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しかも、その日はお客さんとしてウマ君が来ていた。それも彼女と一緒に。トラさんが戻ってきたって聞いたんで、デートの途中に寄りました〜って、裏口から顔を覗かせたらしい。
勿論、彼女もろとも店の中に引っ張り込まれ、このカップルの支払いは龍さん持ちだ、いや虎持ちだ、と上司二人が合戦をしている間にツルさんに歓待を受けたらしい。
ウマ君の彼女はふんわりとした優しい雰囲気を持った女子大生で、ウマ君より更に一年下ということだった。つまり、大学2回生。お酒に弱いらしく、一杯だけにしてあとはウーロン茶を飲んでいたけど、よく笑う可愛い子だった。
いつものハキハキした雰囲気が消えたウマ君は、穏やかな表情で笑っていて、見ているこっちまで幸せな気持ちになるカップルだった。
何か、可愛い!!みたいな、ああいうの。
私が来て先発のツルさんが賄いタイムに入る。龍さんからご飯ののったお盆を渡されて、私の後ろを通る時に彼女はぼそっと言った。
「―――――――あっちもこっちもカップルばかりよ、今日は!」
振り向いた私の目には微笑むツルさん。チラリと店長を見て、それから私にウィンクした。
「良かったね、シカちゃん。婚約者のこと聞いたわ。これで改めて、トラさんはシカちゃんのものね」
「へっ・・・いや、あの〜。私の、もの、なんかでは・・・」
しどろもどろで返答すると、あはははと笑いながら森へ上がっていってしまった。
私は少々赤面した状態で、龍さんが出した料理を運ぶ。もうからかわれ体質なんだって断定するほうがいいかも、などと思いながら。
だって上司二人が揃ったところで早速からかい合戦だったのだ。
まず、カウンターの中から龍さんが叫ぶ。
「シカ!冷めるだろ!さっさと運べよ〜!」
って。私は怒られたー!と思いながら、はい!と返事をして、何とか急いで持っていこうとする。すると、ビールをお客さんに出していた店長が通り過ぎ時に私の耳元でこう言う。
「店の中は走っちゃダメー。それで料理落としたらどうすんの?判ってるよね〜?」
って!で、私はすみません!と謝って、また歩調を緩める。するとすかさずキッチンから、シカー!!こら、急げ!!って怒声が飛んでくるのだ。
うわああああ〜!って一人でなっていた。
・・・・これも、非常に久しぶりだった。まあ若干、いや、かなり迷惑だったけど。
ざっとではあるけど、店長は経緯を説明したらしい。私を見る龍さんの顔にも笑顔があったから、そう思った。
あとは、阪上君なんだけど・・・心の隅でちりちりと音を立てては存在を主張するあの男の子。
どうしたらいいのでしょうか、山神様!
