B
しゃがんで私より低い位置になった龍さんが、見上げながら小首を傾げた。
「ジュンコさん、あの人好きなの?」
――――――――え?いえいえ、まだそんな、そこまで親しくないし・・・・。口に出して言ったつもりが心の中だったらしい。真面目な顔でじいい〜っと見詰めながら待つ龍さんにハッとして、私は何とか声に出す。
「いや、あの・・・まだ知らない人だし・・・好きも嫌いもないというか・・・」
中腰から力が抜けて、私もそのままでしゃがみ込む。ゴミ袋を真ん中にして、龍さんと私は公園の端っこで座り込んで向かい合っていた。
何なの、この構図。頭の中はパニックだったはずだけど、えらく冷静にそう呟く自分もいた。
ふーん、と龍さんが前で唸る。タレ目の瞳が相変わらず私をじい〜っと見詰めたままで、私は蛇に睨まれた蛙状態だった(見たことはないけれど)。
ちょっと・・・動悸が。あ、もしかして眩暈も。ううう・・・このままでは耳鳴りもしそうな緊張・・・。
龍さんがぼそっと、呟くように言った。
「・・・なんか、落ち着いていて紳士的な人だったな」
「え、っと・・・あ、そうね。穏やかで・・・優しそうな人ね」
「犬も可愛いし」
「クリちゃん?うん、可愛いわね」
う〜・・・と龍さんが唸る。眉間にきゅっと皺がよって、一気に不機嫌顔になった。
「龍さん、あの・・・どうして怒ってるの?」
私はいよいよ困って首を傾げる。どうしたらいいのだろう。私、もしかしてどんどん地雷を踏んだりしてるのかしら。それともポンポン手榴弾でも投げているのかしら。
龍さんは座って折った膝の上に両腕を伸ばした状態で不機嫌そうに言った。
「ジュンコさんは、あの人と俺とどっちが好き?」
「え」
自分の口元が引きつったのが判った。
ええー・・・どうしていきなりそんな質問するのよこの人はああああ〜・・・。困りまくって泣きそうになる。嘘でしょ、ここ公園ですよ、公園。緑豊かな公園の中央にある池の周りで、他の通行人もいるんですよ!さっきから大の大人が二人で向かい合ってしゃがみ込んでるから、それなりに目立ってるんですよ〜!!
「・・・って、ちょっと、龍さ〜ん・・・何でそんな質問なんですかああ〜・・・」
ううう、本気で泣きたい。・・・恥かしくて。
冷や汗か脂汗かがダラダラと出る。なぜ私はこんなことに。ああ・・・おねえちゃーん!って叫びたい。いやいや、ダメでしょ私!
いい歳した大人なんだから、ここは、何とか自力で対処すべきでしょ!
パニくる私には構わずに、龍さんはどんどん質問する。
「どっちも嫌い?」
「や、えーっと・・・嫌いなんかじゃないです」
「じゃあ好き?」
「あの、ええ、まあ、はい」
「どっちの方がより好き?」
「こっ・・・」
「こ?」
龍さんが眉間の皺をといて片方の眉毛をひゅっと上げた。
・・・限界。
「困るんですうううううううううう〜!!」
うわーん、何なのよー、もう、もう、もう!!
じんわりと涙が浮かんだけれど、顔を膝の上に沈めて隠す。おいおいと泣き喚きたい気分だ。どうして私はこんな公開処刑のような目に?知らないんです、判らないんです、そんなこと聞かないでー!
色々叫んでいたけれど、それは勿論頭の中での話だ。実際にはただ黙って殻に閉じこもってしまっただけだった。
しばらく間があったけど、ぽんぽん、と龍さんの手が私の頭に触れる。
「・・・すみませーん。勝手に閉店すんのやめて貰えますかー?」
そんな声まで聞こえる。
今日は朝から姉が見張るから、ちょっとだけど化粧もしていたのだった。それもきっと台無しになってるだろう。目元なんかパンダかもしれない。古いマスカラだから、ウォータープルーフなんてもう関係ないような気がする。
「龍さんが困らせるからでしょー!」
顔を膝に沈めたままで、私は小さな声で叫んだ。
「うん。でも何で困るんだよ。自分の気持ちが判らねーの?」
「わ、わ、判らないんです!」
「・・・うーん、そうか。俺もまだまだだなあ〜・・・。ペースを人にあわせるからやっぱりダメなのかな。ジュンコさんに合わせてたら、確かに時間はかかるよな〜・・・」
ぶつぶつと一人で何か言っている。その間も彼の手は、よしよしと私の頭を撫でていた。
大きくてゴツゴツしてて、そして温かい手。繰り返し撫でられていて、火山が爆発したみたいだった私の心も落ち着いてくる。
膝にかかるスカートの生地に黒いシミが見えた。やっぱり私のマスカラは涙でとけちゃったらしい。ああ・・・おうちの、自分の部屋に帰りたい。
大人二人がしゃがみ込んで、昼間の公園で、何やってるんだろうって、きっと周囲の人は思ってるだろうな。龍さんが私を苛めてるように見えるかもしれないな。そんなことを、スカートについたシミを見ながら思っていた。
「・・・俺はさ」
さっきよりも優しい声が聞こえる。
「ジュンコさんともうちょっと仲良くなりたいんだよ。でもあんた、やたらと引っ込み思案で中々笑ってくれないからさ、無理しちゃダメだって思って・・・かーなり慎重にやってきたんだけど」
・・・中々笑わない。引っ込み思案。それは事実としてよく判っていたけれど、私は一々落ち込んだ。ますます膝の間に頭がのめり込みそうだ。
龍さんの声は続く。
「だけどこれ以上ノロノロもなあ〜・・・。他の野郎に手ぇ出されて横取りされたらムカついて暴れそうだし、俺」
「へ?」
暴れる!?その単語だけが耳にストライクに入って、怯えた私はパッと顔をあげる。目の前の龍さんは優しい顔をしていたけれど、一瞬目を丸くしたと思ったら―――――――――爆笑した。
「あはははははは!!ジュンコさんすんげー顔になってるよ〜っ!!」
「うひゃああ〜!」
忘れてた!化粧落ちてるんだった!私は慌てて両手で目元を隠す。うわーん、うわああああーん!もう何てことよおおおおー!!
