A
そこには中型の黒いバイクが停めてあって、私は思わず歓声を上げた。
「うわあー!格好いい」
そうか、そういえば今日の店長はいつもの寒そうなパーカー姿でなくて、黒皮のライダーズジャケットを着ている!しかも足元も皮のごついブーツではないか!いつもラフでクタクタの格好をしていることの多い店長には珍しくかっちりした格好だった。
体の線が綺麗で肩幅もあるので、ラフな格好をしていてもだらしなくは見えないのを羨ましく思っていたのだけれど・・・カッチリした格好だと迫力ありますね、何かね・・・。
改めて彼の全身をマジマジと眺めてはそんな事を思っていると、店長が一つヘルメットを寄越す。そしてロックを外しながら言った。
「じゃ、ラブホ決定。今日は店ないし、他に予定もないか?」
「え?あ、はい・・・予定はないですけど、でも、でも」
「でもじゃなくて乗って」
「いえ、あの!」
私は持っていたヘルメットをぎゅうっと掴んだ。そして頑張って勇気を集めて声を出す。
「あの!聞きたいことが沢山あるんです!だから、だから・・・話をしたいんです!」
店長はバイクに跨ってメットを被る。その薄水色のカバーの向こうから、私を見た。
「話?」
「話です!」
「じゃあ、それもホテルで。取り敢えず乗ってくれる?」
「・・・・・ちゃんと話してくれますか?」
「するする、するよー」
・・・超信用出来ない、この軽い言い方・・・。そう思ったけど、ここで私が頑張ったって、どうせ最後は彼のペースにもってかれるのだ。それが判っていたからため息をついて、流されることにした。
「失礼、します・・・」
「ちゃんと跨ってね。足寒いと思うけど勘弁ね」
うわー、バイク、初体験だああ〜・・・。ドキドキして彼の腰に手を伸ばす。するとぐいーっと両手を引っ張られて、完全に体が密着するまでになってしまった。
「ちゃんと捕まらないと、落ちたら命消えるよ〜」
「・・・う、は、はい」
それもそうか!私はおずおずと腰に両手を回して抱きつく。それは、思ったより居心地が良かった。
夕波店長が走らせるバイクの後ろに跨って、私はメットの中の音を聞いていた。
それは閉ざされた空間で反射して、水が吸い込まれるような轟々とした音を響かせる。
指や肌が出ている足の皮膚は完全に冷え切って、痛いほどだった。
だけど、私は好きな人の背中に引っ付いているんだ、そう思ったら、指が寒さでちぎれてもいいやって思えた。
もう、指が何本なくなってしまってもいい。その代わりに今、彼の背中に引っ付いていられるのならば。そう思った。
まさか自分がこんなことを思うなんて。
メットの中で目を瞑る。耳に響くは風の反射する音。
恋をすると人間が変わるって、本当だ。
私は、どんどん変わっていく――――――――――――
小奇麗なホテルだった。ラブホでごめんねーって店長が謝った意味が判らなかった。だって、一緒にいれたら嬉しいのだ。だけどまだその気持ちを言葉にするには、私の恋愛レベルが足りていなかった。
だからただ、首を振った。
気にしてませんって伝わりますように、そう思った。
「ああ、ちょっと冷えたなあ〜。冬にバイクはやっぱキツイか。手、大丈夫?」
着ていたライダースーツを脱ぎながら、夕波店長が私に聞く。私はといえば、目の前でどんどん衣服を脱いでいく店長から目を離したくて必死で返事が出来なかった。
ジッパーを開けてライダースーツを脱いで落とすとグレイのニットセーターが出てきて、それをめくり上げたらもう素肌で――――――――って、どこまで脱ぐんだああああ〜!!
