・元カレと元カノ@
朝一、阪上家へ電話した。
電話に生徒である八雲君が出ることは、滅多にない。阪上家は完全な専業主婦家庭で、しかも母は毎日朝化粧をして素敵なワンピースを着、その上にこれまたハイセンスなエプロンをして家事をするというお宅なのだ。
電話口にはいつでもお母様が出る。しかも、「はい、阪上でございます」と言った口調で。
「おはようございます、鹿倉です」
そう言うと、明るい声で、あら、先生、おはようございます、と声が返って来た。
いつもと同じだ。そこに何だか安心してしまった。
「当日に申し訳ないのですけど、今日のアルバイトはお休みさせて頂けないでしょうか」
私がそう言うと、お母さんは少し黙った。そして、思い切った、という感じで話し出した。
『勿論構いません、今は夏休みですし、先生にも都合がありますでしょう。それはいいのですけど・・・あの、うちの八雲、また先生に失礼なことしましたでしょうか』
「え?」
まさか、そんなことを言われるとは思ってなくて驚いた。・・・ええと、失礼なこと?ううーん、まあそりゃ色々と、公衆の面前で抱きつかれたとか、初対面の人を見下して攻撃したとか・・・ごにょごにょごにょ。
「阪上君が何か言ってましたか?」
恐る恐るそう聞いてみる。やつめ、まさか、ひばりセンセーを襲おうと思って失敗したんだ〜なんて言ってないでしょうね。
有り得そうで、一瞬で冷や汗が出る。すると電話の向こうのお母さんは、ちょっと柔らかい声に戻って言う。
『八雲がね、ぽつんと言ってましたので。ひばり先生はもう来ないかもしれないよって。それで、またうちの子が先生に何か失礼なことをしたのじゃないかって・・・。本当に、いつもすみません』
「い――――――いえいえいえ、ええと、大丈夫です。そんなことありませんから!あの、ええ、私は対処してますし、阪上君も悪気がないことは判ってますので。今日は・・・そのー、もう一つのアルバイト先で、必要とされていて、あの、こちらが休めるようならーと思っただけで・・・」
私は慌ててしまってベラベラ喋る。阪上君に会うのは気まずかった。だけど、あの子が私を想ってした行動であるとは理解していた。だから親御さんに心配かけたりするのは不本意なのだ。
電話の向こうでお母さんは笑う。ああ、それなら良かったです、と。
私はまたすみませんと謝って、電話を切る。
・・・・ああ、疲れた。部屋の中で無駄に汗をかいて、固まってしまった肩をほぐす。
ぽつんと、とお母さんが言っていた阪上君の姿を想像して少しばかり胸が痛んだ。
駅前の、太陽を浴びた彼の微妙な笑顔を思い出す。泣き笑いのような、あの顔を。
ごめんね、阪上君。だけど君との対決をするには、私にはまだエネルギーが足りないの。
とりあえず、今は、今は・・・。
今日は―――――――――獣達と、海だ。
「山神」で集合だった。
店長の運転するミニバンに乗って、1時間ほどでいける海を目指した。店の前にくるまで、何だかなーの心境で気が晴れなかった私も、車に乗り、テンションの高い皆に囲まれている内に、楽しくなってきた。
海・・・・海かあ!久しぶりだなあ〜!!
私以外のメンバーは全員水着の上にパーカーを羽織った、だけの格好で、普通の服で来た私をやいやいと責める。
「シカはバカだ」
龍さんがまずそう言って、遠慮なしに私の全身をじろじろと眺める。隣で車のキーをくるくると回しながら、夕波店長があはははと笑った。
「失礼なのは判ってましたけど、本当に失礼ですよ、龍さん」
私が憮然とすると、ウマ君が車に荷物をつみながら言った。
「シカさん、海行くのに水着きてこなくてどうするんっすか!あっちで着替えるまでに汗だくですよ〜」
ツルんさんも頷く。
「そうそう。更衣室借りるのお金かかるしね」
私のことはほっといて下さい!そう言いながらさっさと車に乗り込むと、店長が言ったのだ。
「車で着替えてもいいぞー。何なら皆で手拍子してシカのストリップショーを盛り上げてやるよ〜」
「結構です!!」
そんな出発だった。
車の中で、龍さんは長い足をどかーっと広げて早速缶ビールを飲み始めるし、ツルさんとウマ君はビーチボールを膨らませて打ち合っている。何て人たちだ!
