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次の日は休みだった。山神に出るのは私以外の全員てこと。
私はこの日もぼーっとしていて、ほとんど何もしなかった。淡々と朝ご飯を食べ、掃除をし、昼ごはんを食べ、クッションを抱えて寝転び、天井を見たり雑誌をめくったりしていて、夕方になってからダラダラと洗濯をしにコインランドリーまで行ったりした。
誰とも話さなかった一日は、最近では珍しいなあ〜・・・そう思いながら、ぐるんぐるんと回る乾燥機を見ていた。
山神で働き出してからは、色んな人と会話するから。
家庭教師と山神で、仕事の入ってない日は週に一日あるかないかだ。
家庭教師、の単語でまたため息が出た。
・・・阪上君、どうしようかなあ〜・・・。
ほとんど反応はなかったけど、私は彼の真剣な顔を、泣きそうな、どうしたらいいのか判らないっていうような顔を初めて見てしまったのだ。
あの時彼は、少年ではなかった。そんな風には思えなかった。私は自分のことに必死で見えないふりをしていたけど。
あれは、告白に当たる・・・と、思うし。次は月曜日に家庭教師の日だけど・・・行かないべきだろうか。
うううーん・・・。違う意味でこれも困ったな〜。うだうだと考えてはぐるぐる回る乾燥機を凝視していた。
回転する洗濯物に回答が書いてないかと探すほどに真剣に。
すると、ポケットの中でケータイが振動するのに気がついた。
何だ?と思って気だるく引っ張り出すと、そこには2ヶ月ほど会っていない大学の女友達の名前が。
「あら」
ぴ、とボタンを押す。
「はーい?眞子、久しぶり〜」
コインランドリーのテーブルにだら〜っと凭れながらそう言う。すると、相手は結構な剣幕で喋りだした。
『久しぶり〜!!・・・じゃあないのよ〜!ちょっとちょっと、ひばり達別れたって本当なの!?』
うお、凄い声・・・・。声量も、高さも。私は若干痛くなった耳からケータイを離して、とりあえず返事をした。
「ああ、そう。昨日振られたの。どうして知ってるの?」
昨日から、大学の友達には誰にも会ってないのに。そう思って聞くと、友達の友達のその彼氏から聞いた、という驚きの連絡網を披露された。
・・・わお。皆、いつの間にそんなライン構築を・・・。
『いや、はじめはあんたが高校生に図書館で抱きつかれてたよ〜って話だったのよ。それで、え、何それ!?って盛り上がったあとに、小泉がひばりと別れたって言ってたってメールが来てさあ!』
くらくらくら〜・・・。
テーブルに額を引っ付けて凹んだ。・・・図書館で高校生に。ああ・・・やっぱり見られてたのね、そう思って。
それに破局話がメールで飛んでいるってのにも恐ろしさを感じた。私の知らないところで、きっとたっぷり酒の肴になったことでしょう・・・。ううう。
「・・・ああ、そう」
一瞬で疲れた私がそう返すと、眞子はぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる。
その子は誰?何で大学にいたの?小泉とは何で別れたの?やっぱり就活の壁?