だって、だって!!躊躇が全くないんだもん!さ、さささ寒いんだったら着とけばいいんじゃないですか!?って叫びそうだった。
あっという間に上半身裸になって、店長は返事の出来ない私を見た。
「シカ?―――――――あらまあ、真っ赤だな」
相変わらず引き締まった素敵な上半身から無理やり目を逸らしながら、私は熱くなっている両頬を手で包む。冷え切った指先もこうしていれば瞬間沸騰するのではないだろうか、と思って。
店長に背中を向けて叫ぶ。
「もうもうもう〜!どうしていきなり脱ぐんですか〜!話ですってば、話!」
「何いってんの、順番は言ってなかったでしょ。先に捕食だよ」
ホショク・・・ほ、捕食!?捕食って食べるの意味の、アレですかっ!?頭の中でカタカナ変換が出た私は必死で考える。え、ええ!?つまり、つまり店長が言ってるのは―――――――――
ぐいーっと引っ張られて、私は後ろに倒れこむ。
「ひゃああ〜っ!!」
板間に頭をぶつける衝撃に備えていたら、放り出された場所はベッドだった。ぼわんと一瞬体が浮いて、また沈む。
「さて、では頂きます」
上から店長が圧し掛かってくるのに、うわあああ〜!!と叫んだ。
「やです!まだですまだ!!そんな気分になれません、話をしてから、まずは―――――――きゃあ!」
「そんな気分にすぐなるよ。俺にお任せ」
「だだだだダメです!だーめーです!」
「・・・今日は頑張るな〜」
彼の大きな手はそう言ってる間にも私の上着を脱がして飛ばし、スカートをめくり上げ、さっき外した胸元のボタンをまたするすると外していく。
「店長〜っ!!」
早い早い早い!やることが早いですよ!いつもはダラダラしてる癖に〜!
「こら!ダメって言って・・・」
「うるさい」
両手で私の手首を拘束したままいきなり脚の間に顔を埋めたので、私は反り返って呻いた。うっきゃあああああ〜っ!そんなところ下着ごと舐めないでええええ〜!!彼が何をしているのか想像も出来ない、てかそんな想像したら恥かしさで死ねる!
「てっ・・・てん、ちょー!婚約者!婚約者って誰ですか〜っ!!」
必死だった。
取り敢えずそれだけを叫んだ。迫り来る快感に負けずに、喘ぎ声よりも先にそれを言えた自分に拍手を送りたかった。
偉いっ!偉いわよ、私〜っ!!
ぴたりと愛撫をやめて店長が止まる。
「・・・何?」
私の両足の間から彼が顔を上げる。そう呟いた顔は、かなり怪訝な表情をしていた。珍しい店長の真面目な顔だ。だけどだけど、私から見えるこの光景は頂けないわ。恥かし過ぎる。
私はよいしょと震える片足を何とか持ち上げて、彼の舌の攻撃対象の場所から逃げることに成功した。
ふう・・・、と、とりあえず、これで平常心で話せるはずだわ!
乱れた衣服を解放された手で何とか出来る限り元に戻して皺をのばしながら、私は言う。
「み、店に・・・店長の婚約者って方から電話があったんです・・・。あの、それで、皆が心配して・・・。て、店長、婚約者さんがいらっしゃるんですか?」
声が震えてしまった。
だけどこれだけは確かめないと。もし本当にそんな存在の人がいるのであれば、どれだけ好きでも私はこの人に抱かれるわけにはいかないのだ。
それだけは、絶対にダメだ、そう思っていた。
彼女はいないって聞いていた。だけど、婚約者がいるとは思ってなかった。確かに婚約者は彼女ではない、だけど、それ以上の存在であるはずだ。
「え?店に電話?」
私を襲うことで乱れた前髪の下で、店長が細い目を精一杯見開いている。本気で驚いているようだった。
そして自問するかのように呟いた。
「・・・あいつ、店に電話したの?俺母さんに頼んだんだけどな」
ゴン、と岩石が天から降ってきたかのようなショックを受けた。きっと頭の中の血管が今一本切れたに違いない。それほどの衝撃を、一人で受けた。
・・・・・・あいつって、あいつって、あいつって言ったああああああ〜!!!
