・ウマ君登場@
新しいバイトが始まった日から、私の毎日は怒涛のように流れていった。もうざばざばと。大きな浮き輪にのってスライダーを滑っている気分だ。くるくると回って、全ての光景が飛んでいき、新鮮に思える。
思えば刺激だったのだろう。久しぶりの新しい環境で、私は多少浮かれていた。
エロ高校生と暗く沈みこんだ就活中の彼氏から離れて、大雑把で柳が風に揺れるような軽さの店長、いじめっ子で腕のいい板前の龍さん、元気で頼りがいのあるツルさんに囲まれて、楽しかったのだ。
明るく笑えるというのは素晴らしい。
生活は多少昼夜逆転していたけど、それでも私は元気だった。
そして、ついに、彼もまだ新人に近いということで私は顔あわせをしてなかったバイトの、ウマ君、赤谷冬馬君にやっと会えた時には、6月の最後になっていた。
その日は一日雨が降っていて、夕方も蒸し暑かった。
「シカさん、やっと会えましたねえ!」
冬馬君、この居酒屋「山神」では「ウマ」と皆に呼ばれている男の子は、私より半年前に入った大学生だった。大学3回生で、私よりひとつ下。
刈り込んだ頭は捻り鉢巻が似合いそうだ。クラブがワンダーフォーゲル部だというのはかなり頷ける、頑丈そうな体つきをしていた。
私は頭を下げる。
「鹿倉です、宜しくお願いします」
「お願いします!」
豪快にあははと笑って、ウマ君は頭をかく。毎年のデータから見て今晩は暇だろうからと、新人二人が一緒に入ることになったのだ。
この店はやる気のない日々立さんという60代のおじさんがオーナーをしているらしい。やる気のないオーナーは、まだ出会ったばかりで意気投合した当時26歳の夕波店長に、ある日こう言ったんだそうな。
「虎、一つ店やっから、お前、好きにしろや」
私はこの話を聞いた時、え、オーナーってヤクザさんか何か!?と恐れおののいた。でも別にそういう訳ではないらしい。
龍さん曰く、タダの金持ちの暇なオッサン、らしいから。
で、ありがとうございまーす、とかるーく夕波店長が受けて、この前身の店であるご飯屋で働いていた龍さんを残して、あとは別事業へ撤退させたとか。
やる気のないオーナーが言ったことは二つだけ。
「店長は、虎がやれ。龍がやると3日で潰れる。それと、月曜と土曜日は閉店しろ。週に二日は休まないと、いい仕事は出来ねえ」
だ、そうだ。
そんなわけで、飲食店には珍しく、この店は週休二日なのである。
私は月曜日と金曜日にいつも家庭教師が入っているから、月曜休みは助かった。
今のところ彼氏とのデートは皆無だから、金曜日以外は仕事は入れます、と言っている。
そんなわけで、週に二日休みなため、基本的に夕波さんと龍さんは毎日出勤している。で、あとはバイトが入れ替わり立ち代りでサポートに入る。大体4人、忙しい日は全員で、暇な時は店長と龍さんだけの時もある。
フリーターであるツルさんはオープン当初からいる縁の下の力持ちらしいので、繁忙期は集中的に入り、普段は学生組み(つまり、私とウマ君だ)が入っている。
元の店がご飯屋さんだけあって、飲み処にしては客席がある店なので、4人入っても結構な忙しさだ。
それで、私もやっと人手として認めてもらえるようになった今晩、ウマ君と一緒に入ることになったってわけで。
私達の顔合わせをキッチンから見ていた龍さんが、にやにやと笑ってウマ君に声を飛ばした。
「ウマ、シカは俺のもんだからな、手えだすなよ〜」
「え!?」
「おおー」
え!?と言ったのは勿論私で、おおーと言ったのはウマ君。信じたのかい、ウマ君!それは君、ちょっと単純だよ〜!
