・暗い瞳
「ひばりセンセー、月曜日、どこ行ってたの?」
阪上君の声に振り返った。
金曜日、今日は家庭教師のバイトの日。
月曜日の家庭教師のバイトを休んだので、阪上君に会うのは約1週間ぶりだ。オープンキャンパスの日、以来。
緊張するかな〜と思ってきたけど、やっぱり3年以上も教えている子なので呼吸が判っていて、特に何ともなくバイト時間に入れた。
そして私が出したプリント2枚を終らせて、その採点をしている所で言われたのだ。
「え?」
私は出来るだけキョトンとした顔を作る。彼は、部屋の真ん中にある境界線ギリギリの場所にあぐらをかいて座り、こっちを見ていた。
「もう一つのバイト・・・」
嘘じゃあない。もう一つのバイトのメンバー全員と一緒にいた。ただし、働いたわけではないけど。
阪上君は唇をとんがらせて半眼になり、前髪の間から見ている。
「日焼けしたよね」
「え、そ、そう?まあそりゃ、夏だから・・・」
「居酒屋のバイトで昼間に集合って、何したの?」
「え・・・と、話とか。シフトの調整、とか」
「センセーって嘘下手だよね〜」
ぐっと詰まった。流れるような嘘をつきたいとは思わないが、こういう時に応用のきかない人間であることを嘆く事に、自分でもうんざりする。
くそ〜。私はもう前に向き直って、プリントの上に赤ペンを走らせた。後ろからの視線はずっと感じてるけど、無視だ無視。
実は、今週はまだ山神に行っていないのだ。
今までは仕事を覚えるためと、優先的にシフトを入れられていたのが、シカももう仕事は覚えたし、ということで、フリーターであるツルさんに優先順位が戻された。
なんせ、私とウマ君は大学生で、私はバイトも掛け持ちで小額とはいえ実家からの援助もあるし、ウマ君は実家暮らしの学生である。
ツルさんみたいに生活がダイレクトにかかっているわけではないので、普段は彼女が優先されると最初に聞いていた。私は一年もいれない身分である引け目があるので、全然構いません!と答えた。
で、月曜日に海にいって、火・水・木・金がツルさんで、そこにたまにウマ君が加わって、明日の土曜は店が休みで、日曜に、私の出勤というのが今週のシフトだ。
間が空いちゃって悪いけど、先月ツルがバイト入るの少なかったから、ちょっと調整でこうなったから許して、と店長には言われていた。
勿論いいですよ〜!と月初めに言っていたのだ。その時になってみると、海での疲れが一日では取れなくて、結局火曜日もずっと引きこもっていたくらいだったので丁度よかった。
それに、ほら、私は若干店長に会うのが恥かしいし―――――――――――
「遊びに行ったんでしょ」
後ろから阪上君の声が飛んできて、ハッとした。
思わず海の、あの午後の場面に記憶が飛んでしまっていた。暑い日ざしに砂、背中のブルーシート越しに感じるその温度、大きな両手で閉じ込められて、すぐ目の前に店長の顔があった、あの場面に。
頭をぶんぶんと振りたいのを我慢して採点を再開した。
ダメダメダメダメ。落ち着け私!!
阪上君の声は無視して採点に集中しようと努力する。ところが後ろから、諦めない男子生徒代表の阪上君が、ひっくーい声でブツブツと責める。
「・・・何思い出して固まったの、センセー」
「固まってませんから」
「固まってるじゃん。今も、肩上がってるよ」
「何でもないです!」
「もしかして、他の男との何か?彼氏と別れたんじゃなかったの?また別の男?」
「うるさーい!」
まったく目ざとい男の子だ!私は採点の終ったプリントを持って席を立ち、ずんずんと境界線までをすすんで行った。
「はい、1問間違ってた!」
「・・・はーい」
阪上君は素直にプリントを受け取る。あら、スムーズ。私はちょっと驚いて眼を見張る。こういう時の彼は、いつもなら悪魔的な性格丸出しで問い詰めてくるのに、今日はどうしたのかしら――――――――――
「センセー」
「はい?」
大人しく机に向かった阪上君の後ろ姿に返事をして、私は顔を上げる。すると彼はプリントにシャープペンシルを動かしながら、さらっと言った。
「押し倒して拘束して服を剥ぎ取って隠しているとこ全部をベロで舐めまくりたいと思ってるんだけど、いい?」
「い――――――――」
・・・いいわけ、あるかあああああああ〜!!!犯罪でしょ犯罪〜っ!!!
