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 詰め寄る私に、まったく悪びれなく阪上君は笑った。

「とにかく、僕参加するんだよ。センセー宜しくね」

 嫌ですよっ!そう怒鳴りたいけど、ぐっと我慢する。そんなこと言ったって、既に決まってることならどうしようもないではないか。

 それにしても、本当にこの子は――――――――――――

「山神様にお願いごとが増えるわ」

 ため息をついて言う私に、阪上君が首を傾げた。

「山神様?ああ、センセーが行ってる居酒屋の新興宗教だっけ?まさか嵌ってるとかじゃないでしょ?」

 教えてやらない。私は自分の鞄を引き寄せて、本日の課題を引っ張り出す。今日作ってきたプリントは3枚、結構難易度は高くしてみた。これをさせている間に、鞄を持って下へおり、阪上家の母とお話をしよう。

 そう思って彼の前にプリントを突き出すと、それを受け取りながら阪上君は言った。

「ま、何でもいいんだけどねー。どうせお願い事なんて中身もバレバレだしねー、センセーは単純だから」

「失礼な高校生よ、あなたは本当に!」

 ふんと行儀悪く鼻を鳴らすと、綺麗な瞳を細めて彼は嬉しそうに笑う。

「当ててみせようか?」

「・・・黙ってやりなさい」

「そうだな、アレでしょ、センセー、最初のお願いは彼氏のこと」

「・・・」

「ほらね、単純なんだよ、センセーは。彼氏の就活は本人の問題なんだから放っておけばいいのに、神仏に祈るタイプ。そんなことしたって結果は変わらないよ」

「うるさいわね!」

 このクソガキー!!私はくるりと後ろを向いて、耳を塞ぐ。鞄もお腹に抱えて、阪上君が諦めて机に向かうまでその姿勢を崩さなかった。

 ・・・神仏に祈ったって、無駄。

 それはそうかも知れないけど。結局は、本人の努力と運次第なのもわかってるけど・・・。でも、やっぱり。

 手を離した耳に入るのは、阪上君がシャーペンを動かす音。私は自分の膝の上に置いた手をじっと見詰める。

 わかってるけど・・・・それでもやっぱり、祈らずにはいられない。

 彼に、笑顔が戻りますようにって。




 問題の、オープンキャンパスが来た。

 でも朝からうんざりして大学にいったわりには、午前中は何事もなく終った。オープンキャンパスは親も一緒にくる人が多いし、そうでなくても友達と来る人が多い。沢山の高校生で溢れた会場で、阪上君とばったり会うこともなかったのだ。

 それに、彼はお母さんと一緒に来ているハズ(せめてもの抵抗で、そのようにセッティングしたのは私だ)。

 学校案内、学長の挨拶と説明、ビデオ鑑賞、それからそれぞれの学部の特色や案内が始まる。

 私は自分が所属している社会学科のブースで名前を書いて貰ったりチラシを渡したりと忙しく、お昼をとる時間もなかったのだ。

 やっと休憩時間をもらえたのはもう2時だった。

「あー・・・お腹すいた」

 学食は空いているだろう。だけどご飯もほとんどないと思うから、もうコンビニでいいや、そう思って、学内にあるコンビニへ足をむける。

 ここでも品薄の中、何とかサンドイッチと紅茶を手に入れて、自分のお気に入りの場所へと向かった。

 3号館の通路からちょっと外れたベランダだ。ここは人通りも少なく、風がよく通るのでお弁当持参の時もよく来る場所だった。

 彼氏の小泉君とも、よくお昼をここで食べたものだった。就活が始まるまでは。

 真夏の昼過ぎ、うだるような暑さの中、日陰を見つけてそこに腰を下ろす。汗で湿った額を風は通り抜けて、ショートボブの私の髪を揺らしていく。

 今日は、あとは学生課に行って終わりを告げたら帰れるな。それで、今晩は山神に入る日だから5時までは自由ってことで―――――――――


 その後の予定をボーっと考えながら、サンドイッチをパクつく。流れるように食べていて、気がついたらなくなっていた。何か、損した気分だ。あれ、食べたの誰?という感じ。

 冷たい紅茶を飲み干す。赤い液体の向こうに、夏の太陽が反射して眩しかった。

「さて」

 声に出して、お尻のチリを払った。学生課に寄って、帰ろうっと――――――――


 ところが、私の本日の困難は、これからだったのだ。



「センセー、はっけーん!!」

 声がした、と思って振り向いたときには、すでに私の体には長い腕が巻きついていた。

「うひゃあっ!?」

 驚いて甲高い声をあげてしまう。途端に突き刺さる方々からの視線に、いっそ殺してくれ、と願うような恥かしさだった。

 だって、ここは図書館なのだ。

 学生課が入っている事務棟の隣、我が大学が誇る図書館がある。

 その図書館の入口入ったところ、盗難防止のセンサー前。つまり、一番人の多いところ。

 図書館に入ろうとした私は後ろから抱きつかれて、大声を上げてしまったのだった。


「さ、さ、阪上君!?ちょっと離れなさい〜!」

 既に私より背が高くなっている自分の生徒に、こんなところで抱きつかれるとは!ところ構わずぎゅううう〜っと抱きついてくる彼の頭をぐいぐいと手の平で押しまくった。

 だってだって皆見てるよ〜!ってか、見てないで助けてよ〜!私が嫌がってるのは見たらわかるでしょうが〜!!

