・八雲の悪戯@



 恋かも、ではなく、これが恋なんだな、と思ったあとの私は、案外落ち着いていた。

 何と言うか、正体不明のざわざわの影が何かが判ったからだった。

 つまりこれは、恋愛小説の言うところの、恋わずらいってヤツなのだろうって。

 その日は山神が休みの日だったから、家に帰ってからも思う存分に一人であーだこーだと思い悩みまくった。

 そして、その次の日はツルさんや店長が言っていた言葉を思い出しては眞子達女友達にメールしまくって、恋愛感情とはなんぞや?を尋ね(しっかりバカにされた)、恋愛小説などを本屋で立ち読みしてみては、一人で真っ赤になっていたりもした。

「うきゃー」

 って、一人で何回も言ってしまった。あ、それと、これも。

「あらまー」

 どうやら恋をすると、人間は哲学に目覚めるらしい。なんてことまで考えた。

 でもいいのだ。過去の偉大な哲学者に聞かなくったって、私は店長を好きになっているらしい。しかも、どっぷりと。うわー、マジで、きゃ〜!だった。

 今までは未知の体験だ。しかも結構立派な年齢で、それなりの経験も(えーっとつまり、アレとかコレとかの)あるが故に、こんなこと誰にも言えないでしょうがよ!と切れ気味に思ってみたりもした。


 確かに、確かに小泉君に対しては抱かなかったイライラがあった。

 顔を見たら落ち着くのだろうか、と思って店長の姿を瞼に浮かべてみるのだ。だけど、それはいつでもぼやけてうまくいかなかった。

 確かこんな感じ、程度の画像しか浮かんでこないのだ。

 ぼんやりと、背が高い男性の映像しか。

 ああ、どうして私、しっかり見てなかったんだろう、なんて思ったりした。

 あんなに近くにいたのに。どうして目を閉じて声をあげたりしてたんだろうって。顔を、目を鼻を口をその色や動きを、もっとよく見てればよかった、って。

 目を開けて、彼の表情や笑顔なんかをもっとちゃんと自分の中に焼き付けておけば良かったって。

 そんなわけで、私はあの強引な、優しい顔していじめっ子の自分のバイト先の店長に、彼曰くの初恋をしたらしいともう十分に認めた足で、のっしのっしと地面を踏みしめながら歩いていたのだ。


 大学を出て、駅に向かっていた。小泉君に図書館で会った翌々日のことだった。

 木枯らしが足元の枯葉を散らして過ぎていく。

 相変わらず店長からの連絡はなかったけど、がっつり自分の気持ちに気付いてしまった今、まるで初めて彼氏が出来た中学生のような初々しさで、私は世界を見ていたのだ。

 だから要するに、照れが酷くてメールも電話も出来なかった。

 一人の時間のいたるところで、今までのことを思い返しては勝手に照れてジタバタしているってわけだ。

 そんな私の目の前に、実年齢とは程遠い手練手管をもっていると思われる男の子が、現れた。

 その子の名は阪上八雲。この夏まで私の家庭教師先の生徒だった少年だ。

 数メートル先の路上で道路の手すりにの側に立つ人影に気付いて、私は足を止める。

 一瞬の間をあけて、声を出した。

「・・・あら、阪上君」

 彼は高校の制服の上にコートを羽織り、爽やかな笑顔・・・いや、ちょっと待って、爽やかに見える笑顔、にしよう、とにかくそんな外見で立っていた。

「ひばりセンセー、久しぶり」

 夏より伸びた髪はアッシュ系の色を入れたらしく、ちょっと薄い黒色になっている。お母様似の綺麗な顔にお父様似のすらっとした体。性格の腹黒さを知っていなければ、テレビの中の若手アイドルそのもののような高校生だった。

 天からキラキラと光る粒子か何かが降り注いで彼を輝かせているかのようだ。勿論そんなものはないのだけれど、何にせよ、彼は目立った。すれ違う人や通り向こうの女子高生が彼を見て友達と囁きあっている。

