・オープンキャンパスの騒動@
居酒屋にも慣れてきた頃で、しかも家庭教師のバイトも山場を無事に越えていて、私はルンルン気分だった。
「おー、順位あがってるじゃない!」
1学期の期末テストの返却が続き、それなりの進学高へいっている我が生徒、悪魔君・・・でなくて、阪上君の成績も上々だ。
よしよし、家庭教師として役に立っているのかは甚だ謎だけど、とりあえず、生徒の順位は上がっている(だとしても、それは彼の元々の頭の良さであって、私の尽力ではない)。
「僕頑張ったでしょ?ご褒美頂戴よ、センセー」
阪上君は部屋の真ん中の境界線ぎりぎりのところで胡坐をかいて喉を鳴らしそうな顔をしている。
少し前に伸びた髪を切ったらしく、爽やかさが強調されていた。
「え、ご褒美?デコピンとか?」
中指と親指で輪っかを作ってニヤリと笑うと、途端に阪上君は不機嫌になった。
「・・・悪影響だ」
「はい?なあに?」
小声で聞こえなかった。私は椅子をくるりとまわして体ごと彼の方を向く。
阪上君は後ろに両手をついて胡坐を崩すと、ぶーたれた顔で言う。
「センセー、居酒屋のバイト決まってから意地悪になったよね」
「え、そう?」
自覚がない私は瞬きをする。そうかな・・・変わってないと思うけど。
「前はそんなこと言わなかったのに。一体誰の影響受けて、そんなS体質になったの?」
・・・S体質。私が何らかの影響を受けているとすれば、それは山神の獣達に違いない。
虎とか龍とか鶴とか馬だ。特に、前の2匹。
ほぼ毎晩の勢いで追い掛け回されている鹿は、多少強くなるのが普通ではないだろうか。
「前の私なら、どんな反応だった?」
プリントを畳ながら言う私を見て、阪上君は面白くなさそうな顔のままで言う。
「赤くなって、舌も噛みまくって、ご褒美なんてないです!!って言ったハズ」
「・・・はあ、まあそうだったかもね」
言った気がするな、そんな台詞も。考えていると、髪を切って爽やかボーイに扮している悪魔が、境界線を越えてにじり寄ってきた。
「やっぱり影響なんだ。しかも思い当たる人がいるんだ。ソレって男?」
「ちょっとちょっと、君、境界線越えてますよ」
「ねえ、センセー、それって男?」
私はしっしっと手を振りながら、しぶしぶ頷いた。
「うちの店長と板さんは結構ないじめっ子なのよ。ほら、下がって下がって。約束は守らなきゃ、阪上君!」
阪上君は気にせずに、更に一歩近寄る。私は仰け反った。
「店長と板さん?居酒屋の男なんてロクでもないよ。そんな奴らにセンセーがアチコチ弄られてるなんて、許せない」
「いいいいいいやいやいや、弄られてってのはちょっと違うのよ!私にはいい修行になってると思うけど・・・つーか、何調子にのってるの!下がりなさいってば!」
更に、一歩。彼の8畳の部屋の端っこに座る私の目の前に、既に体の大きくなった阪上君が聳え立っている。
よく見れば・・・・この子、いつの間に私より背が伸びたんだろう。肩幅も、今気付いたけど、大きくて広くなっている・・・。
冷や汗が背中を滑り落ちた。
「ねえセンセー。センセーがSでも別に構わないよ。何なら僕は、究極のMにだってなるからさ、ご褒美に、センセーと・・・」
うっきゃああああああ〜!
「境界線境界線!!」
私は素早くそこら辺に転がしてあったバットを拾い上げて構えた。危ない危ない!素手でこの子に勝てるとは微塵も思わない。これはまさしく貞操の危機ってヤツでは!?
・・・せ、正当防衛ってどんな状況でなら言うのかしら・・・。
「ね、ひばりさん」
阪上君が微笑んだ。薄いその笑顔に私は驚いて目を見開く。・・・何ですか、この色気。一体どこから引き出しましたか、今?
17歳とは思えない、自分よりもはるかに年上の男性であるかのような錯覚を覚えて眩暈がする。落ち着くのよ、ひばり〜!!この子は、この子は、あの、にきび面で膨れていた14歳の男の子と同一人物なんだから〜!!