私はちらりと奥の壁を振り返る。
そこに飾られたこの店の守り神、山神様に、仕事中だけど心の中で両手を合わせてお願いした。
山神様。どうか、どうか。
これ以上誰も傷付かないように、阪上君を止めて下さい―――――――――――(いや、私にちょっかいを出さないようにして下さい、それでいいですから)。
そのお願いが、通じたのかもって私は思っていたのだ。
悪戯をして、それが成功したかはあの子ならとても気にするはず、と思っていたから、私から乗り込まなくても阪上君がまた待ち伏せしたりするのだろうって思っていたのだ。
だから私は、外出時には気をつけていたのだ。あの背の伸びたやたらと端整な顔の男の子の企んだ笑顔を発見する時があるだろうって。
曲がり角や駅前、ふとした時に高校生の姿をみてはドキっとしていた。そろそろあの子は冬休みに入っているはずだし、私に会いにきそうだなって。
なのに、来なかったのだ。
少なくとも私には何のコンタクトもなかった。
合わなかったし、嫌がらせのメールや電話みたいなのも皆無だったし、時間がたって私の怒りも薄れ、正直忘れかけていた。
10日くらい経っていたから。
阪上君が私のケータイで悪戯をして、店長が戻って来て、10日くらいが。
その間何もなく、私は山神だけをバイト先としてお仕事を頑張ったし、結構な頻度で店長が私の側にいたのだ。
だから、安心していた。
もう来ないかな、って。
これでやっと平穏な日々だって。
だけど、彼はまた現れた。
私が見覚えのある私服姿で、ふらりと。いつものように悪巧みをしているような笑顔で、口元を上げて。
「センセー」
って、言いながら。
「―――――――阪上君」
私はハッとして、動きを止める。
駅前だった。
これからスーパーでここ2,3日分の買い物をしようと思っていたところだった。
一緒にいた夕波店長がちょっとトイレっていなくなっている時。するりと人ごみの中から姿を現して、いつの間にやら阪上君は目の前に立っていた。
相変わらずの綺麗な顔で、ニコニコしている。
私は、おいおい忘れた頃に来たなあ!と思いながら、メールで悪戯されたときの騒動を思い出して、遅ればせながら怒りが復活してきた。
鞄をきつく握り締めて、私はキッと彼を睨みつける。
「よく私の前に来れたわね、阪上君!あなたいい加減にしなさいよ!勝手に人のものを盗っちゃダメって親御さんに――――――――――」
「教えられなかったの!?でしょ、センセー。口癖だよね、それ。でもちゃんと言われてたよ、母さんにね。僕は守らなかったけど」
遮られてさらっとそう告げられる。私は唇をかみ締めて更に睨みつけた。
クソガキ!!こんな、店長がいないときに限って――――――――-もう、どうしよう、一発くらいひっぱたいてみる?
がるるると唸り声を上げそうな私を見て、阪上君は苦笑した。
「噛み付かないでよ、センセーまで。僕謝りにきたんだから」
「へ?」
「この前の悪戯、ごめんね。センセーを困らせたかったんだよ。メールの中に阪上八雲と結婚します、って入れなかっただけ、まだマシだったでしょ?」
・・・・・・・謝られてしまった。
私は罵詈雑言を飲み込んで、マジマジと目の前の男の子を見る。・・・そういえば、いつもよりも迫力がないような・・・。うん?ちょっと待って、そういえばさっき、この子なんて言った?
「――――――センセーまで?」
私は首を傾げてかつての教え子を見詰めた。
「までって何よ、どういう事?私以外の誰があなたに噛み付いたの?」
何言ってるの?親御さんにバレて叱られたとか?いやいや、でも私まだ阪上家には通報してないんだけどな。
怪訝な顔をする私から目を反らして、自嘲ぎみに彼は笑う。
「やっぱりセンセーは知らなかったんだね。そうだろうと思ったから言いにきたんだけどさ・・・・」
「だから、何なの?ハッキリ言ってよ阪上君」
イライラしながら私がそう聞く。彼は歪んだ微笑を浮かべながら言った。
「センセーの新しい彼氏?ほら、目の細い、色白の男の人だよ。ニコニコ笑っているけど、凄い怖かったよ、あの人」
――――――――店長っ!?
私はがっと口を開けてしまった。だけど言葉が出てこないのだ。理解するのに少し時間がいった。
目の細い、ニコニコと笑った、色白の男性。夕波店長だと思うけど!!・・・・ええと。ええと?あら?店長が、阪上君に、何だって?
「え、え?あの人が、君に何かしたの!?」
勢い込んで、彼との間合いをつめる。阪上君は自嘲気味の微笑みをしたままで淡々と言った。
「この間、僕に会いにきたよ」
「え、嘘」
「嘘にしたかったよ、僕も。怖い、不良みたいな汚い格好した態度の悪い男が4人ほど一緒にいたよ。それで言ってた。君には口で言っても判らないらしいから、直接的な脅しをすることにしたって」
「・・・」
「鹿倉ひばりが困ってるって。僕がしたことも言ったことも、あの人は全部知ってたよ。だから思ったんだ、この人、センセーの新しい彼氏だろうなって」
「お・・・・脅し、た、の?」
店長が阪上君を?
