B
笑顔の消えた阪上君を見下ろして、店長は優しげに微笑む。
「本当に惚れた女が出来たら、君にも判る。―――――――さて、シカ、行くよ〜」
私はまだ呆然としていて、店長のその呼び声に応えられなかった。
体をすでに回転させた状態で、店長が首を傾げる。
「シカ?」
「―――――――あ、は、はいっ!」
やっと覚醒して足を動かす。店長が手を差し伸べてくれる。私はまだ混乱した頭のままでその手を握る。
振り返らなかった。繋いだ手が暖かかった。前だけを見た。まだ当惑していた。だけど、この手を信用すると一度決めたのだから、そう思った。
私は店長を信じるって、彼が不在の時に思ったんだから。
温かくて大きい、この手を―――――――――
「じゃあな〜。君も幸せになるように、神様にお祈りしておくよ〜」
店長が半身だけ捻って、後ろに立つ坂上君にそう言った。
私は前をみて歩いた。そのままで、スーパーの中まで。
阪上君、ごめんね。
胸中でそう呟いた。
でも、私には君と対等な話すら出来なかったもの。これで、さよならだねって。
最後の顔は見えなかった。
だけどすぐに、阪上君が心から笑える日が来ますように、そうお祈りはした。
いつかあの綺麗な顔に、笑顔を浮かべてくれますように――――――――――
「店長!」
「はーいー?」
「こっち見てください!そしてちゃんと説明お願いします!」
スーパーで買い物をして私の部屋に戻ったあと、冷蔵庫に食材をしまってから、おもむろに私は腰に手をあてて店長を睨みつけた。
「いやん、シカ坊もしかして怒ってる〜?」
・・・・・・・いやんって・・・・。ガックリ。意気込んでいた分、強烈な疲れを感じて思わず座り込む。
いやんって言ったわ、この人。・・・・オトナのくせに。うおおおお〜どうしたら真面目に話しをもっていけるだろうか!
「おや、大丈夫?」
「大丈夫ではないです!でも話して下さい」
「何を?」
「・・・阪上君に会いに行ったんですか?」
「うん」
アッサリ。軽やかにそう頷いて、それが?みたいな目でこっちを見る。私はくらくらと眩暈が発生して、片手で額を抑えた。
「ええと・・・あの子に何て言ったんですか?どうしてそんなことに?どうして私に言ってくれなかったんですか!」
店長は勝手に私のベッドに寝転がって、その長い体を思いっきり伸ばす。そして横向きに転がって、私を見ながらたら〜っと言った。
「言ったらどうした?」
「え?」
「あの子に会いに行くって、言ってたらシカはどうした?止めたか?いや、そんなことはないと思うね。でも一緒に行くって言い出すだろうな。そう思ったんだ」
私は詰まってしまった。確かに言われたって止めなかっただろう。実際に私は阪上君に対して怒っていて、文句を言いたかったからだ。そして私一人ではまた口で負けてしまうことは判っていた。
だから店長が居てくれるなら、などと思ったはずだ。
「だ・・・だって、私のことですし!」
「で、シカが一緒にくる。そうすると好きな女の前で格好つけなきゃならないって思い込んでるあの子はまた虚勢を張る。それでマトモな話し合いにはならずに、最後は暴力沙汰になる。―――――――それが判ったから置いていったんだよ」
悔しいことに、言い返せなかった。だってその通りになったと思うから。
店長は私のベッドの上で転がりながら、天井を眺めて話す。
「男同士で話すのに、シカは邪魔だった。この前、一緒に出かけたときに後ろをついてくるヤツに気付いたんだよ。それで、俺は急用を思い出して帰ることにした。・・・覚えてる?」
私は何とか頷いた。
確かに、そんなことがあったのだ。
あれは山神の休みの日、月曜日のことだった。山神が休みの日の前日は、店長は私の部屋に来て泊まって行く。だからその前の晩も、彼は私の部屋に泊まっていたのだ。
それで翌日の月曜日は久しぶりに映画でも観る?という話になって、とりあえず昼食を食べに行こうって二人で部屋を出た。
その直後、店長が、あ!と言ったのだ。
悪い、シカって。俺今日、オーナーのところに行かなきゃならないんだった、って。
だから私はいいですよ〜って言った。凄く観たい映画があったわけではないし、前の晩は例に漏れず店長とアレコレがあったので、全身が非常にだるかったし部屋で眠りたかった。
それで街中で別れたことがあったのだ。
