・図書館の筆談


 夕波店長が実家に戻ってしまったのが、11月の最後の方だ。そして、何やかんやと2週間以上が過ぎて行き、私は彼氏である店長の声すらもあの1回の電話のみで、12月になってしまった。

 ・・・ま、声が聞けないって言い方はフェアではない。それは判ってるんだけど。だって私からだって電話はしてないのだ。

 意地になってるわけではない(と、思いたい)。ただ、タイミングがつかめないのだ。

 だって大して話があるわけでもない。それに、彼からも電話もメールもないってことは、多分それほど忙しいのだろうと思うからだった。

 それにそれに、多分、またあの女性も一緒にいるんだろうし・・・。

 夜は月と土以外は毎日山神へ入っている。そして、龍さんの美味しいご飯を食べて、皆でビールを飲んで、結構楽しく騒いでいる。ふと、奥の壁、山神様を見ては店長の不在を確認してしまうけど、皆何故かそれを考えないようにしているかのように、突き抜けて明るく騒いでいるみたいだった。

 店長がいなくても大丈夫だもーん!みたいな、ノリ。

 多分、店長の婚約者らしき人が登場したり、本人からの電話が一向にないことが、皆の反感を買っているのだろうと思った。

 私が可哀想だって思ってるんだって。

 特に訂正もせずに、私もそのままで過ごしている。だって自分でも気持ちがよく判ってないし。店長から電話がこないのは事実だし。

 夜はそんな感じで騒がしく、酔っ払って帰ってベッドでバタンキューだから、最初の頃のように店長の影に抱かれたりもしなくなっていた。そして昼間は、ここ、大学の図書館に毎日通っている。

 大学にはパソコン教室があるから、図書館で調べてその後ノートに文字をかき、それをパソコン教室で打ち込んでいるのだ。そうやって論文を作っている。


 だから私は忙しかった。

 店長のことを考えてる暇なんて、ないんだから。

 そう思って、敢えて忙しくしているってことは黙殺した。

 やっぱりちょっとは私も膨れていたのだ。・・・私が好きだって言ったくせに〜、とか、他の男についていったらダメとか言いながら、電話も寄越さないってどういう事よ〜、とか。

 ま、もういいんだけど!だって、本人が帰ってこないと喧嘩も出来ないんだから。


 今日も私は大学の図書館にいる。そこで、机に向かっていた。外は寒いらしく、風が吹いては窓ガラスを叩いて揺らしていく。

 外から入ってきた学生が、温かい空気にほっと肩の力を抜いているのが視界に入っていた。

 その時、私の背中を、トン、と誰かが叩いた。

 私はくるりと振り返る。その控えめな感触には覚えがなかった。別に誰とも約束してないしな、そう思って。

 するとそこには、小泉君が立っていた。

「・・・あ、久しぶり」

 驚いたけど、声を落として私は言う。実はちょっと緊張した。だって、彼とは夏のオープンキャンパスで別れて以来だったからだ。

 小泉君は周囲に配慮して声を出さずに隣の席を指差した。空いてる?って聞いているのだろう。私は頷いて、隣の椅子に置いていた自分の鞄を退ける。

 寒さで鼻の頭を赤くした小泉君が、ありがとうと小さく言って、私の隣に座った。

 水色のマフラーに灰色のピーコート。どちらも見覚えがあった。去年の冬も、同じ格好してたな、ちょっとしたノスタルジーに襲われながら私は小泉君を盗み見る。

 夏よりは、しっかりとした顔をしていた。頬のこけがなくなって以前の彼と同じように見えた。あの凄く疲れて破れかぶれみたいな雰囲気が消えている。

 彼が少し笑って、舌で唇を湿らせた。

 あ、緊張してるんだな、それが判った。私は思ったより、彼のクセを覚えていた。

「久しぶり、元気だった?」

 小泉君が小声で聞くのに、私も微笑んで頷いた。懐かしくはあった。だけども、よくも悪くも泣いてしまうような感情はどこにも見当たらなかったのだ。だから結構穏やかな気持ちで彼の隣に座っていた。

 静かな図書館では、小声といえど会話は禁止だ。だからだろう、彼がノートを取り出して、ボールペンで文字を書き、私の方へ滑らせる。

 私は論文の資料をざっとまとめて退けて、ノートを覗き込んだ。

「内定もらえたよ。姿を見かけたし、ずっと支えてもらってたから、報告にきたんだ」

 ――――――――わお!!

