・トラの半生@
夢の中で、私は温かい大きな手と右手を繋いで歩いていた。
雲の中のようだった。ふわふわして、白い世界だ。私は何が嬉しいのか、ひたすら機嫌良くニコニコしていた。
こんな光景がいつまでも続けばいいなあ、そう思って笑ったら、その自分の笑い声で目が覚めた。
見上げる高い天井には覚えがない。
でも隣に誰かの気配を感じて見てみると、ぐっすりと眠る夕波店長の姿があった。
「・・・・あ」
小声が出た。嬉しくて、つい、だ。
思い出した。
大学の校門そばで待ち伏せをくらって、茂みの後ろでゴニョゴニョになって、それからホテルに連れ込まれた(と言っていいと思う)のだった。
それから結局話はほんの3分ほどだけで、店長が私を強引にピンクの世界に連れて行ってしまったのだった。
一応確認と思って布団の下の両足に力を入れてみたけど、だるいだけでちーっとも動かず、全く意味がない物体になってしまっている。
・・・・そりゃあそうだよね。あれだけのことした後で・・・。
私は店長に会ってから、そして抱かれるようになってから、えらく女体の神秘なるものを体験したものだ。
もうあちらを弄られたら星が飛ぶとか、こちらを撫でられたら花火が上がるとか、アレとコレを同時にされたら理性が破壊されるとか、そんな知らなかったことまで知ってしまった。
私にはよく判らないけれど、店長が喜んで色々したがるのだ。これだけ体の相性がぴったりなんだから、もっとシカを開発しよう!とか言って。
どういう意味なんですか〜っ!?とは、一度も聞けてない。
彼は時には鼻歌を歌いながら、私の体を好きにしている。それは究極に気持ちいいけれどやはり恥かしくて、だけど生半可に抵抗すると、彼は簡単に私のあちこちが痙攣を引き起こすような状態にしてしまうのだった。それ故、私は羞恥心に震えながら欲望の濁流にのまれまくっている。
まあ抵抗しようがしなかろうが、結局最後は訳が判らないってことになっちゃうのだけれど。
・・・・・・・ああ、ごめんなさい、オトーサンとオカーサンって気分・・・。
横になったままで、隣で眠る店長の顔をじーっと見る。
うーん・・・・好きに、本当に好きになっちゃたからだろうか。なんか・・・かなり格好よく見えるんですけど。これって贔屓目も絶対あるよね?でもでも、店長、格好いいじゃん・・・。
頭の中でお花畑は順調に成長しているようだった。それに気付いてまた笑ってしまう。
だって、婚約者がいるとかって不安になってたはずが。
店長の顔も思い出せないとかいって勝手に泣いてたはずが。
会いたいですって神様にまでお祈りしていたはずが。
私ったら、こんなに今幸せじゃないの、そう思って。
温かい部屋の中、好きな男の人が寝ているそばにいられる。それがこんなに幸福なことだとは知らなかった。
それは、嬉しい発見だった。
もう一度眠った。そして、次に起きた時には朝になっていた。
「シカ」
今度は私が寝顔をがっつり見られる番だったらしい。
店長に軽くゆすられて、私は目を開ける。
「・・・はーい・・・おはようございます〜・・・」
「はよ」
返事が何故か、私の上から聞こえるぞ、そう思って目を擦ってから見上げると、何と店長が私の上に覆いかぶさっていた。
「!?」
ぎょっとして体を固める。
両手を私の脇に置いて自分の体重を支え、すごーく近くでニコニコと笑っていた。
「・・・てっ・・・店長!近くないですか、これ!?」
「うん、近いね」
「でもって、しんどくないですか?」
「うん、ちょっとねー」
「ええと・・・なら退いて下さい」
「反応ないと面白くないから起こしたんだよね。起きたばかりだけど、もう一回ヤっていい?」
何ですと!?私は一瞬にして、昨日店長にされたあーんなことやこーんなことや、自分があげたはしたない声まで思い出してしまった。
・・・・・まーじーでー!!私はブンブンと首を振る。
「ダメです!お腹空きましたし、脚がもう動きません!」
私の上、唇から数センチの位置で店長が微笑む。
「シカは動かなくていいよ。ご飯なら、注文してあるから食べながら寝そべれば?」
無理無理無理無理〜っ!!!何言ってんの、この人〜!