立っていたならショックで崩れ落ちたはずだ。だけど幸か不幸か私は既にベッドに寝転んだ状態だったので、崩れ落ちはしなかった。
ただし、一瞬難聴になった。彼の口が何か動いていたけれど、何て言ったかが聞こえなかったのだ。
きっとショックでヒートしたのだろう。
いるんだ、本当に、店長には婚約者がいるんだ!!そればかりが忙しく頭の中を動き回ってぐるぐると言葉が回る。
婚約者って、婚約者って、結婚を約束した人のことである、そうロボットみたいな声色で自分が頭の中で喋っている。
ケッコンヲヤクソクシタヒトノコトデス―――――――――――――――――
「・・カ、おーい、シカ?」
ハッとした。店長が私の頬を大きな手で包んでいる。それに気がついた。私はボーっとして、魂が抜けていたらしい。
「どうして泣くんだ?」
「え?」
私はしかも、泣いていたらしい。頬に当てた指先で店長は涙を拭っているところらしかった。
「・・・だって、婚約者がいるんですか・・・本当に・・・」
呟いた声は小さすぎて、ちゃんと彼に届いたかどうか。だけど、店長は苦笑して返事をくれたのだ。
「婚約者だった、だな、正しくは。それもちゃんと解消してきたよ」
え。
「だからシカが心配することないんだけどな。そっか〜、山神の全員が知ってるわけね、それ。あらまあ、大変だ」
ううーん、龍さん辺りが煩そう・・・と唸りながらも軽い口調でそう言う店長をガン見した。穴があくのではないかと自分でも思うほどに。
私は瞬きをして涙を振り払う。
解消・・・・・解消!?解消してきた??
「え?ど、どうしてですかっ!?」
思わず叫ぶと、驚いた店長が、おお?と体を仰け反らした。
「いや、そりゃシカが欲しいからでしょ」
「――――――――――」
「大体元々口約束で、付き合ったこともない相手なんだよ。ただし相手がちょっと面倒な家庭の人間なんで、解消するのに手続きがいったってだけ」
「ええ?付き合って・・・ない?好きな方じゃないってことですか?!」
待って待って、ちっとも判らないよ!私は盛大に混乱した頭で変な顔をする。きっと目も当てられない顔になってたはずだ。
化粧は崩れて、涙目で。しかも混乱中。
付き合ってなくて好きでもなくて口約束の婚約者!?それってツルさんが言っていた、親が決めた相手とか、そんな感じのお話なんですかっ!?
たら〜っと姿勢を崩してベッドの上で座り、店長はぽりぽりと額を掻いている。
「好きな方?いんや、別に。元はといえば、ただのクラスメイトだからねえ〜」
「はっ!?」
「説明にはちょっと時間がいるんだよ。でも俺、そんなに待てないなー」
そう言って店長がヒョイと手を伸ばした。私の胸の一番敏感な場所を、我慢出来ないとばかりに指先でさらりと撫でる。
「うひゃ!」
「ああ、いい鳴き声だねえ」
嬉しそうに目を細めて、企んだ笑顔でペロリと唇を舐める。その動作だけで、強烈な色気が彼の全身から噴出した。
はっ!!私は今更気がついた。出来るだけ服は直していたけれど、別にボタンをしめていたわけではない。前が開いたブラウスからは、そんなに大きくない私の白い胸が露出して――――――――――・・・・これって超ヤバイ、よね・・・。
「俺が動物や植物が好きな理由って言ったっけ?」
唐突に店長が言う。目はガッツリ私の胸元に注がれて爛々と光っているけど、それとは全く関係ない言葉に私はまた戸惑った。
「え?・・・いえ、聞いてません、けど」
「正直だからだよ」
「へ」
ニヤリと、更に大きく笑みを浮かべて、彼が笑った。
「動物も植物も、正直なんだ。生きるために当たり前に必要なことをする。シンプルなんだよ。食って、寝て、邪魔な相手を倒す。自分に必要なことを。そこには面倒臭い理屈やいいわけなんてないんだよ、シカ」
――――――――――・・・はあ。ええと・・・それで?私が疑問を口にしようとする直前、いきなり凄い力で引き倒された。
きゃあ!という悲鳴は落ちてきた彼のキスで呆気なく消される。舌で口内をこねくりまわすようなキスを長い間して、店長がゆっくりと顔を離した。
電灯から逆光になって暗く見える店長の顔に、光る瞳。それは実に雄弁に語っていた。俺はお前が欲しいって。
「シンプルで正直で、全身で毎日を生きている獣。俺はそんな風になりたかったんだ。昔は、憧れてたね」
「・・・・あの」
「そしてなれたんだよ。もう―――――――自分のしたいことで、悩むことはないんだ」
「てん―――――――」
最後まで言えなかった。私の唇には彼の親指が突っ込まれてしまったから。
それからは問答無用で、ガツガツと彼は私を食べ始めた。
実に楽しそうに、そして嬉しそうに。
私はもう流れに身を任せることにして目を閉じる。
だって、頭も真っ白になったから。
・・・・仕方ないです、これは不可抗力。
[ 37/46 ]
←|→
[目次へ]
[しおりを挟む]