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「あーあ、自業自得とは言え散々だよな。多分店も首だろうし、弁償も・・・うわああ〜・・・」

 そう言って更に肩を落とすから、私は笑うのを止めて聞いた。

「え、首なんですか?相手も怪我を?」

「そうそう、相手の方が酷いかな。暴れちまったもんは仕方ないけど、うちの店長怖いんだよ。うわ〜・・・絶対拷問だ。まあ前科にならなかっただけでもラッキーと思わなきゃならないことは判ってるんだけど」

「拷問!そ、そんなに怖いんですか、上司の方」

「怖い怖い。戻れるもんなら昨日からやり直したいねえ」

 そう言いながら、彼の顔は随分とアッサリとした表情だった。もう本気で仕方ないないって思っているような。

「それにほら。しまったことに俺、腕を怪我しちゃったんだよな」

「・・・わあ」

 言われてみれば、彼の右手首から肘にかけて包帯がまいてあった。今まで何を見てたの、私!?そう思ったほどそれは目立っていた。・・・板前が腕を怪我。それは、よく考えなくても大変だよね・・・。

 私が同情した顔をしたらしい。彼はきゅっと口の端を上げて笑顔を作ると、まあ、自業自得だから仕方ないっすよ、と言う。

「俺のことはいいや。・・・えーっと、その・・・そちらはどこか、悪いんですか?夜間に点滴なんて、あまり聞かないっていうか・・・うーんと」

 丁寧に話すことが、とても慣れないらしい。その言いにくそうな感じに私はまた笑う。思ったより怖くない、この人。そう思って安心もしていた。

「大丈夫ですよ。重い病気とかではないんです。ただ昔から体が弱くて、疲れるとよく高熱を出すもので」

「あ、そうなんですね。高熱って38度とか?」

 彼の返しにまた笑ってしまった。普通の人ならそうかもね、そう思って。

「40度はいきますね」

「うわ、それはしんどいかも」

 大人で40度なんて出るのか、そう呟くのに大いに心の中で頷いた。私もそう思いたいですよ、って。私とくればもう慣れてしまって、38度くらいでは感じないほどだ。一気に40度まで駆け上がるのでそんな体温を見ることはないのだけれど。

「そうそう、だから点滴です。とにかく熱が下がるので」

「ああ、なるほど」

 うんうんと頷いている。余りにもペースよく喋っていて、だから私はついぽろっと零してしまったのだ。

「でもこれでもマシになったんですよ、離婚した時よりは」

 って。

 彼が一瞬で真顔になってチラリと私を見たのが判った。


 私はハッとして、それから焦ってワタワタと舌を絡ませながら喋る。

「あ、あの――――――元々体が弱かったんですけど、それで結婚生活もうまくいかなくて、それでちょっと自分が嫌になっていて、だけど、あの、もう気持ちも落ち着いたし・・・すみません、こんなことどうでもいいって言うんですよねえ」

 もう一度横目で私を見て、彼は前に向き直る。顔を上向きにして風に揺られる緑や飛んでいく雲をみているようだった。

 反応がよく判らずに、私もぐっと黙る。・・・ああ、本当に余計なこと言っちゃったなあ〜・・・。トホホだった。折角昨日お話した男性とまた会えて話をしていたのに、自分から暗くしてどうするのだ。もう、本当に嫌になっちゃう・・・。

 凹む私にも風は優しく吹いて来る。隣の男の人は相変わらず黙ったままだったけど、気まずい沈黙とは思わなかった。だから私も徐々に肩の力を抜いた。

「・・・俺は経験ないから、なんともだけどさ」

 隣から声が聞こえて、私は背筋を伸ばす。恐る恐る横を見ると、彼は前を向いたままで平然とした顔で話していた。

「結婚すら考えたことねーし・・・だから、まあ、そんな経験はねーんだけど、でもとにかく、大丈夫だと思いますよ」

「え?何が?」

 大丈夫?私はまた話しについていけてないのだろうか、ちょっと不安になりながら聞き返すと、彼はうーんと唸って片手で目元をごしごしと擦る。

「あ、痛っ!」

「・・・大丈夫ですか?」

 怪我している目元ごしごしやったらそりゃあ痛いでしょうよ、私が多少呆れてみていると、彼は苦笑してだいじょーぶ、と繰り返す。

「だからあんた・・・いや、そっちもダイジョーブだよ。全然大丈夫」

 そう言ってから、前かがみになって両手の指先を合わせる。いえ、あなたの目元の怪我の状態と私の離婚問題は全く関係ないでしょうがよ、そう思ったけど、何も言わずに私は彼を見ていた。彼は考えるような顔をしたままで喋りだす。

「・・・別れた原因がDVとかそんなんじゃないんだったら・・・自由になったってことでしょ?お互いに。縁があって結婚したけど、その縁はそれほどのことじゃなかったってだけ・・・と思えば大丈夫なんじゃないかって。まだ人生は長いし、まだ何度でもトライ出来ると思う」

「――――――――」

 私は相槌も打たずに聞いていた。離婚して、色んな慰め方をされたけど、こういう言われ方は初めてだったのだ。どっちが悪いとかもうちょっと頑張ったらとかではなく、それほどのことじゃなかっただけっていうのが。

 離婚した直後なら多少怒ったかもしれない。あなたに何がわかるのって、私は頭にきたかもしれない。だけどももう5年の月日が経っていて、そういう状態からは抜け出ていた。

 だから、ストンと物が落ちるみたいに、納得したのだ。・・・・そうかもねえって。

「や、まあ、一人もんの戯言だと思ってくれていいけどさ。でも、うーん・・・体力はないかもしれないけど普通に生活は出来るんでしょ?その柔らかい笑顔があれば、また新しい男が見付かるよ。今度はもっと合う男がさ」

 彼は最後の所でパッと振り向いて、にっこりと笑う。私は思わず赤面してしまった。わあ・・・そんな褒め言葉男性に言われたのは久しぶりすぎて!