「結構です〜!!」
そう叫ぶと、あははは〜と軽やかに笑いながら店長が横に退いた。
「仕方ないな。見たかった顔は見れたし、良しとしとこう」
・・・・・はああああ〜・・・・あ、危なかった。寝起きにまたどピンクの世界へ連行されるところだった・・・そ、それは流石に勘弁だわ〜・・。
朝食を注文したというのは本当だったらしく、しばらくしてルームサービスが運ばれてきた。
店長は起きてからシャワーを浴びたらしくてまだ黒髪が湿っている。綺麗な体からは石鹸の香りがして、私はそれをいいなあと思いながら眺めていた。
店長は椅子にどっかりと座って、既に朝食を食べだしている。
「ん、うまい。シカも食えよ。もうちょっと肉あってもいいと思うよ、シカ坊にはさ」
私はベッドからよろよろと降りながら、口を膨らませる。
「主に胸に関しての要望ですか、それは?」
にんまりと嬉しそうに店長が笑った。
「いんや。俺は個人的好みでいえば、小さめの方が好きだね。大きいと、こっちの手も疲れるからね〜」
聞くんじゃなかった。激しく後悔しながら、私はミネラルウォーターを口にする。
体内は燃え盛ったあとの静けさで、砂漠みたいになっていたらしい。一口づつの水が染み渡るのがよく判った。
あ、美味しい・・・。ごくごくと喉を鳴らして水を飲み干す。それを前の席で店長がパンを食べながら見ていた。
「美味しそうに飲むね〜」
「美味しいです!喉カラカラでしたから」
「まあ、あれだけ叫べばね〜」
ゴホゴホゴホ。何を喋ってもそっちの方向に持っていこうとするこの人を、どうにかして下さい〜!!
普段山神でお祈りしているようについ手をあわせて心の中で唱える。
山神様、お願いします!店長の口を塞いでください!って。
祈りが即行で通じたのか、ただ単にご飯に集中しただけか、それから暫くは店長も黙ってご飯を片付けていた。
私もよく食べた。やっぱりかなりのカロリー消費ですわ、アレって。
「まだ龍さんにも電話してなかったんだっけ。ちょっと今から、いい?」
そういえば、と言って店長がケータイ電話を取り出したので、私はご飯を食べながら頷いた。
先に私に会いに来てくれたんだ、そう思ってバレないように喜んでいた。
店長は上半身裸のままで大いに寛いだ顔をして、たら〜っと龍さんに電話を掛ける。
「あ、龍さん?久しぶりです。―――――――――まあまあ、そんなに噛み付かないで。皺が増えますよ。あははは。・・・え?・・・あ、ハイ、会いに行きましたよ、大学まで。そうでしょ、俺もビックリ。ははは――――――――」
龍さんは私のことを聞いたらしい。何か、目の前で自分のことを話されると照れるわ・・・と思っていたら、店長が言った言葉にまた咳き込んだ。
「いやいや、そのままホテルですよ。学校内で襲ったら、シカに叱られたもんで移動しました。今、そう。部屋でご飯食べてる。シカに代わりますか?いい?――――――――え?あははは、そうそう、自慢ですよ。龍さんは一人寝でしょ〜」
てんちょーうっ!!!そそそそそんな余計なこと言わないでえええええ〜!!
彼は私が前で真っ赤になって咳き込んでいるのを、にやにやしながら見ていた。ううう、恥かし過ぎる。どっかに瓶落ちてないかな。あったらそれで一発殴りたいって心境だ・・・。
「今晩から戻りますから。ツルにも電話しときます。はい。留守中、ありがとうございました。――――――――え?」
ふと、店長が真面目な顔になった。
「・・・ああ、それも説明しましたよ、ちゃんと。そうですね、またいずれ。はいはい了解です」
ピ、とボタンを押して電話を切る。
そのまま優しいいつもの笑顔を浮かべて、店長が言った。
「場所がここでなんだけど・・・先に説明しとこうか?」
「え?はい?何・・・ですか?」
私が首を傾げると、ほら、あれ。と店長が指を振った。
「俺が実家で何をしていたか、それと元婚約者の紹介、だな」
心臓がどくんと音を立てた。
場所、移したほうがいい?そう店長が聞くから、私は首を振った。だけど、取り敢えずお風呂に入らせてください、とう伝える。
湯船に使って気持ちを整えよう、そう思ったんだった。それに・・・・体中ベタベタだし。
「どうぞ。それか一緒に入る?」
「いえ!一人で入ります!」
断固として断ると、苦笑していた。
「そう言うと思ったけどね〜。しかし拒否がそんなに早いと拗ねちゃうよ、俺。まあツルたちに電話もするから、ゆっくりどうぞ〜」
って。
宣言通りに一人で、ゆーっくりと湯船につかった。体中がとろけていくのが感覚として判る。・・・・ああ、極楽。私はゆったりした気分で目を瞑る。
店長が電話を掛けている声がたまにもれ聞こえていたけど、私は出来るだけ自分の中に意識を集中させていた。
いいこと、ひばり。店長は婚約を破棄してきたって言ったのよ。それは、私と付き合いたいからだ、と思う。そんな言葉ではなかったけど、それでもともかく!それを有難く思って、例えば彼の過去の話が私のキャパを大いにオーバーする話であっても、ちゃんと最後まで聞くことよ!
口元までお湯につかってぶくぶくと息を吐いた。
湯気でいっぱいになった浴室には、さっき使ったボディーソープのいい香りが満ちている。
それを吸い込んで、ふうーっと吐く。それを何回も繰り返すうちに、落ち着いてきた。
・・・・よし、大丈夫だ。
浴槽のふちを持ってゆっくりと立ち上がる。
私は、大丈夫だ。
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