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ぐっと詰まった。天然ではないと思っていたのですけど。私はその言葉を飲み込んだ。だって確かに、彼が用があるのは私に決まっているのだって思い当たったからだ。だから待ち伏せで、だからお茶に誘われたのだろうし・・・。ああ、私ってバカ。
湯気の向こうで窓の外へ視線を向けて、阪上君は言った。
「・・・最後があんなので嫌だったんだ。だから、会いにきたんだよ。今日は水曜日だし、センセーはゼミの日だったなと思って」
最後。・・・彼と会った最後、この子は泣いていた。あれが嘘泣きかどうかは未だに判らないが、それが嫌だった、といっているのだろう。
私が黙ってみていると、スッと視線を私に戻した。
「泣いて、ダダこねるなんて最悪だよね。自分から子供の振りをしたってセンセーは相手してくれないってちゃんと判ってたつもりだったけど、あの時は凄く悔しかったんだよ。センセーは、お金にも脅しにも泣き落としですら効かないって、よく判りはしたけどね」
・・・ははあ!やっぱりその全部をしたという自覚はあったんだね、君は!私は何度目かのため息をついた。
「私はお金は好きよ。必要だし。だから、君の家庭教師を3年もしたのよ。阪上君はとても賢くて、教科書だけで他に勉強する必要なんてない理解力があるのが判ってたけど、お給料が必要だったから」
彼がまたにーっこりと大きく微笑んだ。
「それに、僕に会いたかったからだって言って」
「違います」
「本当にバイト代だけが目的?」
「・・・あなたのお母様は好きよ。良くして頂いたし」
阪上家のご両親は好きだった。あんな常識的で丁寧な親御さんから、どうやったらこの悪魔のような男の子が産まれるのかで、私は3年間何度も悩んだものだった。
私の返事に彼はにっこりと微笑む。
「母さんもセンセーを気に入ってたよ。だからさ、嫁に来たら?」
「は?」
「僕たち、結婚しようよ、センセー」
「――――――――」
――――――――――――プロポーズですか、まさかでしょう!私はバカみたいに口をあんぐりと開けて彼を見た。
目の前で阪上君はニコニコと微笑んでいた。その笑顔、その外見だけを見れば本当に格好の良い男の子で、しかもこれからもきっといい男からいいおじ様になるのだろうなあ〜!と思うような力というか、オーラみたいなのがあった。
だけど、言ってることが極端なのよ、君は!
私は額に片手をついて、痛む頭を休ませる。
ああ・・・・眩暈が。
「ねー、はい喜んでって言って」
私はファミレスの店員ですか。
「・・・言いません」
「仕方ないなあ、じゃあ、はいだけでもいいよ」
「言わないってば。私は君と結婚も含め何もしません!」
「どうして?」
「は?」
どうして、だと?何故どうしてなどと聞かれるのだ!私は頭を上げる。阪上君は相変わらずニコニコ笑っている。
「・・・えーっと?・・・いやいや、どうしてって、何よ。しないの。断りに理由を言わなきゃいけないことないでしょ。どうしても本気で言ってるとは思えないのだけど、とにかく私のことは、どうぞ諦めて下さい」
「センセー、また彼氏出来たんだね」
「はっ!?」
阪上君はカップを持ち上げてコーヒーを飲み干した。
「・・・見たら判ったよ。垢抜けたとか、綺麗になったとか、ああ、彼氏が出来たんだなあ〜ってすぐに思ったから」
「・・・・」
笑顔を消して、阪上君は真面目な表情で言った。
「大学の同級生とは別れたんだよね?それで、一人になって寂しくて、ボロボロの、身なりにも構わない汚い女になってろって念じてた。僕のことを振ったのを悔やんでいればいいって思ってたんだ。顔を見てみて、酷い女になってれば指差して笑ってやろうって思ってたんだよ」
き、汚い女って・・・。それを念じていたってところに愕然とした。淡々と話す阪上君が、本当にそう思ってたのだろうなあと思ったからだ。指差して笑われるところだったのか、私は。ううん〜・・・それの方が良かったのかどうか、意見がわかれそうなところよね。
「だけど、会いに来たら残念なことに、センセーはやっぱり素敵だったよ。それも、僕以外の男が原因なんだね。・・・また大学の人?今度は違うの?」
私は彼に色々なことで唖然としたままで、条件反射的にボソッと呟く。
「・・・学生じゃあないわ」
「あ、判った、きっとあれでしょ。バイト先の人」
・・・・何で判るのだろうか。私はまたずきずきと痛みだした頭に手をやる。もう〜・・・何なのよ、この子〜・・・。
阪上君がにやりと笑った。
「やっぱりアタリだね!前に言ってた、板前さん?垂れ目のイケメンなんだったっけ?」
「違う」
「じゃあ同じバイトの一個下の人?」
「違う〜!もういいでしょ!って、よくそんな情報を覚えてるわね。話したの大分前じゃない?」
かなり驚いた。ほんと、この子の頭の中はどうなってるの?というか、これって誘導尋問じゃない?ダメダメ私ったら、早速この子の口車にのって――――――――
阪上君が、悪戯が成功した時と同じ顔でにーっこりと笑った。私がよく知っている顔だった。
「なら残りは店長さんか。ふーん、それっていい男なの?年上だよね。いくつ?」
「喧しい!!」
私はガタンと席を立った。休戦が必要だわ!このままでは何か自分にとってよくないことを口走ってしまうかもしれない。そう危機感を覚えて、私は化粧ポーチを手に取った。
「あれ、センセー?」
「化粧室!!」
憤然としてトイレに向かう。
別に化粧を直す必要などないのだ。だけど、急に現れたあの子に対応するための心の準備をしにいく必要があった。
くっそ〜!!絶対負けないんだから。あの子に負けたら毎日がこんな戦争に!それはごめんよ〜!!
