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「まだ、シカは俺に惚れてない」

「―――――――」

「ぞっこんには程遠いな」

「・・・・ええと・・・そう、ですか?」

 うん、と頷く。でもニコニコと優しく笑っていて、機嫌は悪くなさそうだった。

「難しいな、まあ攻略しがいがあるとも言うんだけどね〜」

 ヒョイと肩をすくめた。

 こ、攻略って・・・。ゲームじゃないんだから。それにそれに、確かに私は店長のことが好き・・・だと思うんですけど。

 どういう反応をしたらいいかで困ったまま、目の前の背の高い男性を眺めていた。

「ま、それもおいおい・・・」

 そう呟いて、店長が片手で自分の髪をかき回す。そしてぼーっと見ている私に背中を向け、歩き出してしまう。

 え、あれ?それで終わり?挨拶はなし?おやすみ、とか――――――――

「あの・・・」

 私の声は白い息と一緒にその場に落ちる。小声過ぎて、店長の背中には届かないように思えた。

 店長が作る私とのその数歩の距離がいきなり数キロの道のりにも思えてしまって、そのことに私は怯える。

 てんちょ―――――――――


 彼の背中に向けて手を伸ばしかけたその時、既に歩き出した店長が、数歩いってからおもむろに振り返った。

「じゃあ、またな。戻ったら連絡する。留守中、店宜しくねー」

 にーっこりと、いつもの大きな笑顔。あ、笑ってる・・・それを見て私は出しかけた手を引っ込めて、慌てて返事をする。今度は大きな声で。

「はい!あの、気をつけて行ってきてください!」

「おー」

 片手を高く上げて、そこでヒラヒラ振りながら、夕波店長は背中を向けて歩いていってしまった。

 背中が曲がり角で消えるまでを突っ立って見送った。


 私は自分の部屋の前で、やはり腫れている唇を触る。


 温かくて、苦しくて、それでもって柔らかくて心地よいキスを思い出して。


 私はまだ、店長に惚れてない・・・?このしっとりと全身を満たす温かい気持ちは、紛れもない‘好意’だと思うんだけど、違うのかな。それではダメなのかな?

 店長が歩いてあけたあの数歩の距離を、凄く遠く感じた、あれは何だったんだろう。

「はあ・・・・全く」

 ため息をついた。


 ・・・恋愛って、難しい。





 店長が居ない間の山神は、前回とは違って何事もなく過ぎて行った。

「俺達、結構うまくやってるよな〜」

 ある晩、上がりの一杯を飲みながら龍さんがそう言って、全員で頷いた。

 ツルさんが他の契約バイトを一つ終了したとかで、店長の代わりに週休二日で入っているのだ。それで、私もほぼ毎晩で、ウマ君が週に3日ほど。これで回そうって話になっていた。

 虎が不在で寂しいでしょ〜って最初は弄られた私だけど、相手にしなかったら龍さんが先に諦めた。

「面白くない。シカ、強くなったな〜」

 って。

 残念でした、人間は成長するんですよ!そう言って私は笑う。

 でも実際のところ、少しずつだけど影響があったのだ。

 それはバイトが終わって一人で帰る、商店街でよく訪れる。

 人がいない商店街を、靴音をたてて歩いている時、ふと、隣に店長がいないことを思い出してハッとするのだ。

 あれ?店長は?そんな気分になって、つい周囲を見回してしまう。

 自分で驚いた。

 だってまだ付き合いだして1ヶ月をすぎた頃なのにって。いつの間にか、あの男性はしっかりと私の毎日に入り込んでしまっているんだわって。

 閉店後の商店街の、隅々の暗がり。そんなものを気にするようになった。閉まったシャッターや、放置された自転車の陰なんかに。

 一人で歩いているんだ、そう思ってしまう。


 そして、やっぱりベッドの上。

 自分の部屋で寝ている時、妙に頭が冴えてしまって困るときがあるのだ。だって、そんな時には必ず影の店長が現れるから。

 影の店長は私を抱きしめる。そして、あの長い指を私の体に這わせる。この1ヶ月ちょっとの間、生理中以外は頻繁に抱かれた色々なシーンを思い出してしまうのだ。

 未経験のことを沢山した。抱かれる度に自分が理性を持たない獣になったようで、酷く私を困惑させる。だって、まさか自分があんな格好で態勢でゴニョゴニョゴニョ・・・。

 小泉君と少しばかりしていた行為とは全然違った。何と言うか、もっと真剣で、きちがいじみていて、それでいて凄く優しい行為だと感じるのだ。

 自分でうわー!と思って、掛け布団の中で悶えている。

 それも、彼が作った大きな影響だった。もう、何てことしてくれるのよ!私は一人でぷんぷんと怒っている。

 今日で、5日目。

 文明の利器であるケータイを、夕波店長はあまり使わない。だからメールのやり取りだってほとんどないし、電話もかかってこなかった。

 あ、そういえば、電話もない。そう気付くのが遅かったのは自分でも責められない。ケータイ電話をあまり使わないのは私も一緒だったからだ。

 メールも女友達としかしないほどだ。それも、あっちから送ってくれることに返信をするだけ。自分ではケータイ電話は私の生活に必要ないのではないか、とまで思っていた。

 一人暮らしをすることになったから、親がもたせてくれたのだ。小泉君は大学で会えたし、彼もあまりメールなんかはしない人だった。それも影響している。

 
 そんなこんなで結局一度も彼と会話をしないまま、店長が実家へ戻って1週間が経った。始め1週間くらいかな〜って本人が言っていたこともあり、店ではヤレヤレ、という雰囲気が漂っている。

