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急に腕から力が抜けて、ガクンと姿勢が崩れた。
「あ」
近寄る彼の顔から逃げるつもりが、私はいつの間にやら店長の下で寝転がった状態に。・・・・あら?何で??
いつものあけすけで楽しそうな笑い方を、店長がした。
「・・・これは、襲ってもいいよってことだと解釈して――――――――」
のおおおおおおおお〜っ!!
「だっ・・・ダメです!違います、だって、腕に手が、・・でなくて、ええと、力が入らなくて―――――――」
焦った私が慌ててそういうと、私の上で影を作りながら店長が笑う。
「シカ」
「へ」
「海で泳いでキスしたら、すごくしょっぱいって知ってる?」
・・・・し、知りません。ってか、知らなくていいです・・・。
でも口に出せなかった。
どんどん近づいてくる、店長の唇が私のそれを目指しているのは判っていた。
「・・・試してみる?」
私は組み敷かれたような状態で、目をぎゅうっと瞑る。
う、うわ――――――――――――
「はい、ストップ」
上から声がしたと思ったら、私と店長の間に何かが挟みこまれた。
「!?」
「・・・おーい」
パッと目を開けると、近くて文字はおぼろだったけど何かの雑誌のようだった。
店長が起き上がって、退いたらしい。それまで彼の体で遮られていた太陽の光りが私の上に落ちてきて、一瞬でお腹が温まる。
自由になった体を引き起こして、ついでに顔に置かれた雑誌をとると、そこには憮然として座る店長と、ニヤニヤしているウマ君。
・・・ええと??
何が起きたのかが判らなくて、呆然と二人を見比べた。
「そろそろ虎さんがシカちゃんを襲ってるかもしれないから、見てきて邪魔してねってツルさんに言われたんすけど、まさか本当にそうなってるとは!」
そう言ってウマ君はゲラゲラと笑う。
店長がチッと舌打をした。
「くそ、ツルめ」
「・・・」
私は雑誌を手に抱えたままで呆然としていた。・・・・ちょっと、さっき、私、どうなるところだった!?て、て、店長と、ももももももしかして、き・・キス〜っ!!?
ボッと音がしたかと思った。
どうやら見事な赤面だったらしい。それをウマ君は指摘して、更にゲラゲラと笑う。
「ああ、シカさんもその気だったんならすみませんでした!でもツルさんが、シカちゃんはまだだと思うわって言ってたから〜」
・・・・つ、ツルさーん!
「・・・」
「ちょっと虎さん、問題っすよ〜!シカさん声も出ないほどショック受けてますよ。可哀想に〜・・・セクハラですね、警察に行きますか?」
真っ赤のままで固まる私の顔を、近くにきてしゃがんだウマ君が覗き込む。
「・・・へ、え?いや、その・・・」
私は何といっていいやら判らない。かなりのパニックだった。
よいしょ、と片足を立てて座りなおした店長が、片手でガシガシと頭をかき回している。
「ツルは魔女か?何で判ったんだろー」
相変わらずニヤニヤしたウマ君が、私の手から雑誌を奪いとりながら言った。
「今回は虎さん本気かもね〜って言ってましたよ。ツルさんはよく見てるから。案外、龍さんも判ってて寝にいったんじゃないっすか?」
「あ、俺もそれは思ったけど」
二人は私に構わずガンガンと話しをする。あははは〜って爽やかな笑い声まで聞こえてきた。
え?いやいや・・・ちょっと待って、全然展開についていけないんですけど。
あのー、山神様?これ一体何の冗談?
ウマ君が立ち上がって苦笑した。
「だーめですね、シカさん、トリップしてますよ。おーい、戻ってきてくださーい」
隣から、店長ののんび〜りした声が聞こえた。
「だから、王子様のキスで目覚めるんじゃないの?」
「何言ってるんすか、ダメですよ、虎さん。シカさんは前の恋に破れたばかりなんですから、そんなグイグイいっちゃったら嫌われますよ」
「・・・お〜。ウマが俺に恋の忠告!」
「いや、だってホラ、見てくださいよこの放心状態」
「美味そう」
「――――――――違うでしょ。それに王子様って、虎さんそんな年じゃあないでしょうが」
「お前、言うようになったねえ」
何だかなあ!な会話だけがたくさん耳から入ってくるけど、私は多分、半分も理解出来なかった。
衝撃的な、この展開・・・。え、どうして私は店長とキス(未遂だけど)を??
あらー?
その時、私の世界で、波音が蘇った。現実が戻ってきて、手足にも力が宿る。
私は突然立ち上がった。うわ!?私のいきなりの行動に、ウマ君が叫んで後ろに飛び去る。
「シカ?」
「シカさーん?」
目の前の、海。そのどこまでも広がる、光でいっぱいの光景に向かって、ボソッと言った。
「・・・トイレ」
「「は?」」
私はサンダルを自己最速ではくと、猛然とダッシュしながら後ろにむかって叫んだ。
「トイレです〜!!!」
砂を撒き散らして走る。格好悪い言い訳だって構わない。とりあえず、どこかで頭を整理しなくては〜!!
すぐに呼吸が上がって足がもつれたけど、何とかコケずに走った。
うわ〜ん、無理無理、この混乱を一体どうやったら落ち着かせられる!?ちょっとおおおお〜!!!