「・・・その・・・ありがとうございます」

「いえいえ。元々自信がない人なのかなと思って。可愛いよ、ダイジョーブ」

「か、可愛いと言われる年齢では!」

 焦ったあまり舌が絡まった。ちらりと面白そうな顔をして、彼は私を覗きこむ。

「ダメ?そんなの年関係ないと思うけど〜。うーん、なら、素敵な笑顔、ですよ。男を避けないで、近づいたらいいんだよ」

 くらくらとしてきた。自慢ではないが、男性にも女性にも手放しで面と向かって褒められることなんてなかったのだ。元夫は愛嬌満開の人ではあったし口もうまかったけど、そんな台詞を言うには照れ屋な人だったから。

 熱くなってしまった頬を少しでも冷まそうと、風に向けて顔を上げる。隣から見ている男の人の視線を避けて、顔の横に手の平を立てた。

「いえ、別に男性を避けてるわけでは・・・。でももう男の人は・・・いいかなあ〜。元々きっと、恋愛感情も淡白なんだろうって思うし」

 手のひらで視線を遮りながらそう言うと、隣に座る彼が突然、ポンと手を打った。

「3つのRって知ってます?」

「は?」

 いきなり何?私は衝立にしていた手の平を退けて、目を瞬く。い、いきなり違う話題を振られると頭がついていかないんですけど――――――――

 外見がボロボロだけどやはり何となしに全身格好いいその人は、少しばかり悪そうな顔でにやりと笑う。それから組んだ足をぶらぶらさせて話し出した。

「環境ワードっつーのかな。俺は料理人の学校で習ったんだけどね、3つのR。reduce、reuse、recycle」

「し、知りません。ついでに、発音が良すぎて聞き取れません」

 正直に答えた。自分としては多少情けなかったけど、仕方ないではないの!だって本当に聞き取れなかった。特に最初。

 彼は今度はハッキリと声に出して笑う。あはははって、明るい声が風と一緒に緑を揺らして遠ざかっていく。

「reduce、reuse、recycle。減らす、再使用する、再生する。人生で行き詰ったらそれをしてみろって先輩が言ってた。今思い出したんだけどね。・・・すみません、年上かどうかが判らないけど俺もう限界だからタメ語でいいかな」

 混乱したままで、とりあえず私は頷いた。

「ええ、勿論。使い難そうだなあって思ってましたし」

「ついでに名前も聞いていい?」

「え、あの、はい。・・・阿達潤子といいます」

 アダチ・ジュンコさん?彼がニッコリ笑った。垂れ目を細めて、大きな口元をきゅう〜っと上げて。それは色気も可愛げもある表情で、私はハッとする。大きな笑顔だなあと思って、ちょっと羨ましいくらいの明るさがあって。いいなあと思ったのだ。

「漢字は?」

「え?あ、ええと・・・」

 手の平に漢字をなぞって書いてみせると、その笑顔のままで、ありゃ残念って彼は言う。

「獣はなしか。山神では働けねーな。ま、今は人手も足りてるけど」

「はい?」

 呟いた言葉が更に意味が判らずに聞き返すと、ああ、こっちの話しと手をフラフラしていた。それから痛みを堪えてか、顔を歪めて慎重に立ち上がる。

「ジュンコ、さん。3つのRしてみたら?減らす、再使用する、再利用・再生する、だよ。もしまだ過去に捉われてるんならって話しだけどね」

「・・・」

 立ち上がって風に髪を乱され、それに目を細めて話す彼を見上げていた。

 やっぱり大きな人だなあ〜、そう簡単に思って、実はあんまりちゃんと聞いてなかったかもしれない。

 彼は最後にまたにっこりと笑うと、じゃあお大事に〜、そう言って片手を上げる。

「あ、はい。あなたも・・・」

 既に向けられていた背中に向かってそう言うと、耳のピアスを煌かせて彼がヒョイと振り返った。

「――――――――そうだ、俺さ」

 私はベンチに座ったままで、彼を見ていた。

「名前、右田龍治。酒処山神の、板前の龍だよ―――――――首になってなけりゃあね」

 え、何?

 私が首を傾げるのと彼が前を向いて歩いていくのが一緒のタイミングだった。私はそれ以上彼に声をかけることは叶わず、彼が消えてからもそのベンチで30分ほどぼーっと座って過ごし、ようやく腰を上げる。

「・・・帰らないと」

 ボソッと呟いて、ようやく病院の門へ向かった。

 ・・・もう夕方じゃない。お姉ちゃんが心配してるかも。外で仕事をしているわけではないし、私は携帯電話というものを持っていなかった。そんな余裕な資金はなかったし、必要もなかったからだ。

 だから私には連絡を取りにくい。姉が心配しているかも、その考えでようやく頭が働きだした。足を急がせる。

 ああ、今晩は私がご飯の当番だったのに。買い物もして帰らなきゃ――――――――――

 どんどん迫り来る真っ赤な夕焼け空に追い立てられるように、私は急いで家に帰ったのだった。



 彼との出会いは私に不思議な余韻を残して、その後しばらくの間毎日を漂っていた。






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