A
ゴミを見つけると屈んで拾い、袋に入れる。
缶。
パンが入ってた袋。
何かの布の切れ端。
ペットボトルとお菓子の袋。
缶。
燃やされた後の木の棒。
ペットボトル。
クリちゃん。
―――――――――え?
私の足元に、柴犬の子犬のクリちゃんがいた。手を止めて反射的に見上げると、そこには飼い主の徳井さん。いつも通りのあっさりとしたシンプルな格好で、眼鏡をかけて立っていた。
「阿達さん、久しぶりですね」
「徳井さん」
あ、本当に久しぶりだわ。私はそう思って、頭を下げる。そのついでにしゃがみ込んでクリちゃんの頭をなでた。
手のひらにふんわりとした毛の感触。温かいクリちゃんは嬉しそうに舌を出している。
「・・・しばらく見なかったので、体調が悪いのかと思ってました。何だか、感じが変わりましたね。一瞬判らなかったです」
掠れ気味の心地よい声。うーん。この男の人は、本当に静かで落ち着いてるよね・・・私はクリちゃんを撫でながら答える。
「そうなんですよ。姉にイメチェンを強要されまして・・・しばらくバタバタで、ゴミ拾いに来れなくて」
クリちゃんが手を舐める。私は笑いながら手を引っ込めた。
「ダメよ、ゴミ拾ってた手を舐めちゃ」
彼女の舌から逃げる為に、立ち上がった。視線を感じて顔を上げると、徳井さんがじっと見ているのに気がついた。
・・・うわ、何だろ。私が微かに身を引いたのに気がついたらしい彼が、少しばかり慌てた声を出す。
「あ、失礼。雰囲気がえらく変わったな、と思いましたけど―――――――――あの、髪型も服装も似合ってます」
「・・・ありがとうございます。姉が喜びそうですよ、それを言ったら」
徳井さんの瞳が眼鏡の中で微笑んだのが判った。私も彼に微笑みかけて、その後ろの方に新たなゴミを発見した。
あ、ゴミ発見。
「では失礼します」
会釈をして徳井さんの横を通り過ぎる。そのゴミを拾おうとして手を伸ばしたところで、あの、と声が聞こえた。
え?
中途半端な体勢で振り返った私に、徳井さんが言った。
「阿達さん、今日の午後はお時間ありますか?良かったら、前に言ってた昼食に行きませんか」
・・・あら。私はとりあえず腰を真っ直ぐに伸ばして向き直る。困ったな、また何てタイミングの悪い・・・。
「あ、今日は―――――――」
「ジュンコさん、遅いよ」
答えようと口を開いたところで、明るい声が被さった。
徳井さんが、え?と私の後ろを見る。私もパッと振り返った。この声は、あらら――――――――
口の左端をひゅっと上げてひょうきんな顔をした龍さんが、立っていた。
長袖を肘までまくっていて、大きな手をズボンのポケットに突っ込んでいる。陽光を浴びて彼の茶髪や青いピアスが光り、眩しそうに細めた瞳がこちらを真っ直ぐに見ていた。
「え、龍さんもう終わったの?」
私が驚いてそう聞くと、うん、と頷いて彼はスタスタとこちらにやってくる。そして私が拾い損ねた缶を拾いあげて、自分のゴミ袋に突っ込んだ。
「待ってても来ないからさ、迎えにきた」
「あ、ごめんね」
ぼーっとしたり徳井さんやクリちゃんと会ったりで、私はかなりペースが遅れていたらしい。私が謝るのに、いや別にいいけどさ、と返して、龍さんが徳井さんの連れるクリちゃんに目を留めた。
「おおー!柴犬だ柴犬〜」
明るい声を出してすっ飛んでいく。その素早さに私はぎょっとして慌てて体を避けた。
龍さんは徳井さんの足元で同じく驚いたらしいクリちゃんに、しゃがみ込んで早速話しかけている。
「可愛いなあ、お前!うーん、なんてくりくりした目なんだ!萌えちゃうぜ〜!」
徳井さんも驚いたような顔をしていたけれど、ふ、っと微笑して龍さんに言った。
「名前はクリです。5ヶ月の女の子ですよ」
「そうか、お前栗毛だもんなあ〜!俺とお揃いだ〜」
私はついあははと笑ってしまった。