「あの、あの、龍さんのいう事は信じないで下さいね!」
わたわたと両手を振り回して私が言うと、ウマ君はわかってるというように頷いてくれる。・・・ああ、良かった、そうだよね、彼は私よりここに慣れているはず。そう胸を撫で下ろしていると、ヒョイ、と顔を出した店長が口を挟んだ。
「そうだぞー、信じちゃダメだからな。シカちゃんは、俺が唾つけしてるから」
「は!?」
「おおー」
これも、は!?と言ったのは私で、おおーはウマ君。・・・一々面倒臭い人たちです、本当。
「それも嘘です、私は彼氏がいますから!」
一応ウマ君にそう言うと、苦笑されてしまった。いらない主張だったかも・・・。ちょっと恥かしくなって黙ると、龍さんがにんまりと笑って言った。
「デートもしねえ就活狂いの野郎なんて、彼氏とは呼べないだろー?シカ、将来性のない男は捨てて、俺の胸に飛び込んで来い!」
「・・・なんてことを、龍さん」
私は腰に両手をあてて威嚇する。
「就活をバカにしたらいけません。本当〜にしんどいんですから!」
それはもう、自尊心も自我も全てが崩壊するようなショックが毎日のように襲ってくるのだぞ。
私がガルルルと口を尖らせて抗議すると、そうそう、龍さんはもう!と店長がダラ〜っと口を挟んだ。
あら、もしかして援護射撃してくれるのかな?私は期待を込めて雇い主を振り返る。
「龍さんに飛び込んだらそのまま妊娠させられちゃうでしょ〜。シカちゃん、俺はちゃんと避妊するからね」
「・・・店長、そこじゃないです」
うおー、頭痛がする。
店長は宣言(?)通り、最初の日以外は笑顔で私を弄くり倒している。龍さんほどセクハラ発言はしないけど、龍さん以上に意地悪なことを言う。
例えば!帰るお客さんを、店員は余裕があれば外まで見送るのが決まりだ。それで私が見送り、戻ってきたときにドアを閉めると、キッチンから龍さんが言う。
「あ、シカ。開けといて。ちょっと煙こもってるから」
で、私は、はーい、と返事をしてドアを開けっぱなしにする。
そして帰ったお客さんの席を片付けていると、店長がたらたらと寄って来て言うのだ。
「何でドアあけてんの、俺が風邪引いちゃうから閉めて」
勿論、私は説明する。龍さんが煙がこもってるから開けてって言ってましたけど、と。というか、俺が風邪引いちゃうって、何よ・・・・。一応声には出さない努力はするんだけど。
すると店長はにっこりと、いきなり色っぽく微笑んで、するりと体を傾けて私の耳に口を近づける。
そして言うのだ。
「・・・シカ、店長命令聞けないの」
って!!私は大急ぎで飛び退り、ドアにぶっ飛んでいく。
すると今度は龍さんが怒鳴るのね。包丁握り締めたままで。
「こらーっ!シカ!何で閉めるんだよ、開けとけっていってんだろ!」
それも結構な怖さです。店長は私にしか聞こえない声で言ってるから、勿論龍さんはそんなこと知らない。
それに手元の料理に集中しているから、店長が私の耳元で囁いた、なーんてことも、見てない。
私は内心、うぎゃー!と叫びながら今度は龍さんに言い訳する。
「いえ、あの、店長が閉めてって・・・」
わたわたとどもりながら説明する私を見て、店の奥で腕を組んでニヤニヤと笑っている店長。カウンターの中で腰に手をあてて包丁を握り、睨んでいる龍さん。
「俺が開けろって言ってんだよ!お前、俺のこの水も滴るいい男状態が見えないわけ?何ならどれだけ汗だくか、体で教えてやろうか?」
と汗で色の変わったTシャツ姿の自分を指差して、タレ目を細めている山神の龍。
「シ〜カ〜、判ってるよね?この場合どちらを優先するか、勿論理解しているとは思ってるけど」
と、今度は店中に聞こえる声で言い、思いっきり口角を上げて瞳を三日月型に煌かせている山神の虎。
・・・に、怯えて固まる鹿。
ど、どうすればいいのだっ!!私はパニックに襲われる。
「え?あ、う、ええと・・・」
すると、ツルさんがすたすたと近寄ってくる。そしてドアは少し、風が通るだけの隙間を開けて、また去っていくのだ。
通りすがりに「虎さん龍さん、いい加減にして下さいね」と言うのを忘れない。彼らはそれぞれが肩をすくめて仕事に戻る。そうか、両方の意見を取ればいいのか!ドアの前に残された私はそう気付いて全身の力を緩めるのだ。
こんな感じ。
龍さんは怒鳴るし際どいセクハラ発言が絡む。しかし、店長はやたらと柔らかくて優しい笑顔を浮かべたままで、ガッツリ脅迫するのだ。
あの細い瞳に光を浮かべて、大きな口をにやりと歪めて。ぐっとつまって悔しさに震える私を見て、店内を楽しそうにスキップしたりするのだ。スキップだよスキップ!!
大人の癖に。
大人の癖に〜!
たまーに、あんな感じでツルさんが助けてくれるけど。それでも大体は、ツルさんも一緒に楽しんで笑っていた。
私は最初怒って膨れる。だけどお客さんにまで慰められたりからかわれたりしている内に、笑えてくるのだ。
ま、いっか。結局最後はそう思ってしまうのだった。
だって、皆笑っているのだもの。一人で怒ってるのがバカみたいに感じるのだ。
私は店の一番奥の壁を向く。そして山神様に両手を合わせた。
「山神様、お願いします!この店からいじめっ子をなくしてください!」
南無南無・・・と祈っていたら、後ろで男性達がたら〜っと会話しているのが聞こえてきた。
「聞いたか?今のシカのあてつけがましいお願い」
「あれ、山神さん聞いちゃったら大変だぜ」
「・・・とすると、人がいなくなるな」
「うん、誰も残らないよね、店」
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