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 その出会いのことは、秋の間はそんなに私の頭の中に出てこなかった。

 実際、ちょっと忘れかけてもいた。私は両親と実家にいる間から、自分で手作りのアクセサリーをこしらえては友達や、欲しいと言って貰える人に安く販売したりプレゼントしたりしていて、姉と二人で暮らすようになってからは、家賃の為に、それをちゃんとした販売業へと変えたのだ。

 クリスマス前はその注文が結構くる。ここ3年でようやく軌道に乗り出したそれを、私は体調に気をつけながら必死でやっていたのだ。

 だからあの青いピアスの龍治さんて男性のことも、彼が言った3つのRもあまり思い出す暇がなかったのだろう。


 冬が来て、珍しく雪も沢山降って、私は姉と一緒に実家に戻ったりしてお正月をいつものように過ごす。翻訳家である姉が唯一休めるといっていい正月は、こうして家族全員で過ごすのが毎年の恒例だった。

「潤はお仕事どうなの?販売の方は、うまく行ってる?」

 母がそう聞くのに、私はテレビを見たままでうんと答える。無言の父が新聞紙の向こう側で聞き耳を立てているのには気がついていた。

 こたつの中で姉の足が私の太ももを蹴り飛ばした。もっとちゃんと答えなさいってことなんだろう。・・・はいはい、判りました。私は母親の方へ向き直り、ちゃんと言葉を続けた。

「朔君のお陰で売り上げは上がってるし、順調と言えると思うわ」

 そう答えると、あからさまにホッとした空気がその場に流れた。私は苦笑してまたテレビに目を向ける。

 ビーズやレースやキルトを加工したりして、それに銀や金の小物をつけたアクセサリーなどを販売している。それは基本的には口コミで伝わった人達の間だけで、売り上げはようやく自分の分の家賃になるかどうかってほどだった。
 
 だから悔しいけれど、私は元夫が別れる時に大量に振り込んできたお金で生活を支えて貰っていたのだ。足りない分を、少しずつ引き出して使う。彼が懸命に倒れるまで働いたお金を自分が使うのは非常な抵抗があった。私ではなく、誰かの為に使いたい、そうずっと思ってきて、そのためにはやはり収入を増やさなくてはならない。

 ここ3年でアルバイトに出たこともあったけど、いつも疲れて熱を出し、職場に迷惑がかかることが多くて辞めてしまったのだ。私には何が出来るのか、そう考えて沈みまくっていた日々を乗り越え、やはりもうちょっと強くなろうと、考えに考えて始めたのがアクセサリーの販売なのだ。

 それを、パソコンの専門業をしているネットオタク(姉曰く)の従兄弟の朔朗君に勧められて、インターネットでも販売することにしたのだ。手作業で一つずつ作るので、時間がかかる。それで今までは二の足を踏んできたことだった。だけど、ネット販売に手を出すのも考えてみたら?と誘われてどうしようかなと悩んでいた夜、そこで、あの男の人の声を急にハッキリ思い出したのだった。


 3つのR、やってみたら?


 低い、それでも明るい声で、あの風の強い日に、体中怪我をしていたあの男の人が言っていた。

 人生で困難な時には、それをやってみろって先輩が――――――――――

 忘れていたのに、その時はほとんど呆然としていてちゃんと聞いてはいなかったと思っていたのに、ちゃんと私の耳はそれを聞いていたのだった。そして覚えていた。

 背筋をピンと伸ばして、思わず座りなおしたのだ。

 ・・・やってみようかって。

 私が未だに離婚をした5年前に捉われているとは、思いたくない。実際はもうほとんど大丈夫なはずなのだ。だけど、生活はさほど変わってない。そろそろちゃんと動き出す、そういう時期なのかも――――――――――

 新しいことを始めるのには、案外キッカケや体力がいるものだ。私は販売を拡大するに当たって、彼の言葉をスタートの理由にはめ込んだ。

 サイトを作り、宣伝する。口座を別に用意して、配送用にオリジナルの袋を作った。それらの作業は疲れたけれど楽しかった。

 知人とその口コミで注文してくれた人だけを相手にする販売、それでは食べていくなんてことは出来ない。そんな大きな収入にはなるにはもっと工夫が必要だろうと判っていた。だから、まだしばらくは元夫がくれた慰謝料という名前の大金を少しずつ使っていくことになりそうだった。それは悔しいことだったから、食費以外には使わない。

 家賃やその他は、アクセサリーの販売で捻出する。それでも足りない分だけを、元夫がくれたお金で賄っていく。


 いつか。

 いつか、このお金は誰かの為に使いたい。

 返すことも断ることも出来なかったこのお金は違う誰かを助けるためにって。ずっとそう思って、それが叶えられない悔しさに唇をかみ締めながら切り取っていくのだ。

 早く、ちゃんと自力で生活をしたい。

 それを強く思いながら、思い通りにならない細い体を持て余していた。



 正月を終えて姉との家に戻った夜、私は紙に大きく文字を書いて自分の部屋へ貼った。

「reduce=減らす」

 これで、良し。出来るかどうかはおいておいて、少なくとも文字は綺麗に書けてるわ、そう思って満足に壁に貼った紙を眺めた。

「・・・まず、一つめ」

 1つ目のRだ。減らす。この言葉を私の人生に置き換えて、何がどう動くか考えなきゃ。

 壁に張られた白い紙に太いマジックで書いたその英単語を、私は目が痛くなるまで見詰めていた。・・・減らす。減らす、減らす。

 何を?