阪上君がすっかり声変わりして低くなった声で、囁いた。
「ひばりさんと僕の間に、壁は必要ないでしょ?」
「ひ、ひ、必要です!それと、勝手に名前で呼ぶの止めなさい!それ以上一歩でも近づいたら、即行で家庭教師は辞めさせていただきますからね〜!」
今は別の収入源もあるのだとようやく私は気がついて、それにすがって強気で言い放った。実際は思いっきりビビッてたけど、それは出さない努力はした。
怪しげなオーラを身にまとわせながら近づいてきていた阪上君は、その一言でぴたりと止まった。
一瞬で、17歳の少年に戻った。
「・・・本気?」
「本気よっ!」
整ったアーモンド形の目を細めて、阪上君は私をじっと見る。若干化石のようになって固まった私だった。
・・・何だか、今までで一番危機を感じてるんですけどお〜・・・。うわーん、どうしよう、どうしたらいいの!?
よく見なくても、この男の子は格好いい。その整った顔を無表情で凍らせてじっと見詰められると、それは思った以上の迫力があった。
・・・やば。
彼が次の行動に出る前に、下にいらっしゃる阪上家のお母様を呼ぼう!そう思うと同時くらいに、彼がふう、と息を吐いた。
そしてするすると後ろに下がって、部屋を横切り自分の机の椅子に座る。
ほお〜・・・。私は思わずため息をはいて、力を抜いた。その拍子にバットが音を立てて床に落ちる。
「――――――――センセーに辞められちゃ嫌だから、諦めるよ」
「・・・そ、それは良かったわ」
何とかそれだけ答えた。漫画みたいに口から心臓が出そうな勢いだ。すると阪上君は、微笑ではなく少年らしい大きな笑顔でにっこりと笑った。
「今回は、ね」
「・・・いえ、未来永劫諦めて下さい。私、高校生に興味はないですから」
大体未成年に手を出したら同意の下でも犯罪だよ!一瞬で緊張して疲れた私は椅子に座り込む。
・・・ああ、マジでびびった。
「高校生では興味なし?ふーん・・・なら、僕が大学生になったらいいわけ?」
「は?」
「なるけどさ、大学生にはね。あ、そうだそれ言おうと思ってたんだ。僕、センセーの大学のオープンスクール行くから」
「・・・・はああ?」
私は素っ頓狂な声を上げた。逃げていたのも忘れて思わず境界線まで進む。え、だってだって――――――――
「だってまだ高2じゃない!」
「だから何?高2でもオープンキャンパスは行くんだよ、センセー」
「そ、そうなんだ」
へえ!私はちょっと考える。阪上君がうちの大学に?だってそれって勿体無くない?確かに偏差値的には狙うゾーンに入ってるかもだけど、でも―――――――
「・・・何を専攻したいの?」
私は怪訝な顔をしていたらしい。彼は、いつものように企んだにやり顔をした。
「ナイショ」
「え?」
どうしてよ。私は彼を睨みつける。では何だって話を振ったのだ。情報が欲しいとか、そんなのだと思ってたけど。
阪上君は椅子をくるくると回して自分も回転する。しばらくそれを続けておいて、話し出した。
「内緒だよ。だってセンセーどうせ僕が受験までいないんでしょ?だったら僕も言わないよ。ただ、大学で僕をみつけて絶叫しないように、言っておこうと思っただけだから」
「・・・」
憮然として椅子で遊ぶ生徒を見詰める。オープンキャンパス?でもでも―――――
「・・・私はほとんど大学に居ないし、夏休みだからゼミもない。行かないから会わないわよ」
だって、オープンキャンパスは高校生の夏休みを利用して行われるし。私の言葉に阪上君は笑った。
「どうして?センセーいるんでしょ?僕知ってるんだよ」
ハッとした。私はひきつった口元を隠しもせずにニヤニヤと笑う男の子を見詰める。
「阪上君、勝手に私の鞄の中を漁ったのね?」
声は自動的に低くなった。
実は、学生課からの頼みで、夏休みのオープンキャンパスの手伝いをすることになっていた。
就職が決まったことを告げにいった学生課で、それでは時間ありましたら是非、と言われて、その時はまだバイトも家庭教師だけだった私は引き受けたのだ。
それの決定通知が入ったままの通学バックで、家庭教師に来たことが一度だけある。私がトイレに行ったか、阪上家のお母様と話している間に盗み見たに違いない。
私は腰に両手をあてて我が生徒をにらみつける。
「人の持ち物を勝手に触るなんて、とんでもないことよ!」
彼はにっこりと微笑んだ。両膝を抱えあげていて、子犬モード(本人談)になっている。
「漁るだなんて、人聞き悪いよ、センセー。鞄からはみ出してたから拾ってあげたのにさ。ちゃんと丁寧にしまっといてあげたんだよ、僕」
「信じないわ。あなたが盗み見たというなら納得するけど」
「わお、酷いんじゃない?僕とセンセーの仲でしょ」
「それ故にだと思った方がいいわよ」
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