B
ツルさんが心配そうな顔で私を見る。
「知ってた?シカちゃん」
「はい?ああ、いえ、知りません。・・・でも、そりゃ何か面倒臭そうなことがありそうな発言して行きましたもんね、店長」
私が何とかそう言うと、ああ、と龍さんが手を叩いた。
「確かに確かに!言ってたなあ、虎!実家にはゴタゴタがあって戻るの遅くなりそうって。これかなー、その婚約者とか、そんなのも含むのかもな〜!」
合点がいったらしい龍さんの眉間が晴れた。一人でうんうんと頷くと、手を伸ばして私の頭をポン、と軽く叩く。
「だったら大丈夫だよ、シカ。ただ本当に遅くなるってだけだろ。虎はシカを捕食したんだから、簡単には手放さないよ」
「はあ」
「そうよ!シカちゃんがっかりしないで〜!何か結構な田舎みたいだし、もしかしたら親同士の決めた婚約者とかそんなのかもしれないわけだし!」
ツルさんも私の肩をポンポンと叩く。
そして二人は開店準備に戻ってしまった。私はちょっと驚いていた。だって、二人が私は傷付いているものだって決め付けていたから。
・・・傷付いてなんか、いないんだけどな。
そう思って、私は一人で苦笑する。別に心配なことなんてない。まだたかだか1週間会えてないだけだし、それに店長の今までの言動を考えたら――――――――・・・
それからもう2日経ったとき、夕方の山神に、日々立オーナーがいきなり現れたのだった。
「やあ、皆、ご苦労さん」
「あら、オーナー!」
開店前の準備を終えて、手を洗っていた私はツルさんの声に顔を上げる。
本当にこの人、お金持ちなの?と思うくらいに(失礼だが)どこにでもいるようなオジサンが、裏口から入ってきたところだった。
お金のかかってなさそうな、スーパーで買ったのかと思うような上下の服にくたびれたコート、毛糸の帽子。
だけどこの人は、多数の店を経営する商売の手腕に長けた人らしいんだけど。情もあり、決断力に秀でていると店長から聞いたことがある。
龍さんが仕込みの手を止めて、迎えに出る。
ツルさんと私も横に並んで挨拶をした。
「はいはい、今晩は」
日々立オーナーはよいしょ、と掛け声付きでカウンターの椅子に座る。
そして、龍さんとツルさんと私を見回した。
龍さんがあ、そうだ、と声を出した。
「オーナー初めてでしたよね?この子が鹿倉さんです。春からうちの一員になりました。シカ、日々立オーナー」
「あ、初めまして!鹿倉ひばりです」
私は慌ててお辞儀をする。そうだそうだ、こっちは知っているけど、まだオーナーに挨拶したことはなかったんだった!それを思い出した。
オーナーはニコニコして、はい、宜しくね、と簡単に返して、それから全員を見回した。
「ええとね、今日来たのは、あれだ、ほら、虎のこと」
はい、と同じタイミングで龍さんとツルさんが頷いたのが見えた。
「虎、どうかしたんですか?てかアイツ、まだ戻らないんですか?もう10日経ちましたけど、一昨日にまだ戻りませんって、えー、家族の方から電話があったきりですよ。本人からは連絡なしです」
龍さんが腕を組んでオーナーに聞く。婚約者云々は省くことにしたらしい。きっとそれは、私がここにいるからだろうけど。
オーナーは、うん、と一度頷く。
「うちにも電話あったよ。実家の方の整理が、まだつかないらしいんだな。それで・・・・何て言ったかな。忘れたなあ〜・・。ま、いいか、とにかくまだ当分こっちに戻れないそうだ」
「え」
ツルさんと私がハモった。
まだ帰らない?そんなに大変なのかな?若干混乱して、私はオーナーの言葉を待つ。情報が少なすぎて何も判らないのと同じでしょ、これでは。忘れないでよ、そんな大切なこと!そう思って、ちょっとオーナーの好印象が下がってしまった。
「だから」
オーナーはカウンターをこんこんと指で叩きながら言う。
「予定外に虎の不在が長引いているけど、まだしばらくはこの状態で店あけてくれ。龍、お前が取り仕切るんだぞ。瞳ちゃんがいれば大丈夫だとは思ってるけどね。ああ、瞳ちゃん」
