・店の奥の「山神様」
「お疲れ様」
「あ、ありがとうございます。お疲れ様です〜・・・」
ほんと疲れた。
私はぐったりと椅子に座り込んでいて、右田さん、訂正、龍さんが差し出してくれたアイスコーヒーを一気飲みした。
賄いを食べてから下に戻ると、丼を返却するさいに「龍さんと呼べ!」とがなりたてる右田さんとの争いに負けたのだ。
私は小首を傾げて丼を捧げもち、「龍さん、ご馳走様でした〜」と最後にハートマークつきで言う羽目になった。
ツルさんが、けらけらと笑いながら横から口を挟んできたのだ。
「さっさと言う事聞いたほうが、身の為よ、シカちゃん。龍さん絶対諦めないから」
って。
私と交代で賄いを食べに行った夕波店長さんに助けを求めることも叶わなかったので(それに多分、助けてくれないと思うし)、私はあっさりと流されることに決めた。
変な店だ。ここは、変わった人が多数いる。いじめっ子がウロウロしている印象だ。だけど、昔から、「郷に入れば郷に従え」という諺があるではないか!
だから、そうしようと決めたのだ。
私のためだ。折角見付かったバイトを、初日で首になるわけにはいかない。
そんなわけで、私は右田さんのことを龍さんと呼ぶようになった。
「はい、おつまみね。ビール飲めるなら注ぐけど?」
龍さんが小鉢を二つ目の前に置いてくれる。私はパッと背筋を伸ばした。
「え、いいんですか?やったー!」
仕事終わりにビールが飲めるのか、ここは!素敵だなあ!と感動していると、早速自分の分をジョッキに注ぎながら、ツルさんが言った。
「一杯はサービスでくれるのよ。それ以上は、給料から引かれるから気をつけてね〜」
「成る程。一杯はタダ?」
「そう、一杯でも、疲れた後のビールは最高でしょ?」
夕波店長が電卓を引き出しに仕舞いながら笑った。店の閉店作業をしている間、店長は売り上げを集計するのがいつもの流れらしい。
はい〜、最高です〜!私は嬉しく生ビールを頂く。
「じゃあ、初日のシカに、乾杯だな!お前、頑張ったほうだよ。やっぱり最初から使い物になるのは男より女だな」
龍さんがそう言いながら自分の分をぐいぐい飲んだ。
バイト初心者の男なんて最悪だ、あいつらぼーっと突っ立って指示待ってるだけだからな、そう言葉が続く。
「それは良かったです」
よかった、足手まといにはなっただろうけど、凄く酷かったわけではなさそう。私はホッと息を吐き出す。かなり嬉しい一言だった。
頂きまーす!皆でそう言って、小鉢の惣菜を食べる。
ツルさんや龍さんが私に質問を飛ばしてくるのに次々答えていた。
二人とも好奇心むき出しで色々聞いてくるので最初は驚いたけど、その内笑えてきた。
「あははは、どうしてそんなに熱心なんですか〜」
アルコールが回りだした私が笑いながら聞くと、突っ立って皆を見ながら、柱にもたれてビールを飲んでいた店長が口を出す。
「知りたいんだよ、シカちゃんのこと。山神様からのお告げだからさ」
「はい?」
何ですか?私は真顔で店長を見上げる。
推定180センチほどの背高のっぽの店長は、にっこりと目を細めてあれ、と手で示す。
私は頭をぐるりと回して、店長の指し示すほうを見た。そこは店の一番おくの壁。その右上に見えるのは、神棚と思しき棚と飾り物。
あら、あんなところに何かある。面接の時も今日も、気付かなかった。
「・・・神棚、ですか?」
まあ商売するのなら不思議はないよね、そう思って口に出すと、横からツルさんが違うのよ〜と言葉を出す。
「あれが、山神様だよ。ここの店の守り神なんだよ、シカちゃん」
「え?」
「ま、ここでしか通用しない神様だけどな。虎が個人的に信仰している、山神様だ」
龍さんが付け足す。
「・・・神様なんですか?」
信仰?そういう宗教があるのかな?若干不安になりながら、言われたことを反芻する。ここの店の名前も、山神だな、そういえば。
「そう、神様。うーん・・・無理やり言えば、神道にあたるのかな。そんなことを考えたことはないんだけどね」
「はあ」
私が店長を見上げると、彼は簡単にうんと頷く。
「日本には、古来から全てのものに神が宿るといわれてきた。万物には神様がいるって考え方だね。で、俺は山が好きなんだよね。それこそ小さい頃からね」
「・・・はあ」