 ・・・過去、そして、記憶とそれに付随する物たちを。




 翌日から、私はそれを始めることにした。つまり、減らすのだ。色んなものを。そして要らないもの、今は必要のないものを削ぎとった私になる。

 まずは結婚していた頃のものを部屋の中に集めた。例えば古い携帯電話の機種。この中には元夫との、学生時代からのメールや動画も記録されている。それらが可愛くて残しておいたわけではない。だけど、携帯電話の捨て方なんて知らなかったし、私はそれを解約してからも新しい携帯をもたなかった。だから何となしにおいてあったのだ。

 それを、ポイ。

 次は本や音楽類。元々は彼が好きで私も影響されて読むようになった作家の本などは、ごめんなさいと手をあわせて、ポイ。読むようにはなった。だけど、別に好きにはなれなかった。そういうものたちだ。結婚に限らず、一緒に生活をしていると結構あるそういう小物達。

 そして洋服だ。ほそっこいせいで昔からの服をずっと着続けている。だけどこれでは鏡の中の私は顔や髪型以外はいつまでも昔のままだ、と今朝改めて思ったのだ。

 というわけで、次から次へと出して、ポイ。ゴミ袋につっこみゃいいって量でもなかったから、段ボールを組み立ててそれにどんどん突っ込んでいった。分別はあとですることにして。

 その途中でつい、手を止めて思わず見てしまう服が何着かあった。・・・ああ、これは。そう思ってつい見入ってしまう服が。

 これは、結婚を決めた時に彼とのデートで着ていた服。お気に入りのワンピースで、彼はそれを着ると顔中の笑顔を見せてくれたものだった、とか、これは両家の顔合わせの時に着たんだった、それであちらのご両親が褒めてくれて・・・それとか新婚旅行で買った・・・。

 思わず呆然としてしまった。

 ああ・・・何てこと。そう改めて思ったのだ。気がつかなかっただけで、私、未だにこんなに過去に包まれて生きていたんだわって。

 そんなつもりはなかった。だけど、いざ捨てようと思うと出てくる元夫との思い出の数々。5年も経っていて、こんな事になろうとは思っても見なかった。

 数時間は使ってしまった。それでも私はまた手を動かす。口の中で、ひたすらおまじないみたいに繰り返していた、reduce、reduce、reduce!ああ、もう!私は次に行きたいのよって。

「・・・ちょっとお、潤ちゃん?あなた一体何するつもり?年末の大掃除は年末にするもんよ」

 ご飯ですよ〜と声を出しながら呼びに来た姉が、ぎょっとしたように入口で立ちすくんでそう聞いた。

 一心不乱に捨てるという行為に没頭していた私は、ぼさぼさの髪を振り払って簡単に答える。

「黙って。これが必要らしいのよ、私」

「・・・はい?何?」

 姉の方をみずに、手を黙々と動かしながら私は言う。

「去年の秋に病院で、耳がルーズリーフの男の人に会ったって話したよね?」

「へ?――――――ああ、はいはい。えらく目立つピアスと、ボコボコの顔だったって人のこと?」

 あなたが中々帰ってこなくて、ちょっと心配したあの日ね〜と姉は指で口元を叩く。

 そうそう、私は頷いて、ずっと履いてなかった黄色いブーツと1年目の結婚記念日に彼と買ったお揃いのスリッパを段ボールに突っ込む。今考えたら、どうしてそんなものを取っておいたのだろうか。

「その男の人が、教えてくれたの。新しい人生の歩き方・・・ちょっと違うか。まあ、いいのよ。とりあえず私は今断舎利中なんだから」

 ・・・ああ、そう。姉の、怪訝な声が聞こえる。きっと頭の中では、どうしちゃったの、この子、とか思ってるのだろう。しばらく無言で私のやることを見ていたけど、その内また声が飛んできた。

「ちょっと潤子、だから、ご飯だっつーの。一度手をとめなさいよ、キチガイみたいになってるわよ」

「ううー!」

 邪魔されて私は膨れる。だけど、お腹も確かに空いているし、体が弱かろうが強かろうがご飯は大切だ。しぶしぶ立ち上がった。

 戸口に背中を預けてもたれる姉が、にやりと笑って私を見る。

「・・・何よ」

 ふふん、そう笑ってから、姉は私の後を歩きながら言った。

「その男、いい男だったの?」

「え?」

 一瞬意味が判らなくて、廊下を歩きながら私は振り返る。姉はニヤニヤと笑ったままで言い直した。




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