 瞬間、私は非常に興奮した。思わず声が出そうになって、片手で口元を押さえる。パッと横を向くと、小泉君が微笑していた。

 私は音を立てずに両手の指をあわせて小さな拍手をして、彼のノートに書きこむ。

「おめでとう!良かったね、ずっと頑張ってたもんね!」

 彼は口の形だけで、ありがとうって言う。

 その穏やかな瞳を見てしまって、私は一瞬涙ぐむ。うわああああ〜!本当に良かったなああ!そう思って。

 ずっと頑張っていた。あんなに苦しんでいた彼を見るのは辛かった。だけど、最後まで支えられなかったことを気に病む必要は、もうなくなったのだ。彼は苦しみから解放されて、今、こんなに軽やかな笑顔を浮かべて隣にいた。

 彼がまた書いた。

「鹿倉さんは、論文?」

 鹿倉さん、その文字に彼の遠慮が見える。かなり気にしているのだろう。自分が振ってしまった彼女のその後を、きっとこの人は心底心配したことがあったのだろうな、と判ってしまった。

 私もその文字の下に書き込んだ。

「そうだよ。小泉君はもう終わったの?」

「まだ。これからだけど、折角内定もらったから、絶対卒業してくれって教授に言われてきたところ」

「それは頑張らないとね。でも小泉君ならすぐ書けるよ〜」

「何のテーマで書いてる?」

 静かな図書館で、しばらく私達は筆談をしていた。たまに抑え切れない微笑が零れるような、くだらない内容のことも書き繋いだ。

 長い間そうやって小泉君と筆談し、真っ白だったノートが文字で埋め尽くされる頃、小泉君が、隣でさて、と言った。

「俺、そろそろ行くね。研究棟に呼ばれてるから」

「あ、うん。頑張ってね」

「ひばり――――――――あ、ごめん、鹿倉さんもね」

 荷物を片付けながら、彼が言い間違えに苦笑する。

「・・・教えてくれてありがとう。本当に嬉しかったよ」

 それは本心だ。お陰で私の、目に見えなかった心の隅が、いきなり明るくなったのを感じたのだから。

 小泉君はしばらく手を止めて、私は真面目な顔で見下ろしていた。そして呟くように言う。

「・・・本当は心配してたんだ。あんな・・・あんな酷い状態の時に、いい逃げみたいに別れてって言ってしまったから・・・俺、酷かったから」

「もう気にしないで。私、大丈夫だよ」

 私が言った言葉に彼は頷いた。

「うん。そう見える。・・・というか、前より何か、綺麗になったみたいだ。大人っぽくなった。もしかして、彼氏がいる?」

「え」

 不意打ちだった。まさか、そんなこと聞かれるとは思ってなくて。それで私は顔に熱を感じてしまった。

 それを見て小泉君が声を抑えて笑う。

「ははは、変わってないのな、その反射的赤面。彼氏、いるならなおさら良かった。ひばり・・・鹿倉さんには笑っていて欲しいから」

 きゅんと来た。それは、本当に優しい言葉だと思ったのだ。でもそこでありがとうって言えなかったのだ。

 うっと詰まってしまって、言葉が出なかった。

 パッと小泉君の顔を見上げる。彼は笑顔を消して小さな声で聞いた。

「・・・苦しい恋愛なのか?うまく行ってないの?」

 遅ればせながら、ようやく声が戻って私は笑顔を作った。だけどそれは引きつっただけになってしまう。

「だ、だい、じょう・・ぶ」

「じゃ、なさ気な感じ」

 今度はあからさまに心配そうに表情を曇らせて、小泉君が言う。私は更に慌てた。

「本当に!本当に大丈夫なの。ただ・・・ただ、最近は相手が多忙で・・・会えてなくて」

「あ、何かそれって耳に痛い台詞」

 うわお、そうか!そういえば私達も就活で会えなくて破局したカップルだったっけ!?

「ちがっ・・・そうじゃなくてー!」

 あてつけじゃあないんです〜!!もうワタワタしてしまって、図書館だというのに大きな声で言ってしまった私だった。

 途端に館内の学生達の視線が一斉に私に向かう。・・・・ぎゃあ。私は赤面して黙り込んだ。

 ククク・・・と口元を押さえて小泉君が呟いた。

「・・・変わらないのはそこも一緒だね」

 もう、凄い恥かしいんですけど・・・。泣きたい気持ちで私は自分のコートの中に顔を埋めてぐりぐりと押し付けた。

「ううう、やっぱり私って成長してないよねえ〜・・・」

「そこが愛嬌なんだから、変える必要はないんじゃね?」

「そうかなあ〜・・・」

 愛嬌?これを愛嬌だなんて言ってくれるのは、小泉君だからだよう!人が好く出来ているこの男の子の言うことは、言葉半分で聞いておくべきだよ、ひばり。じーっくりと自分に言い聞かせた。