うん、と阪上君は頷く。
「悔しいからあの人が言った言葉はセンセーに教えたくないんだ。だけど、僕は判ったって言った。勝てない喧嘩はしない主義だし・・・もう、そろそろ僕、格好悪いよね」
何てこと。店長が―――――――――私の知らないところで、阪上君を脅していた??
私の頭は確かにそのことにショックを受けていて、呆然としていたのだ。
だから、店長がいつの間にかトイレから戻って来ていたことに気付かなかった。
阪上君が顔を上げて、会釈したのだ。そして言った。
「こんにちは、この間はどうも」
って。
私はびくっと体を震わせた。そしてゆっくり振り返る。
黒いダウンコートを着た夕波店長が、いつもの笑顔でそこに立っていた。片手をひらりと上げて阪上君に返礼する。
「やあ、こんにちは」
「・・・店長」
私の声は聞こえなかったのか、視線を寄越しもしないで店長は阪上君に言う。
「この前で、判って貰えたのだって思ってたけど、違ったのかな〜」
「いえ、ちゃんと判りましたよ。僕はもうセンセーに近づきません」
「それは上々」
「ただし」
「ただし?」
私なんてそこにいないかのように、二人はニコニコと会話をしている。私はまだパニくったままで、なすすべもなく二人の会話を聞いていた。
「・・・あなたがしたことを、センセーには伝えるべきだって思ったんです。だってフェアじゃないでしょ?僕は怖い思いをしたのに、あなたはセンセーと楽しくイチャイチャしているなんて」
ふむ、と店長が呟いた。笑顔を消して、考えるような顔をしている。
「・・・つまり、君特有の嫌がらせの一種なんだな。シカは真面目で潔癖だ。彼女に俺のしたことを知らせることで、ガッカリさせようっていう」
「そうそう、それです」
阪上君はまだニコニコと笑っている。身長やガタイの問題で店長には迫力がはるかに及ばなかったけど、高校生とは思えない存在感を発していた。
「やっぱりセンセーはショックを受けましたよ。あなたが僕を脅迫に来たって知ったから」
阪上君は嬉しそうな顔をしていた。きっと、店長が言った通りなんだろう。私はまさしくショックを受けていて、それで店長に対して恋愛感情が薄れてくれればって阪上君が考えたという、そういう事なんだろう。だけど店長は、そこであははは〜と笑ったのだ。
あの、あけすけで軽やかな笑い声だった。
通りすがりの人が、チラチラと店長を見ているのに気がついた。駅前の雑踏で、何やら笑いまくっている人。
意味が判らず私は店長を凝視する。視界の端で、阪上君が笑顔を消したのが判った。
「・・・笑うなんて、余裕だね。さすがオトナの男」
阪上君の暗い声が言った。それにまだ笑い声を出しながら、嬉しそうな顔で店長は言った。
「判ってないんだな、君はまだ。――――――――本気の恋愛ってそんなもんじゃないんだ」
時が止まったようだった。
夕波店長の声は低くてしかも小さかったけど、二人とも、ちゃんと聞こえた。聞こえてしまった。
「シカが、俺がしたことを許せないと思うかどうかは知らない。だけどもその償いを俺は出来るし、それでもっと仲良くなることだって出来る。インスタントの恋愛しかしてない君には、きっとまだ判らないと思うんだけどね」
「・・・センセーは許さないかもよ?」
店長はうーん?と首を傾げた。
「どうかな・・・。俺は大丈夫だと思うけどね。このことで不利になるのは君一人だよ。判ってると思うけど、彼女は君に恋愛感情を抱くことが皆無になったはずだしねえ」
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