クリちゃんと同じく、龍さんも尻尾を生やして振っているように見えたのだ。茶色だし・・・うくくく、同じだわ、この二人。
私も近寄って行って、龍さんの隣にしゃがみ込んでクリちゃんの頭を撫でる。彼女はいきなり人間達に囲まれて可愛がられ、それを喜んで超興奮状態だった。千切れるかと思うほどに小さな尻尾を振りまくり、舌を出しっぱなしにしてピョンピョン跳ねている。
「おー、喜んでるぜ〜」
龍さんがニコニコとクリちゃんの頭を撫でまくる。・・・前の犬といい、この人、本当に犬が好きなんだろうなあ〜、私はそう思って楽しい気分になる。
一気に明るくなった雰囲気の中、徳井さんが、さて、と言った。
「阿達さん」
「え、は、はい?」
私が見上げると、徳井さんは苦笑を浮かべて会釈をした。
「またの機会に。今日は、失礼します」
「あ、あの、はい。さようなら」
クリちゃんが舌を出したまま名残惜しそうに振り返る。龍さんがニコニコと笑ったままで立ち上がって、彼女に手を振った。
「またな〜」
「クリちゃん、またね」
私も並んで手を振る。
最後にもう一度会釈をして、徳井さんはクリちゃんを連れて歩いて行った。
「マジで可愛いな。子供はなんだって可愛いと思うけど、犬は格別」
まだ遠ざかる徳井さんとクリちゃんを見詰めながら、龍さんがぼそっと言う。
私は背の高い彼を見上げて覗き込むようにした。
「龍さんも飼ったらいいじゃないですか?」
「・・・俺のアパートはペット禁止だからね〜。一人暮らしでよく外出するから、あまり構ってやれねーし」
「あ、そうか。ペットの方が寂しいかな、それでは」
うーんと私は考える。特に、子犬や子猫だったらきっと寂しがるよね。あまり家にいない飼い主では。だって私だって、一人で待っていて寂しかったし―――――――――・・・
「ところで」
龍さんの低い声で、私の思考は破られる。え?と見上げると、体も顔も前をむいたままで目だけをこっちに寄せて、彼がじいーっと私を見下ろしていた。
―――――――――うひゃあ・・・。
「え、どう・・・したの?」
少し、いやかなりビビッて私は体を固くする。な、なんでしょうか。何でこんなに真顔なんですか?垂れ目の龍さんは普通にしてても愛嬌がある可愛い顔だけど、ちょっと・・・あのー・・・怖いんですけど。
ダラダラと心の中でそう思っていたら、彼のひっく〜い声が聞こえた。
「あの男、誰?」
「―――――――――」
・・・お、怒って・・・る?
「あの・・・徳井さん、です。犬の散歩で会う・・・」
何て答えたらいいかが判らなくて、とりあえず知っているから名前を言ってみた。男性です、なんて答えたら「見たら判る!」って怒鳴られそうだし・・・。
目だけを向けていた龍さんが、視線を私から外して少し考えるような顔をした。それから一人で、ああ、と頷く。
「前に言ってた野郎だ?犬の散歩している若い男で、ジュンコさんをご飯に誘った人?」
私は更に体を固くしながらコクコクと頷いた。声はまだそんなに不機嫌そうじゃないけど・・・言葉が、怖いです〜。野郎って、野郎って〜!
「また、って言ってたな。もしかして今日も誘われたとか?」
「え?」
私は驚いた。何でそんなこと判るの?もう十分にビビッていたから、目が泳ぎまくっていたらしい。龍さんが真顔のままで言う。
「ものすごーく動揺してるよ、ジュンコさん」
「う」
「ご飯、誘われたんだ?」
「あの・・・はい」
冷や汗まで出てきたらしい。力を失った私の手からゴミ袋が落ちて、ガシャンと音を立てた。
「あ・・・」
慌てて袋を拾おうと中腰になる。すると龍さんもぱっとしゃがんで座り、そのままで私とばっちり目線を合わせた。
「――――――――」
固まる、私。
中腰のままで時間が止まったように静止してしまった。
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