私はそれに仕方なく、丁寧〜に答えた。
その子は家庭教師先の生徒で、オープンキャンパスで来校していて、ふざけて抱きつかれたの。小泉君が就活でうまくいかなくて全然会えなくて、まあ自然消滅みたいなものよ。って。
『くっそ〜!!こーいーずーみーいいいい!!!』
電話の向こうで小泉君とは二言くらいしか話したことのないはずの眞子が怒っている。
げんなりした私は一応聞いた。
「・・・なんで眞子が怒るのよ。仕方ないじゃん、だって」
『仕方なくないでしょう!ひばりは支えてたのに!デートしたいとか、どっか連れていけとか、あんたのことだからそんなワガママは言わなかったんでしょ!?』
「・・・まあね」
でも、と洗濯物を回している乾燥機を眺めながら思った。
ワガママを言っていれば、別れずに済んだのかもしれないって。
私は会いたいのって彼の家に行っていれば。たまには飲みにいこうよって連れ出していれば。手を引っ張って、地団駄踏んで見せていたら。そうしたら。
彼は、あんなに煮詰まらなかったのかもしれないって。
昨日からずっと考えていたのだ。
私は彼の邪魔にならないようにとしすぎて、いないも同然の存在に自分からなっていたのかも、って。
あの明るい男の子なら、逆の立場だったらきっとそうしてくれていただろうと思うのだ。
私を連れ出して、力を抜けよって笑ってくれただろうって。
そうやって、追い詰めていく自分を解放してくれていただろうって。
私はそれを一度もしなかった。
しなかったんだな。
私は、ずっと家で待っていたのだ、彼からの連絡を。それだけだった。
「でも、お互いが悪かったのよ」
付き合いや人間関係は、鏡なのだ。自分の行動が相手にうつる。確か、小学校の時の担任だってそう言っていたし。
電話の向こうにそういう。眞子は騒ぐのをぴたりと止めた。暫く間をあけて、ゆっくりとした声が聞こえる。
『―――――――今、何してるの、あんた?大丈夫なの?メールが回ってきて、皆心配してる』
え、それは一体何人が?ちょっとそう思ったけど、私は微笑んだ。電話を持って口角を上げた自分の姿が、夜に入りかけて光が反射しているコインランドリーの入口に映っている。
有難いなあ〜・・・友達、なんだな。嬉しいな、そう思ったのだ。
「・・・洗濯してるの。大丈夫よ。実は、泣いてないのよ。多分判ってたんだと思うのね、自分でも」
もうすぐ、別れかもって―――――――――――
よし!と派手な決意の声が、ケータイから聞こえた。
『今晩予定ないなら、飲みにいくよ!泣けなくても笑えてもないんでしょ?』
いや、笑ってたよ、昨日居酒屋で。そう思ったけど、とりあえず頷いておいた。空気はよまなきゃね、空気はね。ええ、ええ。
なら、ひばりの最寄駅の前に、7時に集合ね〜!!
大きな声でそう叫んで、眞子は電話を切った。
私は呆気にとられて切れた電話を見詰める。
・・・・いや、いくって言ってないけど?返事返事、せめて返事聞いてから切りなさいよ、眞子〜!
「ちょっとお・・・」
乾燥機が終ってぴーぴーと鳴った。丁度いいタイミングだったから、私は肩を竦めてテーブルから立ち上がる。
もう、急なんだから・・・。そう思いながらも、胸のところがじんわりと温かくなるのを感じていた。
鼻歌が出そうな心地よさで、洗濯物を籠に突っ込んでいく。
駅前に、7時。
・・・・じゃあ、いそいで帰って着替えなきゃ。
帰る足取りは、格段に軽くなっていた。
失敗した。
夜の8時過ぎには、私はそう思って頭を抱えていた。いやいや、訂正。ビールをやけになって煽っていた。
だからほとんどぐでんぐでんだった。
何故やけになったか!それは、今の現状は決して私が望んだものではなかったからだ。