 顔をぐいぐいと私に押されて、阪上君は悲鳴を上げる。

「い、痛い!痛いから、センセー!!」

「なら離れなさいーっ!」

 べりっと音がしそうな力を入れると、しがみついていた腕からようやく離れることが出来た。

「ちょ、センセー!」

 無視だ無視。苦情を言いたいのはこっちです〜!

 私は髪の毛振り乱してそのままダッシュで図書館を走り出て、大階段前まで来てから漸く止まり、荒い呼吸をつく。

「は、はあっ・・・何、何よ、一体!?」

 セミが大合唱をする暑い空気の中、私は一人汗だくでパニくっていた。

 びびび、ビックリしたあああ〜!!いきなり抱きつくとか・・・何考えてるんだ、高校生!!

 くるりと振り返ると、ぶらぶらと歩いてくる阪上君。顔にはいつもの笑顔が。

「センセーって、結構足速いんだね〜」

 なんて言ってる場合じゃない!私はぶるぶると怒りに拳を震わせながら男の子を睨みつける。

 すれ違う学生や職員が、何事かとチラチラみているのが判った。ああ、恥かしい〜!

 私は上半身を起こして、やってくる生徒に向き直った。

「阪上くん!いきなり抱きつくなんて、何考えてるの!」

 彼は嬉しそうにニッコリと笑う。

「え、だって、やっと見つけたからさー。愛の抱擁を・・・」

「そんなこと自分の彼女にしなさいよ〜!!」

 行為も場所もその単語も問題よ〜!!もう、どう言ったらこの怒りが伝わるのだ!私はその細っこい腕に噛み付きたい勢いで叫ぶ。しかし、私の怒りは伝わるどころか、どうみても彼は喜んでいた。

「あははは、センセー真っ赤だよ、可愛い〜なぁ!でも、ちょっと落ち着いて」

 落ち着けないのはあんたのせいでしょうがよっ!!
 
 憎たらしいことに、相手はケラケラと笑っている。この暑さは気温のせいだけではない。もしかしたら本当に脳みそが沸騰しているのかもしれない。

「ち、痴漢で警察に突き出すわよ、もう!」

 私が言えば言うほど嬉しそうな顔をして、彼は微笑んだ。風の強い日で、大階段の前はびゅうびゅうと吹き通っていく。阪上君の細くてサラサラの髪が揺れては跳ねている。

「・・・センセーの、そのつれないところも好きなんだよ、僕は」

「め、迷惑だからね!本当にやめて頂戴!」

 綺麗な顔に笑顔を浮かべる少年の周りに、その母親の姿が見えない。お母様〜!?どこにいらっしゃるのですかあああああ〜!?悪魔が放し飼い状態ですけどおおお〜っ!!

 一体どれだけの学生に見られたことだろう。図書館で高校生に抱きつかれて悲鳴を上げた私を。友達はほとんど来ていないから大丈夫だろうけど、もしかしたら後輩はいたかもしれない。・・・ああ、変な噂が流れなきゃいいけど――――――

 半泣きになりかけた私が、阪上家の母親を探して周囲を見回すと、こっちを見ている人影を発見した。

「――――――――・・・・・あ」

 声が、漏れる。

 校舎の影になっている場所からこちらを見ている男の人は・・・。

 小泉、君。あれ、あれは・・・仁史君、だよね?

 私の視線が自分に向かっているのが判ったようで、遠くにいた彼がこちらに向かって歩き出した。

 久しぶりに見た小泉君は日に焼けて、髪が短くなっている。そして、今日もスーツ姿だった。

「・・・センセー?」

 私が他の方向を凝視しているのを見て、阪上君も振り返る。そして黙った。判ったのだろう、近づいてくる男が、私の彼氏だって。

 声が届く距離にきて、小泉君は立ち止まった。阪上君の方はちらりとも見ないで、真っ直ぐに私を見ている。

 笑顔はなかった。

 私は少し口を空けっ放しにした状態で、呆然と久しぶりに会った彼氏の顔をみていた。

「・・・仁史君」

「ひばり、久しぶり」




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