私が曖昧に頷くと、龍さんが空になったジョッキを運びながら説明を始めた。
「虎は小さな頃から一人で山遊びをしてたんだとよ。それで、山や森の神様たちの存在を信じるようになった。話せるんだとよ、山神様と。居酒屋も、山神様のご信託らしいぞ」
「・・・はあ」
私の隣でツルさんが苦笑する。
「あははは、ついていけないって顔してるよ、シカちゃん。まあ無理もないよね。ちょっと突拍子もない話だし。私も最初は変に思ってた〜」
「え、そうだったんだ、ツルってば」
店長が情けない顔になって言う。あははは〜と軽やかに、ツルさんが笑って両手を合わせる。
「だって、無理ですよ〜。いきなり山神様だなんて、ねえ?」
ツルさんの言葉に私は正直に頷いてしまう。
夕波店長が大げさに肩を落とした。それを笑って見ながら龍さんが続けた。
「シカがくるってことも、山神様のお告げなんだってよ。バイト募集する前にいつもこいつが聞くんだよ、山神様に」
「え、私がくるって言ったんですか?」
それだったら凄いぞ!そう思って身を乗り出すと、店長が苦笑する。
「いやいや、ハッキリと、鹿倉という女性が、なんていわないんだよ。でも次にバイトの求人だせば、来るのは女の子で、大学生だって知ってたね」
「わお!本当ですか?」
私は目を丸くする。そいつは仰天だぞ、そう思って。すると店長は大きな口を吊り上げてにやりと笑った。かなり嬉しそうな顔で。
「嘘」
「―――――――え?」
「嘘に決まってるでしょー、俺にそんな力なんてないよ。龍さんが面白がって話を大きくしてるだけ。俺はただ単に、自分が好きで山神様って信じてるんだ」
あははは〜と笑う店長の横で、龍さんがカウンターを叩いて喜んでいる。私の隣ではツルさんが大爆笑中。
「シカちゃんたら純粋〜!!」
なんだ・・・。私は思わずテーブルに額をぶつける。くそ、一瞬信じかけたではないの!
ゲラゲラと笑いながら龍さんが言った。
「信じるか、普通!?お前、バカだなああああ〜!」
「・・・右田さん」
「龍さんだろ?お前は覚えも悪いな」
「もう〜!」
「怒るなよ、ほら、シカもお願いごとしてみたら?」
プンスカ怒る私に龍さんが言った。私の隣から、ツルさんも口を出す。
「そうそう。来るたびに皆お願いごとしていくんだよ、山神様に。それが恒例。私も今日のお願いしよーっと」
そう言うと、彼女は椅子から滑り降りて奥の壁まで歩いていく。
黙ってみていると、拍手を打って、合掌して頭を下げている。正月に神社でする、あれだ。あれを、奥の壁に飾られた飾りのようなものに向かってしていた。
「俺も」
龍さんもそう言って、ツルさんの隣に並んで同じことをする。
――――――――――マジで?
私がぽかんとそれを見ていると、夕波店長が微笑した。
「お願いごとがあるなら、シカちゃんもどうぞ」
「・・・叶うんですか?」
それだったら是非かなえて欲しい願いがある。そう思いながら聞くと、さあ?と店長は手の平を天井へ向けた。
「知らない」
「・・・知らないって」
なんじゃそりゃ。呆れてしまった。後の二人は熱心に手を合わせているというのに。
店長は二人の後ろ姿を見ながら、ゆっくりとビールを飲み干した。
「信じる力次第じゃないかな。何が物事へ影響するかは知らないよ。だけど、お祈りすることで力に変えることは出来るよね。ここの皆はそう思ってやってるんだ、と解釈している」
・・・ふむ、成る程。
私は立ち上がった。疲れた体に入れたビールで少しふらつく。よたよたとお祈りをする二人に近づいていって、私も合掌した。
山神様。こんばんは、初めまして。鹿倉ひばりって言います。お願いをかなえて下さい。どうか、どうか―――――――――
心の中で唱えて目を開ける。
振り返ると笑顔の3人。
一番奥で、店長が目を細めていた。優しい表情だった。その柔らかい笑顔のままで、夕波店長がのんびりと聞く。
何をお願いしたのって。えらく熱心に祈ってたね、って。
「・・・本気の願いがあるんです」
私は「山神様」を振り返ってみた。
「・・・お願いは・・・」
彼の、小泉君の就活が、うまくいきますように――――――――――――
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