「あははははは〜!すっごーい!美味しいいいいい〜!イケメンで作るご飯も美味しいなんて最強ですねえっ!!右田さんって仰いました?格好いいです〜!!」
そう叫んでいるのは、眞子。ちなみに手には4杯目の生中を掲げている。
「あたしは店長さんが好みですう〜!優しそうなところが、もう!結婚してらっしゃるんですかあ〜!?」
こう叫んでいるのは、同じく大学の友達、千里。酒に弱くて男に強い彼女はウーロン茶でこのテンション。
「ちょっとこのお姉さん素敵いいい〜!すっごい経験つんでるよ!あんた達も話聞きなさいよ、タメになるんだから〜!」
と言って、ツルさんにべったりひっついているのは雪。名前を裏切る騒がしいおきゃんな娘で、ゼミでは有名だ。
もう、叱ることもできないよ。
私は壁に背をつけて、ため息を盛大に吐き出した。実際のところ、天井がちょっとばかり回っていた。
駅前に7時に集まったのは、この3人の女友達。急な話でもバイトや約束をキャンセルして集まってくれたことに、とにかく私は感動した。
だから、言われるがままに彼女達を「山神」へ案内してしまったのだ。新しいバイト先が見たいって言うから。
すると、日曜日だからか残念ながら暇だった山神は、他にお客さんが二人しかいなかった。それも常連さんのご夫婦で、私に「シカちゃんは今日は休み?」と声をかけて、早々に帰ってしまった。
そんなわけで、「ご飯行くならウチで飲まない?」と言う夕波店長の超オープンな笑顔に、女友達は全員でアッサリ頷いたのだ。
ほぼ貸切状態になった山神で、当たり前だけどうちの獣達が女子大生を放っておくわけがない。
すぐ、まず店長がのってきた。
「改めて、いらっしゃーい、鹿倉さんのお友達かな?」
入ってきた時の無造作な頭は、いつの間にか整えられていた。私はそれに気付いて、店長の作られた外見を凝視する。
すると目をキラキラさせた眞子のバカたれが「この子の失恋パーティーなんですう」とか言ったので、カウンターから龍さんが身を乗り出して、ウマ君やツルさんもわらわらと寄ってきて―――――――――
想像つくでしょ。つきますよねえ〜・・・。他にちっともお客のこない居酒屋「山神」は、従業員込みで宴会状態になったってわけだ。
途中で夕波店長が、今日はもういいや〜とかいいながらふらりと店の入口に行って、「本日貸切」の札を下げたらしい(ウマ君談)。
で、龍さんは垂れ目を細めて笑顔をばら撒き、メニューにない洋食まで作って彼女達をもてなした。完璧に愛嬌ある板さん、に扮していて、普段の苛めっ子キャラは上手に隠している。
私は唖然とした。そして、嘘はいけないと正直に彼の本性を暴こうとして、「皆、あのね・・・」と言いかけ、ツルさんに止められた。
彼女が指す方向には包丁を握って微笑む龍さん。
「シカ、何が食べたい?馬刺しなんてどうだ?」
そう言って笑う龍さんから遠く離れて、入口のところでウマ君が必死に両手をぶんぶん振り回していた。その顔には懇願、もしくは悶絶の二文字が似合っていた。だから仕方なく、私はウマ君に頷いて見せたのだ。
龍さんは女子大生に微笑む。皆可愛いな〜、俺、はきりっちゃおうっと、そう言って、華麗な包丁捌きをわざわざ見えるようにカウンターの上でしていた。
ますますテンションのあがる女子大生たち(本性を知っていて、馬刺しにドン引きしている私は除く)。
これ、やけ酒仕方ないよね〜。結局全然失恋の話はしてないんだもん。ふてくされるのも、たまにはいいかもね、そう思って生中を追加したのだった。
盛り上がる店長&龍さんと女友達3人を放っておいて、私はツルさんとウマ君としみじみと余ったおかずを片付けつつ話す。
「シカちゃん、可哀想だったのね。大丈夫なの?」
ツルさんがそういってよしよしと頭を撫でてくれる。うわーん、優しい〜!