「たかだか5日の営業日が、やたらと緊張したぜ〜。やっぱり俺、店長には向いてないわ。責任とかかかるとてーんで、ダメ」

 そう言って龍さんが笑い、ツルさんにエルボをくらっていた。笑い事じゃないでしょ、って。

 まだ連絡はなかったけど、すぐに帰ってくるものだと思っていたのだ、皆。私も肩の力を抜いて、さあ、またあのハチャメチャな日々が戻ってくるんだな、なんて思っていた。

 あの色白の善人面したいじめっ子が、私の毎日にも戻ってくるって。

 するとその日の開店直前、店に電話があった。

「はーい、酒処山神〜」

 龍さんが実に面倒臭そうに壁に備え付けられている電話を取る。そして、2,3言話した辺りで怪訝な顔をして頭を傾けた。

「え?すみません、どちら様って仰いました?」

 この日はオープンからツルさんと私と龍さんの3人で、夜8時からウマ君も入る予定の日だった。

 宴会の予約が入っていて、私とツルさんはその準備をしながら電話で話す龍さんをチラリと伺う。

 何だか、普通の電話じゃないみたい・・・。もしかして、宴会のキャンセルとか?それだったら困るな〜。仕入れしちゃってるしねえ〜。そう思った。背が高い龍さんは電話器が備え付けられている柱に体を寄りかからせて、肩で受話器を押さえながら難しい顔をして聞いている。

「・・・はあ。それで、虎・・・あー、夕波はそこにはいないんですか?・・・・はい、ふーん・・・」

 眉間にくっきりと皺を寄せたままで龍さんはぼそぼそと会話している。

 店長の名前が聞こえた私とツルさんはついに手を止めてしまって、もう露骨に龍さんを眺めた。

 宴会のキャンセルではないらしい。

「まあ取り敢えず了解です。オーナーには伝えときますので。・・・え?もう言ってあるんですか?・・・判りました」

 チン、と音を立てて電話を切った龍さんに、ツルさんが詰め寄った。

「何何、何ですか?トラさんから電話だったんですか?いつ帰るって?」

 龍さんは暫く考えるように間を開けて、あー・・・と口を開いた。

「虎からじゃあない。まあ取り敢えず、あいつはまだ帰れないんだってよ」

「え?」

「は?」

 私とツルさんが声を上げる。まだ帰れない?それは何ゆえ?

「え、それはどうしてって?てか電話はトラさんからじゃないんですか?ご家族の方?」

 イライラした様子のツルさんが龍さんに更に近寄る。

 すると、眉間に皺を寄せたままで何かふに落ちない顔をして、龍さんが私をじっと見た。

「・・・ええーと・・・?何でしょうか、龍さん?」

 私はわけが判らず挙動不審となる。

「ちょっと龍さん!?」

 つかみ掛かりそうな勢いのツルさんに、待ったと片手を上げてみせ、龍さんは私に聞く。

「シカは何も聞いてないのか?虎がまだ戻れないってわけとか」

「・・・聞いてません」

 ってか、メールも電話も一回もないです。それは言わなかったけど。だって、そんなこと言ったらこの人達は絶叫しそうなのだ。えええーっ!?って。それで彼氏彼女って言うの!?とか言われそうで。

 龍さんはチラリと電話に視線を飛ばし、ゆっくりと言った。

「今の電話、虎の婚約者だって言ってた」

 ―――――――――――え??

「はあああああ〜っ!??」

 唖然としてすぐに反応できない私に代わってツルさんが絶叫する。

「え、え??トラさんって婚約者いるんですかっ!?だってシカちゃんは?!あーんなに執着してべたべたしてたのに、実は婚約者いるとか有り得ないですよ!!」

「いや、俺に言うなよ」

 苦笑した龍さんが突進するツルさんをヒョイとかわした。そして、話しだす。

「夕波ですが、まだ当分そちらには戻れないようですと伝言を頼まれましたって相手が言うからさ、どちらさまですかって聞いたんだよ。そしたら身内のようなものですってこれまた曖昧だからさ〜、ヤツから聞いたことはないけど、お姉さんとかいるのかなって思ってそう聞いたら、かーなり渋ってから、私は夕波の婚約者ですってさ」

 ・・・・へえ。私は、その時確かにそう思った。

 ただ、へえ、って。

 だって私は今だに夕波店長のことに関しては何も知らないといっていいほどなのだから。呆然としていてよく判ってなかったのかもしれないけど。




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