父の前に立ち、ニコニコと微笑んだのは判った。言葉のない会話をしているようだった。

「ダン?」

 私は小声で神に話しかける。ところが、ダンはこちらをちらりとも見なかった。ただとても優しく微笑んで、ゆっくりと唇を動かしている。

 そして祖父も。

「・・・おじいちゃん、見えてるの?」

 どうしても聞きたくて、私は祖父の隣にしゃがみ込んだ。祖父はそれには答えなかったが、キラリと光る目で私を見て笑う。

 ―――――――――わあ。

 私はそこから少し離れて、騒がしい家の中で別空間を作っている二人を眺めていた。

 祖父はゆっくりと頷きながらダンを見上げている。ダンも私には見せたことがないような優しい微笑みで祖父を見詰めていた。

 光の差し込む居間の片隅で、ダンの体が光っている。その下で微笑むおじいちゃん。私はなぜか、ちょっとばかり感動してしまった。

 ・・・もしかしたら、本当に神なのかもね、そう思って。

 ダンは、本当に神なのかも・・・。

 私は足音を消してそっと台所に戻った。


 この世の中の、何か素晴らしく美しいものをみたような気がする。



 夜になって、やっと兄貴がやってきた。

 うちの兄は二つ上の現在31歳、独身。亀山陽介という名前で、のほほんとした外見で中身はマイ・ワールド・オンリーという鬱陶しい男だ。

 学生時代からコンピューターに強く、そのオタク系の頭には私には判らない思考系統があるようで、外資系の企画会社でシステムの管理などをしているらしい。ガッツリした専門職で残業や休日出勤も多く、私とは違ってしっかりと働き、ちゃんと金も稼いでいる。ただし、その金は趣味であるコンピューターやどこかの国の音楽に消えていっている(はずだ。学生時代から趣味が変わっていなければ)。

 よく似ていると幼少時から言われてきたが、仲はよくない。お互いに同じ部屋にいても無言で数時間過ごす兄妹だった。兄は常に何かの音楽をイヤホンで聴いているし、私は本を読んだりしているしで。

 だから約1年ぶりに会った今日も、兄はチラリと私を見下ろしただけ。私はギロッと兄を見上げただけだった。

 ヤツの耳にはまた、巨大なヘッドフォンがひっついている。あれで頭に直接音楽を注ぎ込んでいるわけだ。あそこまでくれば、もう立派なミュージック・ジャンキー。しかも歌うでもノるでもなく、ただ淡々と無言で聞く。一体どういう生物なのだ?なぜ難聴にならないのかが、兄に対して唯一沸き起こる疑問だった。

「・・・」

「・・・」

 一瞬だけ視線を交差させただけで、ふん、とそっぽを向く。仲がよくない兄妹は、いてもいなくても同じなのだ。

 豪勢な夕食が並べられ、皆で祖父に向かって乾杯する。祖父母、父母に叔父叔母と従妹一家は和やかに食事を楽しみ、私と兄貴は黙々と箸を動かし、お互いに自分の世界へ没頭していた。これもいつものこと。だけどそろそろ酒のまわった叔父たちが、絡みだす頃―――――・・・

「陽介君、そろそろ彼女でも出来た?もう今年で32歳じゃなかったっけ?結婚なんか、考えてないの?」

 ほら、やっぱり。

 机の向こう側をちらりと見て、陽介君と呼ばれた兄はまた自分の前に目を戻す。そして淡々と答えた。

「考えてない」

 ガハハハハ!と何故か爆笑する叔父。それから隣の叔母が、今度は私に向かって言う。

「睦ちゃんは?ほら、女の子は出産のリミットもあるし、そろそろどこかいい家に嫁いでお父さんやお母さんに孫を抱かせてあげなさいよ」

 ・・・貰った言葉のいちいちがむかつくぜ。

 私は一応にっこりと笑っておくか考えた。だけど、2秒で頭を振ってやめる。そして兄に従うことにした。つまり、真顔でこう言った。

「予定ないです」

 それからテーブルの中央に並べられた缶ビールをひったくってあけ、ぐびぐびと飲み干す。兄貴は酒もタバコもやらない人間なのだ。私はその点で、大いにバカにしている。

 酒は音楽に勝ると思うのだ、テンションを上げる、という意味で。勿論兄貴は山ほどの理屈でもってこの持論を破壊しようと頑張るだろうけど。

 母親が、視界の端でため息をついたのが判った。

 ここで従姉妹が自分の父母に文句をいう。家に嫁ぐとか古い云々。お母さんたちに関係ないんだから陽君やむっちゃんのことは放っておいてあげて云々。亀山兄妹は黙って食事を続ける。このノイズはいつものことだけど、どうにかならないかなー・・・と思って兄貴を盗み見ると、やつの耳の中に何かを発見した。

 うん?何だ、アレは。

「・・・ちょっとお兄ちゃん、耳に何いれてんのよ」

 トントンと膝を叩いて、私は小声で兄に言った。兄貴は私を一瞬だけ横目で見ると、座ったままでポケットの中を探る。そして出した手の中には耳栓。うお!なんてこったい!そんな秘密兵器があったとは!