「ツルさん好きれす〜!」
私はツルさんの膝にドンと頭をのっけて、酔っ払いの図々しさで膝枕を奪っていた。
「らいじょーぶれすう〜・・・ぜんぜーん泣けないんらもーん」
「シカさん、へべれけですね」
「そうね。まあ結構飲んだわよね。勘定は、彼女達に任せていいのかしらね」
ウマ君とツルさんの会話が頭の上で聞こえる。
ああー・・・酔った〜・・・。こんなに飲んだの久しぶりだ。
さっきの3人の嬌声に応えて、龍さんが「右田さんなんて言わずに龍さんって呼んでね〜!」て言ってにっこり笑っただとか、店長が「俺は独身ですよ〜。そんな嬉しいこといって、皆しっかり彼氏いるんでしょ?」などとか言ってウィンクした、だとかのムカつく場面はしっかりと見てしまったのだけど。
「まあ、人生色々あるから面白いわけだし。どうせあれよ、シカちゃん、春から新社会人になれば、会社が大変で恋愛どころじゃないと思うよ、多分ね。縁がなかったんだよ」
ツルさんは私の頭を撫でながらそういう。ウマ君はちゃっかりご飯を食べながら頷いた。
「そうっすよね、やっぱり縁ですよね、最後は。続く人は続くんでしょうし」
「ウマ君は頑張って〜。彼女が好きなら踏ん張るんだよ〜」
「うす!」
私はトロトロと眠りかけながら二人の会話を聞いていた。たまにうん、とか、はい、とか返事を返していたけど、実際のところ自分が何に返事をしていたのかが判っていなかったのだ。
だから、私はちゃんと頷いて返事をしていたのだけど、知らなかった、と言いたい。
私がツルさんの膝枕で寝かかっている内に、虎&龍&女子大生3人で、勝手に私を慰めようの会、が結成されていて、それが翌日月曜日に海へ行こう!になっていたとは知らなかった。
実際は、女友達は参加しない方向で、彼女達は適当に面白おかしく話ていただけらしいけど。
山神の虎と龍はがっつりその気になったらしい。
そして、月曜日が休みな山神ファミリーは全員参加となったらしい。
ツルさんは他のバイトが入っていたけど、交代要員を探しだせたらしいし、ウマ君は大学の講義を店長命令でサボるらしい。
私は、お水を大量に飲んで意識が戻った夜の10時に、その事実を知ったのだ。
「――――――え!?」
目の前で、龍さんが余所行きの顔でにっこり笑っている。
「海だよ海。シカにもちゃんと聞いたぞ。そしたらお前が行きまーすって言ったんだよ」
なあ?と後ろを振り返り、そこにいた全員が、そうでーす!と言った。
すでに女子大生は全員酔っ払いで、ツルさんとウマ君は行ったり来たりしてテーブルを片付けたりお皿を洗ったりしている。
私は若干痛む頭を押さえながら、ええ?と呟いた。瞬きを激しくして動揺を伝えようと思ったけど、マスカラがひっついて目はほとんど開かなかったから、表情で表現するのは諦めた。
・・・・海。いつそんな話になったの?私、本当にはいとか言った?
「あのー・・・私、家庭教師のバイトが・・・」
一応言ってみたけど、自分でも阪上家には行きたくないと思ってることが判っていた。
だけど、仕事は仕事だし。そう思って言ったのだ。
でもそれもアッサリと口元に笑みを浮かべた店長に一蹴された。
「高校生だっけ?もう夏休みなのに、何でカテキョがいるんだ?休み、もらえよ。給料なしになるけど、海での金はシカは払わなくていいからさ」
「そうそう。生徒にも休みをあげな。あまりガタガタ言うと、俺が今日シカをお持ち帰りしちゃうぞ〜」
「・・・結構です」
壁に全体重を預けながらそういう私の隣で、眞子が無責任にもこう叫ぶ。
「きゃーっ!!それいいよお龍さん!いっちゃってくださーい!ひばりお持ち帰り〜!」
千里と雪も拍手する。
くそ、酔っ払いめ。私は何とか手を動かして、メニューで彼女の頭を叩いた。
そんなわけで、真夏の月曜日。正しい社会人の皆さんは額に汗して働いている日、居酒屋「山神」のメンバーは、全員で海へ遊びにいくことになって、その夜は解散になった。
・・・何故、こうなったのだろうか。
皆を駅まで送った帰り道、私は夜風に吹かれながら歩く。
でも家に着く頃には、ちょっと笑っていた。
ふふって。声まで漏らして。
水着、探さなきゃ。
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