・・・・・あの日?あの日に、阪上君が現れていた?・・・全然気付かなかった。
「シカが帰って、つけてきたヤツも消えようとした。だから、捕まえたんだ。君が鹿倉ひばりの元生徒君?って聞くと、胡散臭そうな顔して、だったら何?って言った。だから、ちょっとおいでって人気のない場所まで連れて行ったんだ」
「ついて行ったんですか?あの阪上君が?」
凄く慎重なあの子が、知らない男性に呼ばれて簡単についていくとは思えなかった。私がそう言うと、店長は違う違う、と首を振る。
「だから、あの子は本当にシカが好きだったんだよ。その彼女の彼氏らしい。何か弱みを握れたら、そう考えたか、その時からその話し合いのことをシカにチクって俺の印象を悪く出来るかもって考えてたんじゃないの〜?」
はあ!成る程。私は思わず頷いてしまった。それなら判る。物凄く阪上君っぽい行動だわ、って。
「柄の悪そうな男の人たちって言ってましたけど・・・」
私が言うと、彼は、ああ、それはほら、と指を振った。
「秋に龍さんと山神で暴れたバカ共だよ。別の形で落とし前はつけてもらうって言ってただろ?俺が呼び出して、あの子を脅す舞台設定をつくるために壁になって貰ったんだよ。学芸際なんかであるだろ?木その@とか村人そのAとか、そんな感じだ」
・・・ああ!!あの人たち!たしかーに柄は悪そうだ!私は激しく頷いてしまう。
「彼らに・・・怖さを演出して貰ったってことですか?」
「そうそう。本当に相手をボコボコにするのは俺一人で十分だよ。あいつらにさせたら加減をしらないから大変なことになりそうだしさ。でもほら、俺は最近外見がマトモだから、悪そ〜な奴らを並べとけばいいかなって」
「・・・はあ。それで、彼らの償いはそれだけなんですか?お店をあんなに滅茶苦茶にしといて?」
私が憤然というと、店長は苦笑した。
「そんなわけないでしょ。昔の龍さん達と同じ刑にしたんだよ」
龍さんたちと同じ刑。刑?・・・あらあら、それって。私は口元を引きつらせながらも、一応確認した。
「・・・え、もしかして?」
「全員丸刈り。面白かったぞ〜。あんな人相悪いダラダラした奴らがみーんな丸坊主なの」
そう言って店長はゲラゲラと思い出し笑いをする。私は呆れ返ってそれを呆然と見詰めていた。
・・・・丸刈りの刑・・・・。そ、そうなんだ・・・。ツルさんに言えば喜ぶかもだけど。
「ええと・・・それで、阪上君に・・・なんていったんですか?」
私は頭の中からあの迷惑だったヤンキーの彼らを追い出して、現状へと話を戻す。
悔しいから、センセーには教えないよって彼は言ってた。だけどあの子が了承するなんて、一体店長は何て言ったのだろう、私はそう思ってベッドの上の店長を見詰める。
するとこれまたアッサリと店長は言った。
「彼女に近づくな」
「は?」
「これ以上嫌がらせをするようなら、君の人生賭けてもらうことになるよ、って言ったんだ」
「・・・はあ」
「何を言われてるか、その賢い頭で考えたらすぐ判るだろう?って。それだけ。あの子はしばらく青ざめていたけど、その内に頷いたよ。判りましたって」
あの人、怖かったよ――――――――――阪上君はそう言っていた。多分、後ろで壁になっているヤンキー君たちは必要なかったのだろう。それほど、店長の本気に驚いたのだろうって私は思った。
だって龍さんも言ってたもの。
タカさんとふざけて店長を怒らせた時、目の前にいた店長の目が強烈に冷たかったのだけはまだ覚えてるって。
あれは本当に怖かったって。
寝転がったままで今は目を閉じてしまっている店長を眺めた。
この、穏やかそうに見える男の人が。
背が高くて黒髪で色白で、言葉も雰囲気も柔らかくて優しい笑顔を崩さない、この人が。
まさかまさか、高校生にそんな威嚇をするとは思わなかった。
まさしく虎なのだ、この人は。
動物、獣みたいに、必要なことをしてシンプルに生きたいって言ってた、あの言葉の通り。
自分のものを守る為に牙をむく。その時には完全に躊躇も容赦もないんだな、そう思った。
あの柔らかい、ビロードのような黄金の毛の中に、鋭く肉を切り裂く爪も牙も持っている。
―――――――――――彼は、虎なのだ。
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