 私がまだ勝手に凹んで机に突っ伏していると、小泉君が鞄を持ち上げた。

「行くわ。――――――じゃあ、また」

 私はパッと頭を上げて、彼を見上げた。今は穏やかに微笑んでいる、本来は明るくて私を引っ張ってくれていた人。この人の、そばにいた。だけどもういなくて、いつの間にか季節も変わっていた。

 だけど、私は大丈夫だ。

 片手を上げる。

「論文頑張ってね」

「お互いにね」

「うん」

「ひばりの――――――・・・今の彼氏とうまくいくこと、願ってる」

「・・・ありがとう」

「たまには甘えたらいいんだよ。俺が言うのも変な感じだけど・・・。でも、今度の彼氏は大丈夫だよ。かなり好きみたいだしね」

「へ」

 目を丸くした私を見て、小泉君がまた笑う。

「自覚がなくて、そこも相変わらずだよね。でも恋愛している人の顔、してるよ、ちゃんと」

 今度こそ、じゃあねって彼は言う。

 手を振ったら、彼も返してくれた。そしてあの懐かしいマフラーをまたまいて、図書館の出入り口へ向かっていく。

 その後姿を見ながら、私はぼんやりと思った。

 ああ、これでちゃんと――――――――――――私の大学生活が終わるんだなって。

 彼の笑顔が見たかった。

 それが今、ちゃんと見れて良かったって。

 卒業までに、ちゃんと小泉君と笑えて良かったって。

 微笑んで、机に向き直る。

 綺麗になったみたいだって。やった、何か嬉しい。でも本当に綺麗になったのかな、私。ちょっとは変わったのかな、そんなことを考えた。

 彼と別れて、夕波店長が引っ張ってくれて、それで、私は綺麗になったのだろうか。恋してる人の顔してる、だって・・・。何だろう、それってどんな顔よ。

 ちょっと笑ってしまった。

 その対象の男性とはしばらく会えてないけれど。それで確かにテンションも低めだけど。

 店長とは――――――――――


 ズキン、と胸が痛くなった。


 私は思わずシャツを掴む。

 何か、ざわざわするのだ。店長のことを考えると最近は。やだな、この感じ・・・。ぎゅうっと苦しくなるのだ。

 どうやったらこの胸の動悸は治まるんだろう。どうやったら、本当に気分よく毎日を過ごせるんだろう。

 店長に会えたら、それがわかるんだろうか。私は例の女性にヤキモチを焼いているんだろうか。自分が一緒にいないのに、彼女は店長と毎日一緒にいるんだって考えて辛くなっているのだろうか。

 資料の文字を目で追う。だけどちっとも頭の中には入ってこなかった。

 店長が、知らない女の人と、私の知らない彼の実家で、一緒に――――――――

 もやもやする、霞がかるようなこれが、これが嫉妬ってやつなんだろうか。

 彼に、会えば―――――――――――・・・・・・

「・・・・ああ、会いたい、なあ〜・・・」



 ――――――――――え?



 自分の口から漏れた呟きに、ぎょっとして目を見開いた。


 図書館は相変わらず静かで、皆が黙々と自分のやるべきことをしている。時々聞こえる咳払いやノートをめくる音なんかが、遠くから聞こえる校舎のチャイムと混じっては消えていく。

 私はこっそりと周囲を見回して、ゆっくりと深呼吸した。

 落ち着け、私。

 ・・・・会いたいって、思った、今。

 店長に、あの狐目の大きな口で笑う男の人に、会いたいって――――――――――。


「あらあら・・・」


 私は出来るだけ静かに荷物を整理する。

 そしてそそくさと図書館を後にした。

 よく行っていた校舎のベランダ、いつもここでお昼を食べていたところへ早足で駆け込んだ。

 ここなら一人になれると知っていた。

 見上げると冬の空。

 青い色はなくて、重い水分を含んだ灰色の雲が広がっている。私の吐く息は白く白く、その冷たい空気の中を上がっていく。

 指先は冷たかった。

 襟元から入ってくる風も冷たかった。

 今にも雪が降りそうだった。

 だけど、顔だけが熱かった。

 両手の指先を頬に当てて、その熱を分け与える。ああ、こんなに熱くなっちゃって、私ったら・・・。

「もう、もう〜・・・」

 呟きもすぐに消えていく。

 風に飛ばされるこの温度、だけど、彼のことを思い浮かべればまたすぐに沸いてくるこの熱さは。

 ああ、私、判ってしまった。

 判った、よ、店長。これだね、これが――――――――――――人を、凄く好きになるってこと。


 夕波店長、やっぱり、私は。

 すごく、あなたが好きなようです・・・。




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