脳みそに到達するまでにタイムラグがあった。
くるりと振り返った彼に、私は顔の前で思いっきり両腕でバツを作ってみせる。ガン飛ばしつきで。
「えー、ダメ?」
「ダメに決まってるでしょうがああああ〜っ!!全く何てこと言うのよ、あなたは発言に問題がありすぎるのよっ!!」
め、眩暈がするわっ!!私は何とか二本の足で体を支える。・・・ああ、ビックリした。ひっさしぶりにこの子のセクハラ発言を聞いて、一瞬でやたらと疲れてしまった。すごい殺傷能力だ。
阪上君はケロッとした顔で、平然と言う。
「だって、センセーが好きだもん」
「すっ・・・好きだとしても言っていいことと悪いことがあるでしょう!?」
「付き合ってたら、あんなのフツーでしょ。別に悪いことじゃないよ。彼氏とそんな会話したことないの?」
「ないですっ!!」
フツーじゃないでしょ、フツーじゃ!それに付き合ってないんだから、やっぱり悪いことでしょうが!過呼吸になりそうで、思わず胸元を押さえた。
阪上君は椅子の背に腕を置いて身を乗り出す。
「え、本当にないの?彼氏とちゃんとエッチしてたんでしょ?まさかあれだけの期間付き合って、貫通してないとかないでしょ?」
「間違え直しはどうなったのよーっ!!」
出来たけど、そう言って阪上君はプリントをヒラヒラさせる。
・・・ああ、疲れる。私はぐったりしたままで、彼からプリントを奪い取ってチェックする。あってるじゃん。これも、絶対わざと間違えたに違いない・・・。
ため息をつく私を見て、阪上君は椅子に座ったままで、表情も変えずに言った。
「僕、センセーが好きだから、抱きたいんだ」
ぐふっ・・・
直球だった。
聞き間違えたかったけど、残念ながらそのままで聞いてしまった。
私は阪上君が放った弾丸のような言葉が真っ直ぐに自分に向かってきて、額の真ん中を打ち抜いた気がしてよろける。
い・・・息が、出来ない・・・・。
口元を押さえて後ろに下がる。2,3歩下がったところで座り込んでしまった。突如襲ってきた困惑と吐き気に鼓動が早くなる。
「センセー?」
彼が立ち上がった。私は急いで手を振って、大丈夫だと伝える。ってか、こっちにこないで〜!
「気持ち悪いの?立ちくらみ?」
吐き気は拒絶反応だ。それが判っていた。深呼吸をする必要がある。きっと顔は真っ青だったと思う。私は懸命に落ち着けと自分に言い聞かせた。
大丈夫、大丈夫、しっかりするの、ここで負けちゃダメよ!
何とか吐き気を飲み込んで、阪上君を見上げた。
阪上君は心配そうな色を目元に浮かべて私を見ている。
「・・・・わ、私は」
「うん」
「・・・私、は、あなたの家庭教師なのよ。だから、あなたを男性としてみたとはありません」
一気に言った。だって、これは本当のことだ。そこの線引きはしっかりしないといけない。でないと、ここでは働けない。阪上君はちょっと下唇を噛んで、暗い顔をする。
「僕は、いつでもひばりセンセーは女の人だったよ」
「私は違う」
「じゃあ生徒じゃなかったら、男としてみてくれるの?」
「いや、見れな――――――」
「なら」
阪上君が、口角だけをひゅっと上げて私を見下ろした。目が笑ってなかった。その瞳の中で、何とも言えない黒い光りが動くのが見えた気がした。
「センセーは、いつまでも離してあげないよ」
――――――――はい?
私はぽかーんと彼を見上げる。まるで、知らない子みたいだった。暗い大人の目をして、口元だけが笑った顔で。境界線ギリギリに立って、阪上君が話す。
「就職も邪魔してやる。内定取り消しになるような噂話を会社へファックスで流すよ。大学にも電話する。ずっとつきまとって、僕を男としてみてくれるまで、いつまでも勉強を教えて貰うことにするよ」
何を言ってるんだ、この子は。
私は下から彼を見上げたままで、呟くように言う。
「・・・そんなこと出来るわけないでしょう。阪上君、自分が・・・・何言ってるのか、判ってるの?」
「勿論判ってるよ。僕は、本当にやるよ、センセー」
「・・・そんなことして、私が君を好意の対象に見るわけないと思わない?」
ゆっくりと言った。
相変わらずの暗い目をしたままで、口元を歪めて阪上君が呟く。
「・・・・・忘れられないように、嫌われるんだ」
「阪上君」
「凄く嫌われたら、センセーは僕を忘れない」
彼の顔が歪んだ。くしゃりと、音をたてるみたいに歪んだ。
「ずっと、言ってきたじゃないか、ひばりセンセー」
目の前の男の子の、綺麗な形をした瞳から、水の玉が零れ落ちるのを見ていた。私は動けないで、目を見開いて。彼はごしごしと目を擦る。
「・・・センセーが、欲しいんだよ」
嘘泣きかもしれない。
だって、この子はそんなこと、平気でする。
そうするほうが有利だと思ったら、泣くくらいのことは平気でする子なのだ。
そう自分に言い聞かせた。
ダメよ、騙されちゃ。ひばり、この部屋を出て行くの。
そして、お母さんに挨拶をして
今日で、辞めさせてくださいって・・・
鼻が赤くなっていた。目も。涙が出てくるのを止めようとしているように見えた。
私の頭はぐるぐると過去が回って、呼吸も忘れそうだった。ガンガン頭痛がした。結構な強さで重力を感じて体が重い。
この子は、女性が好きなんだと思っていた。私ではなくても、女性であるということが、ポイントなのだと思ってきた。
私が好きなのではなくて、女好きなのだと。性に対して興味があって、それを口に出来る子なのだと。
それが、彼の性格なのだって。
だけどだけど、この子の言うことが本当だったら―――――――――――――
ずっと、私を、恋愛対象として見ていたら・・・。
「阪上君」
確かに私が話しているのに、この口から出ているのに、どこか遠くの方から声が響いてくるような、そんな錯覚に陥っていた。
「ごめんね、阪上君」
男の子は腕で顔を隠している。肩が震えているのを見ていた。その内に私は立ち上がって、鞄を掴む。無意識に忘れ物がないかを確認して、男の子の、部屋を出た。
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