ツルさんのことを名前で呼ぶんだな、そう思いながら見ていると、ツルさんは何ですか?とオーナーに近寄った。
「虎の代わりをしているんだから、時給上げるよ。悪いね、世話かけて。龍のこと見張ってくれな」
ツルさんが苦笑した。
「了解です、ありがとうございます。でもオーナー、龍さんは大丈夫ですよ。それに、ウマ君もシカちゃんもいるし」
うん、とオーナーが目を細めて優しい顔を作った。
「今のメンバーはとても安定していると虎も言ってたな。まあとにかく、そういうことだから、宜しく頼むよ」
龍さんがちょっとムスっとした顔で言った。
「店は大丈夫です。でも―――――――日々立さん、今度虎から電話あったら、直接自分でこっちにもかけるように言って下さいよ。身内なんかに頼むんじゃなくて」
「はいはい、伝えるよ」
オーナーは店が開店すると、龍さんがパッパと作ったつまみでお酒を2合飲んで、静かに帰って行った。
店長、まだ戻らないんだ・・・・。そう思って、やっぱりテンションが上がらない私だった。流石に、今晩はメールくらいしてみようかな、そんなことを考えながらいつもの仕事をする。
「シカちゃん、大丈夫?寂しかったら言ってね、龍さん巻き込んで、ウマ君も呼んで宴会しようよ」
そうツルさんが言ってくれたけど、私はちゃんと笑って言えた。
「大丈夫ですよ〜!別に半年も1年も離れているわけでないし」
何となく、心臓の辺りがざわざわとしていた。
だけどそれは無視することにしたのだ。
だって、気付いたって、私にはどうしようもないんだし。
自分でもこの気持ちを説明することなんて出来そうにもないし、って。
私は努めて大きな笑顔を浮かべるようにしていた。
その夜、宣言通りにメールをしてみたのだ。作成中、ちょっと指が震えた。だけど色々考えて、オーナーが店に来て話を聞いたこと、皆のその反応、自分が思ったことなどをゆっくりと打つ。
お元気ですか?その文字に、他人行儀かな?とかまで考えて、中々送信ボタンが押せなかった。
「もう、さっさとやっちゃうのよ!」
自分に叱咤激励して、ようやく送信ボタンを押した。返信がくるかは判らなかった。だけど、これだけはちゃんと返信して欲しいなあ〜、そう思っていた。
山神様、お願いします。私・・・私は、彼の状態が知りたいんですって。心の中で店の奥の壁の飾りを思い浮かべてお祈りまでした。
すると30分くらい経ってから、テーブルの上のケータイが振動して着信を告げる。
お風呂上りで髪をタオルで拭いていた私は、テーブルまですっ飛んで行った。
もどかしくケータイを開けると、そこには夕波店長の文字が。
つい、頬が緩んでしまったのを自分で感じた。
メールをしたら、電話がかかってきた!そう思って。ちょっと心が弾んだのを自覚した。
通話ボタンを押して耳に電話を押し付ける。
「はい、もしもし?」
『―――――――――もしもーし、シカ?』
あの、低い声が聞こえた。
私はふんわりと笑顔になる。あ、やっぱり私、店長の声好きだなあと思って。本当に久しぶりだった、このちょっと掠れることのある低い声を聞いたのは。
「メールつきましたか?皆心配してますよ〜」
私はクッションを引き寄せて、それに抱きつきながら言う。皆、本当に心配しているのだ。だって本人からの電話が一向にないんだもの。
でもでも、私にはくれたんだ――――――――――――
思わずくふふと声を出して笑いそうになってしまった。電話があったことでここまで自分が喜ぶとは正直思ってなくて、ちょっと体が浮くような不思議な感覚だった。
『悪い。本当にバタバタしてさ。最初の頃は寝れなかったし、時間が逆転してしまって店の開店時間中に起きてられなかったんだよ』
ああ、そうだったんだ。でも理由を聞けて安心した。これで皆も笑顔になるはず、そう思って。