「龍さん、飲んだら運転代われないでしょ」
運転席から店長がそう苦情を言うと、龍さんはにやりと笑った。
「判ってるから、早速飲んだんだろ〜」
確信犯だ。性質が悪い。
龍さんは私を振り返って、ビール缶を振りながら言った。
「今俺に対してよくないこと考えただろう。いいのか、シカ?俺は今日わざわざ早起きして、君たちのためにスペシャルランチを用意してやったんだぞ!」
「え?」
私が目を見張ると、ウマ君が頷いた。
「そうなんですよ〜!山神でどっか行くときは、龍さんが必ずすんげー弁当を用意してくれるんです!シカさん期待していいっすよ!」
「本当に美味しいし、ゴージャスよ〜」
バイト二人の意見にうんうんと頷いて、龍さんは機嫌よくビールを煽る。
今日の龍さんは海パンとジップアップパーカーで、パーカーの前を全開にして、割と綺麗に筋肉のついた裸をこれ見よがしに晒している。整えてない茶髪の肩までの髪を無造作にくくっていて、この姿だけみたら、この人の職業が料理人だとは絶対思わないって格好だ。大体、板前で筋肉ついてるっておかしくない?私は飛んでくるビーチボールを頭を下げて避けながら、そんなことを思っていた。
店長はワークキャップにサングラス、海パンと白いシャツで、これも外見だけでは何の職業かが全然判らない男性になってるし、助手席に座るツルさんは赤いグラデーションの綺麗なビキニの上に緑のパーカー。すらりとしたスタイルのよさは「山神」のシンプルな制服でも確認できていたけど、水着になると凄いな!という羨ましいカーヴィーボディだった。
胸が、ぷるんぷるんいってそう〜・・・・。どうしてスレンダーなのに胸があるのだ!正直に言おう、憧れ、なんてレベルでなくて、ものすっごく羨ましかった。
最近また痩せた自分の胸を見下ろして、こっそりとため息をつく。
ウマ君は海パンとTシャツ姿。でも頭にタオルをまいていて、今からバーベキューで肉を焼きそうな雰囲気。大学生だけあって、彼が一番嬉しそうに興奮して喋りまくっていた。
小学生レベルの会話で言い合いをする獣達をみていて、一番後ろの座席で私は微笑む。
何て楽しい人たちだろうかって。
やはり平日で、まだ学生も夏休みに入ったばかりとあって、海岸は空いていた。
車を出た瞬間から獣達は雄たけびをあげて海に突進し(特に、虎とか龍とかが!)、私はツルさんと車から荷物を降ろす。
「何で男女混合、しかも年上が二人もいて女性が荷物運んでるのよ〜」
ツルさんがぶつぶつと苦情を垂れていた。
私は笑いながら荷物を抱えてあとに続く。裏方は好きだ。弾けたい人は弾けたらいい、そう思っていた。
「そういえば、龍さんていい体してますよね〜。あれで本当に料理人なんですかね」
砂浜の階段下に、巨大なビニールシートを広げながら私が言うと、ツルさんが、ああ、と反応した。
「龍さんは趣味でボクシングしてるのよ。だから体は鍛えてるわね〜」
「ええっ!?」
私はつい手を止めてツルさんを見上げる。彼女はパラソルを組み立てながら、そのままで喋った。
「ボクシングも料理も好きで、本当は料理が趣味だったらしいけど、そっちで金を稼ぐほうが楽だったらしいわ」
・・・へえ〜・・・。まあ、それはそうかもね。私は黙って考える。スポーツでお金を稼ぐのは、大変だろう。練習や努力だけでは物事が動かない世界だろうし。
「よく知ってますね〜。さすが、オープンからいらした古参バイト!」
私が拍手をしてふざけると、ツルさんがにやりと笑った。
「うーん、この反応ではまだシカちゃんは聞いてないのね。よし、驚かせよう!実は私、龍さんとしばらくつきあっていたの」
――――――――え。
「ええええええええ〜っ!!!!」
絶叫してしまった。ハッとして見回したけど、こんなに解放感溢れるところで多少叫んだって何の問題もないって気がついた。
首が折れそうな勢いでツルさんを振り返る。
このスレンダーラブリー完璧アルバイターが、あの板前の元カノだとーっ!!?
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