 私がそう思って仰け反っていると、娘からの説教にめげていない叔父さんからまた攻撃がきた。

「見合いなんか、どうだ?ん?陽介君も睦ちゃんも。いい人を紹介しようか?」

 兄は聞こえない振りで無視しようとした。だから親切な私はヤツの耳から栓をぬいてやる。

「あ、こら!」

「自分だけ逃げようったってそうはいかないわよ〜だ!」

 しばしの睨み合い。母親が、まあ陽介ったら!と呆れた声を上げた。

「返せよ」

「嫌よ。食事中でしょ、兄貴も会話に参加しなさいよ」

 がるるるる。兄妹で睨みあう。だけど、叔父さんが再度「見合い、どうだ?」と聞いた時、私が声を出す前に兄貴が先に言った。

「あ、妹に紹介してやって。俺は間に合ってるから」

「え!?いやいや、叔父さん、先に兄貴に宜しく。やっぱり順番は守らなくちゃねえ!」

「ほら、女はリミットがあるとかで」

「いや、男は会社での体面もあるだろうし」

 がるるるるる。机上では無表情で睨みあい、机下では耳栓の激しい取り合いをしていた。

 叔父さんは兄妹が会話に乗ってきたので喜んで、兄貴に向き直る。

「じゃあ陽介君、うちの会社の女の子で―――――」

 兄貴が私から視線を外して体を戻し、パッと片手を顔の前に出した。

「結構。大変な女が一人、周囲にいるんだ。それで手一杯だから」

 へえ。私がその言葉を頭の中で転がしていると、次はおばさんが私に言う。

「なら睦ちゃん―――――」

「いえいえ!私も大変な男が一人、周囲にいるので。それで手一杯です!」

 つか、それは今ふわふわと叔父さんの後ろを浮遊してるよ。

 ダンと目が会ったので、あっかんべーをしたい気持ちを抑えるのに苦労した。

 従姉妹が面白そうに私たちを見て、自分の子供の世話を焼きに席を立つ。心底残念そうな父母その他を無視して、私は兄貴にボソッと聞いた。

「ちょっとお兄ちゃん、彼女出来たの?大変な女って誰」

 とたんに無表情の兄がしかめっ面になった。

「あんなのが彼女とか、勘弁してくれ。今の会社の同期なんだが、何と言うか・・・台風みたいな女なんだ」

 重いため息。そういえば兄貴は数年前に会社を変えていたな、と思い出した。そこでの同僚に大変な女がいるらしいと判って、ちょっと兄貴に同情した。そうか、それは可哀相かもね、そう思って。

「別にその人のことが好きだとか、そんなんではないってこと?」

「有り得ない。そんな恐ろしいこと、考えるのも嫌だぜ」

 ・・・そこまで?私は若干興味を引かれた。この淡々として自分の世界にいつでも浸っている兄貴を、ここまで困らせるというか嫌がらせる女性というのは、一体どんな人なのだろうか。

 話を終わらせたかったのか、今度は兄貴が私を見下ろして口を開いた。

「お前は?大変な男って何だ?勘違い男とか、DV男とか?」

 それは、大変というのでなくて悲惨というのではないだろうか?私は眉間に皺を寄せて、兄貴の想像を一瞬で払いのける。

「・・・・うーん。そんな、別に変態ではないのよ。まあ、一種のパートナーなの。仕方なく組んでるけど、とにかくハリケーンみたいな男でさ」

 派手で破壊力が凄まじい。

 だけど兄貴には私の苦労がわかったようだった。生まれて初めて、同情の言葉を貰ったのだ。

「お前も大変だな」

「うん・・・・兄貴もね」


 歴史的瞬間だったことは間違いない。亀山兄妹が分かり合えた初めての時だったのだから。








 ダンのメモA親族の会話を聞けば、ある程度の未来が判っておもしろい。特に兄弟姉妹間の会話には注目すべし。








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