・失恋は酒の肴になる@

 
 家に帰って、ぼーっとしていた。

 居酒屋の時間ギリギリまで、ただ部屋の中で夕焼けにまみれていた。

 空気は暑かったけど、私は指先まで冷たかった。

 何だか自分でもよく判らないまま、夢の中にいるような気持ちでバイト先へ向かう。

 足を動かして。右の次は左だよ、ひばり。歩き方、忘れてないでしょう?頭の中で自分の声がする。

 理解はしたんだと思う。

 だけど、まだ実感がなかったのだ。

 だって私達、最近はデートもなかったし。あったとしても晩ご飯を一緒に食べるくらいで、彼のうまくいかない就活の話を暗い顔で二人で話していただけだ。

 手を握ったり。

 微笑あったり。

 キスをしたり。

 温度を感じたり。

 そんなこと、冬以来してないと思う。

 だから判らなかったのだろう。

 呆然としていたけど、そこに広がるのはいつもと同じ夏の夕方だったのだ。

 おはようございます、と言った声はいつもの自分の声だった。

 おはよー、と店長と龍さんが返してくれる。今日はツルさんと一緒の日で、他にバイトがない曜日だったからツルさんも5時から入っている。



 ツルさんも笑顔で大きな声で言ってくれた。

「おはよう、シカちゃん!」

「おはようございます」

 私も笑った。

 あ、笑えるわ。―――――――――――そう思った。



 そんなわけで、私としたら普通のつもりだったのだ。つまり、頭はね。だけど体は案外心とシンクロしているらしい。

 心がショックを受けているかどうかの自覚がなかったのに、影響を受けてるんだ、と思ってビックリした。

 今晩の私の手には力がなくて、お皿を2枚ほど落として割ってしまった。そしてボールペンを持つ手が震えるときがあって、注文をとるスピードが遅かった。

「シカ、どうした?」

 ビールサーバーの前で夕波店長に腕を掴まれた。視線を感じて振り返ると、龍さんがキッチンからこちらを見ているのが判った。そして、注文をとっているツルさんも。

「え、―――――――何がですか」

 私はぱちくりと愛嬌あると思える顔で店長を見上げる。

 自分でも動揺していたのだ。だからそれを隠したかった。イメージはぺこちゃんだよ、そう言い聞かせながら店長を見た。

 いつも眉を開いて優しい笑顔をしている(そう見えるってだけだけどね、笑顔は優しげでも言ってることはえげつないからね)店長が、怪訝な顔をして見下ろしている。

「何が、じゃないでしょ。明らかに魂抜けてるよ」

「そ、う、ですか?」

 店長が頷く。私は身を引いて、とられている腕をそっと外した。そして口元に笑みを浮かべた。

「確かにちょっとボーっとしてますよね。お皿、すみません。お給料から引いてくださいね」

 店長は若干目を細めた。

「そういうことじゃない。いつものシカじゃないって言ってるんだよ」

「すみません」

「いや、謝れってことじゃ・・・」

 店の入口付近の座席から、すみませーん!と呼ぶ声が聞こえた。私はパッと振り返って、はーい、いきまーす!と返事をする。

 店内を横切っている間、カウンターの中から龍さんが見ているのが判っていた。

 これ以上失敗しないようにしなくっちゃ。私はお腹に力をこめる。そして大きな笑顔を浮かべた。

 笑っていれば、幸せになれるらしいから―――――――――


 だけど、その日のお店は暇だった。

 だから皆手が空いていた。つまり、そんなに人数がいなくても店としては回ったのだ。そんなわけで、暇な店長に私は捕まってしまった。

「シカ、食事」

「はーい」

 賄いの順番が回ってきた、と思って、いつものようにカウンターの端で龍さんにお盆を受け取る。龍さんはいつもの笑みを浮かべて、ほらよ、とご飯をくれる。

 これから森に上がって、私はそこでご飯タイム。そして、ちょっと気合を入れ直そう、そう思っていた。

 そしたら後ろから夕波店長が上がってきたから、階段の途中で私は振り返る。

「あれ?店長、ご飯ですか?」

「そう」

 笑顔でない店長が下から私を見上げて頷く。そして、せっついた。

「俺の顔の前にずっとお尻があると気になるんだけど。さっさと上がってくれないかな〜?それとも、なで回していいって事?」

「わああああ〜」

 ダッシュで残りの階段を駆け上がった。

 今日の賄いは、元はイタ飯屋さんのシェフだった龍さんお手製の冷製パスタだった。エビやレタスやオニオンが山盛りで、これって居酒屋メニューのお客さんよりいいもの食べてるのでは?などと思ってしまう。