「大変だったんですねー」
『うん、もうちょいかかるんだけどねー、まさかこんなにぐちゃぐちゃな状態のまま逝っちゃうとは思ってなくて。まあそれもあの人らしいんだけど。それにやっぱり戻ってきたら、個人的な雑用が山のようにあってさ』
店長は苦笑しているようだった。その声には確かに若干の疲れを感じたけど、いつもの明るくて大雑把な彼の言い方だった。
はあー・・・と電話の向こうで大きく息を吐く音。
そして、落ち着いた店長の声が聞こえた。
『それで、シカは?ちゃんといい子にしてるか?』
「いい子って何ですか、私はいつも通りですよ」
『他の野郎についてってない?』
「あ、ついていきました」
『―――――・・・おやおや〜?』
「だって、おいでって言われたのでハイハイと」
『・・・・相手の氏名と住所、身体的特徴を言え』
私は噴出しそうになるのを堪えて、キョトンとした声を装う。
「はい?ええーっと、一人は茶髪で青い3連ピアスをしている背の高いタレ目のイケメンで、もう一人はシルバーグレーのいい渋さを出しているメガネの男性です」
あははは、と電話の向こうで店長が笑った。その笑い方も久しぶりで、何と一々私は嬉しかった。
『・・・なーんだ、龍さんか。で、もう一人は?シカのお父さんとか?』
「いえ、教授です。ゼミの。論文で毎日大学に行ってます」
私も笑う。くだらない会話が心地よかった。何だか、本当に明るく笑ったのが久しぶりな気がしたほどだった。
おかしいな、私は毎日それなりに楽しく過ごしていたはずなのにな、そう思った。
『あ、シカ――――――――』
店長が何か言いかけた時に、電話の向こうで店長を呼ぶ声が聞こえた。ちょっと待って、そう私に言ってから彼はケータイを耳から離したようで、相手との会話が小さく私の耳まで届く。
――――――コタ、もう電話終わる?晩ご飯出来てるって、コタのお母さんが。
――――――ああ判った、終わらせるよ。
――――――仕事の電話なの?
――――――それも兼ねてはいる。
――――――私用なら、そろそろ。ほら、女性を待たせる男はダメよ?
――――――はははは、この私を待たせるなんて、か?先に行ってて。
『ああ、シカ?悪い、そろそろ切るわ〜。腹が減って倒れる直前だから』
ちょっとぼーっとしてしまっていた私は、咄嗟に返事が出てこなかった。
『シカ?おーい。・・・・あれ、切れた?』
「あ、は、はいっ!いますいます、すみません!」
ハッとして急いで言葉を押し出す。店長がちょっと驚いたように、大丈夫?と聞いている。
その声がいきなり遠くなったような感じがした。
私はそれでも、平常心を装って言う。
「じゃあ店長、また」
「え?うん―――――」
早く帰ってきてくださいね―――――――――電話が掛かってきたときは、最後は必ずそう言って切ろうと思っていた。
そうするだろうって自分でも思っていた。勿論、そうするだろうって。
だけど私はやたらと冷えた指先で、そのまま「切」のボタンを押す。
プツッ・・・その後の、ツー・ツーを黙って聞いていた。
・・・別に、何てことない会話だった。
だけど何かが非常に気に入らなかったのだ。私はざわざわする胸を押さえて、ケータイ電話をベッドに放り投げる。
頭が痛かった。
なんか、嫌だった。
・・・女を待たせる男って・・・・。
小さくもれ聞こえていた女性の声が耳の中にこびり付いているようだった。コタって、店長のことを呼んでいた。あなたのお母さんが、って。
あの、婚約者って人なのかな。
皆はトラってよぶのに、あの人はコタって。そこのところが気に入らないらしい、そう思って鏡を見ると、そこには憮然としためちゃくちゃ可愛くない顔をした私の姿があった。
「うわっ・・・何、この顔」
・・・何か。
なーんか。
・・・・・・感じ、悪い。
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