冷たい水で手を洗ってリップクリームを塗りなおし、深呼吸をした。
そして鏡の中の自分に向かって小声で言い聞かせる。
―――――――――席に戻って、さようならと言い、速やかに帰るのよ、ひばり!席に戻ってさようならを言い速やかに帰る!速やかに帰る!!これ以上余計な情報は、あの子には与えないこと!
よし!と拳を作って気合をいれ、私はカツカツと戦場に戻る。
意を決して彼の前の席に座り、阪上君を睨みつけた。
「悪いけど、私は帰――――――――」
「で、阪上家の嫁に来ない?」
「行かないってば〜!!」
ドン!と思わずテーブルを叩いてしまった。店の奥からホール係りの人が顔を出してこちらを伺ったのに気付いて赤面する。
・・・・やだやだ、いきなり彼のペースに・・・。もう〜!!
前でケラケラケラと軽く笑い声を上げて、阪上君が言った。
「本当にセンセーって可愛いよね。でももう、いい加減に仕方ないね。諦めるよ僕」
「え?」
私はパッと顔を上げる。
「え?って・・・諦めなくていいの?」
「いえ!是非諦めて、別の女性と幸せな毎日をお過ごし下さい!」
うくくくく・・・と阪上君が笑った。そして、これ僕の分、とテーブルに小銭を置く。
「格好つけたいとこだけど、センセーは奢られるのも嫌いでしょ。じゃあね、もう本当に最後だね」
私はマジマジと彼を見た。
「・・・テスト、頑張ってね」
引っ込みのよさに戸惑いながらも一応そう言ってみる。なんせ、この子の家庭教師として3年も頑張ったのだから。クセはそう簡単には抜けない。
うん、と頷いて、阪上君は立ち上がりコートを着る。ふんわりとマフラーも巻いて、鞄を持った。
「センセー、さようなら」
「・・・さよなら」
私は彼を席から見上げたままで、呟くように言った。実際のところ、まだ疑っていた。だって悪魔のわりには引きが良すぎるって思ってたから。
阪上君は歩いていく。見送りに出てきた店の人に軽く頷いてお礼を言い、ドアに手をかける。
だけど、彼も面倒臭くなったのかも。もとより暇つぶしに私をからかいに来ただけだったのかもしれないし―――――――――
そう思ってちょっと肩の力を抜いて座りなおしていたら、店を体半分出かけていた阪上君が、あ、と声を出して振り返った。
「ごめん、センセー、返すの忘れてた」
「え?」
返す?何を?そう思った私の前まで近づいてきて、彼は制服のポケットから銀色の細長いものを出す。
「あ」
コトン、と音を立ててテーブルに置いたそれは、私の携帯電話だった。
―――――――――えっ!?
一瞬混乱して、私は眉を顰める。あれ?鞄の中に入っていたはずの私の携帯電話が、どうして阪上君のポケットからでてくるの―――――――――――
「じゃあね、バイバイ」
企むような微笑をチラリと見せて、阪上君は背をむける。そしてさっきとは比べ物にならない速さで店を飛び出して行った。
それを呆然と見送る私。
テーブルの上には何故か彼のポケットから出てきた私のケータイ電話。
席を立って、トイレに行った私。
その間に手を伸ばして私の鞄を探った阪上君。
そして携帯電話を見つけて――――――――――・・・・
一体これに、何したのおおおおおおおおお〜っ!!!!??
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