急いで指で目元を擦るけど、きっとそんなのでは追いつかないほどの崩れ方なのだろう。だってこんなに笑われてるんだもの。
ゲラゲラと彼の明るい笑い声がそこら中に響く。私は恥かしさのあまり、もう今殺してって天にお願いしたくらいだ。
だけどその内あまりにも笑われて腹が立ってきた。
「もう、いいです!」
両手を離して開き直る。
「一人でずっと笑ってて下さい!龍さんなんてしりませんから!」
パンダ目が何なのだ!赤い鼻が何なのだ〜!もう、私は絶対家に帰るんだから!そう決心して私はきっと天を睨んだ。
「あははは、ちょっと、待って」
パッと立ち上がった私の手を、彼が素早く掴む。まだ漏れる笑いを噛み殺しながら、龍さんが下から見上げて言った。
「ねえジュンコさん。俺をあんたの男にしてよ」
目が、点になった(と思う)。
「―――――――え?」
一時的に難聴にもなったらしい私は、怒ることも忘れて彼を呆然と見下ろす。
背の高い龍さんを見下ろすことなんて滅多にない。そんなレアな経験をしているとは気付かないくらいに、ビックリしていたのだ。
・・・この人今、何て言いました?
龍さんは私の手首をつかんだままで、にっこりと笑う。彼の短くなった髪が耳元の3つの輪っかの側で揺れているのが見えた。
「俺を、ジュンコさんの男にしてよ。―――――――告白してんだよ。あんたが好きだって言ってんの」
「・・・」
「ジュンコさんのペースに合わせてたら俺がジジイになりそうだからさ、もういいやって思って。俺は、やっぱり自分のやり方でやらせて貰うよ」
「・・・は・・・」
やり方?自分のやり方で、一体何をするんですって??
私は呆然としたままで、よっこいしょ、と言いながら立ち上がった龍さんを見詰める。・・・やっぱりこの人、背が高いんだなあ〜・・・呆然とする余りそんなことを思っていた。
彼は掴んでいた私の手首から指を移動させ、そのまま手のひらに包んで自分の胸元押し付ける。
ぶわっと、一気に体温が上昇したのが判った。
「これで3つ目のRも仕上がるでしょ。髪型を変えて、服装もメイクも変えて―――――――――」
逆光の中、龍さんは格好よく微笑する。話す龍さんの視線が私の髪や首筋や服装を下りて行くのを感じていた。彼の手に包まれている私の手が、彼の確かな温度を伝える。
「―――――――付き合う男も、変える」
各パーツを、ひとつずつ。新しく変化させていってそれを合体させる。
そうやって、過去の「私」はリサイクルされる。まるで別人の・・・私、になる。
龍さんが私の手を包み込んだ左手に力を入れる。
「返事を頂戴、ジュンコさん。俺と付き合ってくれる?」
「・・・は・・・え・・・あのー・・・」
胸はドキドキで。
膝はガクガクで。
喉がカラカラだ。
なのに瞳は潤って、見下ろす龍さんがちょっと照れたように笑ってるその表情があまりちゃんと見えない。
ああ、残念・・・きっと凄くいい顔をしてるんだと思うけど。
彼にも私にも眩しい光がキラキラと舞い落ちては降りかかる。あの青いピアスも光って私を見ているようだった。
あまりにも眩しいから、目を閉じる。
そして私の中の大切な言葉を探す。やっと見つけたそれを引き寄せて・・・
それから、小さく呟いた。
「・・・・はい」
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