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「焦ってる焦ってる。見てる分には楽しいぜ」

「うう・・・すみません。あの、頑張ります、夕波店長」

 楽しまないで下さい、と表現したつもりの顔で言うと、また右田さんから声が飛ぶ。

「夕波店長!ひっさしぶりにそんな呼び方聞いたなあ、おい!ちょっと萌えちゃうね〜!でもシカちゃん、こいつは虎だよ。虎、言ってみな?」

「・・・」

 私は片手をぶんぶんと顔の前で振った。呼べるわけないじゃん!心の中では思いっきり叫んでいた。どうやったら初日で店長を呼び捨てできるのだ!

 待ってる様子の右田さんに、私はへらっと笑った。

「よ、呼べません。だって店長さんですし・・・。右田さん、それ、運びましょうか?」

 話題をそらすつもりでそう言うと、あ、これは俺が届けるから、とカウンター越しに端のお客さんに出している。

 店の中に、お待たせしました〜!と彼の大きな声が響いた。店長が隣で唱和しているので、慌てて私も口を揃える。

 そしてまたこっちに戻って来た右田さんは、にやりと笑った。

「ほら、シカ!虎って言えよ。それと、俺のことは龍だぞ、右田さんなんて呼ばれたら湿疹が出来る。言ってみろ〜。龍って」

「・・・かっ・・・勘弁して下さい〜」

「ダメ。言え、新人!龍さ〜んって」

 彼は両手をあわせてくねくねと腰を振っている。・・・・何なの、この人。

 店長はそ知らぬ顔で、注文が入ったビールを注いでいる。絶対さっき目が合ったのに、無視された〜!自分で対処しなさいってことかな〜・・・。

 私は胸の中で盛大なため息をついた。もう!

 無愛想にならないように気をつけながら、棒読みで言う。

「右田さん」

「お前、喧嘩売ってんの?」

 いえ、いっぱいいっぱいなんです・・・。情けない顔で伝票をテーブルに置くと、ジョッキを持った夕波店長が小声で言ったのだ。

「あまりしょげてると、ますます龍さんのおもちゃにされるんだよー、気をつけて」

 って。

「おもっ・・・おもちゃ!?」

 何だって!?それは大変!

 私はぎょっとして思わず叫ぶ。そしたら右田さんに爆笑されたのだ。店長までもがビールサーバーの前でゲラゲラと笑っていた。ついでに、声が聞こえる範囲のカウンターのお客様も。

 くっそう!本当に何なのだ、この人達は〜!

「け、喧嘩売ってません、その・・・すみません・・・」

 憮然としたけど、まさか噛み付くわけにはいかない。今日は初日なのだ。間が空いてしまったけど、とりあえずと私は謝る。それが成人の対応でしょ。

 するとくるりと店長が振り返って私を見下ろした。そして、にーっこりと、大きな笑顔。弾んだ声で言った。

「ついでに、俺にもおもちゃにされるからね」

「え」

「ここしばらく遊んでないから、今晩は随分と楽しいよ」

 店長さんは大きな口の端をぐぐっとあげて、満開の笑顔。瞳をキラリと光らせた(ように見えた)。

「今日は君の初日だから、いい店長でいることに決めたんだ。今までのところ、俺、とっても優しいでしょ?」

 ――――――はっ!?初日だからいい店長でいる!?何だあ、そりゃあ!?私は顔を上げて、夕波店長を凝視した。

 キッチンで、棚からお皿を出しながら、右田さんも被せて言う。

「そうだぞー、シカちゃん。うちの店長は実は苛めっこなんだからな。俺なんかメじゃないって、言っておく〜」

 え、マジですかっ!?