 ・・・あら、ちょっと見ないうちにまた大人っぽくなって。私は黙って見上げながらそう思う。

 阪上君はいつの間にか私の身長など追い越して、私をそれなりに上から見下ろしている。若者は、年齢が低ければ低いほど、ひと夏の成長とは凄いものがあるのだ。

 それにそれに、外でこの子を見たことなど数回しかない。彼の部屋の中の寛いだ姿や顔つきとは違う。家の中か外かでやっぱり人はそれなりに変わるものだ。

 マジマジと男の子を見詰めながら立っていた。

 最後に聞いたのは泣き声だった。だけどその時よりは少しばかり深く低くなった声で、阪上君は黙ったままの私に言った。

「この4ヶ月、元気だった?寒いねー」

 彼はニコニコと笑っていた。私は驚いたけど、あれだけ凝視しておいてまさか今更無視も出来ず、彼に近づいていく。

「阪上君、久しぶりね。どうしてここに?」

 君には用がない町でしょう?そういう意味を込めた。賢い彼ならすぐに判るはずだ、私は、驚いてはいるけど、喜んでいないって。

 彼は笑顔を崩さないままでまず、私をじーっくりと見た。頭の先からブーツの先までを。じーっと。かなり露骨に。

 私はつい、後ずさる。

「な・・・何よ」

「ひばりセンセー、何か変わったね。垢抜けた?何かあった?」

 いやいや、君にはそれこそ関係ないでしょう・・・。私は久しぶりにこの子を相手にした時の徒労感を感じてため息をついた。

「褒めてくれてありがとう。さて、それではさようなら、元気でね、阪上君」

 そう言って踵を返す。ダメダメ、彼に掛かったら1分も1時間ほどの長さに感じられるのだ。ここで自分から逃げることにしよう、そう決めたのだった。

 ところが、彼はその前に、私の手首を掴んでいた。

 体が前に進まなくて、自分の手首にまきついている阪上君の右手を見下ろし、私はまた深ーいため息をつく。

 全く、最近の高校生は!私は暗い表情で言った。

「・・・・離してくれない?」

「ヤダね。ねえひばりセンセー、デートしようよ」

「しません。それに、私はもう君の先生ではありません」

「じゃあひばり、さん。デートしよ〜」

 やった、センセーのこと名前で呼びたかったんだよね、そう言ってニコニコと彼はガッツポーズを作る。

 反対に、私はがっくりと肩を落とした。

 ああ、疲れる・・・・。私は情けない顔をして彼を見上げる。綺麗な若い肌にピンクの唇。茶色の瞳を煌かせて阪上君は天使の笑顔を作っていた。

「阪上君、あのね、私は君とデートはしないわ」

 ゆーっくりと言い聞かせる口調でそう言うと、阪上君は何故か更に笑顔を深くした。

「じゃあお茶は?」

「飲みません」

「じゃ、ラブホ行こ。僕、抱くのも結構上手だと思うよ。女の子の反応みてたらさ」

 ・・・どうしてお茶を断られた後にラブホってことになるのよ〜っ!!私は冬にはあまりなかった眩暈を感じて目を閉じる。

 でもまずは、手首の解放だわ。

 左手を添えて、彼の手を私の手首からゆっくりと離す。そして改めて阪上君を見上げた。

「君とはどこにも行きません」

「へえ、どうして?」

「・・・行く必要もないでしょう。私はもう君とは無関係だし・・・その、ちゃんとハッキリ意思表示はしたつもりだったんだけど」

 阪上君は曖昧な笑い方をした。その瞳に私は驚いた。いつの間に、こんなに色っぽい視線をするようになったのだろう、この子は。

「ひばりさんが、僕を嫌いって?」

「・・・恋愛対象の男性として見れません、と言ったつもりよ。それと、名前で呼ぶの止めてね」

「お茶も出来ないほどに嫌い?」

「いや、だから、嫌いとかでなくてね―――――――――」

「お願いだよ」

 言いかけた私の言葉を遮って、彼が笑顔を消した。

「センセー、お願い。一度だけでいいから。お茶、しようよ」




 負けた。


 負けました。

 その真剣さに、笑顔を消した真面目な顔に、彼は何の躊躇もなくそんな演技だって出来るはずだと判っていたけど負けました。

 ああ、どうして私はこうなのよ・・・。自分に心の中で突っ込んだけど、既に私は阪上君と近くの喫茶店で向かい合わせになって座っているところだった。

 コーヒーを注文して、私にサーブし、砂糖やミルクまでを彼は長い指でいれてくれる。

 その優雅さに、うーん、阪上家って本当、血筋というか、こういう点の躾が行き届いているわ〜、などと田舎出身庶民代表の私は感心してみていた。

 この外見に、この仕草。この子は大層もてるのだろう。なのになぜ、いつまでも私に関わろうとするのだろうか。

「どうぞ」

「・・・ありがとう」

 コーヒーを前にして、制服姿がおかしくなるほどに、阪上君は落ち着いて見えた。

 湯気が立ち上り、いい香りが周囲に満ちる。私は一口熱いコーヒーを飲んで、肩の力を抜いた。

「今日はこの辺りに用があったの?学校は?」

 ちゃんと学校に行ったのなら、全然方角が違うこの辺りに午後3時にはいれないだろう、そう思って聞くと、阪上君はあはははと笑った。

「センセーもう忘れちゃったの?期末テストだよ、もう」

「あ、そんな時期か!どうだった、テストの出来は?」

「完璧だよ。ちょっとミスがあるかもしれないけど、今回も退屈だった」

 忘れていた。そうか、もう12月に入っているのだ。彼の学校は私立で、冬は学校の方針とかで休みが長く、テスト期間も通常の学校よりも早いのだった。

 阪上君がカップを持ち上げてコーヒーを飲む。その仕草さえ、彼にはプライドがあるように見えた。人からどう見られるかを計算しているような、そんな印象。コーヒーを飲み下して唇を舐めると、微笑みながら彼は言う。

「この辺りに用事はなかったんだけど、もしかしたら会えるかな〜と思って」

「え、誰に?」

 彼が、ちょっと呆れた顔をした。

「センセーに決まってるだろ。本当に天然だよね、ボケてるんじゃなくて真剣に聞いてるんだよね、それも」




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