「凄いご馳走ですよね」

「うん」

 ・・・うん、って。ううう〜・・・何か、きまずいです〜・・・。私は困りながらいつもの場所に座る。店長もお盆をテーブルにおいて椅子を引き寄せて座った。

 木製のテーブルに向かい合わせになると緊張した。だって店長と二人っきりになったのなんて、面接の時以来だ。

「先に飯。頂きます」

 店長が両手を合わせる。先に、って言葉が気になったけど、私も続いて手をあわせた。

「・・・頂きます」

 うーん、若干気まずい・・・。店長、笑顔じゃないし、ご飯は一人で食べるのに慣れているから誰かと一緒ってのが・・・ちょっと。

 心の中でごにょごにょと呟いていて、折角のパスタの味もよく判らない。

 美味しかったはずだ。だけど緊張していた私は黙ってひたすら事務的に咀嚼していた。

 気付いた時には食べ終わっていて、ちょっと残念だった。龍さん、すみません。味わえませんでした。口には出さずに謝罪する。下に戻ったときには、美味しかったですって言おう―――――――――――

「ご飯は食えるんだな」

「はい?」

 言葉が聞こえて顔を上げる。そこには片手で顎を押さえて私をじいーっと見詰める夕波店長が。・・・・げ、山神の虎、臨戦態勢??私は少しばかり身を引いた。

「凹んでいるのか何なのか、とにかくぼーっとしてるけど食欲はある、と」

「・・・ええと」

 一面の緑色の中、リラックスした柔らかい顔とは言えない表情で、店長が私を見ている。

 風が通るように部屋の両側についている窓は閉められていて、弱にしてあるクーラーの音が聞こえる。

 その風に空気が動いて観葉植物の葉っぱが揺れていた。

「ほら、言ってごらん」

「・・・何ですか?」

「魂抜けた理由を言えっつってんの。俺が、優しい言葉遣いの内にいう事聞いた方がいいと思うよ」

 ぎゃあ、これは脅しだ!私は口元を引きつらせる。

「ええと、その」

 視線を私に固定したままで、店長は淡々と言った。

「シカの今晩の勤務態度は問題だ。仕事は腑抜けでしていいものじゃあない。接客業でお客さんに気分よく過ごせてもらえないなら、お金は支給出来ないぞ。理由も言えないなら今晩はもう上がってもらう。他のメンバーにも迷惑だからね」


 ぐっと詰まった。かなり、痛かった。


 邪魔だから帰れって言われるとは思ってなかった。

 その厳しさは社会なら当たり前のことなんだろう。それは判ってるつもりだった。だけど今まで家庭教師しかしてこなかった私は、その点甘えていたのかもしれないと、初めて考えた。

 許してもらえるのではないかって。

 でもそうなんだ、この人は私のお友達や近所の苛めっ子のお兄さんではない。あくまでも、職場の上司なのだ。

 そう思った。

「・・・すみません」

 小さな声しか出なかった。店長は前で、首をぐるっと回してため息をついた。

「帰るか?今日は暇だから、しんどいなら上がっても問題ないよ」

「いえ、頑張ります」

 うん、店長は頷いた。だけど、もう私を見ていなかった。手を伸ばして一番近いポトスの葉に触れる。

「あ、水だ」

 そして立ち上がると、端っこにおいてある霧吹きを持ってきて植物の手入れを始めた。

 えーっと・・・。私はどうしていいのか判らずに、そのままで席から店長を見ていた。

 ・・・もう終わり、なのかな。会話は終了?黒い瞳は植物だけを見ている。私はその視線を追いながら、それを寂しく思っていることに気付いてハッとする。

 ・・・あらあら、ちょっと。何で寂しいなんて。さっきまでは、見られていることに怯えていたくせに。

 時計をみると、休憩時間はあと10分。ちょっと早いけど、店長はもう違うことをしているし、ここで目の前で寝るのもどうかと思うし、下に戻ろうか。

 とりあえず、今晩は最後までバイト入っていいんだよね?既に植物の世話に没頭している店長に改めては聞けなくて、静かにため息をはいた。

 空になった食器を店長の分も持って立ち上がる。

「これ、持っていきますね」

「あ、ありがと」

 店長がまく霧が、部屋の中を漂っている気がした。その細かい水の玉をつい目で探してしまう。

 結局、魂が抜けている理由を言ってない、と階段を降りかけて気付いた。

「――――――――あの」

 振り向いて声を出すと、こっちを見ないで葉っぱを触っている店長がうん?と言った。

 一気に話した。自分では、感情を込めなかったつもりで。

「彼氏と別れたんです、今日の午後。それでぼーっとしてました。これからはしっかりします、すみませんでした」

 視界の端に、店長が振り返ったのが見えた。だけど私は階段を降りていく。口に出していうと、ちょっとスッキリしたかも、そう思っていた。



 その夜、それからは私は本当に頑張った。初めてこの店に仕事に入った時のように、緊張して気を配った。

 暇だからと言って、店長も龍さんもかなり頻繁に森に上がっていた。私はツルさんと他愛のない話をして過ごす。

 いつもの常連客が店を出たのはかなり早い時間。結局、最後までいたけど店は11時半で閉店になったんだった。

 私は帰り道、ぶらぶらと人気のない商店街を歩きながら、今日の午後の小泉君を思い出す。

 あんな顔をして、私を見るなんて、思ってなかった。

 明るい彼の、あんな苦しそうな顔を。

 赤い目で、鼻には皺がよっていた。・・・見たくなかったな。彼のあんな顔は。

 やっぱり、最後は笑顔が見たかったな・・・。





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