 私が口を空けっ放しで唖然としている間も、彼らは普通に働いている。さっさとビールを運んでと普通の顔に戻った店長に言われて、やっとハッとした。

「泡が消える!」

「は、はい!すみません!」

 お待たせしましたー、そう言いながらテーブルに運び、お客さんに笑いかける。だけど口元が引きつっていたのが、自分でも判った。

 多分、お客様にもバレてる。苦笑して受け取ってくれたから。

 新人をからかいまくる厨房担当・・・実はその上をいくらしい、店長・・・。うわ〜・・・。

 雇って貰えたのは有難いけど、若干選択を誤ったような気がした私なのだった。


「・・・とりあえず、食べよ」

 頂きます、と手を合わせてお箸をご飯に突き立てていたら、トントントン、と階段を上がる音がしたから顔を上げた。

 下の店から聞こえるざわめきを後ろに背負って、女の子が階段を上がってきた。

 ばっちり目があって、私は急いでお箸をおいて頭を下げる。

「あ、こ、こんばんは!」

 私の挨拶に、彼女はにっこり笑った。

「おはようございます。今日入った新人さんですよね、えーっと・・・鹿さん」

 あら、名前まで?私はちょっと驚く。鹿、で終わりじゃないんだけどな、と思いながら。

 そうだ、そして、店での挨拶はいつでも、おはようございます、なんだったっけ。

「はい、鹿倉です!宜しくお願いします!」

 はい、と彼女は笑顔を返しながら部屋に入ってくる。そして椅子の一つに鞄をおいて、着ていたジャケットを脱いだ。

 下はここの制服のTシャツ。

 はあ、成る程ね。着てきて、脱ぐだけにしてるのか!私は一人で頷いた。

「私は鶴名といいます〜。鶴名瞳です。25歳のフリーターです」

 明るい笑顔にほっとする。

 すらりと背が高くて卵型の顔をしていて、頭の高いところでポニーテールにしている女の人だった。

 彼女がニコニコとしていて私の緊張もすんなりと解ける。

「私は大学の4回生で、21歳です」

 そう言うと、時計などのアクセサリーを外しながら、彼女は言った。

「うん、大学生だって聞いたよ〜。私のことはツルって呼んでね。ここでは皆動物名で呼ばれるのよ。それが採用の選択理由だってのが、本当変な店よね〜」

 ・・・うん?

 私は首を傾げる。・・・選択理由、ですと?

 ツルだといった彼女は首を傾げた私に気付いて、微妙な表情で言った。

「あ、まだ聞いてなかったのね。雇われた理由よ、ここでは、名前が大事なの」

「はあ」

「名前に動物名が入ってる人に優先権があるわけよ」

「・・・はあ?」

 名前に何が入っていたら、優先されるって?私はバタバタと瞬きをした。何か聞き逃した?いやいや、そんなことはないはずだ。あれ?でも私、この人の言ってること、意味不明―――――――・・・

 彼女はテキパキと就業準備をしながら続ける。

「店長は名前が虎太郎っていって、コタロウのコの所に虎の字が入ってるからトラって呼ばれてる。で、板さんの右田さんが龍治でリュウさんでしょ、そして私が鶴名でツル」

 ――――――――マジですか、それ?私は唖然とした。口は開きっ放しだったはずだ。だって、そんな理由ってありますか〜?

「虎さんより龍さんのが年上で、ここの前の店からいるから実質ボスは龍さんなのよ。管理も口も虎さんの方が上手いのは周知の事実だから、店長が虎さんなのは正解だけどさ〜」

 彼女はベラベラと続けるけど、私のキャパはアッサリ限界を超えていた。ちょっと待って、全然理解追いつかないんですけどー?

 頭をガンガンと金槌かなんかでぶん殴りたい気分だ。そうすれば、ちったあスッキリするかも、と考えて。

 瞼をぐっと人差し指で押さえる。

 リュウとかトラとか、そんな呼び方じゃ判らないよ〜!

 何だか今日はこの店に来てからずっと、口があいたままのような気がする。でもきっとそうなんだろう。私は驚いてばかりで、自分の中の「常識」と書かれた標識がベリべりとはがれていくのを感じていた。

 彼女の言葉が切れたので、私は頭の中を整理しながら言葉を押し出す。

 とりあえず、この店の採用理由はかなり変わった基準らしい。応募者の名前に動物が――――――

「・・・ということは、私は・・・」

「鹿倉で、鹿ね。お名前がひばりさんだったでしょう?それで、鹿かひばりかどっちになるんだろうってバイト同士で賭けてたんだけど・・・。さっき虎さんがシカになったって言ってたから」

 ケラケラと笑っている。もう一人のバイト君は、冬馬君で馬だよ〜!だって。

 私は片手で額を押さえてぐったりと肘をテーブルについた。・・・なんてことだ!じゃあ、もしかして―――――・・・

「・・・面接の応募電話で、採用決まってたんですか?」

 だって、その時に名乗っている。

 ツルさんは微笑んで頷いた。

「そうよ。だから私も知ってるの。ここの採用者は皆、同じ理由よ」

「・・・・それでいいんですか?」

 働き手の採用基準が大いに間違っている気がするのですけど!

 彼女はヒョイと肩をすくめる。

「いいんじゃない?それで失敗したことないって虎さんは言ってたし。肝心なのは自分が雇われたってことでしょ?じゃあ私は先にいくね。賄い、冷めたら龍さんに絞められるから、さっさと食べるのが賢いわよ〜」

 その言葉をおいて、彼女は下りて行く。

 肝心なのは、自分が雇われたってこと・・・そりゃあまあ、確かにそうだろうけど・・・。いやいやいや、でもさ〜・・・。鹿倉ひばりだから、採用?マジで?

 私はこれまた呆然と一人で座っている羽目になった。

 頭の中をぐるぐると回っていた文字は、これ。


 ・・・・何だ、この店?



 その後壁の時計を見て、ほとんど宙に浮いた私だ。

 ご飯を食べる時間は、5分しか残ってなかった。





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