近づいてきた海の家、その前の階段で、ツルさんが座ってサイダーを飲んでいるのが目にうつった。
彼女も突進してくる私に気付いたらしい。片手を上げてにっこりと笑っている。
「シカちゃーん」
「つ、つ・・・」
私は全速疾走しながら叫んだ。
「ツルさあああああああああ〜んっ!!!!」
・・・何とかして。
興奮して話す私の頭をヨシヨシと撫でて冷たいソーダー水を飲ませ、ツルさんは言った。
「で、未遂でよかった?残念だった?」
「へっ!?」
私はソーダー水の瓶を握り締めたままで固まる。
ツルさんはじーっと私を見ている。あくまでも答えを待つつもりのようだった。
「・・・・」
えーっと・・・・よ、良かったか、残念だったか??そんなこと判らないですよ〜!ごちゃごちゃとした頭の中で、私は答えを探してウロウロと彷徨う。
「わ、判りません!!」
あははは〜とツルさんが笑った。
「そうなのね、まだ判らないんだ。うーん虎さんちょっとフライングだったのか〜」
「・・・いや、ツルさん、フライングって・・・」
どういうこったい、そりゃ!?何が何だか、また混乱してきて私は空いてる片手で頭を抑える。
「周りから見てたらね、シカちゃん、あなた、失恋しても悲観にくれてるように見えなかったのよ」
「え?」
ツルさんは海を見ながらのんびりと話す。階段に座って、太陽の光りを全身に浴びていて、その無防備なスッピンの顔は産毛がキラキラと光っていた。
「そりゃあね、呆然とはしていたし、一つの関係が終ったことのショックは受けているみたいだったけど・・・でも、もう無理だ、というか、号泣するような寂しさは感じてないみたいだったの。身が切り裂かれるような悲しさ、みたいなね」
私はぼーっとツルさんを見た。・・・確かに、私、未だに泣いてないですけど・・・。ショック?それは受けていた、よね。でもそういわれると・・・うーん。
眠れたし、食べれたし、笑えたし。
「だから、皆、もうシカちゃんの中でも彼氏に対する想いは薄れてたんだなって思ったのよね。今日も、笑顔全開だったでしょう。本当に悲しみにくれている人間て、どんな楽しいことしても暫くはやっぱり暗い影が出るものだと思うけど、シカちゃんにはそれがない」
そんな風に見られていたとは思わなかった。私は口が半開きで中途半端に頷く。
「・・・楽しい、です、今日・・・」
ボソッと言った。本当に、楽しんでいた。久しぶりの海も太陽も、風も浜辺でのランチも。塩で体がべたべたするのも肌が焼ける感覚も。
ツルさんが、頂戴、って言ってソーダー水を喉をそらして飲んだ。ごくんごくんといい音を立てて。私は少し首を傾げてそれを見ていた。
「だから、虎さんもいけるって思ったんだろうねえ〜」
あ、思い出した。
また顔が赤くなってきたのを感じた。うひゃあ〜・・・急いでバタバタと手で顔に風をおくる。
「え、あの、ええと、て、店長って恋人さんはいないんですか?」
ツルさんが苦笑した。
「いてこれなら問題でしょう?」
ええ、まあそうなんですけど。確か〜にそれはそうなんですけど!でも聞いたことなかったし・・・私はてっきり同棲している彼女さんとか、社会人だしいるのかなあ〜って、勝手に・・・いや、そりゃ想像だけどー。
一人でブツブツと考えこんでいたら、ツルさんが指でトントンと肩を叩いた。
「とにかく、嫌じゃあなかったのよね。逃げなかったんだから」
そう言って私を覗き込む。
「え、あの・・・嫌とかより、とにかく驚いて・・・そのー」
「はいはい。でも脂ぎった、白くてハンペンみたいな巨体のオッサンがのしかかってきたら、全力で逃げるでしょ?」
「逃げます!!」
思わず想像してしまった。ぎゃー!そんなの嫌だあああああ〜!トリハダがたった腕をさする。
「ね、だからシカちゃんの中でも虎さんは許容範囲なのかなって。龍さんがもっとさっさと手を出すかと思ったんだけど・・・。だってシカちゃんが振られた〜って友達ときた夜に、お持ち帰りしなかったものねえ」
「つーるーさああああああん!!」
「あははは、また真っ赤だわ〜」
色々と、考えるのが無理になってきて、私は立ち上がる。
「シカちゃん?」
「泳いできます!!」
そして海へ駆け出した。泳ぐぞ、私!ぐでんぐでんになるまで泳いで、疲れきって帰れば夜もぐっすり眠れるはずだ!そう思った。
頭を空っぽにするのよ、ひばり!!
高校生の時以来で真剣にクロールや平泳ぎを気が済むまでした。
本当にクタクタになって浜に上がり、起きてきた龍さんと虎さんがビーチボールで遊んでいて、それをツルさんとウマ君が観戦している所へ戻った。
個人的にはドキドキだったけど、他の誰も、そんなそぶりは見せなかった。皆物凄く普通で、私は一瞬、店長に迫られて、しかもそれを(多分)全員が知っていることなどないのかと思ってしまった。
店長も、超普通。龍さんもいつもと変わらず、ウマ君やツルさんは賑やかに楽しんでいた。
「あ、お帰り〜」
「長いこと泳いでたなー」
「フラフラしてるぞー」
「こっちおいでよ、お腹空いてない?」
こんな台詞が来るとは思ってなくて、返事をするのがちょっと遅れたほどだった。
「・・・ただいま、です。ええと、お腹、大丈夫です」
何か私、自分の隠れた願望か何かがあって、白昼夢でも見た?そんな感じだった。・・・やだ、店長に襲われたいとか思ってたの、もしかして?って。
帰るぞってなったのは、海がオレンジに染まった夕方。
重い体を引き摺って何とか車まで戻る。私は座るとほぼ同時くらいに寝てしまっていた。
一人暮らしの部屋まで送ってもらい、ぼーっとしている間に皆と別れて、自分のベッドでまた眠った。
体が疲れきっていて、お腹は空いていたけど、心地よい眠りだった。
髪や体から塩や砂がパラパラと落ちて、私の小さな部屋は海の香りがした。
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